水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

センター小説 第6問

2011年12月31日 | 国語のお勉強

 地球を去っていく宇宙人ポールは、失われゆくアメリカ的父性の象徴といえるかもしれない。
 人はしかし、別れを経験して成長する。
 その人に頼らずに自分で生きていくことを決意させられるから。
 いろんな映画が、病気や戦争による「死」を描いたり、宇宙人やヴァンパイヤとの「別れ」を描いたり、許されない関係での恋愛を描いたりするのも、それらを通して失うものと失うからこそ得られるものへの愛おしさを表そうとしているのだろう(かっこいい!)。


 映画も小説も、説明書ではなく表現なので、何が「どう」表現されているかに気づけると楽しい。
 だから、センター試験の二番(小説)の第6問で、ここ数年必ず表現に関する問題がでるのは、筋としては正しいことだろう。
 「国語総合」「国語表現」の二科目がセンター国語の試験範囲と設定されているので、平成27年までは、この問題は出続けるはずだ。
 ただし、表現問題もパターンは決まっている。
 ポイントは大きく分けて次の四つかな。

 1 視点・語り手   2 比喩・象徴   3 時系列   4 文体


1 視点・語り手

 主人公が「私」(一人称)なのか、「彼」(三人称)なのかをまず確認する。
 「私は~」と語られた作品を「一人称視点」の小説といい、「○○は~」と三人称で語られている作品を「三人称視点」の小説という。
 「一人称視点」は、その主人公の視点から世界を見ているので、他の登場人物の心情は、主人公の想像で語られる。悲しそうに「見えた」と語られる。
 「私は」とはじまったら、基本的に他の登場人物の視点に入っていくことはない。全くないこともないけど、センター小説には登場しないだろう。
 「三人称視点」の場合、主人公、もしくは語り手にあたる人物の視点のみで語られる「限定視点」と、どの登場人物の視点にも入り、すべてを見渡したところから語る「全知視点」とがあり、後者は「神の視点」とも言われる。
 一人称か三人称かは読み始めればすぐわかるので、三人称の場合だけ、視点が移動するかどうか読みながら意識し続けてるといい。

 ちなみに2009年の問題。

 ① この文章は、登場人物である「彼」の視点に寄り添いながらも、必要に応じ周りの人物の視点も取り入れて語られているので、それぞれの人物の心理が分かりやすくなっている。

 という選択肢があるけど、問6にたどりついたときに、「えっと他の人の視点てあったっけ?」と本文を読み直していたのでは、時間が足りなくなる。「彼は … 」ではじまるから「三人称視点」、そのままずっと変わらないよね、と読めばいい。

 「一人称視点」の場合、今の「私」が、事件がおこった当時の「私」を語るという構造になる。
 いろんな人の心情に入り込むことはできないが、自分の心情については相当分析的に語ることができるという特徴がある。
 だから読み手の側も、「私」の心情につかりやすい。
 センター試験の場合、「視点」とか「語り」とか直接言わない選択肢もつくるので、「あっ、これは視点の話かな」と気づけるといいと思う。

 2008年の問題。

 ② 「落ち着いた今の気分でその時の事を回顧してみると」とあるように、出来事全体を見渡せる「今」の立場から、当時の「僕」の心情や行動について原因や理由を明らかにしながら描いている。
 ③ 「僕」自身の心情を回顧的に語る部分に現在形を多用することで、別荘での出来事から遠く隔たった現在においても、「僕」の内面の混乱が整理されないまま未だに続いていることを示している。
 
 ②は、一人称の語りの性格をよく表したもので、これが正解。
 ③は②の逆を言っている。「「僕」の内面の混乱が整理されないまま未だに続いている」という、今の「私」が成り立たないような言い方になっていて、不正解だ。


2 比喩・象徴

 比喩、象徴は「たとえ」。
 抽象的な考えや、表現しにくい内容を、具体物に置き換えることで、感覚的に理解させようとする表現だから、これぞ小説表現の真骨頂と言えるだろう。
 比喩が存在しているのかどうかはわかる。
 大事なのはその効果かもしれない。

 2006年の選択肢。

 ③ 「硝子の触れ合うような音」や「夢の前に立ちすくむ」などの比喩的表現が多用されることで、登場人物の繊細で鋭敏な性格が鮮やかに印象づけられている。
 
 これは、まさしく比喩の役割をきちっと述べてて正解。
 でも2007年の

 ① 「鶏ガラみたいにほそい首筋」「まだ枕を話しているだけで本編に入っていない噺家みたいに座布団から垂直に頭がのびていて」のように、「陽平さん」の姿が比喩表現を用いて描写されることによって、「陽平さん」を見つめる「絹代さん」の特異な感性が強調されている。

 のように、「特異な感性」の「強調」とは言えない。
 比喩は決して強調表現ではない。

 ちなみに2011年の選択肢に

 ② 35行目の「〝市役所〟」は、梶氏を勤め先の名称によって指し示す擬人法であり、梶氏が「市役所」を代表して公害対策に日々奔走する役人であることを強調している。

 とあったが、「梶氏」を「市役所」と呼ぶのは擬人法ではなく「換喩」とよばれる比喩の一種だ。

 羅生門が、朱雀大路にある以上は、この男のほかにも、雨やみをする市女笠や揉烏帽子が、もう二、三人はありそうなものである。(羅生門)

 で学んだ表現法。「市女笠」「揉烏帽子」とはそれをかぶる女や男を、その人の特徴的な外見や性質一語で言い換えて表している。
 そっか、羅生門では「にきび」が「若さ」の象徴であることを学んだが、そういうのを忘れずにいると、センターを解く力になる。

 擬人法では、2008年に

 ⑥ 「自然が反対を比較する」「会話を僕の手から奪った」「自然から使われる自分」などの表現から、擬人法を用いることで、「僕」が抽象的なものごとをわかりやすく説明しようとしていることがわかる。

 という選択肢があった。
 これは、「自然から使われる自分」が擬人法とは言えないし、「擬人法」が「抽象的なものごとをわかりやすく説明」するとは言えない。比喩は、あくまでも感覚にうったえる表現だ。


 3 時系列

 小説は、ストーリーが時間の流れ通りにすすまないことも多い。
 一直線ではない。回想シーンに注意しよう。

 2010年

 ③ 本文では、県大会の前日までのできごとが克久の経験した順序で叙述されており、このことによって登場人物の心情の変化が理解しやすくなっている。

 のように、順番に書かれてないことを見つけられるかどうかの問題も出た。

 ではなぜ小説は時系列が一直線ではないのか。
 それは、小説だからとしかいいようがない。
 小説は論理ではなく文学であり、人間の感情がベースだから、一直線でない方が自然だと言える。
 人はときどき妄想したり、思い出し笑いをしたるするが、そういうものだと思えばいい。
 つまり、人間の意識の混沌としてすっきりしない部分が表現され、「あの時こうした方がよかったのか」という後悔の念なんかがうまく表現できるのだ。
 時間的に異なる複数の場面が描かれるとき、それを専門用語で「重層的」と言ったりする。

 2007年の、

 ⑥ 「陽平さん」「陽平先生」「絹代さん」など、人物同士がふだん呼び合っている名称や、「ひとりもあらわれなかった」「いささかひろすぎる」など、平仮名書きが多用されることによって、大人の世界に子どもの視点が導入され、物語が重層的に語られている。

 の「重層的」は何が「重層」なのかよくわからないが、次の2009年のは正解選択肢だ。

 ⑤ この文章は、雨のなか庭にたたずんでいる時点から引越しの日を振り返り、さらに父の過去や引越しの手続きがあったことを振り返るというように、時間を重層化させた構成になっている。


4 文体

 これはいろんな要素が含まれている。
 文体が「やわらかい」とか「かたい」とかよく言われるが、使われている語彙が規定する部分は大きい。
 とくに「漢語と和語」の使われ具合いだ。
 一般に漢語が多いと分析的、観念的、抽象的な表現になりやすい。
 和語や平仮名が多いとその逆。
 でも、さっき書いた2007年のように、「平仮名が多いから子ども視点だ」とは言えない。

 「ざけんな、ちょーむかつく!」は、心情をそのまま書いた表現で、「彼が抱いた猜疑心は … 」と書くとかたくなる。

 2008年の、

 ④ 「凝結した形にならない嫉妬」「存在の権利を失った嫉妬心」などのように、漢語や概念的な言葉で表現することによって、「僕」が自分の心情を対象化し分析的にとらえようとしていることがわかる。

 は、正解選択肢。

 あと問われるのは会話文の扱い。

 2007年の選択肢に

 ③ 「おばちゃん、おばあちゃん、さよなら、と言って帰っていく」「触ってごらん、と言われるままに」などでは、かぎ括弧を用いずに会話の内容が示されることによって、現実感が生み出され、会話を発する人物が生き生きと描き出されている。

 とある。かぎ括弧があるかないかで、「現実感が生み出され」が生み出されるかどうかの判断はしにくい。
 地の文が少なくて会話文ばかりで描かれているなら、全部にかぎ括弧がついていても、臨場感は生まれると思う。
 かぎ括弧のあるなしを、表現効果として言えることがあるとしたら、直接言った言葉か、内面の心情かをあいまいにするという点だろう。
 かぎ括弧がなくなることによって、語り手の存在が意識されなくなり、読者を主人公の内面にひきこんでいく効果が … 、なんて書いてあったら正解選択肢になるだろう。

 あと、2006年の

 ⑥ 会話文中に「……うん。泣いた、僕」のように「……」が使用されることで、裕生と尚子の会話に余韻が与えられ、二人が徐々に親交を深めていく様子が細やかに写し出されている。

 とか、2009年の

 ② 本文中、「実際は土地を売ったのだが、彼はどうしても家を売った、と発想してしまう」の前後に( )がつけられているのは、土地売買の現実を拒絶しようとする「彼」の思いを読者に説明するためである。

 みたく、…… や ( ) の効果を聞いているのがある。
 でも、そんなの説明しづらいよね。
 こういう選択肢は通常、「どう」ではなく「何を」の部分で間違いになっているので、「内容からみてだめだからだめ」と×にすればいい。

 表現問題は、「aという表現によって」「xという内容」を表している、という選択肢になる。
 「xという内容」が本文内容と違っていれば当然不正解であり、実はこれでおとせてしまう選択肢の方が多いのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宇宙人ポール

2011年12月30日 | 演奏会・映画など

 「幕末太陽傳」を観ようと出かけた年末のテアトル新宿は年配のお客さんでいっぱいだった。
 こんなにここに人が多いのをみるのは、今年一番のがっかり作「冷たい熱帯魚」以来かもしれない(これが一言よけいなんだよね)。
 「幕末太陽傳」は、映画完成時(1957年)の品川の光景をバックにキャストが映し出されるのをみるだけで、往年の映画ファンにはたまらない作品だろうなと思える。助監督に今村昌平、音楽は黛俊郎だもの。
 キャストも、主演フランキー堺をささえる脇役陣が、20代の石原裕次郎、南田洋子、山岡久乃、岡田真澄という面々で、名前だけ知ってる名優たちに、今の藤原竜也くんや綾瀬はるかちゃんみたいな時代があったのだと思える。そんな中で菅井きんさんだけは数十年前も変わらず菅井きんさんだったけど。
 作品は落語をベースにして品川の遊郭を舞台に繰り広げられる人間模様を描く。
 幕末、時代は大きく移り変わろうとしていた。
 そんな世の動きを感じているのか感じてないのかわからないものの、何となく浮き足立っていた当時の人々の様子が、様々な階層の人々が参まりえた遊郭という希有な場所だからこそ、描くことができたのだろう。
 「居残り佐平次」だけでなく「品川心中」「三枚起請」「お見立て」「文七元結」といった落語の登場人物や台詞で構成されているから、落語を知ってる人にはおもしろい。
 おそらくこの映画が公開された1950年代後半(さすがに私も生まれてません)は、多くの日本人がその落語世界をイメージできたはずだ。
 テレビが普及するのはもう少しあとで、ラジオの落語放送が一番手軽で一般的な娯楽だった時代だから。
 でも今の人にはちょっと通じきらないだろうな。
 もちろん、落語を知らなくてもおもしろいし、楽しめるが、公開時にこの映画を観れた人は、どんだけ楽しかったことだろうと思うのだ。

 「宇宙人ポール」は、いろんなアメリカ映画、とくにスピルバーグ作品がネタとしてもりこまれたSFコメディ。
 イギリス人のSFオタクの二人が、夢にまでみたアメリカにやってくる。
 コミコン(日本でいうコミケ)に参加し、宇宙人が到来したとされる伝説の地「エリア51」(UFOスポットとして観光地になっているそうだ)へ旅したところ、ほんとうに宇宙人に出会ってしまうというお話だ。
 宇宙人ポールは、地球に飛来して以来何十年もとらわれの身だったが、自分の星に帰ろうと施設を抜け出してきた。それを阻止しようとするアメリカ当局の追っ手から守り、宇宙への帰還を果たさせてあげようとする二人。
 この二人、男二人で旅行しているだけで、ゲイのカップルという扱いを受ける。
 ゲイのカップルでオタクだから、一般的アメリカ庶民からはキモい存在で、撃ち殺してもいいんじゃね的な扱いになる。
 これって、おもいきり意図的にだろうが、異文化、異人種、異宗教を認めようとしないアメリカ人を揶揄してるよね。
 イギリスからやってきた二人は、アメリカに夢をいだいていた。
 自分たちの大好きな数多くのSF作品を作りだしているアメリカであり、そこに住むのは陽気でハッピーなアメリカンのはずだった。
 でも実際に彼らに接してきたのは、異文化を認めない町の住民や、キリスト原理主義の親子で、自分たちはアメリカ人にとっては「エイリアン」かもしれないことに気づく。
 彼らがイメージしていたアメリカを体現するのはなんと宇宙人ポールだったのだ。
 その気性やものの考え方が。
 英語ができる人にはこれもものすごくおもしろはずだが、宇宙人はめちゃめちゃネイティブで今風のアメリカ英語を話す。ルックスとのギャップが楽しい。
 おそらくイギリス人役の二人はイギリスチックに話してるのだろう。
 作品にはいろんなSF映画の場面がちりばめられている。
 にわか映画ファンのおれでも、あれかなと思えるところがある。
 「ET」にいたっては、スピルバーグが声の出演をし、なぜポールと「ET」が似てるのかもわかる。
 ふつうに洋画を観てきた人、SF好きな人なら、本当に楽しめる。
 ていうか、最後泣けるから。
 こんなほんと年末に、今年のベスト級の映画が観られてよかった。
 落語ほどには過去の映画を知らない自分でも、「幕末太陽傳」よりこっちの方がおもしろいのは、「今」の作品であることが一番の理由だろう。ほんと名作です。高校生より大人が見るべきだと思う。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ニューイヤーズイブイブイブ

2011年12月28日 | 日々のあれこれ

 昨日の帰りに観たのは「ニューイヤーズイブ」。
 お名前がなんとかうかんだ出演者はハルベリーさんぐらいだが、なんか見たことあるような人がけっこう出てた。
 ボンジョビさんがふつうに歌ってたし。
 邦画でいえば、柄本明、香川照之、岸辺一徳さんみたく必ずいらっしゃる方がいて、女優さんだと、宮崎美子さんや蓮佛美沙子さんはやっぱり出てるよね的なかんじで、エンドロールで、津田寛二さん出てたっけ? と思ったり、そういう感じの方が総出演されてるような雰囲気があり、しかも撮影現場の雰囲気はわるくなくて、みんなそれぞれに仕事をしてる。グレイトジョブじゃないけど、グッジョブがきっちり積み重なって、身をゆだねてさえいればそれで楽しめるという、大人な作品だった。
 ああ、今年も終わる。多くの人にとってそうであるように今年は特別な年だったと思う。
 定演ができなかった、しばらく車に乗れなかった程度の影響しか無かった自分だが、内面はおだやかではなかった。放射能のことは真剣に心配したし、ほんとにこの国は大丈夫なのかと思い、その一方であまりに何もできない自分に唖然とした年だった。いい年して。お国のために何もできないばかりか部活でも、浦和レッズなら数回クビになっている結果だった。自分が思っているほど生徒さん方と理解しあえているわけではないこともよくわかったこの年の瀬、ほどよく力のぬけたこの映画は心にしみた。
 年が改まったからといって、何かが変わるわけではない。でも何か変わるような気がすると多くの人が思えば、少しは変わる。せめて部活は少しかえたい。学年も学校も。いろんなところで、みんなが少しずつグッジョブを積み重ねれば、結果は大きく変わるのに。

 本年もお読みいただいたみなさま、ありがとうございました。
 今日、合奏しておそうじして、今年の部活はおわりました。
 新年は四日から練習です。みなさま、よいお年をお迎え下さいませ。
 あと、もし読んでる受験生の方がいたら、「早寝早起き手洗いうがい」の4点セットをこころがけて、まずセンターを乗り切ってください。Have a happy new year!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日曜の朝

2011年12月25日 | 日々のあれこれ

 そう言えば、個別相談をしてると「国語が苦手なんです」という話が何回か出る。
 不思議と数学や英語ではそうことはない。
 男子校であるがゆえと、英・数はたとえできないにしても、対策がはっきりしているから、そういう質問が出にくいのではないかと思う。
 「うちの子は(ぼくは)国語だけが苦手で」という話には、「国語は勉強しにくくてどうにもならない」というニュアンスがこめられているのを感じる。
 そういう時、「実は自分は国語の教員なのですが、一つアドバイスさせていただけるなら、自分の頭で考えるのを極力辞めて、本文中に書いてある答えを探すようにしたらどうでしょう」ということにしている。
 どこまで伝わるかはわからないが、北辰テストや公立高校の入試問題を見る限り、答えはすべて問題文中に書いてあるから。
 センター試験でも、一番の評論ならまったく同じことが言えるから、高校入試がそうであるのはあたりまえとも言えるのだが。
 本校の生徒さんをみていても、本文中の答えぽいところに線もひかずに漠然と読んでいるのが多いように思えるのだ。
 でも国語って不思議な科目だ。
 解法集や公式集がない。
 ていうか、教科書がない。
 他の科目の教科書は、書いてあることを理解して、必要な知識を覚えれば、それも教科書をもれなく頭にいれることができたなら、まちがいなくその分成績はあがる。
 しかし、国語の教科書は、一冊を理解して丸々暗記しても、他教科ほど劇的にはのびない。
 教科書を暗記などしなくても、文章の読み方のコツみたいなのをちょっと知っている人は、勉強量に関係なくいい点がとれたりする。
 しかもそのコツの身に付き具合について、ふつう当人は無自覚だ。
 そのコツは教科書のどこにも書いてない。
 多くの中学生は塾で勉強しているが、すべての塾で読み方のコツがちゃんと教えられてるとは思えない。
 いわんや、中学校をや。
 教科の特殊性というのは …
「はい、川越東高校です、おはようございます … はい、はい、ええ大丈夫ですよ」
 併願の試験と特待生試験を受ける場合、一つの封筒に入れていいんですか? という問い合わせだった。
「はい、川越東高校です。ええ、入試の当日は大宮のバスは出してないので、南古谷までおこしください」
「はい、川越東高校です。はい、大丈夫ですよ。併願1ではなく2を受験されるということですね。わかりました。」
 日曜は事務室が空いてないので、職員室で直接外線を受ける。
 まあ、いろんな問い合わせがある。
「要項の○頁に書いてあるだるぉが!」なんて答えるはずがない。
 でも、ちょっとここには書けないような質問を、日曜の早朝に名前もなのらずいきなり用件だけ聞いてくるお父さんとかいるけど、大丈夫か? おれら世代。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

個別相談会

2011年12月24日 | 日々のあれこれ

 個別相談会が終わる。
 これで今年度の営業活動は終わりで、あとはどれくらい受験してくれるか、どれくらい入学してくれるか。
 ほぼ例年並みの入学生に来てもらえるのではないかとの感触を、一営業部員として抱いている。
 本校にかぎらず私学は現状維持がきびしい情勢になっているから、ありがたいことだ。
 受験者が3000人を越えて体育館まで受験会場にしなければならなかったり、1学年が20クラスになってしまった時代ははるか昔のことになった。
 あの頃、もう少し楽器を買ってもらっておけばよかった … 。
 今日相談に見えた受験生は、成績的にけっこうせっぱ詰まっている子も多く、そういう場合は勉強のやり方もついアドバイスする。
 「北辰テストの偏差値でこれぐらいだと、けっこうやり残しがあるよね」と問うと、みな大きくうなづく。
 「そしたら、そのできないところを一個ずつつぶしていけば、その分どんどん偏差値あがるから、やっていこうよ」
 本人たちもわかってはいるのだ。
 わかっててやれる子とやれない子がいて、やれる子にもレベルの差はあって、最後には持って生まれた資質の違いなのなと思えるような結果になる。
 もちろん頭がいい悪いではない。その人の持っている、なんていうんだろ、才能というか、体質かな。
 勉強に取り組める体質かどうか。
 大人で言えば仕事をどれくらいやろうとするかは、価値観とか考え方の違いではなく、たんに体質の違いじゃないかと思うのだ。本を読む読まないなんてのも同じで。
 相談会をおえて、午後はニューイヤー、新人戦の曲の合奏。
 その後久喜に移動し、親しい先生方との忘年会。
 今年は忘年会少なかったな。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

12月21日

2011年12月21日 | 日々のあれこれ

3学年だより№36(神頼み)

① センター対策のつめを
 a)時間配分をシミュレーションせよ。
 試験後に最もよく聞く後悔の弁は、「時間が足りなかった」というものである。
 時間を計って問題を解く練習はセンター講習でもやってるが、それでも本番ではプチパニックになるものだ。後ろの方にある配点の大きな問題にちゃんと時間がかけられるように冷静に取り組もう。時間との戦いを制するには練習しかない。
 b)やみくもに解くだけではだめ。
 ただし、時間を計って、解いて答え合わせして一喜一憂するだけなら、問題は解かない方がいい。
 正しくないやり方を定着させるためのエクササイズにしかならない。間違った問題について、なぜだめだったのかを言語化し、同じ間違い方を繰り返さないことが大事だ。

② 合格祈願に行こう
 a)なんといっても最後に頼るべきなのは、神様です。非科学的と思う人もいるかもしれないが、そういう人は科学万能主義に冒されている。どんなに優秀な科学者もこの世のすべてを見通すことはできない。科学は近代社会が生んだ一つのものの見方にすぎず、科学の過信が危険であることは、現代文の評論で学んだはずだ。
 どんなに力のある人も、実力が発揮できないことはある。突発的な事故にまきこまれることもある。運がいい・悪いというのは、間違いなくある。
 予想外のことが起きたときに、「ついてないなあ」とへこむのと、「この程度ですんでよかった」ととらえるのとでは、その後の展開が全く変わる。後者は結果的に「運のいい人」になっていく。
 大事なのは、「やるべきことは、全部やった」と落ち着いた心を持つことであり、「やれることは全部やって合格するんだ」という意志を持ち続けることだ。
 b)具体的にどうお参りすればいいか
 ① 自己紹介する。「川越東高校3年○組の誰々です」。
 ② 報告と感謝「今までこんなふうにがんばってこれました。ありがとうございました」
 ③ 誓い「入試本番までやりきります、見守っててください」
 神社で拍手(かしわで)を何回打てばいいかとかは気にしなくていい。心をこめて、こうしてお祈りに来られる自分でいることを感謝するのが第一。お賽銭は基本10円。100円でもいいけど、神様は一回で100円より、10円で10回お参りに来てくれる方を好む。

③ もっと楽しもう。
 かっこいいのはサヨナラ逆転だ。もうだめかと思われる状況の中で、最後の最後に大逆転をするイメージをしてみないか。
 ただし、そうなるには、神様が思わず応援したくなるほどの努力を積んでいないといけない。
 今の自分は、そういう状態ですか? 客観的に自分を見て「けっこうやってんじゃね」と思えたら大丈夫だ。
 11月末に受けたセンタープレのD判定などなんの問題もない。年末の学力はたぶんCになり、やり続けていれば1月中旬にはBになっている。それが現役生だ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

12月20日

2011年12月20日 | 日々のあれこれ

 今日は終業式。
 あっという間に二学期が終わってしまった。
 午後はバンドレッスン。
 あっという間にレッスン時間が終わってしまった。
 「復興」は手強いが、やるべきことは同じだ。
 みんながそれをどれくらいちゃんと受け止めてくれるかだ。
 え? そっか、おれもだ。ちゃんと譜読みしよ。
 寒いね。

 3学年だより№35(受験の朝の10の心得)
 
 みんなが就職活動をするときに必ず手にすることになる『面接の達人』という本(前にも一度紹介しました)に、『面接の朝の10の心得』というのが載っている。


 ~ ① 受ける会社の場所と所要時間を確認せよ
 ② 自己紹介と志望動機は、毎日練り上げて成長させよ
 ③ 今日聞かれたことを、次に聞かれたらどう答えるかノートを作れ
 ④ 第一志望の会社を受けるまでに、10社落ちて練習せよ
 ⑤ 第一志望の会社を受けるまでに、内定をとっておけ
 ⑥ どんどん書き込みをして、自分だけの「面接の達人」を作れ
 ⑦ 最終的な内定が出るまで、他者を回るのをやめるな
 ⑧ 帰ろうかなと思ったら、もう1社回ってみる
 ⑨ 社員のふりをして会社に潜り込み、トイレで用をたしてこい
 ⑩ 1社落ちたら、3枚履歴書を書いて新しい会社に出せ ~


 これは、大学入試におきかえて、そのまま有効な教えではないだろうか。
「 ① 受ける大学の場所と所要時間を確認せよ 」
 これは、冬休みのうちにぜひ出かけてこよう。本番の日と同じ荷物をもっていくとなおいい。
「 ③ 今日聞かれたことを、次に聞かれたらどう答えるかノートを作れ 」
 今日のテストに出た問題がもう一回出たら、確実に解けるようにしておきなさい。
「 ④ 第一志望の大学を受けるまでに、10社落ちて練習せよ 」「 ⑤ 第一志望の大学を受けるまでに、内定をとっておけ 」
 センター私大まで含めたなら、10校近く受験する人は多いと思う。最初の入試が第一志望というのは危険だ。すべての受験校が本命の気持ちで受け、その経験を、その失敗を次にいかしていこう。
 そして第一志望の入試の前に、確実に一校合格しておくのが理想だ。
「 ⑥ どんどん書き込みをして、自分だけの『合格ノート』を作れ 」
 日頃からつくっている自分だけ重要ノート、暗記ノートをたえず更新し続けよう。
「 ⑦ 最終的な合格が出るまで、勉強し続ける 」
 最後の入試が終わった時点で終わりではない。第一志望の合格が確定するまでは、勉強をやめてはいけない。国立の後期までをイメージすれば、まだ相当勉強時間は残されている。
「 ⑧ ここまでにしようかなと思ったら、もう少し勉強してみる」
「 ⑨ 在学生のふりをして大学に潜り込み、トイレで用をたしてこい 」
「 ⑩ 1社落ちたら、3枚履歴書を書いて新しい会社に出せ 」
 一校落ちても、ヘコんでいるひまない。次にできる最善のことにすぐ取り組め。
「 ② 自己紹介と志望動機は、毎日練り上げて成長させよ 」
 大学に合格すること自体が目標なのではなく、大学で何をやりたいのか、どんな人間になりたくて今がんばっているのかを意識することが一番大事。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

女神のタクト

2011年12月19日 | おすすめの本・CD

 今年のミステリー第一位とか面白本№1とか謳う本が書店にあふれる季節になった。
 多くのランキングの1位になっている『ジェノサイド』は、これはもう「比類なき」と形容したいくらいの作品で、前にも紹介した。
 とくに話題になっていないけど、塩田武『盤上のアルファ』はおもしろかった。
 文化部に配属になった新聞記者と、年齢制限ぎりぎりでプロ棋士を目指す青年(おっさん)とのお話。
 将棋の世界はよくわからないのに、対戦の描写にはけっこうどきどきした。
 最近読んだ、同じ作家の『女神のタクト』は、

 ~ 『30歳にして職と男をなくした矢吹明菜。旅先で出会った老人に「アルバイトせえへんか?」と誘われる。金がなく公演もままならない小さな楽団に、ある男を連れてくれば報酬があるという。それが明菜と、一度は世界的に活躍した引きこもり指揮者・一宮拓斗、そしてオルケストラ神戸の出会いだった。笑いがいつしか感動になる音楽の奇跡の物語』 ~


 とアマゾンレビューにあるとおりの本で、話題も登場人物もつぼにはまった。
 登場する音楽家たちの生活ぶりや人間性も極端だけど、けっこうあるある的に面白かった。
 つぶれかけのプロオケの立て直しに携わることになる明菜と、音楽的には超一流でありながらハートがよわくて緯線から退いてしまった指揮者の一宮拓斗(このおなまえの方、けっこういらっしゃいます)。
 「しっかりしろ」と明菜が拓斗にけりを入れるシーンがたびたびあることでもわかるように、漫画チックなキャラクターとどたばたの展開が続くのかと思いきや、アマゾンの紹介にあるとおり、「いつしか感動になる」物語だった。
 立て直しをかけての演奏会で選ばれたのは、ラフマニノフのピアノ協奏曲2番。
 ラフマニノフ好きの先生も納得のストーリー展開になっていると思うのだが。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

駒沢大学吹奏楽部定期演奏会

2011年12月18日 | 演奏会・映画など

 駿台での、こんどは現代文の講習をおえて、新御茶ノ水から明治神宮前まで千代田線で移動し(都会人じゃね?)、はじめての渋谷公会堂へ。もっと古くさいかと思ってたけど、なんか落ち着いた感じでよかった。
 いや、演奏が落ち着いていたからかな。
 駒沢大学吹奏楽部という大学バンドの雄は、その気合いの入り方は本校OBからずいぶん聞いていたし、都大会で耳にしたパワフルなサウンドから、けっこうあつい演奏会を予想していた。
 いや、あつくなかったというのではない。
 演奏会にかける部員の思いは、それはあついものがあるだろう。
 でも音自体は、すごく洗練されていたのだ。
 やっぱ高校生とはちがうな。あたりまえだけど。
 フォルテの音はがっつり会場全体をひびかせるけど、高校バンドでよくある力まかせのものではなくて、心地よい振動だった(音はでかいよ)。
 一人一人が上手なのはよくわかるけど、おれがおれがという吹き方を誰もしてなくて、合奏体として演奏しようとしているのが伝わってくる。
 ここまでになるのに、バンドのメンバーがどれだけのものを捨てているかを考えると頭がさがる。
 「おれ大学生なのに、あれもしてない、これもしてない」なんて感覚も、ふと我に返ってしまうと出てくるかもしれない。
 でも、それ以上のみかえりは手にしているはずだ。そんな音楽だった。
 このバンドの中心メンバーに、本校のOBがいること自体が誇らしかった。
 とみたか君、かさはら君、おつかれさまでした、最後にきけてよかった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

聖子メドレー

2011年12月16日 | 日々のあれこれ

 「SEIKO THE FOUR SEASONS」という曲を練習している。
 これは新人戦ではなく、「ニューイヤーコンサートin南古谷」という、華やかなのか地味なのかわかりにくいネーミングの演奏会のため。
 杉浦邦弘さんの編曲による松田聖子メドレーだ。
 杉浦さんの「The Hit Parade」は、たしか過去定演で三回演奏させてもらっていると思う。
 これは歌謡曲なんと20数曲のメドレーで、3年がたくさんいるときのソロ回しには最適の曲だ。
 ただ、メドレーの元曲のうち一番新しいのがたぶんピンクレディ「UFO」か、尾崎豊「アイラブユー」かってとこだから、さすがに今の現役高校生には古いかなと思って、松田聖子メドレーにしてみたが、考えてみるとぜんぜん新しくない。
 新しくないけど、演奏してみて古さは感じない。
 今年親子で紅白にも出ることだし、いいんじゃないかな。
 構成されている曲の作曲者誰だっけと思ってwikiってみたら、「風立ちぬ」大瀧詠一、「赤いスイートピー」呉田軽穂(=松任谷由美)、「夏の扉」 財津和夫といった面々だった。 
 古さを感じないわけだ。
 歌い手の松田聖子さんだって、たしか学年同じだけど、現役バリバリだしね。
 吹奏楽をやってる以上、ホルスト「第一組曲」とか「イギリス民謡組曲」とか絶対やらないといけないという方もいるが、広く音楽をやっていると考えたなら、こういう日本のポップス界の宝とも言える曲を練習するのだって、同じくらい価値があるのではないか(おおっ、いい理由が見つかった)。
 それにしても、合宿になったら急に寒くなった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする