水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

1月31日

2014年01月30日 | 学年だよりなど

  学年だより「経験」

 同じ環境で、同じ内容の仕事を与えられた時に、やりがいを持ってその仕事をやり続けられる人と、大きなストレスを抱えてその仕事を投げ出さざるを得ない人とが生まれる。
 人によって差が生まれるのは当然とは言えるが、時に病気になってしまうほどのストレスを抱えてしまうかどうかの差はどこにあるのだろう。
 人として世の中を生きていく以上、ストレスの全くない生活はありえない。
 そんな中で自分を保ち健康に働くために何が必要か。、
 筑波大学で「産業精神保健学」を講じられる松崎一葉先生は、次の三つが大切だと述べられる。


 ~ 1 有意味感 … どんなことにも意味を見出す力
   2 全体把握感 … 状況を把握し、先を見通す力
   3 経験的処理可能感 … きっとうまくできると確信する力
         (松崎一葉監修『こころを強くする メンタルヘルス セルフマニュアル』) ~


 これをまとめて「SOC(sense of coherence)=首尾一貫感覚」と言うそうだ。
 「有意味感」があると、一見自分には意味がないように思えることも、いつかは役に立つ、自分のためになるはずだという思うことによって、前向きな姿勢が生まれる。
 「こんなことをやって何の意味があるのだろう」という思いをいだいたままだと、その仕事は苦痛になってくる。
 どうせやらないといけないことなら、「有意味感」をもつにかぎる。
 「全体把握感」があると、今はつらいけど、いついつまで頑張れば、これくらいの成果が得られるはずだという心のゆとりが生まれる。
 大きな仕事が目の前に立ちはだかったときは、パニックになる前に一歩ひいたところから全貌を見渡したり、分割したりしてみて、終わりはあるという意識をもつことだ。
 松崎先生は、職場でのストレスをどう減ずるかという立場で説明されているのだが、これはまさしく受験勉強という大きな課題に対しても役に立つ考え方だ。
 もちろん、部活でも、高校生活全般においても。
 学校生活とは、「経験的処理可能感」を経験するための大切な場所なのだ。


 ~ 「経験的処理可能感」とは、出会う出来事に対して、何とかできるだろうと思える感覚です。
 仕事で言えば、新しい課題と向き合ったときに「今までの経験や周囲の助けなどがあるのだから、うまくできるだろう」と、ある程度楽観的に思える力です。処理可能感が低いと、新たな課題に対して不安に感じてしまいます。少しずつでも課題を乗り越えて、自信がついていくと処理可能感は高まります。 ~


 高校、大学時代に、「ここまでやれた!」という経験を積むことが人生の基盤になる。

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1月29日

2014年01月29日 | 日々のあれこれ

 東上線が運転を見合わせているとのニュースは、通勤途中の車の中で聴いていたが、学校に着くと「見た?」「あの道通らないの?」とか訊ねられる。
 あの踏切って、ああ、あそこの狭い。
 新河岸と上福岡との間にある、自分がいつも通るのより二つ向こうの踏切で起こった、軽自動車と電車との衝突という事故だった。
 めちゃめちゃ土地勘のあるとこでの大事故だ。どう考えても簡単に復旧するとは思えない。
 当然のことながら上福岡発のスクールバスには数人しか乗ってこない。
 朝のHRの時点では、1、2年生200人ぐらいが登校できてないことがわかり、とりあえず自習にして様子を見ようということになった。
 どこそこの学校は普通にやってる、どこそこは休校だって、という情報も入る。
 軽自動車の運転手は、踏切待ちの時に、すぐそばにあったポストに郵便物を投函しようとして車を離れ、気づいたら車が踏切内に進入し、下り電車にぶつかったという。
 運転手さんはぴんぴんしてて、車は原形をとどめない大破だった。
 幸いなことに死傷者がいなくて、まぬけな事故だなと言うこともできたが、まあ迷惑なことだ。
 けっきょく電車が動き始めたのは昼近くになった。
 3時間目から平常授業にもどし、1・2時間目分は土曜に移して実施する、今日登校できない子にはプリント等でフォローせよなどのお達しが下る。
 4時間目の授業中に、つかれた顔で登校してきた子が二人。
 電車むちゃくちゃ混んでただろ、と聞くと「大変でした」という。
 「電車の中は黒い学生服でいっぱいでした。 … この例文の意味わかるかな」
 ちょうど古文の時間で「百年に一年たらぬつくも髪我を恋ふらし面影に見ゆ」という歌をやっていた。
 「つくも髪我を恋ふ」というのは、つくも髪の、つまり白髪の老女が私を慕っているという意味です。
 「髪」がその人自身を表している。
 学生服がいっぱいと言って、学生服を着た学生がいっぱいということを表す。
 これは「換喩」という一つの比喩法なのです … というアドリブを内心自画自賛した。
 4限のあと、学校を出て100均の店で、太いストローを購入。
 練習はじめのルーティンに、1リットルパックによるブレス練習を組み入れるためだ。
 ストローは先生がまとめて買ってくるよと言ってしまったので、それを買った。
 先日の新人戦敗退から、やれることはいろいろやってみようというモードになったので復活することにした。
 6時間目が始まる寸前に、1名登校してきた子がいる。
 えらいなあ。自分が高校生で当事者だったら、朝30分ぐらいで「行くのや~めた」となったことだろう。
 放課後は、修学旅行の打ち合わせからの木管分奏。
 日曜まで時間がないことをひしひしと感じたが、やるしかない。

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花は咲く

2014年01月28日 | 日々のあれこれ

 今ごろ何言ってるの? という内容です。
 川越市合同演奏会で全員合唱する曲の練習を忘れてた。
 今年は「花は咲く」。今までちゃんと聴いたことがなく、紅白のときも綾瀬はるかちゃんにうっとりするだけだったので、なんの感慨もなかったのだけど、川越高校の本田先生から送ってもらった歌詞カードをみて自らを恥じた。
 こんなに心打つ歌詞が書かれていたなんて。
 NHKのサイトで作詞を担当した岩井俊二さんがこう書かれている。

 ~ 「僕らが聞ける話というのは生き残った人間たちの話で、死んで行った人間たちの体験は聞くことができない」生き残った人たちですら、亡くなった人たちの苦しみや無念は想像するしかないのだと。」
 この言葉が後押しになり、力まず自分の想像力に身を委ねることにしました。by岩井俊二 ~


 ~ 真っ白な雪道に 春風香る
   わたしはなつかしい あの街を思い出す

   叶えたい夢もあった 変わりたい自分もいた
   今はただなつかしい あの人を思い出す

   誰かの歌が聞こえる 誰かを励ましている
   誰かの笑顔が見える 悲しみの向こう側に

   花は 花は 花は咲く いつか生まれる君に
   花は 花は 花は咲く わたしは何を残しただろう ~


 「叶えたい夢もあった 変わりたい自分もいた」「わたしは何を残しただろう」
 亡くなった方の思いが歌われていたのか。
 何回か読み直してみて、亡くなった方への鎮魂と、その思いを感じて生きていきたいという残された者の覚悟が、こんなに簡単な言葉しか用いずに、美しい日本語に昇華していることに驚く。
 岩井さんも「誰かが書かせてくれた」ぐらいに感じたのではないだろうか。
 日曜日、たくさんの中高生の歌声は、平静な気持ちでは聞けないかも知れない。

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1月27日

2014年01月27日 | 学年だよりなど

  学年だより「学年ビリのギャル(5)」

 関西学院に続いて明治にも合格。上智は予定どおり失敗、慶應の商学部、経済学部は不合格。
 坪田学長が最も可能性がある考えていた本命の文学部は、不合格だった。


 ~ 最後の、慶應大学政策総合学部の結果発表は、昼のことでした。
 家には誰もいませんでした。
「ああちゃん(注:お母さんのこと)もいなくて、みんな気を遣っていなかったのかも」
 そんな中、さやかちゃんが、規定の時刻に指定のホームページへアクセスし、パソコンでぽちぽちっとマウスをクリックすると、画面に表示されたのは、
「おめでとうございます!」
 という文字でした。
「むぁじか!!」
 というのが、その画面を見て、出た言葉でした。でも、意外とすぐに冷静になって、「やっぱりな~、だって、できたもんなあ」と、思い直しました。 ~


 さやかちゃんはすぐに、ああちゃんに電話する。急いで帰って来た母親と二人で抱き合う。父方のおばあちゃんも帰ってきて、泣きながらさやかちゃんの抱きつく。この時さやかちゃんは、おばあちゃん孝行ができたと思ったという。
 総合政策は難しいだろうと思っていた塾長は、さやかからの着信を目にして、一瞬出るのをやめようかと思った。不合格だったときのために、手紙を書いて用意していたくらいだったのだ。
 意を決して電話をにでた瞬間、耳に飛び込んできたのは、
「受かった~!!」という言葉だった。
 頭の中が真っ白になり、「おおお~、おめでとう」しか言葉がでなかった。
 二人はしばらくの間、「おめでとう!」「ありがとうございます」と繰り返していた。
 さやかちゃんの合格は、坪田学長にも大きな自信となった。
 そして改めてさやかちゃんの合格した理由を考えたとき、やはり一番は、彼女が「中途半端なプライドを捨てて、恥をかくのを恐れなかった」ことだという。


 ~ 「頑張る」って意外といいもんでした。
 もし慶應に落ちて別の大学にいっていても、同じことを思ったと思います。大学受験をして得られたものは、慶應に受かることと同じくらい価値のあるものだったと思うからです。なにも、頑張るそれが「受験」でなくてもなんでもいいと思います。何かひとつやり遂げることって人生何度も経験できるものではないし、こんな私でもそれなりにできたんだから、誰でも本気になればなんだってできるよ! と大声で言いたいです。 ~


 これが、巻末に載せられた、さやかちゃんから、読者へのメッセージだ。

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休み明け

2014年01月26日 | 日々のあれこれ

 久しぶりの練習。「レミゼラブル」の新しい譜面を配った。
 当初練習してた譜面は、外国版でかなり易しくアレンジされているものだった。
 これでいいかなとも思ったけど、やってるうちに正直物足りなくなった。
 森田先生版、つまり伊奈学園さんがコンクールで演奏した譜面は、少し音を出してみただけで、さすがとしか言いようがない感じがしたので、午前中にいきなり合奏してみて、みんなの意見を聞かずに、こっちをやるからと宣言した。
 昨日は、幹部数名が慶應志木さんに練習見学させてもらっていた。そこで参考になったことをふまえて、パートリーダー集まってミーティングしておいてと部長に頼み、自分は三郷市民会館に向かう。
 ソロコンテストに出場したフルート高橋くんの応援だ。伴奏をした井野くんとともに堂々たる演奏だった。
 いろんな形で部を盛り上げようとし、いろんな形で才能を発揮するメンバーを何十人もかかえているのだから、もっと結果が出るようにだんどってあげるのは、自分の責任だとあらためて思う。

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ヒアカムズザサン

2014年01月25日 | 演奏会・映画など

 演劇集団ユニット「スカイロケット」。キャラメルボックスの阿部丈二さんと有川浩さんとがつくった集団で、有川作品をお芝居にして上演する。これは観に行かねばと思いつつ一回目公演「旅猫レポート」はいけなかった。
 入試の部活休みのおかげで、銀座博品館での上演された「ヒアカムズザサン」を観ることができた。
 人や物に触れると、その人の過去や思いを強く感じてしまう力をもった若者を主人公とした作品で、こういう作品はキャラメルボックスさんにはお手の物だろう。
 最近のキャラメルボックスしか知らない自分にとって、阿部さんや渡邉安理さんが一番キャラメルボックスを感じる役者さんなので、安心して作品に身を委ねることができて楽しめた。
 カーテンコールで有川さんが登場する。
 感極まってあいさつやらグッズ紹介やらがぐだぐだの流れになったところが、観ている側も一番泣けたかもしれない。
 「台本があっても役者さんがいても、ここにこうしてお客さまが来て下さらなければ、お芝居は成立しません.そういう意味で、CAST表の最後がみなさんです。今日はほんとうにありがとうございました」
 有川さん、ほんとにお芝居が好きなんだろうと思う。
 年末に立教新座さんの定演にでかけたとき、客席のあたたかさをしみじみと感じた。
 ニューイヤーコンサートのとき、二階席のお客さんまで立って手拍子してくれた。
 わざわざ会場に足を運んでもらえるということだけでもありがたいことだ。
 お客さんがいて初めてライブが成立するのは、プロもアマもジャンルも問わない。
 3月末の川越市民会館も、どうすればCASTの一員になってもらえるかを考えて練習しないといけない。

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昭和

2014年01月24日 | 日々のあれこれ

 昨日朝のNACK5で「この頃やけに思い出す風景がある … 」という歌声が流れ、誰だろ、いい声だなと聴いてた。
 「テレビゲームが家にきた頃の我が家のこと … 」と続く。
  …
 どうすか。
 ふつうこの流れだと、「テレビがわが家に来た頃 … 」となると思いません?
 今うなづいた方は、世間的にはけっこう「お・と・し・よ・り」ですから。
 テレビゲームがノスタルジックな光景になる世代があるのだと思うと、時の流れを感る。
 そういう世代にとっては、テレビが初めて家に来た日、東京オリンピックのころなんては、歴史の教科書の範囲で、大政奉還とか聖徳太子とかと、もう一緒なんじゃないかな。
 学年ビリのギャルさやかちゃんの初期状態だと、まちがいなくそうだろう。
 冷蔵庫や洗濯機がない時代を今の子の想像せよといっても無理な話だ。
 だからセンター試験で今年みたく戦前が舞台の小説が出題されても、実感がつかめないのではないか。
 昨日演習した2003年の問題「白桃」も、「戦後の食糧難の時代」と前書きで説明しているが、どれくらいイメージできていただろう。
 今年の小説「快走」は、開戦が近づいてきた時代の空気感のなかで、ある少女にとって走ることがどんな意味をもつかを読み取るべき作品だ。
 それを上手に設問にしきれていない残念な問題だったから、時代のイメージわいてもわかなくても、取れる点数には変わりはないのだけれど。ていうか、こんな設問しか作れなくて、岡本かの子を出題する意図がわからない。
 主人公の道子が、銭湯に行くついでに川の土手沿いをランニングすることを覚え喜びを見いだすのだが、その分だけ銭湯に行くと言って出かけた娘の帰りが遅くなることを母がとがめる。
 なんでそんなに時間がかかるの、お風呂は一日おきでいいじゃない。
 家にお風呂がなくて銭湯に通うとか、自由に走ること自体にやましさを感じざるをえない時代とか、ひょっとしたら異次元のものを受験生は感じなかったろうか。
 お風呂といえば銭湯で、冬なんか一日おきで十分だろという感覚は、自分たちが子どもの頃そうだったから、やはりそれ以降、つまり1960年代以降に日本人の生活様式の変化が大きかったのだ。


 ~ 19世紀の後半から始めた「近代社会へのいきなりの無理デビュー」から数十年、世界を相手に戦争をおっぱじめるという誇大妄想きわまりないような状況を全国民が支持し(支持したんですな)、その誇大妄想は20世紀半ばに米英ソらによってたたきつぶされてしまった。そして再び、社会をゼロから構築する仕儀となった。しかも、軍事的負担をほとんど持たなくてもいい近代国家という、一種の掟破りの状態で、経済大国として、勝ち進んでいった。 … 西暦でいえば、1950年代から60年代が、暴力的に発展していく時代であった。 (堀井健一郎『やさしさをまとった殲滅の時代』講談社現代新書)~


 東京オリンピックに向けて、首都高をつくり、新幹線を走らせたことに象徴される当時の「発展」は、まさに「暴力」という言葉がぴったりの様相だったなのだろうと今は思う。
 オリンピックにうかれる一方で、その発展を無理矢理つくらせられて、犠牲になったものもたくさんあるのだ。
 はじめて東京に行き、大阪に行き、林立するビルと、その間をぬって走る高速道路を目にして、SFの世界かと見まがった小学六年の時、数十年後にそんなことを考える自分になることを想定するはずもない。


 堀井氏はこうも言う(ちなみに、この『やさしさをまとった殲滅の時代』は、現代史をおおづかみに理解できる、自分の知るなかでは最高の本です)。


 ~ それぞれの世代が40歳から50歳代のときに、その世代の心情がもっとも社会に反映される。 ~


 われわれ世代の心情とは、どんなものなのだろう。
 とにかく「モーレツに働いて家族を食わせなきゃ」という使命感でもない。
 かといって「もともと特別なオンリーワン」という閉鎖的自己肯定感でもない。
 無理矢理ひねりだすなら、「経済発展の利益をがんばってとりにいける」世代なのではないか。
 各業界にいる同世代のトップランナーたちの仕事ぶりをうかがうと、そんな感じがする。
 東京都知事なんて仕事も、お年寄りの自己顕示欲を満たすためのものでなく、いくらでも人材のいる自分達世代にまわしてもらい、実のあるポストにしてもらったほうがいい。

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1月23日

2014年01月23日 | 学年だよりなど

  学年だより「学年ビリのギャル(4)」

 さやかちゃんの学校での生活ぶりは、お世辞にも褒められるものではなかったようだ。
 塾で与えられた課題を行うために、授業中はひたすら内職をする。その作業に疲れると寝る。
 さすがに業を煮やした先生が注意する。
 それを聞いた母親が「この子は授業中に寝るしかないんです」と学校に抗議にくる。


 ~ 「先生、ご存じだと思いますが、さやかは今、目標を見つけて、必死なんです」
「ええ、知ってますよ。慶應でしょ(笑)。そういうバカげたことをいまだに言い張っていますが、到底、行けるわけがありません」
「ええ、でも、みなさんが絶対に無理だと思っていることをさやかは成し遂げようとしているんです。 … 先生は、さやかを慶應に導こうとしてくださっていない。無理だと言って、笑っておられる。でも、塾の先生は“行ける”とおっしゃる。だったら、さやかにとって信じるべきは塾の先生じゃないですか。学校の授業はさやかには意味がないんです。大学への推薦は要りません、ですので、どうか寝かせておいてください」 ~


 親子で、困ったちゃん扱いになってしまったが、エスカレター式で進学できるクラスに在籍していた彼女にとって、しかたのない方法だったとも言える。 
 母親は何があっても、何を言われても娘をサポートしようと心に決めていた。
 クラスの友達も、さやかを応援していた。母親の抗議のあとも厳しく注意しようとする先生には、クラスの子が「今だけ許してあげてください」と助け船を出したりした。
 「みんながこんなにしてくれるんだから、本当に行きたい」と、益々本気度が高まるのだった。
 三科目合計の偏差値が60を越えたのが高校3年の12月。
 やり方は間違っていない、あとは残された時間との勝負だった。
 坪田塾長は、英単語をアホみたいに覚え続けさせたり、日本史対策に『学研まんが日本の歴史』全巻を5周読み直させたりする。小論文対策を意識してライブドアに関する話をふって、無理矢理意見を言わせたりした。
 そして最後の一ヶ月は、徹底した過去問演習と、弱点補強。
 慶應の入試問題の傾向と共通する大学の過去問を解き、その出来具合から併願校を決める戦略は、塾長が立てた。
 本命校の前に、抑え校が一つ受かり精神的に楽になっているようなスケジューリングも行った。
 最初に受験した関西学院はいけるという感触だった。母親と上京して受験した明治はまあまあの出来で、上智は英語の時間中にあきらめた。
 いったん名古屋にもどり、慶應の試験は一人で出かけることにしていたが、その直前はさすがに緊張を隠せなかった。
 「先生、プレッシャーでおしつぶされそう」と言うさやかちゃんに、坪田塾長はこう答える。
 「強いプレッシャーがあるってことは、受かる、って心の中で思ってるってことだ。だって、落ちるって思ってたら、プレッシャーなんか無いはずだから。すごいね! 成長したね!」

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入試

2014年01月22日 | 日々のあれこれ

 入試一日目終了。
 約1000名の受験者を迎えられた。ありがたいことである。
 昨日の放課後から五日間、試験会場の関係で練習はできない。
 部員のみんなは何をしているのだろう。
 おそらくここぞとばかり勉強していることだろう。
 まさか「平日にディズニーランド行けるなんて今しかないぜ」とか言って、連れだって行ったりしてないよね。
 ま、行っててもいいけどね。
 質の高いエンターテインメントに触れる経験が、自分の芸術力を高めるのに役立たないはずがないから。
 そう思って自分も出来るかぎりいろんな場に出かけようとしてのだ。
 ある程度数をこなさないと、リテラシーは高まらない。
 ただし、いくら読んでも、観ても、聴いてもきりがない。
 なかなか勉強との両立は難しい。
 人生の有限なのが … 、人生はおおげさか、教員生活の有限さがうらめしい。
 無限にやりたいとはもちろん思わないけど(これもウソかな、けっこうやってたい)。

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明日、ママがいない

2014年01月21日 | 日々のあれこれ

 日テレのドラマ「明日、ママがいない」が話題になっているようなので、録画してあったのを観てみた。
 いわく「あんな児童養護施設はない、非現実的だ」。いわく「赤ちゃんポストに捨てられた子どもをポストと呼ぶなんて、どういうつもりだ」。いわく「こどもはペットじゃない」。
 なるほど現実的じゃないかな思えるところはあった。
 中心となる4人の女の子が、あまりにかわいく、小綺麗で、はきはきと話すことができ、自分の感情を出せる子たちだったことだ。
 全国の小学校低学年から任意に選ばれた4人が、あんなビジュアルになることはまずないと思うのだが、そこは誰もつっこんでいないようだ。養子縁組のコーディネーターに木村文乃ちゃんというのもない。鈴木砂羽さんが「ほか弁」屋さんにいたら、クリプレのボーカル三浦くんじゃなくても毎日行くでしょ。砂羽さんも、きっと今後重要な役どころになってくるにちがいない。

 たとえば、映画「桐島、部活辞めるってよ」には、橋本愛、山本美月、清水くるみ、松岡茉優といった女子高校生が登場する。「明日ママ」オツボネ役の大後寿々花ちゃんは吹奏楽部でサックスを吹いていた。そんなクラスあるわけないよね。
 彼女たちが話し、笑い、悩み、泣き、喧嘩する様子は、でもリアルだった。
 ストーリーや設定のリアリティも、それと同程度に非現実的で、同程度にリアルにつくられているのが、映画やドラマだから、設定そのものを批判するとなると映画やドラマは成り立たない。

 あのドラマに描かれた施設が、現実そのままの姿だと思う人はそんなにはいないだろう。
 一方、あくまでも架空の施設ではあるながら、その様子も、そこでされている会話にも一面の真理はあると自分には思えた。
 架空の設定、あり得ないような登場人物を設定しながら、そこにリアルな人間の姿を感じさせるという意味で、テレビドラマとしては秀逸な作品だと感じた。

 「番組の影響で、施設の子がいじめられたらどうする」という声もある。
 あるかもしれないね。でも、それは番組のせいではない。
 その子の問題だから、われわれ教員と親御さんとが、がっちり指導すべきだ。
 そういうことする子は、この番組とは関係なく問題をおこす子であるとも考えられるし。
 「ポストというあだながひどい」と批判する人は、ストーリーを読み間違えていることもわかった。
 これも読解力をつけてあげられなかった学校教育の責任だろう。
 施設を運営する三上博史のセリフが「ひどい」っていうのもあったけど、うそでしょ。
 三上博史めちゃめちゃいい人じゃん。なんで読み取れない人がいるのだろう。
 そのへんの謎をとくために、続けて観てみようと思う。

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