水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

メモ

2023年04月30日 | 学年だよりなど
3学年だより「メモ」




 授業は何のために受けるのか――。
 改まって尋ねられると、どう答えていいか迷う問いかもしれない。
 「授業を受けて、テストでいい点がとれるようにするためです!」
 そのとおりなのだが、授業でインプットして、テストでアウトプットするという構造を意識できているだろうか。残された時間のなかで、みなさんの力を高めていくには、このサイクルをより強力にしていく必要がある。ブロガー・文筆家のちきりん氏は言う。




~ メモらないとすぐに忘れる。「最近は」なのか「昔から」なのか、よくわからないけど、メモらずに(大事なことを)漏れなくぜんぶ覚えておける人ってすごいと思う。
 一方、対談とかインタビューを受けると、ほぼ100%録音されるんだけど(もちろん許可をとって)これは本当に意味がわからない。
 あたしは自分が取材をする側、インタビューする側の時は、いっさい録音しない。
 理由は、録音データをあとから聞いたり(文字興しされたものを)後から読む時間が無駄だからら。インタビューや取材は、してる間に「どういう記事にするか」を頭の中で考え、そのアウトプットイメージをメモにとります。
 ここで大事なのは、「メモを取る」のは、相手の言ったことを書きとめる、のではなく、「相手が言ったことにたいして、自分が感じたこと、考えたこと」をメモに残す、ということ。
 つまり、メモるのはインプットではなく「アウトプット」イメージ。
 そうやって取材中やインタビュー中に「アウトプットイメージ」をメモっておけば、あとからアウトプット(プログ記事や本の原稿)を書くのはめっちゃ簡単。(ブログ「Chikirinの日記」)~




 授業中にノートをとるのは何のためか。
 第一段階目はインプット。
 黒板をただ写すだけでも勉強になるのは、教える側の思考の枠組みがそこに記されているからだ。
 当然それは自分の脳内とは異なる。
 自分が無の状態の内容について学んだなら、そのまま頭にぶちこめばいい。
 先輩やコーチのする動きをそのままマネしてみるのと同じだ。
 見よう見まねで何回も繰り返しているうちに、その動きをするための脳内回路ができてくる。
 ある程度の事前準備が脳内にあるときは、板書を写しながら、対比ができる。
 思っていたこととの違いは何か、自分がイメージしていた筋道とどこが違うのか、もしくはほぼ同じであったことに納得したり。
 Aについて習っていて、そこからBへのつながりが見えてくるときがある。
 黒板を写しながら、その時にひらめいたこと、思いついたこと、新たにわいてきた疑問を、ノートの隣のページや別の箇所に書き留めていくと、アウトプットの段階になりはじめている。

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かわごえ春の農業まつり2023

2023年04月29日 | 学年だよりなど
かわごえ春の農業まつり ステージ演奏
日時:令和5年4月29日(土)12:00~
会場:川越市農業ふれあいセンター
演奏曲「新時代」「Mela!」「セプテンバー」「スペイン」「We Are Young」
「オーメンズオブラブ」「You cant Stop the Beat」
ご来場ありがとうございました!!

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お弁当箱

2023年04月24日 | 学年だよりなど
3学年だより「お弁当箱」




 みなさんより長い人生を過ごしている身として個人的な意見を言わせていただけるなら、「やってみたい」と今思っていることは大事にした方がいい。
 たとえそれがどんなに小さなことでも。どんなジャンルのことでも。
 どうせだめだろうとか、自分にはムリだろうとか、時間やお金や機会がないとか、マイナス要因を数えて、やらない理由を積み上げるのはもったいない。
 やって失敗することも、もちろんあるだろう(これも全く個人的な話だが、失敗の方がはるかに多かった)。ただし、やってみて失敗したことに対する後悔は意外に少ないものだ。
 やらなかったことについては、もう少しふみこめばよかった、やってみてもよかったなという思いが生まれる。
 「やった後悔よりやらなかった後悔の方が大きい」と言われるが、真実をついた言葉だと思う。
 そもそも「やりたいと思うこと」を頭につめておくことは、精神的にもいいし、結果的にからだにいいはずだ。大学に入ったらこういうことをしてみたいという思いをためておくことは、勉強の一番のモチベーショにもなるだろう。
 こんな勉強をしてみたい、こんなサークルに入りたい、アルバイトしたい、一人暮らししたい、異性と交遊したい、旅に出たい、新しい何かをはじめてみたい……。
 そればかり考えてぼおっとしていると勉強がすすまないので、一番いいのは「やりたいことノート」にまとめておくことだ。




~ 人生つまんないって思ってるそこのあなた!
 こう考えてみてください。
 人間の脳はお弁当箱です。スペースに限りがあります。
 「人生つまんねー」とか「この先もどうせ楽しくない人生だろうな」とか考えちゃうネガティブ思考って、弁当箱に嫌いなおかずばかりを詰め込む行為です。
 そりゃテンション下がって当然。
 ネガティブを詰めてたらポジティブを詰めるスペースがなくなっちゃう。
 ネガティブからポジティブに切り替えろ。
 嫌いじゃなくて好きに集中しろ。
 悲観するな楽観しろ。絶望するな希望を持て。明るく楽しくいこう。
 お弁当箱は好きなものでいっぱいにしよう。 (「テストステロンtwitter」)~




 自分のお弁当箱には、自分の好きなものを目一杯詰め込めばいい。
 みなさんは、お弁当箱そのものを大きくできるのだから。

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吉兆

2023年04月19日 | 学年だよりなど
3学年だより「吉兆」




 栗山英樹監督が日本ハムファイターズの監督時代のお話。
 2018年、春期キャンプに出発する飛行機が、故障のため2時間遅れることになった。
 「なんだよ、さあシーズンに向けてのスタートだ! という日にいきなりトラブルか、幸先が悪いな」……とは、考えなかった。




~ 思いがけず空港で足止めされるという現実を、どのようにとらえるべきか。
「なんで2時間も余計に待つんだよ」と、苛立ちを募らせるかもしれません。ここで私は、「遅れることで飛行機の整備がより完壁になる。我々が機内で快適に過ごせるように、一生懸命に準備をしてくれているに違いない。選手とスタッフを安全に目的地へ届けてもらうために、この2時間は必要なものなのだろう」と受け止めました。
 我々プロ野球の球団にとって、春季キャンプは一年の始まりです。元旦と同じようなものと言っていいでしょう。晴れやかな気持ちで迎えたその日に、私たち日本人は過ぎ去った一年に感謝し、これから始まる一年の心構えを固めます。飛行機が遅れたのは何かを示唆していると考えることができ、「ダメなものはダメだと表面化すれば、善後策を講じることができる。自分たちにとって不都合なことや困ることはマイナスではない。自分たちの未来に。プラスにできるのだ」と理解することにしました。
 北海道に本拠地を置く日本ハムファイターズは、ビジターゲームのすべてが飛行機での移動になります。天候不順に見舞われたりすれば、出発時間の遅れは避けられません。そのたびに気持ちを尖らせていたら、心の健康を害してしまう。春季キャンプでの飛行機の遅れは、「長いシーズンではこんなこともあるのだよ」と教えられた気がしました。吉兆とはそういう意味です。(栗山英樹『栗山ノート』光文社)~




 早い段階でのつまづきは「むしろプラス」という考えは、人生全般にあてはめられる。
 たとえば、子どもの頃から成績優秀でちやほやされ、そのまま最難関の最高学府を卒業し、国の中枢で仕事をはじめて、そこで初めて大きな挫折を味わう……ような人生を送る人はいる。
 われわれ一般人からみると何でもないような失敗が、「エリート」の人にはたえがたいもので、結果として犯罪を冒す、心を病むというような事例も報道されたりする。
 そう思えば、受験でもいい、部活でもいいい、失恋でもいい、若いうちの失敗体験は、プラスにこそなれ、マイナスだと考える必要はまったくない。
 大学入試でも、大きな失敗を模試の段階でやらかしておく方が安心だ。
 過去にも、順調な高3時代を過ごしながら、受験本番にかぎって大きなミスをした先輩もいた。
 今はできるだけいろんなタイプの失敗をしておくことが大事だろう。
 もちろんそのためには、まずチャレンジしないといけないし、失敗を失敗と認識できるだけの自分になっておく必要はある。

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時間感覚(2)

2023年04月15日 | 学年だよりなど
3学年だより「時間感覚(2)」




 「東京の時間と鳥取の時間があまりにも違っていてとまどっています。正直、苦しいです。どうしたらいいでしょうか?」
 後で考えると、めちゃくちゃにも思えるこんな質問を、小松先生は真剣に聞いてくれた。




~ 先生は僕の話を聞き終わると、自分自身で確かめるようにうなずきながら、こうおっしやった。
「苦しめばいいんじゃないかな」
 僕はすぐには言葉を返せず、思わず「え?」と口にしながら先生の言葉を飲み込もうとした。すると、こんなふうに補足してくださった。
「苦しむっていっても、君がいま苦しいっていうのは、自分の外側を流れてる東京の時間に無理して合わせようとするからだろう? それは君の中に流れてる鳥取の時間とは異なるわけだから、苦しくなるのは当然だと思うよ。そうじゃなくて、君は君の内側に流れてる自分の時間を生きればいい。好きなときに好きな本を読み、好きな場所で好きな人と会う。ただし、そうすれば必ず外側を流れる時間とはズレていくから、その狭間で苦しむことになるけれど、そういう苦しみなら、むしろ、徹底して苦しみ抜いたほうがいいと思う。そういう意味で、苦しめばいいんじゃないかなって言ったんだ」 (タカサカモト『東大8年生 自分時間の歩き方』徳間書店)~




 「自分の時間を生きる」――。この言葉が、その後に人生に大きな影響を与える。
 自分の時間を生きようとして、そのせいで周囲と軋轢が生じても、それはそれで受けとめようと考えるようになった。ときに「狭間の苦しさ」を感じたとしても、ムリしたり、もしくは逃げたりするのではなく、自分の時感を大切にしようと、タカサカモト氏は考えた。
 その結果、大学の卒業までは8年かかった。卒業後も、一般的な就職ではなく、その時々で自分を仕事を生み出す道を模索した。
 多くの人が働いている時間に休んですごし、人が寝ている時間に必死に何かに取り組んだりもした。
 その全てが正解だったかどうかはわからないが、自分で選択したという自信があるという。
 「誰にどう言われようと、それが僕の選んだ生き方だった。」
 時間をどう使うか、何にどれくらい使うかは、そのまま「生き方」だ(何回も言ってるけど)。
 前クールで放映されていた「ブラッシュアップライフ」を観た人はいるだろうか(テレビドラマの歴史に残る作品だった)。
 「生まれ変わり」をテーマにする作品で、主人公が二周目、三週目の人生を生きる。
 人生のやり直しはあるかもと、一瞬思ってしまうリアルさを感じたが、現実にはない(おそらく)。
 人生に二度目はない。
 たった一回の人生は、自分で決めて生きよう。他人の時間にあわせようとムリしたりしない。
 他人は他人、自分は自分。“時感”は違っていて当然だ。
 そして自分で選んだ時間は、自分が責任をもつ。今ここにいること、この環境は自分が選んだ結果だ。
 肚をくくろう。

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時間感覚

2023年04月13日 | 学年だよりなど
3学年だより「時間感覚」




 相性の合う人と合わない人がいるのは、人間ならば普通のことだ。。
 いろんな人がいて当然で、すべての人と同じくらい仲良くなる必要はない。
 家族であっても、必ずしも仲が良いわけではないことを感じている人もいるかもしれない。
 同じクラス、同じ部活内でも、他の全員と同じように仲良くすることは不可能だ。
 あまり話さなくてもわかり合える人もいれば、最初からうまくいかない人もいる。
 部活であれば、同じ苦労をしているうちに仲良くなっていくこともあるだろうが。
 人間関係だけではない。場所、空間、趣味、嗜好、いろんなものに相性はある。
 あの先生とは、あの顧問とは合わない、もしくはこの学校そのものと合わないと感じるようなこともあるかもしれない。
 その原因の一つに、「時間感覚の違い」がある。
 性格的にも合ってそうだし、仲良くなりたい、でもどうしても時間に対する感覚がちがう……みたいな人と、ずっと友達でいられるか、パートナーとして過ごせるかというと、やはり難しいのではないか。
 物事の好き嫌いが一人一人違うように、時間に対する感覚は人それぞれだ。
 人だけでなく、その場所に流れている時の流れが自分の感覚とがズレている……と感じたとき、無理にあわせようとすると、精神的に相当辛くなることもある。
 浦和で学習コンサルティング事業を行うタカサカモト氏は、東大に入学するために上京したとき、故郷との時間の流れ方の違いに驚いたという。




~ 大学入学とともに鳥取から上京して間もないころ、東京というまったく新しい環境に適応するうえで、もっともとまどったのが時間の流れ方の違いだった。
 これを僕は、時差ボケならぬ“時感差ボケ”と勝手に呼んでいる。“時感”とは、つまり、主観的な実感における時間の流れの速さの感覚のことだ。
 鳥取の時間と東京の時間、すなわち、鳥取における時感と東京でのそれは、実際に体験してみるとあまりに違っていたのだ。
 ご想像のとおり、東京での時間の流れはとにかく速く感じられた。
 何だか知らない間に日が暮れていて、あわてて何か生産的なことをしようとあがいてみるものの、結局、意味のない夜更かしに終わってしまい、翌朝目が覚めるとぐったりしている。それが何日も続いてしまっていた。 (タカサカモト『東大8年生 自分時間の歩き方』徳間書店) ~




 タカサカモト氏は、そのとき最も熱中して受講していた科学史の小松美彦教授に相談してみた。
 小松先生はその質問を真剣に訊いてくれ、かみしめるようにこう言った。
 「苦しめばいいんじゃないかな」「え?」

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出会い(2)

2023年04月10日 | 学年だよりなど
3学年だより「出会い(2)」




 あんな人になれたらいいな、うらやましい、憧れるな……という存在は、多くの人がもっているのではないだろうか。
 きっかけは見た目のかっこよさや、業績のすごさかもしれない。
 パスの正確さ、色使いの巧みさ、ビブラートのきれいさ……のようにピンポイントでの憧れもあるだろう。
 誰に心惹かれるか、誰のようになりたいかは、自分というオリジナルを解明する大きな要素だ。
 そこを深めると、自分の感性や嗜好、価値観が見えてくる。
 おそらく人は、そういう「自分の大元にあるもの」の方向でしか生きていけない。




~ 私は若い頃、仕事で行き詰まったり、万事休す、と音を上げそうになったりしたときに、よく「父ならどうするだろうか」とか「小学校時代の恩師、森先生なら何ていうだろうか」と考えたものだった。そうして浮かぶ「父ならきっとこうする」という答えはほとんどの場合、自分もそうしようと思いつつ、自信が持てていない答えと同じであった。
 しかし、いつまでも「父ならどうするか、森先生ならどうするか」と考えていたのではない。やがて、自分だけで決めるようになる。私は、それは父や森先生という人を、私が「内包」できるようになったからだと思っている。内包、融合。
 恩を忘れたとか、一人前になったつもり、傲慢さ、ではない。
 感謝の気持ちは一生消えない。
 私は、父を、森先生の生き方を、「受け継いだ」と感じている。
 お手本は、きっといたほうがいい。
 それは、テレビの世界の人でもいい。身近な人でもいい。
 映画やアニメのヒーローでもいいだろう。
 誰をお手本とするかは、その人だけの特別な感性や価値観にかかっている。
 なぜその人をお手本としたいのか、それを自分の言葉で表してみると、そこに、あなたが大切にしたい価値や信念が、自ずと浮かび上がってくることだろう。 (原田隆史メルマガ「仕事と思うな、人生と思え」Vol.713)~




 大谷翔平選手そのものにはなれないが、「大谷翔平」的生き方はできる。
 大谷選手に憧れる人は、試合成績のすばらしさはもちろんだが、野球への取り組み方に心惹かれているのではないだろうか。
 試合以外の場での立ち居振る舞いまで考えると、それは「生き方」に惹かれているといってもいい。
 一年365日、野球選手としての成長のために生きる姿。それはわたしたちが、そうありたいと思いながら中々実践できない、物事への取り組みの姿勢だ。
 どんな分野でもいい、あんな人になりたい、目標にしたいと思う存在、多少なりとも気になる人を見つけよう。
 困ったとき、悩んだときに、「あの人ならこうするだろう」と想像すると、理屈ではなくすっと自分の道が見えてくる。

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出会い

2023年04月08日 | 学年だよりなど
3学年だより「出会い」




 進級おめでとうございます!
 大学、学問、職業など自分の目標がなかなか明確に決まらないとき、それを「人」で想定してみると、自分の方向性が見える場合がある。
 「あんな人になりたい」という思いだ。
 たとえば、将来はこういう仕事に就きたいと思っていても、なかなか叶うものではない。
 自分の望む仕事に就けないからといって、人生をあきらめるわけにはいかない。
 目指すのが「人」であれば、かりにその人がこの仕事をするなら、こんあ風にするだろうか? と考えることができる。
 憧れる人物が大谷翔平選手であったとする。
 みなさんがこれからどんなに頑張っても、メジャーリーグで同じように活躍できる人は(絶対とは言えないが)まずいないだろう。
 でも、大谷選手がもし○○大学の学生だったなら、○○という会社に入ったら、○○という事態に出会ったなら……という想定は可能だ。
 自分が問題に直面したとき、あの人だったらどうするだろう? と考えるということだ。




~ 今年度から改訂された教科書には、新しく大谷翔平選手(小学校の算数の教科書にも登場)、藤井聡太六冠、アーティストのYOASOBIの歌詞なども取り上げられているそうだ。反社会的なことには全く縁がなく、発言にも品格があり、他者への配慮ある言動があり、かつ、それぞれの専門分野で高いパフォーマンスを発揮している。ロールモデルとして、ふさわしい人選だといえるだろう。
 私の場合は、ロールモデル=生き方のお手本は、警察官の父親であり、厳しく、しかし深い愛で私を育ててくれた母であり、そして自分に自信が全く持てなかった幼少期の私を励まし支えてくれた、多くの学校の先生たちであった。
 私にとってのロールモデルは、人から「この人ですよ」とわざわざ教えてもらったのではなく、生きている中で、自然と、「この人みたいになりたい」「こんな言動を自分もできるようになりたい」と思える人々と出会った、ということがわかる。 ~




 やっていることをそのまま目標にするのではなく、考え方、生き方を自分の目標にすえるということだ。それが「ロールモデル」だ。
 そういう人物がいる人は、なぜ自分がそう思っているかを深めてみるといい。

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