水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

ベーシック(2)

2023年01月30日 | 学年だよりなど
2学年だより「ベーシック(2)」




 小・中・高と基礎体力としての勉強をする。
 大学の学部では、自分が選んだ競技のルールなどを理解する。修士課程は、まだトレーニングだ。トスバッティングとか3対3とかのレベルだろう。




~ 小学校で勉強するのは中学校の勉強を理解するためだったし、中学校の勉強は高校の勉強のためだったし、高校の勉強は大学の勉強についていくためにあった。そして、大学4年から大学院の修士1年ぐらいで、自分が進む分野の最低限の知識体系をようやく身につけることができるのだ。小学校からはじまる連綿と続いてきたカリキュラムは、すべてここにたどりつくために作られていたのである。 (藤沢数希『コスパで考える学歴攻略法』新潮新書)~




 博士課程に進めば練習試合程度になる。新しい知のレベルに踏み込んでいける人も出てくる。
 経験が無いのでわからないが、おそらく学問の本当のおもしろさは、ここに達してからなのだろう。学問の本質に達するレベルに関わる人は、比率で言うと同学年のうち約1%だ。




~ 修士と博士の間には朋確な、そして、大きな隔たりがある。修士課程まではいわゆるお勉険で、すでに完成された教科書に書いてある知識体系を修得することが目的で、それがある程度満足にできたことに対して学位が授与される。しかし、博士課程の研究では、この知の地平線を飛び出すことが要求されるのだ。何らかの新規性が必要なのである。これまで人類が知らなかった何かに自分の力でたどり着き、そこでどんなことが見えたのか。どんな新しいことを発見したのか。客観的な証拠を提示しながら論文に書き記さないといけない。人類の知識を広げることに少しでも貢献しないと博士号はもらえないことになっている。~




 博士課程に進む人は同学年の1%であったとしても、そういう研究者の恩恵を私たちは受け取ることができる。そのためにも知への階段としての小中高の勉強をなくすわけにはいかない。
 研究者にならない人にとっても、世界中でまったく同じ小・中・高の勉強が、人としての知的活動の基礎訓練になっているのだ。
 大人になって、学校的勉強とは無縁の生活をするにしても、仕事をするときには、持っている知的基礎訓練経験の量が、そのパフォーマンスに大きく影響する。
 みなさんがする仕事は「近代的仕事」だからだ。
 近代社会において、自分の夢を叶える、やりたいことをやって成功するという目標を達成するには、近代的知に近づこうとする能力をどれくらい身に付けているかで決まる。
 それが自分という氷山の水面下の部分だ。
 地道に氷山を大きくし続けることが、今やるべきことであるのは間違いない。

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ベーシック

2023年01月24日 | 学年だよりなど
2学年だより「ベーシック」




 共通テストは、ほとんどの科目の内容が高校2年生で学習済みになる。
 この試験範囲には、どんな意味があるのか。そもそも文科省が示す「高校生が学ぶ内容」というのは、どのような性質のものなのか。
 日本の教育は遅れているとか、やり方がよくないとか批判する人もいるが、教える内容自体は、時代にあわせて変化はあるものの、多くの「不易(変わらないもの)」と少しの「流行」とで成り立っている。「不易」にあたる部分は、世界各国でそうは変わらない。




~ じつはこのカリキュラムは世界中の先進国でほとんど同じなのだ。アメリカにはアメリカのカリキュラムがあり(州によっていろいろ異なるだろうが)、イギリスにはイギリスのカリキュラムがあるし、中国にも韓国にも公教育のカリキュラムがあるが、内容自体にそれほど大きな差異はない。数学は進度の違いで高校卒業程度でどこまで終わるかで1、2年分ぐらいの差はあるものの内容はほとんど同じである。なお、日本は以前その点ではやや進度が速かったのだが、ゆとり教育などですこしずつ削られ、いまでは欧米の学校とそれほど変わらない。理科の学習内容も各国でほとんど同じである。社会はもちろん自国の歴史、地理に重点が置かれるが、似たようなものだ。国語でも各国が自分の国の伝統文化を形作ってきた古典を習う。~




 「古文や漢文など、今の時代に学ぶ必要性などない」と言う人はいる。しかし、多少ちゃんとした知識や教養のある大人であれば、欧米のエリートたちがラテン語を学ぶことを知っているし、そうした直接役に立たないように見える勉強こそが人としての基礎になることもわかっている。
 学校のカリキュラムが世界中どこでも同じなのは、目指す方向性が同じだからだ。
 小学校、中学、高校と学び、その結果として大学に入学する。そしてそのまま学問を続け、アカデミックな研究者になるための道程として、カリキュラムが組まれている。
 川東2年生415人の中から、将来研究者になる人はほんのわずかだろう。でも、なろうと思うなら、なれる可能性を残すために、今のカリキュラムで勉強しているのだとも言える。




~ 高校までのカリキュラムは、基本的には生徒のあらゆる可能性を潰さないようにできている。数学者になろうと思えば、大学で数学の専門科目の勉強をはじめられるだけの基礎学力をつけることが高校までの勉強の目標だ。国文学者になろうと思えば、そのための勉強の入り口に立てるようになっている。社会も理科も、それぞれの専門分野の入門をはじめられるように高校までは幅広く勉強するのだ。そして、大学になるといよいよ各自が自分の専門分野を決めないといけない。 (藤沢数希『コスパで考える学歴攻略法』新潮新書)~




 だから今している勉強は、「学問」という大きな山から見れば、ほんの裾野の部分ということだ。スポーツで言えば、腕立てや腹筋、もしくは声出し、球拾いにあたるのかもしれない。

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脳の学習効率(2)

2023年01月20日 | 学年だよりなど
2学年だより「脳の学習効率(2)」




 自分の頭が勝手に学習するには、感動するのが一番だと考えた牛場さんは、なんでもない授業でも、「わー、すごい」と感激しながら聞くようにし、より効率よく学べた(みなさんもやってみたら、どうだろう)。「やっぱり脳はメカニズムがあって、条件がうまく成立すると、可塑性というか学習がすごく進むんだな」と考える。
 大人になり研究者になってみると、それはドーパミンを出して脳にやきつけるという、「報酬系」とよばれる脳の生かし方であることがわかった。
 学習にはコンテクストも重要だという仮説をもった牛場さんは、登下校の際に架空の友人を隣に置き、英語で話しかけながら勉強したという。
 研究者になって、こんな実験に出会う。アメリカの有名な心理学の実験だ。
 大学のダイビング部18名を対象にして、暗記のテストを実施する。
 ただし、約6メートルの海中と、陸上と、それぞれの場で暗記させ、その後テストをする。
 すると、海中で覚えた言葉は、陸上より海中でのテストの方がスコアがよく、逆に陸上で覚えた単語は、陸上テストの方がはるかによかった。
 環境が変わると、覚えたはずの単語も思い出せなくなってしまうのだ。




~ 中学生や高校生のころ、単語帳で英単語を覚えても、テストになると意味を思い出せないことがあった。「その単語帳だとできる」のに、「別の環境」だとできない。テストでもできるようにするためには、「単語帳だけで勉強しない」ことが重要である。確かにそう言われると、思い当たるふしがあります。置かれた環境によって、脳のムードのようなものが変わると、牛場さんは言います。
 「直接学習しているものとは関係ない、水圧とか目の前に広がる光景とか自分がおかれている環境とか状況によって、ムードとか脳のデフォルトになっている状態とかが影響を受けているわけですね。それでその脳の状態に対して、算数なり運動なりの学習をすると、このペースのコンディションの状態では、そこで獲得したものを引き出したりできるんだけど、その状態が陸にあがって違っちゃうと、ベースとなっている状態が違うので、書き込まれたものを読み出そうと思っても読み出しにくい、ということがあるんですね。」~




 学習環境を整えるというのは、「よい」環境をつくることではないことがわかる。
 目標は、どんな環境でも力を発揮することだ。
 だとしたら、きわめて快適な場所より、少し騒々しいくらいの場所でも集中できるようになった方がいい。
 隔離された自分の部屋より、リビングで何か他の事をしている家族がいる中で勉強する子どもの方が成績が伸びやすいのは、こういう事情が関与していそうだ。

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脳の学習効率

2023年01月16日 | 学年だよりなど
2学年だより「脳の学習効率」




 三苫選手から田中選手にパスがとおるとき、田中選手は三苫選手の蹴り出しを見てから反応しているわけではない。
 村上選手は、ピッチャーの手から球が離れるのを確認してからバットを振り始めるのではない。
 運動部の人なら、そんな感覚は身にしみて理解できるだろう。
 意識してからだを動かしたので遅いのだ。
 思うような、というか後で評価するなら思うようなと言えるパフォーマンスをするには、無意識で体が動いてないといけない。
 そのなるために、そして簡単にそうならないからこそ、みなさんは毎日トレーニングに励んでいるはずだ。
 そうなる瞬間は突然訪れる。毎日少しずつできるようになるものでないことも、よくわかっているのではないだろうか。
 「できない」から「できる」へ体がジャンプするとき、脳にはどんな変化が起きているのだろう。
 慶應義塾でリハビリテーション神経学を研究する牛場潤一教授は、この体のメカニズムの解明のために工学的なアプローチを行っている。




~ 牛場さんが脳に関心をもったのは小学生のとき。所属していたコンピュータサークルで、ある日、AIの研究をしている大学院生が自作のプログラムをもってきてくれたそうです。それで謎解きゲームをしていたら、AIが目の前で進化していくことにゾクゾク。「経験を通じて機能が変わっていくというダイナミックな性質が面自かった。人間の脳も同じようにプログラムできるのかな」。つまり、脳に関心をもった最初から、牛場さんにとって、それはAIとパラレルなものとしてとらえられていたのです。だからこそ「経験を通じて機能が変わる」という可塑性に関心が向いた。そこに中学生になって出会った学者たちの話が火をつけます。縦縞しかない環境で生育し、横縞を認識できなくなった子猫の話。片側の脳を損傷したが、もう片方の脳が機能を変えて失われた能力を補うようになった少女の話。牛場少年は、「脳のやわらかさ」への興味をさらに深めていきました。 (伊藤亜紗『体はゆく』文藝春秋)~




 中学生のころから脳に興味を持った牛場氏は、勉強のメカニズムも考えるようになる。
 自分より成績のいいヤツは、なぜいいのか。
 それは頭がいいのではなく、「脳に学習させるのがうまいやつ」だと考えた。
 地頭とか、努力量の問題ではなく、「脳の学習効率」という研究テーマを思いついたという(中学時代ね)。で、どうしたのか。
 授業中、先生の話を無理矢理感動して聞いた。音楽を聴いてわーっと感動すると、その印象が脳にやきつく。そうだ、勉強も同じだ、つまらなくても感動しよう! と考えた。
 そして食い入るように先生を見て、一つ一つの話に大きくうなづき、感動しながら授業を受けていたという。その有効性は、後に自分で解明していくことになる。

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第2回埼玉県冬期演奏会(新人戦)

2023年01月11日 | 学年だよりなど
第2回埼玉県冬期演奏会(新人戦)
 会場 さいたま市文化センター(南浦和) 
 日時 1月11日(水)16時19分演奏
 曲目 「青空と太陽」「スクーティン・オン・ハードロック」


 銀賞をいただきました!
 さらに精進いたします。応援ありがとうございました。

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内山咲良さん(3)

2023年01月10日 | 学年だよりなど
2学年だより「内山咲良さん(3)」




 人は一瞬で変わる可能性をもってはいるが、なかなか変われないのも事実だ。
 脳がそのように働いているからだ。
 人間の脳は「自分」という生命体の維持を最優先しようとする。
 人が変化を好まず惰性で生きようとする姿は、生命体としてはごくあたりまえだとも言える。
 だから、何かを変えようとするには、苦痛をともなう。
 逆に、いったん何かを変えることができたなら、変わった後の状態が普通になる。
 勉強するのが普通になっている人は、本を読んだり、ノートをとったりすること自体に苦痛を感じないが、何もしない日には微妙にものたりなくなる。
 毎日運動するのが普通の人は、運動できなかった日に体がモゾモゾして眠れないのと同じだ。
 ひとたび何かをやると決めてやりきった後は、その経験が基準となる。
 つまり「普通」のレベルが上がる。
 進学校とよばれる学校、とくに東大に何人も入るほどの学校になればなるほど、生徒たちは「たいして勉強していない」という。
 実際に彼らのなかでは「たいして」やってないのだ。
 もちろん、世間一般の感覚では、ものすごく頑張っているように見える。
 しかし彼らは「せいぜい5時間くらいしか勉強してなかったですから」と言う。
 インターハイに出て東大理Ⅲに合格する、入学後も陸上を続け、医学系の実習をこなしながらインカレで優勝する……。周りから見たら神みたいかもしれないが、本人の中では、「才能の足りない自分はこれくらいやってあたりまえ」という感覚なのだ。
 ここで一発何かをやると決めたときは、とことんのめり込んでみるべきだ。




~ 内山 私にとってはスポーツも勉強をどっちもオンで、とても大事なことではあるので、どちらもやらなきゃいけないことだと理解しています。ただ、私の場合はどっちも同時並行しているというよりは、どっちかなんです。今はこっちがすごく大事というのを、その場その場においてうまく切り替えてきたんだと思います。その切り替えによって、文武両道になっているように見えるということだ、と。ただ最近は、そのどっちも常に大事にしなければいけない感じになってきているので、少し難しく感じていますが。……勉強においても、ポイントはいろいろあるような気はします。たとえば、ここからここまで絶対に覚えなければいけないものがあったとしたら、もうがむしゃらに覚えるしかない。それには自分が覚えられる方法を探して、やり続けるしかない。語呂合わせでもいいですし、書いて覚えるんだったら書いて覚えたらいいと思います。(内山咲良「文武両道の裏側」web SPORTIVA)~




 あれこれ考える前に、生命維持活動以外のすべての時間を、勉強と部活に費やしてみようか。

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南古谷ニューイヤーコンサート

2023年01月09日 | 学年だよりなど
南古谷ニューイヤーコンサート
 会場 東邦音楽大学グランツザール(南古谷)
 日時 1月9日(祝)12時00分
 曲目 「青空と太陽」「スペイン」「You Can't Stop The Beat」


 ご来場ありがとうございました!
 久しぶりにグランツザールで演奏させていただきました!!
 本年もよろしくお願い致します(_ _)


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内山咲良さん(2)

2023年01月07日 | 学年だよりなど
2学年だより「内山咲良さん(2)」




 内山さんは、高3の夏、走り幅跳びでインターハイへの出場を果たした。




~ 内山 高3夏までは部活が週4回あって、その日は終わった後に宿題をやって3、4時間だったと思います。部活がない日は学校が終わってからずっと勉強していた感じだったので、6時間くらいですかね。インターハイが終わった後は勉強以外のことをほぼしなかったので10時間くらい、直前期は多い時には14時間くらいですかね。~




 東大に入ってからは、高校時代とはまた別種の忙しさになる。




~ ――競技と医学部の勉強の両立は大変でしたか?
内山 時間的拘束が割と長い時期は大変でしたね。実験や解剖がたくさんある時期もあれば、授業がいっぱいあって試験が多い時期もあったり、その都度状況がかなり違いました。陸上と医学、どっちも絶対に外してはいけない時期、大事にしないといけない時期がいくつかあって、それに応じて優先順位を都度変えながらどうにかやってきた感じです(笑)。でもどっちかしかないよりは、精神的にはすごく楽だったのかなと思っています。“どっちかダメだったら、どっちか頑張ればいい”という心持ちでやってきました。~




 両立を投げ出したくなった日も、もちろんあった。
 記録がなかなか伸びない時期もあった。そんなときにかぎって勉強にも集中できなかった。結果がでない自分に価値はないのかもしれないと落ち込んだ時もある。そんな時、「自分は大学で何がしたったのだろう」という原点にかえり、腹をくくってきたと言う。




~ 内山 勉強をあまり頑張りきれていないので、なんで部活をしてるんだろうと思ってしまうこともいっぱいありました。だから、勉強と部活との両立で悩む気持ちは、ものすごくよくわかるんですよね。ただ、なにかものすごくいい解決策があるかって言われると、正直ないと思っています。なにかをやったら魔法みたいな感じで、どっちもOKとはならない。やっぱり、自分にとってどっちも大事だったら、他の人よりも頑張らなきゃいけない。そこを貫き通したいんだったら、もう覚悟を決めて頑張るしかない。それだけだと思うんですよね。~




 勉強か部活かで悩んでいる人もいるだろう。
 悩むということは、どちらも自分にとって「大切なもの」である、ということだ。
 自分の人生をどう生きるかとは、いってしまえば自分で時間をどう分配するかだ。
 誰にも時間は平等に与えられている。生きるために必要な時間をひいたら、その残りに「悩む・考える」時間を設けるのはもったいない。どっちも大事なら腹をくくってやるしかない。

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内山咲良さん

2023年01月03日 | 学年だよりなど
2学年だより「内山咲良さん」




 新年おめでとうございます。
 来年の今頃、自分がどんな状態でいられるかを意識しながら、日々を積み上げていこう。
 内山咲良さんというアスリートがいる。専門は三段跳び。
 一昨年第90回日本インカレ(日本学生陸上競技対校選手権大会)で見事優勝し、現在は静岡県の藤枝市立総合病院で研修医として働きながら、競技を続けている。
 お医者さんの卵だ。つまり医学部で学びながらインカレのチャンピオンになった(ちなみに友田先輩が400mでチャンピオンになった大会でもある)。
 筑波大付属中学の陸上部に入り、走り幅跳びを始めた。高校時代にはインターハイにも出場している。このとき、予選落ちしたことが、その後競技を続けるうえでのモチベーションにもなったようだ。大会後、猛烈と受験勉強にとりくみ、みるみる成績はあがった。




~ 内山 やっぱり受験が近づけば近づくほど、特に高校3年の時は、100%頑張っていたと思います。その時は本当に必死だったからですかね。やっぱり自分が明らかに(勉強が)遅れていると思ったので、このままだと絶対に落ちると、すごく頑張りました。
――それでもインターハイに出場したあと、現役で最難関の理三に合格するというのは驚きです。自身の進路に対して必死になれたのは、なぜですか?
内山 確かに、なんでそんなに頑張ったんだろう。不思議ですよね。高校3年が始まる時に、自分のなかで覚悟を決めていた部分があった気はします。インターハイに出たいって。本気で目指したい、と。でも、インターハイに出ても大学に落ちたらなんかカッコ悪いと思っちゃって。両方やりきることが、すごくこだわりとしてあった。そのこだわりを貫き通したっていうのが高3だったような気がします。誰もやったことがないことをしてみせたい、みたいなところはありました。~




 東大理科三類に合格し、「鉄門陸上部」と称する医学部の陸上部に入る。入学後もハードなトレーニングを続けていた彼女に転機が訪れたのは、大学2年のときだった。怪我をしてしまい、長期間練習ができなくなったのだ。
 それが、自分の練習のあり方を見直すきっかけとなる。高校時代の延長で、ひたすら根性で走りまくり跳びまくっていた練習方法を改めようと思った。体幹を鍛えるトレーニングを中心に据え、競技力をあげる、同時に自分の本当の目標をしっかり見据えメンタルを強化しようとした。
 インカレに出るという目標を達成するためには、悩む時間をとるわけにはいかないと腹をくくったとき、怪我自体もポジティブに考えられるようになった。
 そして大学6年生、見事、日本インカレで自己ベストの13m02を跳んで優勝する。もちろん東大の女子学生として初めての快挙だった。これを文武両道と呼ばずして何と言おう。

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