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水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

恋は雨上がりのように

2015年05月31日 | おすすめの本・CD

 

  橘あきら(17歳)が恋に落ちた相手は、バイト先のファミレス店長の近藤(45歳)だった。
 「バイト先の」という言い方は正しくないな。
 雨に降りこめられた(下人ではなく)女子高生が、「雨宿りしていけば」と言ってくれたファミレス店長に気持ちが奪われたら、その店で働くようになった、と正確には書くべきだ。
 陸上競技で鍛えた身体はスタイルがよく、背が高くて美形の彼女は、ただし愛想がない。
 近藤も、その愛想のなさから、自分は絶対に嫌われていると思っていた。
 そうでなくても、45歳の冴えない中年が、女子高生からよく思われるわけはないと思い、遠慮しながらバイトのシフトを決めたり、言葉を選んで仕事の指示をしたりしていた。
 だから、「あたし店長が好きです」という言葉をきいたとき、「人として嫌いなわけではない」という意味だと理解し、「よかったぁ … 、おれてっきり橘さんから嫌われてると思ってたんだよね」と笑顔で答える。
 まさか、本気の恋心の告白だとは夢にも思わない。
 本当の意味が伝わってからも、信じられない気持ちと、どう対応すべきかというとまどいが頭を支配する。
 そうなるだろうなあと思う。
 自分なら、どうだろう。女子高生か … 。
 もちろん、商売柄そんなことは想像したこともないし、現実には起こりえないし、でももしかして教え子から「先生、じつは … 」と言われたら、どう対応すればいいのか。
 年齢差もあるし、同性ではないか。さらに難しい問題が起こってしまうのか。どうする、おれ。

 萌え系ラブの一つのバリエーションだと思う。
 おっさんの自分だからはまった部分はもちろんあるけど、若い男子が読んでも自己投影できるにちがいない。
 たまたま店長は、自分の年齢を中心にしたマイナス要素を意識し、踏み出せずにいる。
 じゃ、若かったらすべてはクリアできるのかといえば、そうでもないだろう。
 自分なんかがこんなかわいい女子とどうにかなれるはずがない、という思いで、自分から踏み込んでいけない若者ってたくさんいそうだし、自分もそうだった。
 大事なのは、見た目とか、いけてるかどうかとか、諸々のスペックとかではなく、実は心の持ちようだ。
 若いうちは特に、根拠なき自信でがつがついくくらいでちょうどいいのだけど、そうもいかないからこそ文学が生まれ詩が生まれ音楽が生まれるのだ。
 このマンガだけは実写化してほしくない … 。

コメント (2)
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作者と作品(4)

2015年05月31日 | 国語のお勉強

 

  ~ 問三と問四は、さっぱりわからなかった。問五から問七は正解の察しはついたが、解き進むにつれて、私は出題者の悪意に吐き気を催した。いろいろな背景を複雑に交錯させながら書いたのに、《著者が念頭においていたと思われる背景を一つ……》と著者の繊細(いつから繊細?)な感情を逆なでし、私が1万2000字もかけて書き綴った一章から2000字分だけ抜き出してきて、しかもそれを《50字で要約しなさい》と恐ろしいことを平気でいう。50字で要約できるなら、私だって最初からそうしている。莫迦も休み休みいってもらいたい。
 脱力しつつ、最後の問題に目を通す。

《本文の趣旨にあうものを、次の①~⑦の中から二つ選びなさい。》

 私がいいたかったことは、①と②と③と④と⑤と⑦だ(長くなるので省略)。さすがに⑥(時間を粗末にするものは、いつの時代でも取り残されてしまうものである)なんて説教じみたことは考えなかったが、しかし⑥もよく読むと、なかなか良いねえ。
 さてまあこうして、気になって先ほど買いに走った大学入試問題集の解答篇を開くと、10問中、私の正解は七つ。
 なかなかいい成績だ。って満足している場合か。
 最後に、私はいっておきたい。本書『何でも買って野郎日誌』は、大学入試問題への使用を禁じます(←偉そうに聞こえた?)。 ~

 

 日垣氏から再びお返事をいただくことができた。
 私が第2信に書いた以下の部分を引用されて、きびしいご意見を書いてくださった。


 ときどき、小説家が「自分の作品の入試問題を解いてみたら、点がとれなかった。こんな問題でいいのか。」と語ります。こういう例を調べると、たんにその小説家の学力が低かっただけだったり、その作家の文章自体に難があったりすることがあります。


 国語の教師がこのように言うのは、教師の側の「国語力や文章力や学力は、相当に難がある」とおっしゃる。
 この(水持の)ような大雑把な〝感想〟を言う者に国語力などない、というお話であった。


 ~ 引用したように大雑把な〝感想〟を言われたら、ろくな授業もできず、自分の頭で考え抜いた文章も書けない国語の教師に、子ども達の「学力をつける」なんて余計なことをしてほしくないというのが率直な親としての〝感想〟です。「ガッキィファイター」へのメール送信はこれにてご勘弁ください。 ~


 日垣さんの文章に対して「難があった」と書いたつもりはないのだが、逆鱗に触れたかのようなご返信をいただいた上、「出禁」になってしまった。
 
 今、こうして振り返ってみて、自分の文章に(表現の難はあったかもしれないけど)根本的過ちがあったとは思えない。
 プロの作家さんが書かれた文章に、いいものもあれば、残念なものもある。
 もちろん素人の軽々しい批判は本質を突いてないないことも多いし、素人とプロとの間にはものすごく大きな境があることは昔よりもわかる。
 ただ、入試問題については、大学なり高校なりの教員がプロ側であり、作家さんがご自身の文章による問題を解くといっても、それは素人側になるのではないだろうか。
 作家さんの「つもり」と、それが表現されているかどうかとは別次元のはずだ。
 自分の意図が伝わらなかったとき、読者の側だけに100%責任を負わせるのは、ちがう(んじゃないかなあ)。
 まあ、でもあれだし。
 どうせ、おれは「ろくな授業もできず、自分の頭で考え抜いた文章も書けない国語の教師」だからなあ。
 と言われても、おまんまの食い上げにならない程度には、生徒さんの「学力」をあげるための仕事をしなければならないのにはかわりはない。

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