水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

Shaft

2009年05月31日 | 日々のあれこれ
 車の中でくりかえし聴いたので、実は「Shaft」は少しあきてきてたけど、今日全員で合奏してみたらあらためていい曲だと感じた。
 非常にシンプルで、ゲームミュージックみたいな感もあり、えらい先生だと、底の浅い音楽だなと言われる方もいらっしゃるかもしれない。
 音楽的深さってなんだろ。
 たぶんそういうものはある。
 ただし、それは難解か平易かで規定されるものではない。
 前も書いたけど、バーンズ3番の3楽章はレミファファミミーなのだ。
 チャイコフスキーの白鳥の湖だって、一番有名なメロディーは音階だ。
 絶対的な「深さ」などというのはないかもしれない。
 「Shaft」はたしかに平易な曲にはみえ、すごい名曲とまではいえないと思うが、100人ぐらいで演奏してみると、なかなか心打つものがあるのだ。
 つまりシチュエーションかな。
 何ではなく、誰と、どんなふうにが大事だという。
 ちがうか。誰が、だな。
 ちょっとしたメロディーも、すごいプレーヤーが演奏すれば名曲になる。
 チックコリアがAを一つ叩くだけで名曲にきこえるように(なんてかっこよさげな例をあげてみた)。
 今日のは「大人数で」という「誰が」だったのだ。
 一人一人のグレードがあがればとんでもないことになるのではないだろうか。
 
 
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見上げた青い空

2009年05月30日 | 日々のあれこれ
 1・2年生合同で、人権教育映画「見上げた青い空」を鑑賞する。
 私立とはいえ、こういうのを見せて人権教育にとりくみなさいというお達しにはしたがわないといけないから、しょうがないと思うけど、もう少しちゃんとした作品がいいなあ。
 制作者に悪気があったりとか、手を抜いていたりすることはおそらくない。
 ただ、人権なんたらセンターなる財団法人から依頼され、電通系の製作会社がつくっているという点で、その質は予想される範囲内である。
 もちろん過去見たもののなかには、よくできたのもあったが、今年のは、内容にも、映像のつくりにも、演出にも、つめのあまい部分を散見した。
 商業ベースにのせるべく作られるものなら、けっして許されないつめのあまさだろう。
 生徒しょくんはみんなおりこうなので、ちゃんと観てはくれるが、ところどころちゃかしたりする。
 前に1年生で交通安全のビデオをみたときは、ふざけかけた子をどなりちらし、巻き戻しして見せた。
 今回は、つまんないものをつまんないと反応させないのは人権侵害ではないかとの思いもわいて注意しなかった。
 とはいえ、生徒に見せたのはおれら教員なのだから、責任とってきちっと現場での仕事をせねばと思う。
 映画をみたあと、体育館に集合して綱引きの準決勝、決勝、そして表彰式。
 1年4組が総合で3位に入るという大健闘をみせた。
 楽しみな生徒たちだ。

  

 
 

 
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羅生門

2009年05月29日 | 日々のあれこれ
 現代文の時間は、テストを返却し「羅生門」に入る。
 3年前はどうやって教えただろうと思い、ファイルをあけたら研究授業の記録があった。
 そんなこともあったなあと記憶がよみがえる。
 反省会の後に出したプリントを読むと、こんなにアグレッシブなことを書いていたのかと恥ずかしくなる。
 研究の場では感情をおさえて書こうと思っているのに、きっとその時はちょっとした批判にかちんときてたのだろう。
 反省会で出た意見に対するいちいち反論し、最後にこうまとめてあった。

 今回の授業は、私がこれまで学んだこと(ネタ)をそのまま使っている、いわばお金のかかった授業です。発声練習を取り入れるために、NHKの話し言葉講座に二回行きました。「事件→心情→行動」の3点セットを授業化するために代ゼミのフレックス講座で船口先生の授業を受けてきました。分析批評の授業、向山型国語の授業を取り入れるためには、大阪や福島の向山型国語研究会に参加しました。「近代小説とは何か」については、札幌の研究会で実際に授業をやらせていただきました。つい先日、日本文学協会の例会で『小説の力』の田中実先生とお話ししてきました。自慢してるわけではないのですが「対役って何ですか?」と聞かれてしまうと、もう少し勉強した方がいいのではないかなあなどと思ってしまうのもたしかです。
 三田誠広の『天気の好い日は小説を書こう』(集英社文庫)程度は、国語科の共通のベースになっているといいなあと思う今日この頃です。

 おれを批判するならもっと勉強してから言ってくれないかな、という気持ちにあふれた、若々しい文である。
 勉強したことをそのまま授業にする幕の内弁当みたいなメニューではなく、ただのコンソメなんだけどものすごくふかい、という授業を今年はやってみようと思う。
 
 
 
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体育祭

2009年05月28日 | 日々のあれこれ
 降り始めた雨の中、体育祭がスタートする。
 本降りにはならないものの、いつ競技ができなくなってもおかしくない状態だ。
 開会式の校長のあいさつ。「天気はわるいけど、明日はもっと悪くなりそうだから、今日がんばってやれるだけやってみよう」との言葉に歓声をあげる3年生たち。 
 テンションが高くて競技場の注意をちゃんと聞かない子もいて、体育科主任が「話聴けないなら学校もどって授業するぞ」というと「それだけは!」との悲鳴があがり静かになった。
 昨年は雨のためけっきょく体育館での体育祭だったから、今年も同じだといまの3年は体育祭をやった感が得られないという気持ちはよくわかる。
 このコンディションのなか、30人リレーで学校記録にあとわずかにせまるクラスがあったのは立派だった。
 雨脚が強くなって午前の部で終了。綱引き決勝などは土曜に学校でやることなどをきめておひらきになる。
 この時間におわるなら、練習することにしておけばよかったとの思いがよぎったが、こんなご褒美時間もたまにはいいだろう。
 学校にもどって、採点。
 本来はじめようと思っていた時間に、予定してた分は終えられたのがありがたい。
 定演DVDの郵送希望分を郵便局にもっていき、せっかくなので、南古谷ウニクスに新しくできたマッサージによってみた。
 20%引きのクーポン券を利用して45分コースに入る。
 背中がばりばりなのをなんとかしてほしいと告げ、途中腰に指が入ったとき、背中以上に張っていることに気づいた。
 思わず「うう」と声をもらし、二度タップ(まいったの合図)してしまった。
 かるくなった身体で「Shaft」をがんがん聴いてたら、だいたい曲の構造がつかめた気がした。
 
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新型インフルエンザ

2009年05月19日 | 日々のあれこれ
 昨日、今日にも関東でも発症する、そうなったらとんでもない規模の感染者が出てもおかしくない的な発言を複数耳にしたが、いまのところ関東の高校生たちはだいじょうぶなようだ。
 大阪の小中高校が一斉に休校することとなり、高校生たちがカラオケボックスに列をつくっているという。
 これも十分予想できることだ。
 一週間、自宅でおとなしくしてなさいと言われて、はいそうですかとみんな言うことを聞くなら、先生は苦労しない。
 いまの季節だからカラオケボックスだが、秋以降だと、この休校期間を利用して特別講習会を開く塾とかが出現してまた物議をかもしたりするんだろうなあ。
 7月に休校になったら、こっそりコンクールの練習をする部もあるかもしれない。
 「感染のおそれがあるのでなるべく海外にいくのは自粛しましょう」という声をききながら、飛行機にのりこんでいく多くの人々、1000円だからと渋滞にはまりにいく多くの人々、外出るなと言われながらカラオケボックスに行く若者達、休校を指示しながらどう収束させていいかわからなくなっている厚労省 … 。
 平和な国だな。
 だから、インフルエンザが実はものすごい威力にかわったとの報道でもでれば、いっしゅんにして大パニックになり、マスクは闇で何千円かになるなんてこともおこるかもしれない。
 
 試験前で練習が休みなので、昇降口をそうじしていると、帰っていく吹奏楽部員をみかける。
 彼らが明るいうちに帰るなんて。
 何人かに手を振ってさようならをしてたら、しみじみいい気分になってきた。
 しかし、部員には手を振り、そうでない生徒には手を振らないというのでは差別と言われるかもしれない。
 でもみんなに手をふるのは皇室みたいだし。
 「おれ、担任の先生に少しひいきされてるな」とクラス全員が思っている状態をつくるのを目指す、と向山先生のご本で読んだ。
 これも教師たるものの目指すべき大きな目標であろう。
 

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告る

2009年05月17日 | 日々のあれこれ
 「3年になると、きついです」「こんな大変になるとは思いませんでした」と3年サックスが言う。
 「大変だからいいんじゃないか、ラクだったらおもしろくないだろ」とおれ。
 「あ~あ、もう少し勉強しておけばよかった」「いま1年とかにもどれたらなあ」「そしたら、授業の予習だけでもしておくのになあ」
 もし高1にもどれたらもう少し勉強するのに、と考えるのは実に健全だ。
 自分も高校生にもどれたらなあとその時考え、そしたら高1のときはあの娘(こ)にコクり、高2ではあの娘、高3では … と瞬時に思いめぐらしてしまった自分を恥じた。
 ていうか、こくるなんて昔は言わなかったけど。

 ~ 卒業を前にした学級解散パーティー。自分から告白したものは、フォークダンスのパートナーを代わらなくともよいという向山先生の指示。すぐに告白する子どもたち。九回も連続して踊ったという安西君の話。~ 『向山洋一ってどんな先生?』(明治図書)

 このくだり、泣きそうだ。
 たくま君、読んでるか。教職めざす人には、この本ぜひ読んでほしい。
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一般論

2009年05月16日 | 日々のあれこれ
 先日、朝のnack5でのお天気コーナーで、芭蕉に随行した楚良の日記を調べると、300年前の今頃の天気は、ちょうど今年の五月の天気と同じだと言っていた。
 そんな簡単に地球は変化しないのだ。
 たかだか何百年の単位では。
 なのに、ここ数十年、そしてこれからの数十年といったスパンのなかで、地球の温度があがったさがったと騒ぐのはナンセンスである。
 もちろん、そういうのがわかっていて騒いでる人も多いだろう。
 なぜさわぐのか。
 それはもう簡単なことでお金になるからだ。
 環境省の補正予算でエコカーへの買え換え予算が何百億もついていることを新聞で知ったが、なにをかいはんやだな。
 いまもっとも効率よくお金を生み出すのは、環境利権にちがいない。

 国語の力とは何か。
 「地球にやさしく」という言葉を見たら、うさんくさいと感じられることだ。
 「地球環境を守ろう」などと言う人には「おまえ、いつから神さまになったんだ」とつっこめることだ。
 「環境保護の努力とは、人間の利己主義に基づいたものだ」という東大2000年の問題をつかって、そんなことを教えた。
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生態系

2009年05月15日 | 日々のあれこれ
 生態系という言葉は、中学校で習いましたか?
 聞いたことがある。そうか。
 生物とそれをとりまく環境のいろんなものをひっくるめて、一つのまとまりとみたものですね。
 そこにある様々な生物種は、お互いに影響をあたえあって生存し、安定した一つの場をつくっている。
 突然外来の生物が一つ入ってきただけで、その生態系がくずれてしまうことがあります。
だから、多用な種の存在する生態系ほど安定度は高いと言われてます。
 人間におきかえるとわかりやすいかな。
 ここに42人の高校生がいる。もしみんなが同じ価値観をもち、同じくらいの頭のよさで、同じかっこうしてたら気持ち悪いよね。
 そして、そこにまったく違ったタイプの人間が一人まぎこんできたらどうなるだろう。
 均質の人たちがつくっていた空気が壊れるようね。
 その人を異物として攻撃することも考えられる。これがいじめの原理の一つであることは想像できるでしょう。
 だから、クラスにはいろんな人がいた方がいいんだよ。
 小さいときから、同じようなタイプの集団で育ち、そのまま難関大学まで進んでいって、大人になって、きわめて狭い世間と自分たちの都合しか考えられなくなっている人たちが日本にもけっこういるんだよ。
 だから、みんなみたいにふつうの中学校から川東にきて、そこから東大に入って、世の中の中心になってください。
 生態系は、生物種どうしやそれをとりまく環境が密接にむすびついているので、そういう結びつきを有機的と表現することもあります。
 この言葉もおぼえておこう。
 このクラスはどうだろう。もう有機体といえるか?
 入学して一ヶ月ちょっと。まだ有機体にはなってないな。
 これから体育祭、文化祭、スキー旅行などの行事を経て、そして何より日々の生活にみんなで前向きにとりくんでいくと、有機体になれる可能性がある。
 人間のからだは当然有機体です。
 身体のどこかが具合が悪いとき、その調子の悪い部分に原因があるのではなく、まったく別の部位に問題があることが多い。
 どこか調子の悪いときは、そこを切り離すのではなく、からだ全体でなんとかしようとするのが、人のからだです。
 クラスもそんな風になれるといいね。

 現代文の演習問題で「自然、生態系、環境」という題材をとりあげ、こんな話をした。
 部というのは、まさしく有機体を目指さないといけない。
 演奏は、一人一人の音が同時に出ていればいいのではなく、それが渾然一体となって一つの音をつくっていなければならないとあらためて思った。
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バンドレッスン

2009年05月14日 | 日々のあれこれ
 試験前最後の練習は、今年度最初のバンドレッスンだった。
 課題曲は2と決めてから、いろいろ策を練っていた。
 このへんは譜面の指示よりももっと音量をおとしてから盛り上げるといいだろうかとか、ここはこっちのパートを思いきって吹かせようとか、この部分のハーモニーの進行はこう考えればいいだろうとか。
 今日レッスンをうけてみて、そのまえにやるべきことが明確になった。
 というか、わかってはいたのだが、潜在意識が見えなくさせようとしていたかもしれない。
 まず音符を吹けないとだめ、そしていい音で吹けないとだめ、そして、もっとバンド全体でいい音楽をつくろうという気持ちが強く表れないとだめ、という、もうほんとに基本的な点だ。
 言われてやる、おこられてやるではいけない。部員の精神性がまだ下級生のままだというお言葉も帰りがけにいただいた。
 まさにその通りだと思う。
 おれもあまかったかもしれない。というかのんびりしてたかもしれない。
 指導してもらえれば、上手にしてもらえるのではというあまい期待をいだいてしまっていたのかもしれない。
 しかし、やるべきことはわかったし、どうすればいいかも教えていただいた。
 それはきわめて地道な練習方法ではあるが、部員のみんなが「これをやればいい」と納得していることはみてとれた。
 どうやればいいかを教えないといけないのだ。
 学習内容ではなく、学習方法を。
 授業だと、まだまだ一から十まで教えないといけない場合が多いが、部員は、しかも上級生達は、やり方を習えばやれるであろう。
 そう期待したい。
 それでくじけそうになったら、それを支えるというのが一番の仕事になるといいのかもしれない。
 
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資源配分

2009年05月11日 | 日々のあれこれ
 ~ 私は努力も、測定が可能だと思っています。どのように測定するかというと、とても簡単です。
  ◎努力=使った時間配分量
と考えればいいわけです。しかも、私たちには1日は24時間しかありませんから、多数のことに努力をし続けることば実は不可能で、せいぜい2つか3つのことに集中しなければ、努力の成果は出ないわけです。だからこそ、得意なことを見つけて、そこだけに時間を割り振るようにしないと、努力の効率が悪くなります。
 努力というのはすなわち、
  ◎あらゆる人に1日24時間平等に与えられた「時間」という資源をどのくらい、集中して「配分」するか
という、「資源配分」の問題なのです。(勝間和代『断る力』文春新書)
 
 あまりにもわかりやすい話だったので、学年だよりで紹介した。
 努力とは、どれだけ時間をかけたか。
 24時間のうち、どれだけそのことに割いているか。
 好きなこととか、やりたいことも、同じように考えればいい。
 やりたいことが何かわからない、どう見つけたらいいかわからない、という若者が多いようだが、自分が何に時間を割いてきたか、または割こうとしているかを自覚しさえすれば、案外すぐに答えは出るのではないだろうか。
 ただし、とにかくやってみないことには話にならないかな。
 
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