水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

具体物

2013年04月30日 | おすすめの本・CD

 英語科の山田先生が興奮した面持ちで、「キムタツ先生のセミナーいってきました! サインももらってきました」とユメタンを見せてくれた。
 うわ、いいなあ、パワーすごかった? やっぱりね。講座録音した? じゃ今度聞かせて。 
 休みの日もセミナーに出かけて勉強する本校教員のえらさよ。
 なのに、おれは … 。部活が自主練日になったのをいいことに、渋谷まで映画を観に行ってしまった。
 もちろんこれとて、「手の変幻」という美や芸術に関する評論文を読みとくための教材研究の一貫であることはまちがいなく、高岡早紀という美しい女優さんがいらっしゃって、その裸身をさらしているらしいという噂に、その真意をたしかめるべく映画「モンスター」を鑑賞してきたのであった。なんと研究熱心なことか。
 さすがに期待に違わぬ裸身ではあった。ただ作品自体は、原作の味わい深さがやや薄まっていたかもしれない。また最近、若手実力派女優のお芝居をいやというほど見ている自分にとって、高岡早紀さんのお芝居には物足りなさを感じ、それはその程度かなというのも予想どおりであったのだから、裸身方面でもっとがっつりサービスがあってもよかったのではないか、との思いも抱いた。

 ていうか、作品全体につめが甘いかなという印象をもったのは、ちょっとした細かいことへのこだわり。
 たとえば風俗のお店に働きに出かけたとき、事務所のテーブルの上に何を置くか、みたいなところにまでこだわりきったカットには感じなかったのだ。
 「何」。具体的なものなんだよね。
 それを思うと、『昨日のカレー、明日のパン』の巧みさは、とびぬけてると思う。


 ~ 朝ご飯が座卓に並ぶと、当たり前だが、岩井の食器だけ客用なのか違っていて、ちょっとそのことを寂しく思う。テツコは無言で瓶詰めの海苔の佃煮とバターナイフを渡すと、ギフはそれを、すでにバターを塗ったトーストの上にぺたぺた塗り始めた。テツコはテツコで、テレビを見ながら、こちらは練りウニをパンの上に塗っている。何だか熟年夫婦の朝食風景のようだ、と岩井はパンをかじりながら、そう思う。(『昨日のカレー、明日のパン』) ~

 重松清氏も「週刊現代」で触れてたけど、ほんとにうまいと思ったシーンの一つだ。
 ギフとはテツコの義父、亡くなったテツコの主人一樹の父親である。
 一樹が亡くなったあとも、テツコはそのまま義父と古い家に暮らし続けている。
 夫が亡くなって7年たった今、テツコは岩井とつきあっている。
 岩井に結婚を申し込まれて、岩井との新しい生活を望んでいながら、今の暮らしぶりを変えることができそうにない思いにもとらわれている。
 お互いの気持ち自体は十分に熟していると岩井は確信しているものの、テツコと一樹の義父とが築いてきた不思議な生活に入り込めない疎外感が見事に描かれている。
 こういうシーンは、舞台のお芝居ではつくれない。いろんなシーンが映像となってすぐ浮かんでくる気がするのは、やはりドラマの脚本家さんが書いた小説といえるかもしれない。
 それは、もう熟練の域としか言いようがなく、職人芸とさえ気付かないほどに巧みだ。
 センター試験も、こういうちゃんとして小説を問題にしてほしいなあ。
 一昔前の文学かぶれの世間知らずのお兄ちゃんが書いたような作品を今の高校生に読ませて、何が調べられるというのだろう。

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昨日(ゆうべ)のカレー、明日のパン

2013年04月29日 | おすすめの本・CD

 「それはどういうことか」。
 毎日教えようとしているのは、これにつきるのかな。

 「そのとき彼女(ミロのビーナス)は、その両腕を、故郷であるギリシアの海か陸のどこか、いわば生臭い秘密の場所にうまく忘れてきたのであった。」(清岡卓行「手の変幻」)とはどういうことか。

  「日本人の鐔というものの見方も考え方も、まるで変って了った」(小林秀雄「鐔」センター試験)とはどういうことか。

 こういうときは、こうやって読み取りましょう、こう説明しましょう、こういうふうに答えを書きましょう。
  そういうふうに読み取れると、この文章の値打ちがよくわかるよね。

 映画でも、お芝居でも、登場人物のある言動を目にして、実はこういうことを言いたいんだなと気付いたときに、その作品は味わいを増す。だから気付けないままの人と気付く人とは感動の度合いが異なってくるのは間違いない。
 どの程度気付かせようとするか、そのさじ加減が難しい。
 「主人公が哀しみにくれている」ことを、セリフで言わせ、表情をアップにし、その理由を述べさせ、過去の事件をフラッシュバックして説明し、雨を降らせ、悲しい音楽を流す。
 観衆をどんだけアホあつかいするのだろうという映画はある。
 葉っぱ一枚落とすだけで表そうとし、いやそれじゃいくらなんでも気づけなくないか的な作品もある。
 どの程度の気づかせ具合がいいのか。それは作り手と観る人との関係で決まるから、おそらく正解はない。
 
 日常生活もそういうことの積み重ねだ。
 「おはよう!」って言ったら「バカ!」て言われた。
 「バカ」は拒絶の場合もあれば、どうしていいかわからないほどの好意表現の場合もある。
 どの程度気づかせようとし、期待した程度に気づいてくれるかどうかは、当人同士の関係性の問題だ。
 好きならもっとアピールすればいいのにとか、いい加減きづいてやれよとか、周囲がやきもきすることもままある。
 
 お父さんは、酔っ払って夜中にラーメンをつくっていた。遅くまで起きて勉強してた自分に、酔ったいきおいでちょっと食べろと言ってきた、ウザかったけど食べたらおいしかった。
 そんな思い出があり、年とって思い返してみたら、あれはお父さんが酔ったふりをしてただけかもしれない、話しかけないでという雰囲気をつくってた自分に話しかけるため、そして精神的にテンぱっていた自分に一息つかせるため … 。亡くなって何年か後、何かをきっかけにそんなことに気付いて、泣けてくる。

 ひょっとしたら、あれは … ということに気付いて、後悔したり、泣けてきたり、愛情にひたってみたり、元気をもらったり。
 誰もが経験するような日常を、気づきさえすれば愛おしくなれる日常を、それはおそらく誰もが抱いているはずの愛おしさを、こ難しい言葉も、異常な事件も使わずに描き出した小説。
 テレビドラマの脚本家として知られる木皿泉氏の初(!)小説は、そんな作品です。
 昨日タイヤ交換を待っている間に読み始めてやめられなくなり、マクドに席をうつして読み続け、『自虐の詩』級に泣いてしまった。このページを読んでいただいてる方で、大人の方はすぐに本屋さん、もしくはamazonで注文してください。これほどお薦めしたい本はなかなかありません。

 

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4月27日

2013年04月27日 | 学年だよりなど

 朝ラジオで渋滞情報を聞き、世間さまはゴールデンウィークに入ったことを知る。
 前半は練習、後半はのんびりの計画を立てていたが、後半に野球応援がはいるかもしれない。
 みたい映画、お芝居、読みたい本が山積み、洗車や断捨離もしたい。どんな連休になるのか、今時点では予想もつかない。

 

 学年だより「ベクトル量2」


 ~ 「努力は必ず報われる。もし報われない努力があるのならば、それはまだ努力とは呼べない」
   これは不滅のホームラン王、王貞治氏の言葉です。
 「報われない努力」は努力ではないという氏の言葉を、正しい方向性で、必要な量を伴った努力だけが本当の努力なのだと、読み替えることができるのではないでしょうか。 (林修『今やる人になる40の習慣』宝島社) ~


 去年、先輩の「合格体験談」を聞いたLHRを覚えているだろうか。
 東大に合格した斉藤先輩はこう話していた。自分は変わったことは何もしていない、とにかく学校の勉強をちゃんとやって、学校で一番になろうと目標を立ててみた。部活もやってたけど、必ず毎日2~3時間勉強した。
 東大に入る人って、それこそ小学生のころから勉強漬けの日々を送り、塾に行きまくって、人生のすべてを捧げました的な人もいる。
 しかし、集中して授業をうけ、2~3時間の家庭学習を重ねていけば、結果は出るのだ。
 もちろん、部活をやりながら2~3時間の勉強時間を確保することが容易ではないことは、みんなもよくわかっているだろう。だからこそ努力するのだ。
「先生、そんなに努力努力いわないでください。わかってます、しなきゃいけないのは。それができないから困ってるんです。ダメな人間ですね。ぼくなんか … 少しの努力もできない、ほんとだめな人間 … 」
 ちょっと待って。そこまで落ち込まくていい。じゃ、いい。努力しなくていい。工夫でいい。それならできるでしょ。かりに、


 ~ 工夫して失敗したとしても、使うアプリを間違えたようなもので、「あー、このアプリじゃうまくいかなかった」「このアプリは私には合わなかった」って思える。でも努力して失敗すると自分の本体自体がダメな感じに思っちゃいますからね。
  … そもそも人生なんて自分の力で変えられないですからね。思いもよらない風が急に吹いたりするし、やる気を出したときほど、はしごを外される。「あいつやる気出したな」ってわかるとはしごを外したくなる人がいるんですよ。だから物欲しげにするより、「私それいりません」って顔してたほうがいいし、やる気とか努力じゃなく、工夫がおすすめなんです。 (津村記久子・深澤真紀『ダメをみがく “女子”の呪いを解く方法』紀伊國屋書店) ~


 まずいろいろ工夫からはじめてみよう。どうすればイイかんじで勉強できるか。
 いつ、どんな風にすると、やる気が維持できるのか。そういうのを見つけ出すのも極めて大切な努力の形だから。2年のうちにつかめれば3年でブレイクできる。

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座席表

2013年04月26日 | 日々のあれこれ

 あるクラスの座席表を見てなるほどと思った。
 名前のうえに読み仮名、下に部活動、係、通学方法が記載されている。
 通学方法とは、スクールバスか自転車か、バスならどこ駅から乗るかを載せているのだが、四つの駅からスクールバスを出し全生徒の8割超がその利用者である本校は、ここがきもだ。
 朝、席についていない子がいたとする。欠席連絡は入ってない。
 この子は○○バスのはずだ、そういえば、JR○○線が遅れてるっていってたな、きっとそのせいでの遅刻であろう、じゃ「遅刻すんな」って怒っちゃだめだなと一瞬で把握できる。
 部活の公欠でいない場合もすぐわかる。
 本校ならではの微細技術かもしれないが、この細かい工夫で、朝の時間が何秒分かは確実に効率よくなる。
 他のクラスの先生にもすすめてみよう。
 座席表をカルテ化する授業実践は、今も小学校なんかでは行われてるのだろうか。
 ミニマムカルテを学年全員分つくって、今年こそ437名の顔となまえを一致させようと思い立った。
 いや、さきに部活の一年生か。大脳の訓練に最適のはずだ。

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挿入句

2013年04月25日 | 国語のお勉強(古文)

 大納言行成卿、いまだ殿上人にておはしけるとき、実方の中将、いかなる憤りかありけん、殿上に参り合ひて、言ふこともなく、行成の冠を打ち落として、小庭に投げ捨ててけり。(「十訓抄」より)

 「大納言行成卿」を○で囲む。これがS、じゃVにあたる部分は? そうだね。
 次に「実方の中将」を○で囲む。これあS、じゃVは? そうですね。
 「いかなる憤りかありけん」の部分をとばして係り受けしますね。この「いかなる~」の部分は、挿入句といって、独立させます。
 本文の途中に割り込んできた、語り手の補足説明なんですね。

 KくんとSくんは、今年はじめて同じ組になったんだっけ? そうか。これから二人がすごく仲良くなったとしよう。しようよ、仮にだから。いや仲良くなれよ、せっかくお隣さんに座ったんだから、いい? よおし。
 一緒に勉強して、一緒にいい高校時代を過ごしました。
 さて、卒業して大学は別々になり、何年も経ちました。Sは警視庁に勤めてます。捜査一課ね。
 ある日、立て籠もり事件がおこる。何人もの人質をとっている。すでに危害を加えられている可能性もある。
 よし、突入しよう。それしかない。
 「課長、身元が判明しました。なまえはK、○○大学を出たあと、 … 」
 「K … 」まさか。
 Sは耳を疑った。そう言われてみれば、風貌が重なる。
 「課長、犯人が人質をたてにして、外に出ようとしてます!」
 「おれにまかせろ!」
 Sは銃をかまえた。おれがやるしかない。
 こういう時、映画だと、ぱっと場面変わるよね。カットバックとかフラッシュバックとか言うんだけど。
 銃をかまえて、もう撃つしかない状況で、Sの脳裏が描かれる。
 SとKが放課後並んで勉強してるシーン、二人で帰りにお好み焼き食べてるシーン、なんかうまくいって二人がハイタッチしてるシーン … 。
 「課長、なんで撃たないんですか!」みたいなセリフの説明がこれ。
 こういうのが挿入句です。
 わかった?  Sくん。

 「 はあ … なんとなく … 」
 だめかなあ。いい説明だと思ったんだけどなあ。

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4月25日

2013年04月25日 | 学年だよりなど

 林修先生のご本を「学年だより」でもネタにしてしまった。もう一回分ぐらい使ってもいいかな。なんとCPの高いご本だろう。

 学年だより「ベクトル量」

 大学入試に対応出来る能力は、(あたりまえだけど)ほとんどの人がまだ全然身についてない。
 二年後にみんなのライバルとなる中高一貫校生は、現時点で大きく先を進んでいる。
 いまの時点では全く射程距離には入ってこないし、今のままでは差は縮まらない。
 じゃ、どうすればいいか。みんなの先輩はどうやっておいつき、おいぬいたのか。
 一言でいえば、がんばったのだ。努力したのだ。いっぱい勉強しただけのことだ。
 ひたすらがんばったのだ。ただし、「ひたすら」すぎて、「やみくも」になると、方向性を間違うこともありうる。
 最も多い間違いは、「今一歩成績が伸びない、なんとかしたい、よし塾か予備校に行こう」と発想するパターンだ。
 この場合、多くの人が、学校の勉強も予備校の勉強も中途半端になっていった。
 それなりに時間やお金を投資していながら、望ましい結果が出ない事態におちいることになった。
 何事かを成し遂げようと思うなら、「努力」は絶対条件だ。
 努力なくして、「いつのまにか夢がかないました」「目標が達成されました」ということはない。
 ただし、その努力には方向性がいる。間違った方向に進んでいないかどうかのチェックもいる。
 林修先生は、努力は「ベクトル量」だと述べる。


 ~ 「努力は裏切らない」という言葉があります。この言葉そのものは間違っていませんが、実は、少し補足が必要な言葉なのです。どう補えばよいかと言えば、
 「正しい方向でなされた努力は裏切らない」
 とすべきなのです。努力は、単に量だけでなく、方向性をもっているのです。このように、量だけでなく、方向性をもった大きさのことをベクトルと言いますが、努力はまさにベクトル量なのです。 (林修『今やる人になる40の習慣』宝島社) ~


 努力の方向性がまちがっていても、一生懸命やっているとそこそこの結果は出る場合もあるので、ずれていることに気付かないままに頑張り続けてしまう場合も多いという。
 じゃあ、どうすればいいか。人に聞くだけでしょ!


 ~ 結果を出す人は … まず方向を先に確かめ、これでいいと思ったらすぐ実行に移し、必要な量に達するまで努力を続けるというパターンを取ることが多いのです。こういう人は、この方向でいいかどうかという判断に迷いが生じた際には、ためらうことなくアドバイスを求めることができるのも特徴です。そう、ここでも「すぐ」に動くのです。 ~


 逆に「なかなか結果が出ない」と嘆く人ほど、アドバイスをちゃんと聞かずに、自分勝手なやり方をしてしまう傾向にあるという。努力の結果は、すぐに目に見えて現れるものではないが、みんなが今やるべき勉強にしても、部活にしても、正しい方向性というのは間違いなくある。
 だからまず、我々が「やれ」と言ったことは、そのとおりにきちんとやってほしいと切に願う。

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今やる人

2013年04月24日 | 学年だよりなど

 年度初めの「進路だより」の原稿。

 東進ハイスクールの林修先生は、東大・京大を目指す生徒さんを教えるコースの授業を多く担当されている。入試の時期が終わり、東大合格生に実施したアンケートを見ると、「そんなには勉強しなかった」という回答に多く出会うそうだ。一方、そこまでではない大学に合格した生徒は「相当がんばった」と回答することが多いという。
 たしかに、持ち前の地頭のよさで、なんなく合格できた子も若干名は存在するだろうと言いながらも、先生はこう説明する。

 ~ ある生徒が「そんなに勉強しなかった」と答えたにもかかわらず、「一日何時間くらい勉強したのか?」という質問に対しては、「平日は6時間、休日でも8時間くらいしかしなかった」と答えたというケースがありました。これって、普通に考えれば相当、いやムチャクチャ勉強したと言ってよい量ですよね。しかし、そう答えた生徒のなかでは、そんなに勉強したという意識はまるでありませんでした。
 彼以外にも、同様の回答は多数見受けられるのが常です。これは、彼らの感覚がいい意味でのマヒを生じているということなのです。高いレベルの仲間と切磯琢磨するうちに、多少やったくらいではやったとは思えない精神構造になり、「当たり前」の水準がインフレを起こしてしまったのです。(林修『今やる人になる40の習慣』宝島社) ~

 「切磋琢磨」。友人同士が互いに励まし合い競争し合って、共に向上すること。
 ほとんどの人間は、弱い。よおし勉強がんばろうと思っても、つい楽な方に流されてしまう。そんなとき、休み時間も問題と格闘している友人を目にしたなら、ふんばれるものだ。みんなが課題をちゃんとやってくる教室で、自分だけさぼるのは難しい。
 勉強だけにかぎらない。学校生活全部で、今年は、感覚がマヒするくらいの切磋琢磨をしよう。まちがっても逆の「当たり前」をつくらないようにしよう。切磋琢磨している同士は、カラオケとかボーリングとかいかなくたって心が通じ合える。

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ペタルダンス

2013年04月23日 | 演奏会・映画など

 「あまちゃんオーシャンズ5」の押し出しのよさもすごいが、こっちの「若手オーシャンズ4」の芸達者ぶりには何度も息をのまされた(「オーシャン」を海の意味にすると、どちらもぴったりだ)。
 宮崎あおい(ジンコ)、安藤サクラ(素子)、忽那汐里(原木)、吹石一恵(ミキ)、というラインナップ。すごくね?
 約90分というそんなに長尺ではない作品で、台本は、けっこうすかすかなんじゃないかと思う。
 台詞量は少ない。おまかせのアドリブぽい台詞かなと思えるシーンもあった。
 ミキが、故郷の海に身を投げたという噂を耳にしたジンコと素子は、何があったのか、何か自分達にできるのかとの思いで、数年ぶりにミキにあいにいくことにした。
 電車のホームで走り幅跳びのスタートのポーズをとっていた原木を、飛び込むと勘違いしたジンコが止めにはいり、そのいきおいで自分が怪我をし、その成り行きで原木が、ジンコ&素子を乗せた車を運転することになる。
 何がどうしてどうなった、と説明されるエピソードって、ひょっとしたらこれくらいだったかな。
 素子が離婚したいきさつも、ジンコと彼氏との間に何があったのかも、原木が働いていた洋品店がなぜつぶれたかも、そしてミキがなぜ海にとびこんだのかも、何も説明されない。
 ただ、そういう状況におかれた若いおねえちゃんたちの姿が、まことにリアルに感じられる。
 ミキと再会を果たしたあとのジンコと素子の車のなかのやりとりなんか、すごすぎて泣きそうだったから。
 ミキと、ジンコ&素子とがどの程度心が離れてて、会って、みんなで海を見に行って、少しずつ近づいていくことなんかが、ちょっとしたしぐさで示される。
 それを見ている原木は、言わば三人の部外者だが、原木自身にも急に自分の前から去って行った友のことがずっとひっかかっているので、観客視点とはまた別の視点も加わる。
 言葉に表された内容は少ないが、四人の内面は巧妙にサブテキストとしてたちあがってきて、一見さらっとした映像なのに、実に中身が濃く感じられた。
 なに、この吸い物、味なくね? って思って飲み込んだあとに、ものすごいだしの香りが漂ってくるみたいな。
 まあ、そういう表現を可能にする四人だったということだろう。
 今年の日本映画の一つの大きな収穫と言っていいのではないだろうか(やべ、評論家みたくなった)。

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完全試合

2013年04月22日 | 日々のあれこれ

 早稲田大学のわれらが高梨雄平投手が、石井裕也監督以上に有名になってしまった。
 
 今日、おれスポーツ新聞全部買っちゃったよ、ほら。
 すげえ、裏面全部じゃん。
 これで、またいい選手入ってくるかな。
 すでに、今年の一年生もいいピッチャー入学してるんだよ。○○で○○ … 。
 うそ、そんなレベルなんだ。
 その子、入試の面接したんだけどさ、面接カードの趣味・特技の欄に「変化球」て書いてあったよ。
 なるほど(笑) … 。

 なんて、和気藹々の職員室風景だった。
 こういう教え子たちに、あやかりたい、かやつりたい。

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4月21日

2013年04月21日 | 学年だよりなど

 部活はオフで、指揮レッスン。「トロイメライ」は難しいが、音楽のあまりの美しさに陶然とする。こんな指揮でピアノをひいていただいているだけで幸せすぎる。終わって学年便りを書こうとしたら予定してた内容が今一歩まとまらなかったので、昔使ったネタを直してつかうことにした。おえた新都心で「ハッシュパピー」。いい映画ぽいのだが、今一歩入り込めなかった。

 

 学年だより「時間の観念」


 ~  都内に拠点を持つ、ある有名な大学受験の予備校A。
 Aの講師で、長年勤めているSさんは、
「学生を見ていると、受験に成功する子、ダメそうな子がわかる」
 と言います。
「彼らの、ある瞬間を見ていると、わかる」
 と言い、
「それは、ある瞬間の行動にあらわれる」
 と指摘します。
「うちの予備校の授業は、90分単位。90分で終わって、次の授業までは15分の休みがあります が、授業が終わった直後の行動で、受験に成功する子か、失敗する子かがわかる」
 その違いとは、授業が終わると、すぐに片付けをして教室を出てしまう子と、周囲の友達とべちゃくちゃ話し始め、いつまでも教室に残っている子の違いです。
 さっさと教科書や参考書をカバンに入れ出て行ってしまう子は、
「時間の観念がある子」
 こういう生徒は、ほとんどが受験に成功すると言います。かたや、いつまでもおしゃべりしたり、ダラダラと教室に残っている生徒は、
「周囲の環境に流されがちで、勉強のための時間配分も友人関係の影響を受けるため、受験では 目標の学校に合格できない子が多い」
 と言います。
「休憩時間は、わずか15分。この15分になにをするか、教室の移動、予習、腹ごしらえなど、 できる子は、そういう次への対策へと自然に体が動いている子たちなのですね」
 予備校講師歴十数年の、Sさんの含蓄深い話です。(『収入を決める「時間の使い方」』ファミマ・コンテンツ) ~


 授業がはじまってからロッカーに教科書をとりにいき、しかも見つけ出すのに時間がかかり、机の上にその科目のノートが準備されるころには、授業は先に進んでいて、黒板を写すことさえ十分にできないまま … 、というような授業の受け方をしている子をみかける。
 結果的に勉強ができるできないの差というのは、こういうところだ。
 はっきり言って頭の良し悪しが問われるほどのレベルの勉強にはまだまだ入っていない。
 まずきちっと準備する。書くべき事を書く。
 わかっていることと、いないことを区別する。わからない時は、わかるところまでもどる。
 「努力」やら「効率」以前の問題をはやくクリアしよう。

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