水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

3月11日のこと(3)

2022年03月28日 | 学年だよりなど
1学年だより「3月11日のこと(3)」




 かけがえのない日常を一瞬にして奪われてしまった人たちと、私たちとの間に、何かその違いが生まれるべき必然はあっただろうか。
 地震に限らず、災害で生活を奪われてしまった人と、私たちには何か違いがあるのか。
 病気や事故で予想もしていない形で人生を終える若者と自分たちはどう違うのか。
 日頃の行いがよかった? 信心深かった?
 そうではないことは誰もがわかっている。
 平凡でつまらなくて、思った通りにはいかなくて、面白みのない日常も、そう感じながら生きているということ自体が、大変な幸運ではないだろうか。
 何者かになりたくて、そうなれなくてもがき苦しんでいる日々など、幸運の二乗だ。
 広く世界をみわたせば、衣食住の心配をせず自分のやりたいことに専念できる16歳、17歳の比率は、漠然と感じているほど高くないようにも思える。
 自分を、家族を、国を守るために命がけの日々を過ごしている同世代もいる。
 数時間後に生きているかどうかさえ不確かな環境の中で。
 わたしたちはただただ運がよくて、こうして毎日を生きることができる。
 何でもない、だからこそ奇蹟ともいえる時間を過ごしている。
 この幸運をいかさないのはもったいない。
 私たちの実力なんてたいしたことはないし、才能なんてあるかどうかもわからない。
 だから、与えられた幸運をしっかり手放さずに日々を過ごしたいものだ。
 ――ここまで書いてきて、一年の締めくくりになんといい話を書いているのだろうと感じてしまった。
 みなさんも感動しているのではないでしょうか。そして、さすがにがんばろうかなと思ったりし、気づくと数分後にはまたゲームしてる……みたいな。
 一瞬でもやろうと思ったら、すぐさま形にしてみようではないか。
 ノートを広げ見開き2頁つかって、高校生活残り二年分の年表をつくってみよう。
 そして節目節目の大きな行事を書き込む。
 20ヶ月後の大学入試共通テスト、15ヶ月後の最後もインターハイ予選とかは、当然だ。
 夏休みや定期考査も書き込もうか。先日もどってきた河合模試の偏差値と、いきたい大学の難易度とを比べてその年表を見直せば、なかなか時間が限られていることに気づくだろう。
 部活動の大会までの日数を考え、いまの自分の体力や技能と目標とを照らし合わせたちとき、同じように切羽詰まってくるかもしれない。
 しかもみなさんは、この二つを同時になしとげようとしている。
 大変なのはあたりまえだ。だからこそやりがいがある。
 それだけ人として成長できる。
 自分に与えられた時間のかけがえのなさを自覚できるだけで、日常の意味は変わると思う。

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御礼

2022年03月26日 | 日々のあれこれ
 昨日はありがとうございました。
 演奏会におこしいただいたうえに、私自身へのお祝いのお言葉、花束、プレゼントをいただき、ほんとうにありがとうございます。
 みなさまに支えていただいていることを実感し、引き続きがんばらせていただきたいとの気持ちです。
 がんばるというか、ご子息達のおかげで楽しい思いをさせていただいておりますが。


 現役生の保護者のみなさな、昨夜は遅くなりましてもうしわけありません。
ご極力ありがとうございました。片付けのだんどりをちょっと考えたいとも思っております。
 休み明けからまたよろしくお願い致します。


 OBのみなさん、たくさん集まってくれてありがとう。
 演奏メンバーは参加費いただけて助かってます。手伝いにきてくれた、聞きにきてくれたみんなもありがとう。
 カンパいただいたメンバー、ほんとうにありがとうございます。
 血縁とかよりは弱い感じで、つながり方に自由度のある、こういう関係性はけっこういいものだと思います。
 困った時は、ほどよい距離感で助けてくれる年の離れたOBとかもいるから、つながってみてください。

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第29回定期演奏会

2022年03月25日 | 日々のあれこれ
川越東高等学校吹奏楽部 第29回定期演奏会

日時 3月25日(金) 17:30開場 18:00開演

会場 ウエスタ川越大ホール

交通 JR・東武東上線 川越駅西口より5分

曲目 ウィテカー「ゴースト・トレイン」
   バーンズ「交響曲第3番」
   酒井格「たなばた」    他

   たくさんのご来場
   ほんとうに、ほんとうに、ありがとうございました!!
コメント (3)
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演奏曲目

2022年03月25日 | 日々のあれこれ
第29回定期演奏会 演奏曲目

第一部
 コンサートマーチ「虹色の未来へ」 郷間幹男   作曲
 ゴースト・トレイン E.ウィテカー 作曲
 交響曲第3番           J.バーンズ  作曲

第二部
 「JPOPヒットメドレー」
    信長って誰だし?2022 僕らにはどんな時も帰れる場所がある
~ うっせぇわ・MELA・なないろ・アイノカタチ・群青・炎・君といれば ~

第三部
 カマラーダCamarada   高橋広樹 作曲
 ゲッタウェイGet Away  熱帯JAZZ楽団版
 セプテンバーSeptember  熱帯JAZZ楽団版
 たなばた        酒井格 作曲
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その日の信長

2022年03月25日 | 学年だよりなど
~ その日の信長 ~

 永禄3年(1560年)皐月(旧暦5月)十二日。
 信長は切羽詰まっていた。
 どうする? どう切り抜ければいいのか。
 相談する相手もいない。
 そもそも誰かに相談して「こと」を進めるキャラではない。
 意図的にそうしてきた。
 尾張の一弱小領主がのし上がるには、周りを気遣っているひまはなかった。
 織田の嫡男はうつけ者じゃ――。
 そんな噂が広まるくらいでちょうどよかった。
 さすれば、最初から相手はかまえてくる。
 そこであえて真っ当なことを言う、礼儀正しくしてみせる。
 一気に相手の気持ちを掴み、取り入ることができる。秘技「ギャップもゑ」と呼ぶ作法だ。
 信長は豪胆に見えて、繊細な策略家だった。
 いや、繊細すぎる内面をもったがゆえに、そう振る舞わざるを得なかったとも言える。
 傷つきやすい内面をさらけだして人の上に立っていられるほど、穏やかな時代ではない。

「あなたさまのお好きなように、なさればよかろう。今さら、そのようなことを申されても、 私には何も言えませぬ。」
「帰蝶、つれないことを申すな。美濃の援軍は頼めぬものか」
「何を今さら。最初に頭を下げていたならいざ知らず」
 この時代、信長の性格を唯一理解していたのは、後世に濃姫と呼ばれることになる、妻の帰蝶だけだったかもしれない。
 父斉藤道三のもとを初めて訪れた青年の横顔を、帰蝶は今も時々思いだす。
 さびしそうな目をしていた。
 そしてどこか遠くを見つめている。
 この人が見つめる先に何があるのか、私もいっしょに見てみたい――。
 ふいにそんな気持ちになった自分が不思議だった。
 思いのほか早く、それは叶えられるのかもしれない。
 この人はきっと自分で道を切り開く。
 追い込まれれば追い込まれるほど本領を発揮することを、帰蝶は知っていた。
 「出かけてくる」と言い残して、夫は馬にまたがる。
 ご武運を……。
 帰蝶は心の中でつぶやいた。

 よい風が吹いておる。
 信長は考え事をするとき、いつもこの丘に登る。
 この高台から、広大で肥沃な濃尾平野を見渡す時、いつも湧き起こってくる気持ちを抑えることができなかった。
 もっと広い世界を見たい、自分には必ずそれができる、という思いだった。

 遠(とお)江(とうみ)の大(おお)大名今川義元にとって、わが軍など取るに足りないものであろう。
 自分の上洛を邪魔する者がいれば、蹴散らしていくまでと考えているはずだ。
 戦わずに降参せよと言う声もあるのは知っている。
 しかし、自ら奴隷への道を選ぶくらいならば、わしは栄光ある戦いにうってでる。

 そもそも人は必ず死ぬ。
 戦いがなくても、病で明日死ぬこともあるのだ。
 いまこの瞬間にわしの心の臓がとまることもある。
 実際、そんな人を幾度も見て見てきたではないか。
 限りある命ならば、できるだけ有効に使いたい。
 必ず死ぬからこそ、価値ある死を選びたい。
 それが、まがりなりにも武士として、領主の家に生まれた者の務めだ。
 ええい、しかし……。

「親方さまぁ!」
 遠くから自分をよぶ声が聞こえる。
「ここじゃ~!(やべ見つかった)」
「親方さまぁ、何をしておられるのですか」
「ここから、今川の大軍が見えるのじゃ(見えねぇよ)」
「みんな、待っておりまする!」
「わかっておる、すぐ行く(はぁ、行きたくねぇ……)」
 決断が迫られている。
 また一陣の風が吹いた。
 う、なんだ、この頭の痛みは……。
「親方さまぁ!」
 わかったから、もう呼ぶなって。
 あ~あ、どこか行っちゃいたいなぁ……。
 いかんいかん、そんなことを思うては。
 うう、どうした、からだが浮いていくようなこの感覚はなんじゃ……。
 
 信長は、突風に包み込まれたように感じた。
 一瞬、すべての光を失った。
 冷たい炎(ほむら)の中を、肉体が通り抜けていく。
 何者じゃ、わしを運ぶのは。
 どこへ連れて行こうとするのか。
 ほんの一時だったかもしれない、しかし同時に数百年だったかもしれない。
 わが肉体を包むものは風ではない。
 自分を包んでいるのは時の流れだった。
 ふいに「包むもの」から開放される。新しい日差しに目を細める。
 うっ。イタっ。
 誰じゃ、わしにぶつかったのは。
 おなごか。
 まさか、帰蝶……。
 ちがう、帰蝶ではないな。
 面妖な衣服を身にまとっている。南蛮のおなごか。
 わしを見て、怯えておるのか。
 何? 信長に似ているじゃと。
 似ているのではない、信長じゃ。
 なぜ、その書物にわしの絵が載っておる。おまえは誰じゃ。
 ただのジェイケイ? 意味がわからん。
 ここは、一体どこなのじゃ……。
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3月11日のこと(2)

2022年03月23日 | 学年だよりなど
1学年だより「3月11日のこと(2)」




 河合塾さんから配給された水とパンをいただき、自習室でその夜を過ごした。
 余震は続く。東北の状況が少しずつ分かってくるにつれて、一晩帰れないくらい何でもないことだともわかってくる。
 亡くなった方、行方不明の方、その数の予想は時間を追うごとに増えていく。
 外が明るくなってくると、運転再開になった路線の情報がアナウンスされ始めた。
 必要な情報を伝え、必要以上に心配させないような落ち着いた話しぶりは、同業として見習いたいと感じた。
 西武新宿線が動き始めたという放送があったので、スタッフの方に謝意を告げ駅に向かう。
 学校にもどると、前日は夜遅くまでかかって生徒全員をバスで送ったことなどを聞いた。
 この先どうなるのか、その時点では予想もつかなかった。
 地震、津波の被害の大きさは想像を絶するものになりそうだった。
 一緒に夜を明かした受験生たちは、あの後、帰宅できただろうか。
 結局、後期試験を実施しなかった大学も多く、その場合はセンターの結果で合否が判断されることとなった。
 センターで思うような点がとれず、後期で挽回しようとしていた受験生は、その場を与えられなかった。
 そのため浪人生となった子たちは、自分自身の受験と震災とが不可分の経験となって体にしみついている。
 その年の夏のこと。駿台の霜栄先生から、「今年の浪人生は、例年よりしっかりしている」というお話を伺った。
「自分の受験と震災とが、一つの経験として結びついていて、受験生として過ごせることに感謝する気持ちを持っているからではないだろうか」というお話だった。
 あの日校舎を出て帰途についた学生さん達は、おそらく途中で事態のあまりに深刻さに気付いたことだろう。まだ、みんながスマホをもっている時代ではなかった。
 自分の受験どころか、理不尽に命を奪われた人々がいることを知る。
 一命をとりとめたものの、家族や友人を失い、家も学校もなくなった多くの若者がいる。
 そういう状況を目の当たりにした受験生たちは、自分たちに与えられている時間のかけがえのなさに、無意識のうちに感謝したことだろう。
 当時のみなさんと同じ年齢で、波にのまれていった幼い子どもたちも、たくさんいた。
 そんな人生を誰が予想するだろう。
 震災がなければ、今頃は元気な高校生活を過ごしていたはずだ。
 コロナで部活休みになったとか、学校行かなくてすむとか言いながら。
 4月は誰と同じクラスになるのかな、担任だれがいいなとか言いながら。
 この何でもない日常が、いかにかけがえのないものであるかを、私たちは忘れがちだ。

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3月11日のこと

2022年03月21日 | 学年だよりなど
1学年だより「3月11日のこと」


 春めいてきた。11年前の今頃、なかなかガソリンを入れられなくて自転車通勤をしていた。
 小学校にあがる直前だった11年前の3月を、みなさんは覚えているだろうか。
 個人的な記憶を書かせてもらえば、3月11日のその時、新宿にいた。
 河合塾新宿校舎で行われる教員セミナーに参加するためだ。
 15時から受け付けだったろうか。西口を出て歩道橋を歩いていたとき、突然衝撃音と揺れに襲われた。思わず手すりにつかまって転ばないようこらえた。トラックがぶつかったのかと思った。
 予想外に長く続く揺れに、地震だとわかった。
 揺れが収まると、周囲の建物から人が溢れ出てくる。
 心配そうな顔、困ったような半笑いの顔、周囲を伺う様子。
 高層ビルがメトロノームのように揺れている。中にいる人は生きた心地がしなかっただろう。
 とりあえず、河合塾に向かう。エレベーターが動かないので階段で上がってくださいと案内され、大きな教室に入り指定の席につくと、また大きな揺れが来た。
 非難訓練の動きとはまったくちがうスピード感で、先生方がみな机の下に隠れる。
 その後もかなり大きな余震が何回かあり、セミナーの中止が伝えられた。
 新宿まで来てフリーの時間が生まれたことに、少しラッキーと感じた自分は、事の大きさを理解してなかった。
 三丁目の方に行ってみる。せっかくだからと訪れた新宿末廣亭という寄席は、出演者が来られないので本日の演目は中止と張り紙してある。
 デパート、衣料品店、飲食店、ゲームセンターなどほとんどが店じまいしている。または店じまいしようとしている。
 しかたない、帰ろうかと東口の方へ向かうと、駅前のロータリーは人であふれていた。
 電車が動いていないようだ。そしてアルタのスクリーンで津波の映像を見て、とんでもないことが起こっているのだと、やっと理解した。
 行き場所がなくなり河合塾にもどると、どうぞここで待機してください言っていただく。
 ありがたかった。自習室の一席に座らせてもらい、セミナーのテキストや、数日後に予定している演奏会の楽譜を読んだりしていた。
 夜になっても、余震は続く。家族はそれぞれ無事であることが確認できた。
「東北地方で大きな地震が起きた、交通機関はすべてとまっている、水や食料はあるので、無理に帰ろうとせずにここで過ごしてほしい」との館内放送が度々流れた。
 河合塾のスタッフさんもそれぞれ家族のことなど心配だったろうが、夜を徹して対応にあたられていた。頭が下がる思いだった。
 「明日の試験、どうなるのかな」
 そんな話し声が聞こえてきた。翌3月12日は国立の後期試験日だった。
 河合塾で最後の仕上げをしようとし、そのまま帰れなくなった生徒さんたちの声だった。
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クリック(2)

2022年03月17日 | 学年だよりなど
1学年だより「クリック(2)」


 朝の通勤。今日も渋滞に巻き込まれたと思いながらリモコンを押すと、会社に着いている。
 嫌いな上司のそばに行って一時停止を押す、鼻先で大きなおならをする、解除すると上司がむせて咳き込んでいる……、みたいないたずらもしてみる。
 こんな「万能リモコン」ほしいですか?
 万能なので、リモコンはどんどん「学習」していく。
 面倒な仕事も人間関係も、どんどん勝手に早送り、スキップしていく。
 気がつくと、子ども達が大きくなり、父親の言うことを聞かなくなっている。
 続いてあっという間に6年がスキップされる。「おれは、なんでこんなに太っているんだ!」
 家に帰ると、奥さんと他の男が住んでいる。「何があったんだ?」
 リモコンで人生を巻き戻して確認すると、大げんかのすえに離婚し、奥さんは娘の水泳コーチと再婚していた。
 さらに数十年後。出世して社長室にいる。すっかり一人前になった息子のベンが来る。
 「そういえば、おじいちゃんはどうしてる?」
 「何言ってるんだい、とっくに亡くなったじゃないか」
 「え? 記憶がない……」
 「そりゃそうだろ、父さん、忙しいって言ってお葬式にも来なかったんだから。」
 そんな馬鹿な。父が生きている場面まで巻き戻してみる……。
 役員室を尋ねてきた父親のテッド。
 「なあマイケル、みんなでキャンプに行かないか?」「だから、そんな時間はないって」
 「あの手品のタネを教えてやるよ」「そんなの昔から知ってたよ」
 父親に目もくれようとしないマイケルを見て、寂しそうに去って行く父親。
 これが父と交わした最後の言葉だった。
 なんてことだ……。さらに気がつくと数年後。心臓発作に倒れ、病院のベッドに寝ている。
 心配そうに付き添う元妻の姿が目に入る。
 「おれの人生って、なんだったんだ。何も心に残っていない……」
 こんな「万能リモコン」ほしいですか?
 たしかに、大変なこともあったけど、辛い記憶がまったくないし、社会的には成功している。
 客観的には、「恵まれた人生だったね」と他人は評するだろう。しかし当人はどうだろう。
 ちょっとしたSFコメディーのようで、いつのまにか人生の意味を考えさせられる作品だ。
 たぶん「結果」そのものは、それだけでは幸せを生み出さないのだ。
 どんなにすばらしい「結果」でも、それを手に入れる過程の記憶がなかったら、幸福感はない。
 かりにたいした結果は手に入れられなくても、がんばった自分の記憶は残る。
 支えてくれた家族との思い出も。友人とのいざこざさえ、ふりかえれば愛おしくなる。
 つらくても、面倒でも、スキップ・早送りしてしまったら、人生はもったいないのだ。
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2022年03月15日 | 学年だよりなど
1学年だより「クリック」


 「いつまでのんびりしてるの! やることいくらでもあるでしょ。この前、三者面談でも言われたわよね、甘い考えじゃだめだって、そのときハイって返事してたじゃない、ねえ聞いてるの?」
 「進路のこと本気で考えた方がいいな。そもそも家でどれくらい勉強してる? 志望校のこと調べたりしたのか? 将来やりたい仕事とか、何学部行きたいとか……」
 こんなお説教の途中で、ピッと早送りしてしまえたらいいなあと思ったことはないだろうか。
 きらいな教科の授業中、きつい練習の最中に、「スキップできたらいいのに」とか。

 アメリカ映画「もしも昨日を選べたら」(原題「Click」)は、そんなことができる万能リモコンを手に入れた男の物語だ。
 建築士のアダム・ニューマン(アダム・サンドラー)は、美しい奥さんのドナ(ケイト・ベッキンセール)、幼い二人の子どもたちと、恵まれた家庭を築いていた。しかし、いかんせん仕事が忙しい。地位が上がるにつれて、家族と過ごす時間はどんどん少なくなっていく。
「あなた、こんどの日曜は大丈夫? 子どもたちと約束したわよね」
「しまった、ごめん、大事なプレゼンが入ってしまったんだ」
「あの子らに何て言えばいいのよ。あと、庭に作りかけたウッドハウス、いつまであのままなの? あと、週末お父さんたち来るっていってたからね、あと……」
「わかった、わかったから、ちょっと静かにしてくれ」
 アダムがリモコンでテレビをつけようとすると、天井の扇風機が動きだす。「なんだよ!」。
 別のリモコンをピッとする。テレビはつかない。「あなた、なんでガレージのシャッターあけるの!」「くそ、どのリモコンだ!」リビングのテーブルには、いろんな種類のが散乱していた。
 イライラして家を飛び出す。車に乗ってホームセンターに向かう。
 ちなみにアメリカのホームセンターは、日本のそれなど足元にも及ばないくら巨大だ。
 「リモコンなんて、どこで買えるんだ? ここか」
 「Beyond(その他)」と表示された奥まったスペースに入っていくと、研究者然とした不思議な感じの人が座っている。
 「あの、リモコンがほしいんですが。一つでいろいろに使える万能タイプの……」
 「ちょうどいいのがあるよ。試作品をタダであげよう、ただし返品不可だ」
 「あなた、どこ行ってたの!」 
 「そんな顔するなって」とリモコンを押すと、奥さんがストップモーションになる。
 「え?」 散歩に連れていけと吠える犬に向けてボリュームボタンにふれると、鳴き声がミュートされる。「え?、何これ」。
 面倒だなと思いながら、犬を連れだしてリモコンを押すと、散歩を終えて家にもどっている。
 いやだ、面倒くさいと思ったことは、このリモコンでスキップできるようなのだ。

 こんな「万能リモコン」を手に入れたら、みなさんはどう使うだろう。
 大学入試をスキップする? 気がついたら、志望校に受かっていた……みたいに。
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没頭力

2022年03月12日 | 学年だよりなど
1学年だより「没頭力」


 オリンピック・パラリンピックに出場することも、よい成績を残すことも、大きなゴールの一つではあるが、同時にスタートでもある。
 現役選手として頂点を迎えた時点より、その後の人生がはるかに長いからだ。
 金メダルをとった意味、もしくはとらなかった意味は、その後の人生で決まる。
 その後の人生に大きく影響するのは、試合の結果そのものより、そこにいたるまでにどれだけの人生を積み重ねてきたかではないだろうか。
 それはスポーツだけではない。何らかのゴールを目指して積み重ねていく営為は、どれだけ打ち込めたか、没頭できたかで、その価値が決まっていく。


~ 勉強やビジネスでは、結果は顕著に表れる。脇目も振らずに、やるべき暗記問題やトレーニングに、どれだけ没頭できるか。成績はあからさまに、没頭と比例する。
 あいつは付き合い悪いねとか、変わり者だねと揶揄されるぐらいに、徹底的に没頭することが重要だ。周囲との関係を断ち、雑音をスルーできる「狂気に満ちた集中」を発揮することによって、その人は頭ひとつ抜きんでることができるのだ。
 誤解されてはいけないが、時間さえかければいい、というわけではない。「狂気に満ちた集中」を、いかに効率化させるかが肝要だ。
 「起業をしたい、でも準備が整ってない!」という若者はたくさんいる。そんなときに、決まって僕は言う。「いますぐ、やりましょう!!」
 重視すべきは「狂気に満ちた集中」。つまり没頭力だけで、十分なのだ。(堀江貴文『やりきる力』学研プラス)~


 ただし、没頭すると、友達は減る。なんとなく過ごしていた「仲間」と過ごす時間がもったいなくなるからだ。「最近つきあい悪いな」ぐらい、言われてしまうかもしれない。そして徐々に距離が生まれる。そういう形で減る「友達」は、実はそこまでは親しくはなかったのだろう。
 逆に、新しい友達が出来る可能性もある。その人も没頭系だ。
 その友達とは、べったりしてなくても、ずっと会話していなくても友達だ。
 大人になるとわかるが、10年会ってないけど、あきらかに友達という存在がいる。
 10年ぶりに会ったとき、普通に前と同じテンポ感で話せる相手だ。
 没頭することで変わる人間関係は、異性間においても同じ気がする。


~「男運が悪いのは、偏差値の低い学校に不良がくるのと同じ。」(ROLAND『君か、君以外か。』)~


 友人も、いつかできるかもしれない彼女も、自分の鏡だ。
 いい感じの人とそういう関係になりたいなら、求めるより自分を変える方が近道だ。
 没頭経験で醸し出されるオーラの力は、見た目のよさなど簡単に超えるから。
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