水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

ドレスコード

2009年10月31日 | 日々のあれこれ
 和田秀樹氏のブログに、「受験勉強はドレスコードだ」とあって、なるほどと思った。


 ~ 受験勉強というのは、パーティのドレスコードやテーブルマナーのようなものだと考えている。
 どうしても行きたいパーティがあれば、不愉快でもドレスコードに従う。そこに行く以上は、ある程度テーブルマナーを身につけておかないといけない。
 器用な人は簡単に身につけるだろうし、そうでない人はかなり苦労したり、いやになってあきらめるかもしれない。要領のいい人は、スープを飲むのが下手なら、スープを飲まないという手で対抗するだろう。
 しかし、そういう一流のパーティに出席できたり、そこにあったドレスを着、テーブルマナーを身につけても、中身が変わるわけではないし、自分が上流になったわけではない。~
 
 ~ ただドレスコードを守り、きちんとテーブルマナーを身につけられない人は、そのパーティに参加したくでもできないのは事実だ。~

 ~ 資格試験にしても、入学試験にしても、入場の条件に過ぎないし、それ以上のものではない。でも、入場の条件を満たさないと、そこより先のことはわからない。別の場に入ることで活躍する道は確かにあるが、すくなくともその世界では活躍できない。 ~


 そのパーティーに今参加したいかしたくないかではなく、いざ参加したいと思ったときに、参加できるようになっているといい。
 パーティーは今夜7時からですよ、正装ですと言われてから、タキシードを買いに行っても間に合わないということだ。
 タキシードをもってないがために、「あんなパーティーは行っても意味ない」などと強がらざるを得ないのは悲しい。
 
 最近は、いろんなお店が、ネクタイなしで、Tシャツ・Gパンにサンダル履きでいれてくれるいようになった。
 ほぼ裸ででかけても、入り口でチェックすらされないお店も多い。
 その中で提供されるものに、自ずと限界はあるだろうなあと思う。
 だいいち、落ち着いて何かを味わおうという気になれないはずだ。

 で、しつこく同じ話。
 今日試験が終わったあと、先日のカリキュラム説明会をインフルエンザで欠席した子を集めて、前と同じ話をした。
 同じ話をしながら、こんなたとえを思いついた。

 みんな、レストランに連れてってもらったとする。
 そこで、好きなものを注文していいよ、って言われる。
 じゃあメニューくださいというと、それは自分で考えてと言われる。
 そのとき何が注文できるだろうか。
 吉野家と日高屋とサイゼリヤしか行ったことのない人は、そのレベルのものしかイメージできないと思うのだ。
 牛丼がわるいというのではない。
 フレンチや懐石料理も、経験だけはしてみるべきじゃないかということだ。
 今の知識だけをベースにして、人生どう生きるべきかを考えるのは、もったいない。
 いろんな経験をしたうえで、やはりGOGOカレーのロースカツカレーが一番だと考えるのなら、それはありだと思う。

 さて、試験も終わりやっと全員そろっての練習。
 本番も多いけど、この時期に基本的な奏法をどうやって身につけるかが大事だ。
 先日の金管アンサンブルの講習会では、「やりたいこと」が良く伝わってくる気持ちの入った演奏だと、何人にも先生から言っていただいた。
 つまり、気持ちはあるけど、それを音につなげる技術が足りないのだと。
 考えてみると、コンクールのときもそうだった。
 やりたいことはよくわかる。流れもいい、あとはサウンドをみがいてほしいと書いてくださった審査員の先生が多かった。
 本番のために短期間で曲をしあげないといけない今も、たえず吹き方をおろそかにしないようにしていかねば。
 言うのはかんたんなんだけどなあ。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青い鳥

2009年10月30日 | おすすめの本・CD
 先日池袋から乗った東上線で、スーツを来ているが会社務めではなさそうなおじさん二人と、スーツ着てるけどOLさんではなさげな若い女性の3人組がいて、「あのメンバーがいたら関東にいけるよ」とか「このあいだの練習試合でさ」などという会話がきこえてきたので、あ、やっぱり学校の先生だ、と思った。
 なんとなく先生ぽい人なと思われる人がいるけど、なんでだろ。
 微妙に態度が大きめだったりとか、スーツにスニーカーだったり(論外?)とかするからだろうか。
 
 重松清『青い鳥』の主人公、村内先生は、見た目はたぶん先生ぽい。
 しかし、子どもに対する接し方は、一般的な先生とは一線を画している。
 村内は産休や病休の先生の代わりに派遣される臨時教員である。
 吃音ゆえに、話がききとりにくい。
 常時いる先生でさえ子どもを掌握するのが難しいこの時代、突然教室にあらわれて、つっかえながら話す村内先生が、簡単にうけいれられることはない。
 多くの生徒にとって村内は、一定の期間がすぎればいなくなるだけの先生だが、教室に居場所のない生徒、いじめられている生徒、心に傷をもった生徒は、ある日村内先生の思いに気づく。
 はじめて学校の先生によりそってもらえた、という気持ちを抱くことになる。
 そんなお話が8遍おさめられている。

 タイトルになっている「青い鳥」は、いじめられ自殺未遂をした生徒がいるクラスに赴任してくるお話。
 事件のあと、長い期間にわたって、クラスでの話し合いや反省文を書く時間がもうけられ、被害者の野口くんは転校し、これで収束したと先生も生徒も感じ始めていたころ、休職する担任の代わりに村内はやってきた。 
 すると、片付けられていた野口くんの机を教室にもどし、毎朝のHRの時間に、その机に向かって「野口くん、おはよう」と言うのだ。
 映画「青い鳥」を前に観たので、読んでる間ずっと阿部寛が頭の中にいた。
 阿部寛が言う、「き、君たち、忘れてしまうなんて、ず、ずるいなあ」。
 もう、ウザさの極致でしょ、生徒にすれば。
 同僚として接した場合、先生方にとっても、きわめて扱い憎い存在となるだろう。よかったね臨時の先生で、という扱いになるはずだ。

 学校という空間は、みんなが同じ服を着、同じ向きに座り、同じ授業を受け、教師というかたよった価値観をもつ人の話をきき続けなければならないところだ。
 そういうことに疑問をもたずにすごしていける子もいれば、そんなもんだとわりきって、なんとかやりすごしていける子もいる。そして、たえきれなくなる子ももちろんいる。
 閉ざされた空間である。
 閉ざされていることに気づくかどうか。
 子どもは気づけなくても、教員は気づいてないといけない。
 自分たちのやっている行いを、外から見たらどんなふに見えるか、とたまには考えないといけない。
 
 映画で、「おまえたち、しっかり反省しろ、反省文は5枚だ!」と指導する、いかにも先生らしい指導のシーンがあった。
 監督さんは、先生の感性をよくわかっているなと赤面したものだ。
 
 とりとめなく書いてしまうけど、「将来の職業をしっかりみすえて、進路を決めろ」という指導は、閉ざされた世界で生きている教員であればこそできるものだろう。
 そういう先生の目には、目の前の生徒が、目の前にいる姿の存在としてしか見えてない。
 人は変わる可能性をもっている。
 教師は子どもの可能性をのばしてやるのが仕事だ、などと自分でも言葉では言ったりするくせに、目の前の子どもの変化を想像しえないから、そんな指導ができる。
 将来やりたいことを考えてみよう、といって知識の少ない子どもたちに子どもたちに考えさせてどうするのだろう。
 そういう言葉を発する教員の頭にある職業の数もけっこう少ないんじゃないかな。
 だいたい、これからの時代、われわれが今の時点でイメージしうる職業の中におさまろうとするなんて、その時点でせますぎる。
 いったい、どんな大人になれるかな、予想もつかないけど、わくわくするねって言いながら、そばにいてあげればいいのだ。
 
 さっき、ぱらぱらと読み返していたら、「カッコウの卵」という短編の最後の方で、どうなるかわかっているのに、鼻のおくがツンとしてきて困った。あわてて採点にもどった。人それぞれだろうが、誰でも8つのうちどれかには必ず涙腺がゆるむことは間違いない。
 
 
 
 
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

くりかえし

2009年10月29日 | 日々のあれこれ
 現代文の時間。
 多木浩二先生の「世界中がハンバーガー」という評論文を読む。
 「ほら言いたいことが形を変えてくりかえされてるだけでしょ」と教え、ふと思った。今週のお弁当のおかずはずっと豚肉が形を変えてくりかえされているなと。
 第一メインを羅列すると、月曜…豚ショーガ焼き、火曜…ミートボール、水曜…酢豚、木曜…豚肉と厚揚げの中華風炒め。
 ちなみに火曜のはセブンイレブンの100円ミートボールをあたためて、ピーマンやタマネギと炒めたもので、手抜きおかずだけど美味しい。セブンイレブンの100円おかずは重宝する。里芋煮やポテトサラダを冷蔵庫に入れておくと、スペース的にもう一品というときに、「あ、これでいいや」と気楽に使える。えらいぞ、セブンレブン。
 最近はいろんな料理のタレが売ってて便利になった。ショーガ焼きのタレを常備してある。とは言うものの、いちおうプライドはあるので、前に晩から酒・しょう油・ショーガ汁に漬けておく。炒めて最後に少し市販をタレを入れると、味に深みが出る気がするのだ。
 今日のはオイスターソースが決め手で、ほんの少し豆板醤を入れる。
 こんなの昔なかったよね。
 「世界中がハンバーガー」は、20世紀の近代化は実質アメリカナイゼーションであり、その象徴がファーストフードだと述べる。
 人々はハンバーガーそのものを食べたかったのではなく、ハンバーガーの象徴するアメリカ文化を求めたのだというお話である。
 今週のおかずをふりかえってみると、そして日本人の食卓を想像してみると、ホントに多国籍化してるなと思う。
 われわれがこどもの頃は、鶏の唐揚げさえなかったのではないか。
 はじめてハンバーグ食べたの何歳だろう。
 ハンバーガーは高校生のときに、モスバーガーを食べたのがはじめてかな。
 世の中にこんなにおいしいものがあるとは、そしてこんなに食べづらいものがあるとは、でも、う、うまい…と食べた記憶がある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ダストレスチョーク(長いよ)

2009年10月27日 | 日々のあれこれ
 鳩山首相の所信表明のなかに、チョーク工場の話があった。
 私も去年、本を読んでこの「日本理化学工業」のことを知った。
 そこに自ら足を運ばれ、所信表明にもりこんでいる首相は、今までの方とちょっとちがうなと思う。
 学年だよりで紹介したが、多くの人にしってほしい話なので、載せておきます。
 引用はすべて、坂本光司『日本でいちばん大切にしたい会社』(あさ出版)からです。

 
 私たちは毎日チョークにお世話になっている。
 とくに私たち教員にとって、チョークがなくてはおまんまの食い上げになってしまうものだが、わが東高で使用しているダストレスチョークを製造しているのは、神奈川県にある日本理化学工業という会社である。
 「日本理化学工業」は、従業員およそ50名のうち7割が、知的障害をもつ方々で占められている。
 今から50年近く前、ひとりの養護学校の教員が日本理化学工業を尋ねてきたのがきっかけだった。
 障害をもつ二人の少女を、社員として採用してもらえないかと頼みにきたのだ。
 度重なる来訪であったが、当時専務であった太田社長は、それは無理だと断った。
 あきらめた先生は、せめて働く体験をさせてあげてほしいと申し出、その真剣な思いに心打たれた太田さんは、一週間だけと期間を決め願いを聞き入れた。
 それが認められたとき、子供達ばかりではなく、親も先生も本当に喜んだという。
 さて、一週間の就業体験が終わる前日のことだった。

~  「お話があります」と、十数人の社員が大山さんを取り囲みました。
「あの子たち、明日で就業体験が終わってしまいます。どうか、大山さん、来年の4月1日から、あの子たちを正規の社員として採用してあげてください。あの二人の少女を、これっきりにするのではなくて、正社員として採用してください。もし、あの子たちにできないことがあるなら、私たちがみんなでカバーします。だからどうか採用してあげてください。」 ~

 これは「私たちのみんなのお願い」つまり十数名の社員の総意だというのだった。
 当時の社員全員の心を動かすほど、その二人は朝から夕方まで一生懸命働き続けていたのだ。
 社員の心に応えて、大山さんは二人を正社員として採用し、それ以来、障害者を少しずつ採用するようになっていった。
 とはいえ、仕事をどうやって教えたらいいいのかわからない、それぞれどの程度の能力をもっているのかもわからない中で、いろいろと苦労を重ねていく。
 ふつうは、製造ラインに人間をあわせるものだが、障害をもつ一人一人の状態にあわせて機械を変え、道具を変え、部品を変えていった。

~ 一人ひとりとつき合いながら、何ができて、何ができないのかということを少しずつ理解していき、人に合わせて工程を組み立てていく。能力に合わせて作業を考え、その人に向いている仕事を与えれば、その人の能力を最大限に発揮させることができ、決して健常者に劣らない仕事ができることがわかったそうです。そうやって創意工夫を繰り返していきながら、知的障害のある人を採用し続け、それが50年にもなったのです。~

 しかし、大山さんは、なぜここまでして障害者を採用しつつづけてきたのか。

 大山さんは、不思議だった。
 会社で毎日働くよりも、施設でのんびり暮らした方が楽ではないかと思っていたからだ。
 なかなか仕事がうまくいかずミスが続いたとき、「施設に返すよ」と言うと泣きながらいやがるのだが、その気持ちが理解できなかったという。
 しかしある時、ある法事でいっしょになった禅寺のお坊さんと話をして、その疑問が氷塊した。
 お坊さんはこう言った。

~ 「そんなことは当たり前でしょう。幸福とは、①人に愛されること、②人にほめられること、③人の役に立つこと、④人に必要とされることです。人に愛されること以外は、施設では得られないでしょう。残りの三つの幸福は働くことによって得られるのです。
  … その四つの幸せのなかの三つは、働くことを通じて実現できる幸せなんです。だから、障害者の方でも働きたいという気持ちがあるんですよ。 … 真の幸せは働くことなんです。」 ~

 普通に働いてきた大山さんにとって、これは目からウロコが落ちるような考えであり、普通に働いている多くの人たちが忘れていることではないかと思い当たった。
 そして、「人間にとって『生きる』とは、必要とされて働き、それによって自分で稼いで自立することなんだ」ということに気づいたという。

~ 「それなら、そういう場を提供することこそ、会社にできることなのではないか。企業の存在価値であり、社会的使命なのではないか」それをきっかけに、以来50年間、日本理化学工業は積極的に障害者を雇用し続けることになったのです。 ~

 会社は誰のためにあるのか。
 そう聞かれたとき、「株主のためのものでしょ」と何の迷いもなく答える人はいると思う(今風のIT関係の人なんか、そう言いそうだ)。
 この問いが「会社の所有者は誰か」という意味ならば、答えはまさしくこのとおりであろう。
 商法に定められたとおりだ(今調べてみました)。
 しかし、これを「会社は誰のために存在するのか」という意味で問い直してみるなら、答えは変わってくる。
 「会社は誰のために存在するか」は、「会社はどういう状態のときに価値あるものと見なされるか」という問いだと思う。
 さらに、会社は「法人(意味が微妙な人は現代社会の教科書で調べておこう)」と扱われるのだから、人におきかえて考えればわかりやすい。
 人はどういう時に価値ある存在とみなされるか。
 この答えは、先日もさんざん述べたように、「その人のおかげで、少しでも多くの人が幸せになる時」、その人が価値ある存在だと認めない者はいないはずだ。
 会社も同じではないか。どれだけ多くの人を幸せにしているかが、存在価値の原点である。

 人の値打ちは社会という文脈が規定する。
 一人一人の人間が、絶対的固有の価値を有しているわけではない。
 この世に生存しているだけでは、ふつうは価値ある存在とは言ってもらえない。
 その人が何をしたのか、まわりの人に何をもたらしたのか、まわりの人がどれだけ幸せになったかによって、その人の価値は決まってくる。
 一見存在している「だけ」に思える場合であっても、その存在を望む人が一人でもいれば、それは価値あるものとなる。
 だから、多くの人に愛されているみんなは、存在しているだけで(「だけ」って失礼だよね)も、相当価値があるのだよ。
 ただし、まわりの人を幸せにする存在であっても、その人自身が幸せでなければ、その恩恵を受けた人の幸せ感も小さくなる。
 だから、その人自身が幸せでないといけないのは当然の前提だ。
 会社の話にもどるが、その会社自身がまず幸せでないといけない。つまり、その会社自体が利益をあげていて、経営の心配がなく運営されていることだ。
 当然、それは経営者や株主だけの幸せではなく、従業員みんなが幸せであることになる。
 従業員の家族も当然幸せになるし、その会社とともに仕事をしている他の会社も、関連企業、下請けとよばれる会社などすべてが幸せになる。
 利益がたくさんあがれば、株主の配当はもちろん、国や自治体にもたくさんの税金を納められる。
 『日本でいちばん大切にしたい会社』で、著者の坂本先生はこう述べられる。

~ 最近、多くの人が勘違いしているのですが、会社は経営者や株主のものではありません。その大小にかかわらず、従業員やその家族、顧客や地域社会など、その企業に直接かかわるすべての人々のものなのです。だから国や県などの行政機関や商工会議所などが、「私的なもの」である会社を、政策、税制、金融、技術、さらには経営面で大きく支援しているのです。会社は生まれた瞬間から、経営者やその親族などの一部の人のものではなく、広く社会のものと考えるべきなのです。 ~

 坂本先生は、法政大学で経営学を教えていらっしゃる。法政大学に入る人はけっこういると思うので、もし授業をとる機会があれば、ぜひしっかり学んでほしい。
 坂本先生は、日本理化学工業の従業員がいきいきと働いている様子に感心し、こう尋ねた。

~ 私はつい、「なぜ、こちらの社員の方々の顔は自信に満ち満ちているんですか? 生き生きしているんですか?」と、社長に質問してしまいました。すると、社長はこう言いました。「自分も社会に貢献しているんだという、思いがあるからだと思います。一介の中小企業ではありますが、そこに勤めて、自分も弱者の役に立っている、社会の役に立っている、という自負が、社員のモチベーションを高めているのではないでしょうか。」 ~

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アンサンブル講習会

2009年10月26日 | 日々のあれこれ
 加須は遠い。
 学校から乗っけていったFlのKくんは「かす」と読んだ。埼玉県民でありながら、そんなのでいいのか。「かぞ」と教えても「信じたくない」と言う。この譲らなさがKくんのいい点でもあるけれど。
 ちなみに埼玉県民でなければ「越生」も読めまい。
 ちなみに埼玉県民として言わせていただければ、「八ツ場ダム」の必要性はまったく感じていない。
 上田知事には切におねがいしたい。
 本気でダム(ダムそのもの)の完成を望む埼玉県民はいない。
 いたら、たぶんあやしい人だ。
 なので、もうわれわれの税金を何百億も八ツ場ダムに注ぎ込むのは(お、縁語?)やめてください。
 ダムはむだだが、加須に向かう122号線バイパスは実に快適だった。
 信号も少ないし、眺めもよかった。
 でも、もう少し近ければなあと思いながらいった。
 不動岡高校につき、電車組と合流して、校内に入っていく。
 「何これ、やばくね?」の会話がきこえる。
 「うちなんか、むだに土地あるだけじゃん」と思わず本校を卑下したくなる気持ちはよくわかる。
 公立高校でこれは卑怯なのではないか。
 公立高校のなかで、こんなきれいにつくってもらえた学校と、そうでない学校があるのはなぜだろう。
 これは差別のレベルではないだろうか。
 おれが高校生だったらそう感じるな。
 春日部高校さんと、不動岡高校さんは、授業料無償にしなくてもいいんじゃないかなとちょっと思った。市立浦和さんは、まいいかな。
 本校金管8重奏メンバーは、午前中から教室で練習。
 お昼過ぎに見学メンバーもそろった。
 講習会は、その講師でもあられる先生方のコンサートからはじまった。
 1曲目で鳥肌が立ち、古田先生のTpソロ、大塚先生のTubaソロに度肝を抜かれた。
 古田先生のトークもさえた。
 「今日は、お客さんがみなさんでよかった。現役プレーヤーどおし、仲間の前で演奏する気持ちでやります。ですから安心してはずします。みなさん、金管のこのへんがきついとかわかってますよね。われわれプロは、結果が求められるので、ときに慎重な演奏をしますが、今日は仲間のまえですから、せめます。安心して攻めの演奏します」
 ツボをわかってらっしゃる。
 この時、立川談志師匠のノリと似てると思ったのは、会場でたぶん私一人だろうな。
 談志師匠は独演会の最後のネタがおわるとカーテンコールをして言うんだよね。
 「今日は、いつもとちがったふうにできた。おれをこんなふうにしてくれた、今日のお客さんに感謝したい」みたいなこと。
 こういうのを計算じゃなく、自然に言える人を「人たらし」とよびたい。
 それにしても、この金管五重奏をただで聞けただけで、とんでもないもうけもんだ。
 やく1時間のコンサートのあとは、クリニックである。
 うちは、Trbの石川先生にみていただいた。1時間半ぐらいかな。
 そして、クリニックを受けた5チームの発表。
 この日、うちのメンバーが受けた恩恵はどれだけ大きいだろうか。
 来てよかった。
 加須は全然遠くないね。

 
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あいかわらず

2009年10月24日 | 日々のあれこれ
 3時間目は学年集会で、文系理系ごとのカリキュラム説明会。
 文系と理系の学習内容の差が、カリキュラムを改訂するたびに小さくなっていく。
 たぶん進学校らしくなっているということであり、国公立大学志望者を増やしていきたいというわれわれの思惑の反映である。

 川越東高校ができて二十数年、今ほど受験生の集まらなかった時代は、学校の知名度をあげるためには、まず進学者数の増加であり、てっとりばやいのは私立大学の合格者を増やすことだった。
 だから授業のカリキュラムは、極端に私立向きだった。
 文系なら、2年次以降は国語、英語、社会一科目の三つに徹底的に時間を割いた。
 おそらくその狙いは正しく、さすがに早慶に大量の合格者を出すことはままならなかったが、中堅どころの大学合格者数は「サンデー毎日」のランキングに記載されるぐらいに増えた。
 高校生人口の増加による大学バブルの時代とも、うまくマッチしたのだ。
 そうなると自然に本校の受験生も増えていく。
 入試基準を少しずつあげていくこともできた。
 特待生試験の実施ともあいまって、昔の東高では考えられないほど優秀な生徒さんが入学してくれるようにもなった(ごめんね、古いOBしょくん)。
 国公立大学への進学を希望する子も必然的に増えるが、それにあわせたカリキュラムも必要になる。
 カリキュラムの改訂を考える会議だけは時間がかかった。
 他の会議は、ほんとに短い。というか実質ほとんどない。
 公立学校さんは毎週職員会議を開くと聞くが、よくネタがあるものだと思う。

 今日の集会では、各教科の教員が、来年はこんな授業をするという話をするのだが、実質「文系も理系も同じですから」で終わる教科も多く、予定時間よりみんな短い。
 ということは、予定表の「学年主任より(5分)」は、延長してまったく大丈夫ではないか。わーい。
 マイクをにぎった瞬間にスイッチが入ったので、例年通りの本音トークをさせていただいた。

 進路の手引きみたいな本を読むと、将来の夢や目標を設定しよう、やりたい仕事を見つけよう、そしてそのために、どんな大学のどんな学部学科にいけばいいか決めよう、と書いてありますね。
 それ、うそですから。
 ちなみに、みんな、自分のなりたい職業を今書いてごらん。
 書きましたか? いま500人近くここにいるけど、今みんなが書いたものを集約すると、せいぜい20ぐらいの職業しか出てこないんじゃないかな。
 みんなが今もっている知識で、将来のことを考えてもだめなんだよ。
 大学に行けば、もっと世界が広がります。
 こんな職業があったのかと気づくこともあります。
 だから、文系か理系かは好き嫌いできめちゃって、あとはひたすら少しでも難しい大学に入るための勉強しなさい。

 午後は、二回目の学校説明会。
 先週より来校者が多かったので、一組目の方から全開で相談しまくった。
 午前午後のしゃべくりで、今週今ひとつ調子の出なかったのどの具合もほぼ回復できた。
 明日は、不動岡高校にアンサンブル講習会にでかける。
 
 

 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

反面教師

2009年10月23日 | 日々のあれこれ
 放課後は所用でおでかけしたかったので、昼休みの幹部ミーティングで、練習内容の確認をする。
 こんな感じでいこうかと提案すると、学指揮から、新しいメニューをいれたいとの提案があった。
 ぜひやってくれといい、メニューの訂正をする。
 部員達もなんとかうまくなりたい、うまくしたいと思っているのだ。
 上手になりたいなあ。
 先日の学校説明の際に、何かBGMはないかと言われて、10年以上前の定期演奏会のCDをたまたま見つけて、かけてもらったが、「えっ? こんなにピッチがあってたのか、こんなに縦がそろってたのか、こんなに曲想がついていたのか」と思えるものだった。
 部活にかける時間そのものは、昔も今もそんなに変わってないか、増えているか。
 吹奏楽の曲や練習方法や楽器のしくみなどについての知識は、圧倒的に増えている。
 でも、結果としての音楽がなかなか成長できていないのは、なぜだろう。
 定演で言うと、二部のお芝居はけっこう成長したな。
 ある時、最近いろいろ一緒に勉強してくださっているK先生が、「川東さんは、初心者が多いから仕方ないんだという感覚を捨てた方がいい」という内容を、もっとやわらかく言ってくださったが、その言葉がずっと頭にのこっている。
 出稽古を増やして、よその高校生がどんなふうにやっているのかを、もっと部員たちに見てもらうことも必要かなと思う。

 夕方都内にお出かけし、帰りは東武東上線が事故で運転見合わせ状態だった。
 地下鉄線で和光市までは行き、そこで川越市に行く電車は来ると連絡されたのでなんとかなったが、「川越市の先はどうなるんだ!」と駅員にくってかかるお父さんがいた。
 見た感じふつうで、とりたててエラそうな感じでもなかったし、精神的にやばそうにもみえなかったのだが、あんなからみ方はないよな、という気もした。
 けっこうしつこいので、「おとうさん、しょうがないじゃないですか、この人にあたっても」的なことを言おうかと思ったが、あばれるとこまではいかないと思えたので口は出さなかった。
 もし自分が東松山まで行く用事があったとしたら、どうだろう。
 ひょっとしたら、このお父さんより先にキレてたかもしれない。
 キレておこってても、かっこよくない年齢だから気をつけようと思った。
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高校時代にしておく50のこと

2009年10月22日 | おすすめの本・CD
 中谷彰宏『高校時代にしておく50のこと』に、高校時代に観た「ロミオとジュリエット」が人生を変えたとあった。
 中谷氏とは学年で二つちがうから、わたしが中学のとき観たのと同時期の話だと思う。
 オリビアハッセーは衝撃だった。
 男子として女子を意識しはじめる中学時代、自分でイメージできる最も魅力的な女子像をはるかにこえるスケールで、突然彼女は現れた。
 それはかわいいという言葉で表現できるレベルではなかった。
 今みたく、いろんなメディアでかわい娘(こ)ちゃんを簡単に見られる時代ではなかったのだ。
 仮面舞踏会の夜、ロミオはジュリエットの手をひいて、宴席を抜け出す。
 「僕は前々からあなたに思いをよせていました。いろんなことを想像してしまいました。僕は汚れています。その僕の汚れをあなたの唇で清めてください」
 とジュリエットに口づけするロミオ。
 くーっ。
 憶えてるよ、このセリフ。
 いつか使ってみようリストに入れて、そのままお蔵入りした。
 このセリフまでなら、かっこいいなあで終わりなんだけど、さらにジュリエット。
 「今、あなたの汚れがわたしの唇にうつってしまいました。お返しします」と言って、キスを返すのだ。
 「わたしの唇にはいまたぶんウイルスがいっぱいです。あなたの唇で清めてください」と誰かに言ってみようかしら。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

突然

2009年10月20日 | 日々のあれこれ
 台風休校のため一日順延して実施された中間考査の二日目。
 その月曜の朝、事件はおこった …
 「○○先生! 電話です」
 「○○先生!」
 「○○先生、こっちで電話中!」
 「じゃ、1年の先生かわりに出て!」
 「○○先生まだ来てない? 電話!」
 試験の日の朝、突然欠席連絡が入り続ける。

 前日のことを思い出しながら、出張報告書を書いていた。
 「担当者3人で75組の方に学校紹介や入試の説明をしました … 」
 そう、塾主催の入試相談会は、10時の開場からとぎれることなくお客さんが訪れた。
 相談をしていると、どんどん列が伸びていく。
 こういうときは並んでいるお母さんの心の声がきこえてくる。
 前の人早く終わらないかしら、この学校は早くおわらせて、あと三つまわりたいのよね … 。先生もそんなに和気藹々と話してないで、はやく終わらせなさいよ …
 「 … ということですね。おわかりですか。あとは実際に学校に来ていただいて、ご覧になってみてください。ではこれで終わりでよろしいです … 」
 「スクールバスはどこからでてるんですか?」
 「えっと、おすまいはどちらですか(パンフ見リャ書いてあるじゃないか)、すると大宮ですね。南古谷まで来ていただいてもいいですよ、じゃ、そういうことで … 」
 「大宮からですと、何分ぐらいでしょう」
 「書いてあるとおり、平均で25分というところでしょうか」
 「交通事情によってかわりますよね」
 「ええ、それはもちろん、混んでるときはもっとかかりますが、土曜の朝だと20分かかりませんよ。こんど説明会のときに実際に乗ってみてください、ではお待ちしており … 」
 「食堂は1年生も使えます?」
 「(もういいんじゃない)それは大丈夫ですよ、じゃどうもありがとうございました」

 「1組これで何人休み? 14人?」
 「どうする?」
 「1組だけ帰すか?」
 「試験だからなあ」
 「他の組は?」
 「2組、3組も3、4人いってます」
 「4Fはけっこう蔓延してるのかな」
 「学年で30人ぐらいです」
 「学年閉鎖だな」
 「帰りのバスの手配しよう」
 「先生がた、とりあえず連絡にまわるまで、教室で自習させててください」

 「先生方、交代でお食事をめしあがってください」と塾の方。
 「ありがとうございます。」
 しかし、行列を前にして席を立つのははばかられた。
 お昼時をすぎて会場の混雑も少しおちついたころ、併設ホテルのレストランにふらふらと向かう。
 「いらっいっしゃいませ。相席になります。バイキングでお好きなものどうぞ」
 料理の前に並んでいる人を見て、気持ちは萎えてしまった。
 めしも好きだし、食事もすきだけど、エサはやだ。
 外へ出て缶コーヒーで糖分を補給し、相談会場にもどると、さらに会場は落ち着いていた。
 なぜか、ちょっとしたことに妙にウけてくれるお父さんがいらっしゃった。
 「このように、駅から遠くて大変不便な学校です。一番近いコンビニまで2㎞あります」
 「あははは~」
 「でも、土地だけはふんだんにありますので」
 「うわ~っははは~」
 「勉強や運動の施設は充実してます。だから、勉強と部活だけに集中できる学校です。女子もいません」
 「ぎゃはははは~」
 午後は、ほのぼのと相談できたのだった。 

 バスの手配ができました、との連絡をもらい、3・4Fにのぼっていく。
 いくつかの教室で歓声があがっていた。
 そうだろうなあ。
 まったく元気な子にとって、夢のような日々が突然与えられたのだ。
 上級生の試験がはじまろうとしている。
 騒がないように注意しながら階段をおろしていく。
 たまには学年主任らしき仕事をしないといけないのに、「先生、楽器もってかえっていいですか」と何人かの部員が声をかけてくる。
 「とにかく、今日は帰りなさい。帰って勉強!」
 こうして、奉職以来はじめての学年閉鎖というものを体験することになった。
 もっとも感染者の多かった1組も、土曜の段階では1名だったのだ。 
 新型インフルエンザの感染力はおそろしいものがあると思った。

 それにしても、春先(だっけ?)の、インフルエンザ騒動はなんだったのだろう。
 一人感染者が出ただけで学校閉鎖を行い、校長先生が泣いて謝罪した学校があった。
 感染した生徒さんがみんなにもうしわけないと責任を感じていた。
 水際作戦とかいって、防護服をきてパフォーマンスしていた厚労省の方は、いま何を思っているのだろう。
 この期に及んで、天下り先の企業にしかワクチンをつくらせず、必要量が確保できないとしている役人さんとは何なのだろう。
 政権が変わっても、役所の本質が変わるのは難しい。

 採点や試験監督に使う予定の時間がぽっかりあいた。
 せっかくなので、こっそりおでかけしてもいいかななどと考えていたら、なんかのどが痛くなり、咳もでてきた … 。
 

 

 
 
 
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私の中のあなた

2009年10月16日 | 演奏会・映画など
 白血病の姉のドナーとなるために生まれた妹。
 その妹が、姉のために自分の臓器を移植するのはもういやだと親を訴える、というところから物語ははじまる。

 不治の病で余命いくばくもない場合、むやみに延命させるより、少しでもその生を充実させ、笑顔で旅立ってもらう方がいい …
 なんて、理屈はわかるけど。
 もし、自分の子どもが同じ状況だったら、やはりキャメロンディアスのように、すべての可能性を試そうとするだろうし、取り乱すだろう。
 それを間違いだということは誰にも言えない。
 そこまでがんばってもらわなくていいと言っていいのは、当の子どもだけだ。
 でも、と思う。
 あなたの命はあなただけのものではない、と親だけは言える。
 堂々巡りになってしまうが、答えはないのだ。

 死とは何か。
 なんらかの関わりのある人の死は、たんに生命が無になることではない。
 肉親であれば、なおさらだ。
 だからこそ家族には、身内の死をたんなる悲しいものにさせない力がある。

 妹がなぜ親を訴えたのかは、作品の後半であきらかになる。
 この作品が、たんなるお涙頂戴で終わらず、観た人の心の奥深くにはたらきかけることだけは間違いない。

 今回の試験範囲で、志賀直哉の「城の崎にて」を読んだ。 
 主人公である「自分」が、山手線の電車にはねられて大怪我をする。
 湯治にでかけた城の崎温泉で、はちや、いもりや、ねずみといった小動物の死を見かけ、彼等が死に自分が生きているのにそんな大きな差はない、死とは人知を超えたものであるとしか言えない、という境地に達する小説だ。
 その端正な文体ともあいまって、日本の文学史に残る作品とされる。
 この小説を授業で読む数時間を、南古谷ウニクスに行って、この映画を観る時間にあててられたら、どんなによかったか。
 何十回となく読み、楽天オークションで買った朗読CDを何回もきき、文学史の本にも目を通し、そして教えてみて、やはり今思うのは、「城の崎にて」は「わたしの中のあなた」の足下にもおよばない。
 それはお前に文学を味わう力がないからだとおっしゃられる方もあるかもしれない。
 そう言われたら、昔なら傷ついたかもしれない。
 でも人生も後半に入った今は、こんな小説をありがたがってる人とつきあってられるほど暇ではないと自信をもって言える。
 「城の崎にて」を名作と位置づけなければならない日本文学の不幸というべきか。
 映画をほめようと思い書き始めたのに、筆がすべった。
 「グラントリノ」さえ超えて今年観た一番の映画だ。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする