去年と、ちがう――。
久しぶりに木野目交差点の幸楽苑にでかけ、「お、もうはじまっていたなら、これだ」と深く考えずに注文し、数分後に提供されたものを見て、いい意味での違和感を感じた。
でもいったい何が?
味は変わっていない、おそらく。麺も。
あきらかに具だ。
具がちがう。
でも、何が。中身は同じではないのか。
キュウリ、ハム、錦糸玉子、紅しょうが … 。
普通の冷やし中華に具せられるものが使われているだけではないか。
たしかに同じかもしれない。
最初に違いを意識できたのはキュウリだ。
去年の冷やし中華には、小口切りのキュウリがのっていた。そこに微妙ながっかり感が生まれていた。
目の前にあるのは千切りのキュウリだ。
錦糸玉子はもともと業務用に作られているものだろう。
玉子も、去年はゆで卵のスライスだったかもしれない。
ハムも … 、まてよ、ハムはなかったのではないか。
チャーシューが、あの幸楽苑独特の、よくぞここまで薄くスライスできるものだと感嘆せざるを得ないチャーシューが、以前は、通常のラーメンにのるように、どさっと(だから「どさ」でもないんだけど)のっていた。
それもがっかりの一要素だった。
チャーシューの形状も異なっている。
最近の女子高校生はレンゲと区別がつきにくいというチャーシュー。
それなりの厚さをもつ――4、5㎜はあるだろうか――チャーシューが短冊に切られたものが、相当量のっている。隣に細切りのハムも存在する。
さらにメンマに、中華クラゲ!
レタスは変えてないのかもしれないが、心なしか小さくなっているかにも思われる。
板長代わったね。
ほぼすべての具材が、細、細、細、細で、かつ天こに盛られているのだ。
冷やし中華の醍醐味は、暑い夏に冷たく甘酸っぱいスープでさわやかに麺をすするところにある。
同時に、麺と一体化した具たちのバリエーションを楽しむことにもある。
チャーシューと麺、ハムとキューリと玉子、レタスとクラゲと麺 … 。
あっさり、さわやかな路線を目指しながら、多種多様な具材でデラックス感を演出する冷やし中華。
清岡卓行が「高雅と豊満の驚くべき合致」と評した、ミロのヴィーナスの美に通じるものがある。
「合致」をもたらしていたのは、具材の切り方だったのだ。
通常のラーメンの場合、スープと麺とネギだけで提供して満足させる店もある。
麺だけの冷やし中華はおそらく成立しにくい。
あっさりと豪華との渾然一体がもたらす陶酔感。
去年までの冷やし中華に足りなかったのはこれだ。一体化しにくかったのだ。
この様変わりはどうしたものか。
タレも麺も変わらない。
しかし、具材の切り方が変わるだけで、こんなにも異なる様相を呈するとは。
同じ楽器で、同じ音を吹いていても、ただおっきな音を出せばいいのではない。
ときに大きく、ときに小さく、長く、短く、切れ味よく、ずっしりと、豊かに、暖かく、繊細に … 。
スーパーなプレーヤーがいなくても、高価な楽器がなくても、技術面ではまだまだでも、みんなでよってたかってきちっと千切りをそろえて盛りつければ、印象はまったく変わるにちがいない。
ちなみに590円(税抜き)です。