水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

スタート地点

2009年07月31日 | 日々のあれこれ
 8月1日D部門の出場校を見て、よしやってやるぞ!と思ったコンクール抽選会から、あっという間に日が過ぎてしまった。
 これまで、逃げ出したい気持ちになったことが一度もないと言えばうそになる。
 しかし、やると決めたからには、思い切ってやってしまうのだ。
 失うものは何もない(たぶん)。
 せーので曲がはじまってしまえば、気がついたら終わっている。
 事故があってもかまわない。
 明日、ステージに立ち、曲がはじまる瞬間に、楽器をもって数ヶ月の多くの一年生たちを、それをリードしてきた数名の2年生を、サポートにまわったAメンバーを、そして自分もほめてあげたいと思う。
 明日の演奏のおわりが新しいスタート地点になり、そこからどんなふうに走っていくかで、来年、再来年の次のスタート地点が決まっていく。
 
  人生の中で、自分がフルマラソンのスタート地点に立つなんて、
  きっとこれっぽっちも考えてなかったでしょう。
  スタート地点に立つだけでも奇跡なのに、
  フルマラソンを走りきるなんて、さらに奇跡に違いない。
  でも、それがあなたには可能なんですよ。
  まず、スタート地点に立っている、自分を褒めてあげてください。
  そしてゴールしている自分の姿を想像してみてください。
  自分の力。
  どれくらいかなって、半信半疑でこのレースに参加したと思います。
  ゴールできるかな、途中でリタイヤしないかな。と不安でしょう。
  スタート地点に立ったあなたは、必ずゴールできます。
  なぜかって? スタート地点に立ったことで、
  すでに自分に勝っているからです。
  人間(あなた)は、捨てたもんじゃありません。
            (一ノ瀬博明氏作成『フルマラソンへの道』より)

 なんか、ちょっとかっこつけてしまった。
 大事なのは、いいかげん寝ることであろう。

  
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成人

2009年07月30日 | 日々のあれこれ
 法制審議会が、成人年齢を18歳に引き下げるという報告をまとめた。
 18歳では未熟すぎるという意見が当然でる。
 じゃあ20歳は未熟でないのかと言われたらそんなことはないのであって、未熟か未熟でないかは、年齢ではなく人それぞれであるとしか言いようがないし、何をもって成熟とするかという問題点も生まれる。
 あくまでも法の上でどうすれば整合的なのかと議論をすべき問題だ。
 心情的に18歳はまだ子どもだなどと意見を述べる人は、問題の本質がわかっていない … 、なんてことを考えられるぐらいに、自分は大人になったなあと思う。
 現実問題として、人としての成熟具合いで決めるなら、成人年齢をひきあげるのが、いまの日本社会には見合っているだろう。
 昔は、中学を出たら、そうとう勉強のできる子か、金持ちのぼんぼん以外は、働いた。
 今は30歳になっても親の収入で生きている若者はたくさんいる。
 宇佐美寛先生は、一人前の条件として「他人に迷惑をかけず、自分で食っていける人間」とおっしゃった。
 じゃあ「犯罪歴のない、年収200万円以上」が成人でいいのではないかと思うが、これだと大人でもクリアしてない人が多数生まれてしまう。
 やはり、高校卒業がひとつの基準かな。
 18歳にすると、高校3年生になったとたんに成人してしまう子と、3月の終わりにやっと成人する子との差が大きすぎる。
 文化祭の打ち上げにいき、クラスの半分以上がビールで乾杯しているのを、ジュース飲みながらみてるのはかわいそうだ。
 休み時間にどうどうと成人雑誌をみてられるのも困るし、恋愛関係の生徒指導も難しい問題がうまれそうだ。
 成人クラスとそうでないクラスがあって、成人クラスは思い切り大人っぽい授業をしていいというのには少し心惹かれる。
 高校までは義務教育にし、ちゃんと高校の単位を修得して卒業したら、成人と認める。これがベストだ。
 もちろん、センター試験的な卒業テストを課し、基礎知識や社会的マナーに関する知識をもっているかぐらいは調べるべきだろう。
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もうひとふんばり

2009年07月29日 | 日々のあれこれ
 D部門に出場するチームは1年生主体ではあるが、部分的には良いサウンドが鳴るようになった(本校比)。
 楽譜を見ないで、しかし指揮も見ないで、みんなであわせて吹いて、と言ってやってもらうときが一番いいようだ。
 みんなが楽譜を見て吹いている状態が、一番鳴りがわるい。
 本番はせめて、楽譜を見ず、でも指揮は見て演奏してもらいたいなあ。
 まだまだ、授業と同じ姿勢で吹いてる子が多い。
 つまり、イスに座っていれば、先生が勝手にやってきて、勝手にしゃべってチャイムがなったら終わりという感覚だ。
 とりあえずノートはとるけど、たまに落ちてしまうときもある、というような。
 授業がこれでいいはずはないが、ただそれほど周りに迷惑をかけるわけではない。
 しかし、合奏はそうはいかない。
 自分で吹かないかぎり、曲はすすまない。
 自分で音楽を推進していくんだという気持ちをもってもらうこと、これが指導の第一関門だと、最近気づいた。
 Dチームは、明明後日が本番ということになってしまったが、ぎりぎりまでやり続けていくしかない。
 
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オフ

2009年07月25日 | 日々のあれこれ
 昨日はオフ日で、講習が終わったあと、譜面を貼る画用紙を買いに行ったり、部活とまったく関係のないチケットを買いに行ったり、髪を切ったり、のんびりお買い物にいったりできてよかった。
 ただ家に帰るのが早いとその分酒量が増えてしまうことで、いつもと同じぐらい呑んだ段階で、まだこんな時間? いま寝ると夜中に起きてしまうな、どうしようという状態になってしまうことが問題点であるとは言えよう。
 休養十分で講習に臨んだので、自分としてはいつも以上にいいしゃべりができてるなと思ったが、生徒さんたちの様子を見てると、まあふつうというか、のってない感じもあった。
 オフ日のあとは、意外と練習のエンジンがかかるのが遅いこともあるのだが、今日はギアの入りは悪くなかったような気がする。
 できているところとそうでないところの差がはっきりしてきているので、あとは時間のたたかいである。
 そして時間の戦いといえば、Aの方を12分の制限時間におさめるのに危険があることもわかった。明日なんらかの方法をいくつか試してみたい。
 
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アウェイ

2009年07月23日 | 日々のあれこれ
 午前中は講習、午後は練習という文武両道の日々が続いている。
 講習4コマのうち2コマは、2年生の現代文で、毎日日替わりで新しいクラスに行って、持ちネタを教える形式をとっている。
 最初の2コマは見知った1年生のクラスでの漢文なので、教室に行ってから、これを教えようかな、様子をうかがってみようかというように、寄席の状態でいく。
 後半は、教室に入ると知らない顔がほとんどで、「誰こいつ?」という視線をいっせいにあびる、完全アウェイ状態である。
 今日は、吹奏楽部員がい、やめた子がい、明らかに知ってるお兄ちゃんの弟さんがいてという状態ではあったものの、「この人、何しにきたんだろ」的視線が強く、それに対抗してギアをトップに入れ続けていたから、午前だけで疲労困憊した。
 バンドののりが悪いときに、バンドレッスンの先生が大汗をかいて疲労困憊して教えてくれるが、それに近いかもしれない。
 午後は、オープンキャンパス。
 全体会のあと、部活を見学にきてくださった方が二組。一組がとちゅうで帰られたので、最後は一人の中学生のために100人で「Shaft」を演奏し聞いていただいた。
 きっと彼は入学・入部してくれるな。
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団体戦2

2009年07月21日 | 日々のあれこれ
 純粋な個人戦というのはない。
 木下晴弘氏がそう言っているのを聞き、なるほどそのとおりだと思った。
 たとえば柔道や剣道の個人戦は、一見個人と個人の戦いには見えるけれど、その戦いの場に立つために、どれだけ多くの人に支えられてきたかをイメージしてみれば、まさしく団体戦だと言える。
 オリンピックで金メダルをとる選手にどれだけたくさんのスタッフがついているかを想像するのもやさしい。
 音楽のソロコンテストも同じだ。
 純粋にたった一人の努力だけで、ステージに立つことは不可能だ。
 昨日戦い終わった野球部さんたちは、グランドに選手がいて、ベンチに控え選手がいて、ベンチ入りできない選手達がいて、監督、コーチ、スタッフがいる。
 野球部さんの練習環境を整える学校長はじめ先生方、運転手さん、合宿を手伝う食堂スタッフもそうだし、ほんのわずかな一時のお手伝いではあるが、われら吹奏楽部も仲間である。
 そして何より、野球部の部員さんを支えて来た家族がいる。
 選手の面倒をみるわけだから、選手より早く起きてお弁当をつくらないといけないし、帰って来てから洗濯しなければならない。
 機嫌が悪いのをみて心配したり、むかついたり、声をかけたり、想定外に帰りが遅く心配するなんてことはしょっちゅうだろうし。
 親のそのような大変さを子どもはわかっていないと思うこともあるかもしれないが、そういうことも含めて親なのだからしかたがない。いいとか悪いとかの問題ではない。
 何はともあれ、とんでもない団体戦。
 そしてわが吹奏楽部も団体度は大きい。
 コンクールのステージに立つ約50名のメンバーは氷山の一角にすぎない。
 自分たちの背後にあるもの、自分たちを支えてくれる人たちの力をどれだけ自分のものにできるかで、演奏の質がきまってくるのだろう。
 
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惜敗

2009年07月20日 | 日々のあれこれ
 4回目の応援にでかけたが、花咲徳栄さんには勝てなかった。
 しょうじき、これまでのチームとは威圧感がまったく異なった。
 でも4回も応援に行けたではないか。
 次はこちらががんばるばんだ。
 むこうの吹奏楽部さんはきてなかったが、ふつうに練習してたのだろうか。
 バンドの方は一泡吹かせたいな。
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団体戦1

2009年07月19日 | 日々のあれこれ
 昨日は、終業式のあと、1年生対象の進路講演会。
 在籍中に数回お話をきくことになる、河合塾の方のお話である。
 数年前に初めておこしいただいた時、その内容のわかりやすさと、生徒をやる気にさせる話しぶりにみな感動し、以来ずうっと来ていただいている方だ。
 聴衆の、つまり大講堂に座った生徒諸君の様子をみながら、その空気にあわせてお話ししてくださるところもたいしたものだと思う。
 だから、その内容や口ぶりから、私たちの生徒の現状も見えてしまう面もある。
 大学受験とはどういうものなのか。今何を考え、何をやらなければならないのか。
 きわめて具体的なお話だったと思うが、みんなが食い入るようにきいている状態とは言えなかった。
 よって、話し手のテンションがあがり、高いレベルの内容にシフトしていくことはなかった。
 1年生だからしょうがないと言ってはいけないが、現状は受け入れなければならない。
 今後、どう育てていかねばならないのかを、教員間でちゃんと話し合わないと、一貫校に追いつくどころか、離されていく一方になってしまう。
 2、3年部員は終業式後、野球の応援にでかけたが、学年主任として当然1学年の方に残り、この現状をしみじみと感じていた。
 午後は、東大キャンパスツアーの引率である。
 はやめに本郷三丁目についたので、初代けいすけという有名なラーメン屋に行ってみようかと思ったが、外で待っている人もいたので諦めて赤門から東大キャンパスは入った。久しぶりに母校の食堂に寄ろうかと思ったのだ。
 うそです。母校じゃありません。
 でも東大本郷キャンパスは、もとは加賀藩の江戸屋敷の敷地だから、白門とも呼ばれる石川門をくぐり金沢城内の大学に通っていた身としては、ゆかりがないわけではない。一人参勤交代である。
 食堂にいくと「みずもち先生ですよね」と声をかけられた。
 数年前に川越東を卒業し、埼玉大を出た後東大の院で化学を勉強しているという。
 東大に足を踏み入れたのは20年ぶりぐらいで、川東OBが東大にいる確率とを考え合わせると、なかなかの奇遇である。
 直接教えたことはないが、自分の代の学年だった。
 数分立ち話をし、懐かしい味のカレーを食べて、集合場所に向かった。
 1年2組の6名とともに、約二時間のキャンパスツアー。
 大学構内をゆっくり歩くなんてほんと久しぶりで、図書館に入ったときは、学生にもどれたらなあと思った。
 「こころ」でKが「私」にひそひそ話をしたのは、どの席かなと思ったりするのも楽しい。
 ツアーの最後に、案内してくれた学生さんが、質問に答えてくれる時間がある。
 この仕事ってバイトなんですかとか、何時間ぐらい勉強しましたかとか尋ねてみた。
 案内役のふたりのうちお一人は開成高校出身で、学校の雰囲気としてふつうに東大を受けるよねという空気があることはよくわかった。予想通りだけど。
 河合塾の方が、「受験は団体戦だ」と最後に力説されていたが、空気作りもそのひとつだろう。
 かといって、やみくもに東大を受けろと叫んでいても、生徒達はひいていく一方であることも予想される。
 自分のやりたいことを見つけ、それができる学部学科をみつけようというきれいごとの指導はしたくない。
 どんな学問をやるにせよ、入れるものなら東大にいって損をすることはないから。
 難しいところだ。
 
 
 
 
 
 
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いら

2009年07月17日 | 日々のあれこれ
 今朝はいつもより少しおそかったので、交通量が多い状態の中通勤した。
 とちゅうの細い道で、すれちがいに苦労していらっとした。
 そこを抜けたら、前の前の車が遅くていらっとした。
 その車と離れたら、自転車の人がけっこうまんなかよりを走ってて、なかなか抜けなくていらっとした。
 勤務中、5秒ですむ話を15秒ぐらいかけて話されていらっとした。
 合奏しようとしたとき、緊急ではない用事で職員室によびだされ、いらっとした。
 パソコンにむかっていたら、机の上においてくれればすむ書類を、手渡ししてくださる方がいて、いらっとした。
 いま思いだすと、今日は7イラぐらいか。
 新聞で、6割の若者にいらいら感があるとの記事を見た。
 それくらいはしょうがないだろ、と思いながらよく見ると、この一ヶ月間にいらいらした経験がある人の割合とある。
 一ヶ月?
 では、一ヶ月の間、一度もいらいらしなかったという若者が4割もいるということか。
 生きてんのか? そいつら。
 それとも、日本の若者は4割ちかくが仏様になってしまったのか。
 こんな調査をのんきにやっている人がいて、何も考えずその結果を新聞に載せる人がいるのだなと思うと、いらいらしてきた。
 明日は3イラぐらいでおさまればいいなあ。
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その先にあるもの

2009年07月15日 | 日々のあれこれ
 合奏4、会議2、積み込み1、送迎3と、かなり働いた。
 部員諸君も、今日はよく吹いた。
 残念ながら、終わり頃は音が汚くなってしまった。これも課題。
 明日の保護者会資料は印刷したので、あと夏期講習のテキストやろうかな。

 「うつくしかなり」は「うつくしかんなり」と読みます。
 「うつくし」の連体形「うつくしかる」が音便化したものです。
 平安時代、「ん」という平仮名は一般に用いられないので、「うつくしか」としか書いてないけど、「うつくしかん」と読んでください。
 「子になりたまふ人なめり」を「人なんめり」と読みましたね。それと同じです。けっして形容詞の九州弁形「うつくしか」じゃないよ。
 というような説明を先日授業でした。
 でもほんとに、「うつくしか」「たのしか」みたいな九州弁は、古典で勉強する形容詞の連体形のなごりかもしれない。
 ちゃんと調べればどこかに書いてありそうだ。
 九州弁(といってもいろいろあるのだが)は、関西系のことばの次に、日本人の多くが理解できる、というか市民権を得ていることばではないだろうか。
 佐田玲子(さだまさしの妹さん)の「好いと」という歌は九州弁の歌で、歌詞の内容も、曲想も、ふつうにきれいなバラードなのだが、九州弁を用いたことでものすごく心にしみる作品になっている。

 そんなに悲しそうな瞳(め)をせんでいいとよ
 なにもあんたが悪いとじゃないでしょう
 わたしがついて行くことで あんたの荷物になる
 判っとって 一緒に行くわけには いかんだけ

と始まる、別れを唄った歌だ。
 あなたは自分の夢のためにがんばってほしい、私は足手まといになるから田舎に残ります、という演歌によくある内容ではある。
 ところが歌詞を方言にしただけで、たちまちこのシーンがなまなましい現実感をもってイメージされるのは、不思議だ。

 好かん 好かん あんたのその大きな背中
 どんなときも やさしすぎる あんたの その温もりが
 好かん

 このサビの「好かん」がいいなあ。
 佐田玲子さんは、楽曲もきれいだし、歌もお兄ちゃんよりよほどきれいなのだが、何かインパクトが足りないかなと思うこともある。
 で、この「好いと」が心をうつのは(もちろん自分の勝手な趣味の話なのですが)、きれいなだけではない「何か」にあたるものが感じられるからだ。
 たてもあっている、ピッチもあっている、音色もきれいなバンドで、もし何かものたりもないものがあるとしたら、そういうもの(だから、どういうもんやねん!)かなと漠然と思うのだ。
 なので、まずたて、ピッチをあわせてみたいのだ。
 その先にあるものを探しにいってみたいのだ。
 
 
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