Chambolle Musigny Louis Jadot 1997
ロバート・パーカー5ッ星生産者!大成功を収めている巨大ネゴシアン。 また自社畑(そのほとんどが特級畑)も所有する大ドメーヌでもあり、ワインはどれも高品質で畑の特徴を最大限に表現されています。
銘醸畑に彩られたルイ・ジャドの歴史
ルイ・ジャド社は1859年に、由緒あるぶどう栽培家としての歴史を有するジャド家のルイ・アンリ・ドゥニ・ジャドによって創設されました。
1794年からジャド家が所有するシュヴァリエ・モンラッシェ・レ・ドゥモワゼルの総面積の半分や、1826年に取得したボーヌ・ヴィーニュ・フランシュのプルミエ・クリュで、モノポールであるクロ・デ・ズルシュールに加え、ブルゴーニュの銘醸格付け畑を次々に取得し、ブルゴーニュ有数の大ドメーヌとなるとともに、優れた品質のワインを提供するネゴシアン・エルブールとしても高い評価を受けています。
1900年にルイ・ジャン・パプティストが家業を引き継ぐと、コルトン・シャルルマーニュ等の著名な畑を次々に購入し、強力なポートフォリオを構築しました。
その後、ルイ・オーギュスト・ジャドは、イギリス・アメリカにも市場を拡大し、ルイ・ジャド社の世界的名声を確固としたものにしました。ルイ・オーギュストの死後、マダム・ジャドは、彼の片腕であったアンドレ・ガジェにルイ・ジャド社の経営を委ねました。
自社畑の殆どがグラン・クリュとプルミエ・クリュ
総面積150haのぶどう畑を所有する大ドメーヌでもあります。
その内、70haがジュヴレ・シャンベルタン村からサントネイ村までのコート・ドール全域、その所有形態に応じて、「ドメーヌ・デ・エリティエ・ルイ・ジャド」、「ドメーヌ・ルイ・ジャド」、「ドメーヌ・ガジェ」、「ドメーヌ・デュック・ド・マジェンタ」等に分かれ、それぞれワインのラベルに明記されています。
さらに、1996年にはボージョレ地区の「シャトー・デ・ジャック」を入手しました。ボージョレは例外として、コート・ドール地区に所有する自社畑のほとんどがグラン・クリュとプルミエ・クリュです。
とくにボーヌ・プルミエ・クリュ・ヴィーニュ・フランシュの一部であるクロ・デ・ズルシュールは、2.75haのモノポール(単独所有畑)として知られ、樹令の高いピノ・ノワールからは、時にはグラン・クリュを凌駕するワインが生まれます。
2008年には、プイィ・フュイッセの中心に15haの畑を持つトップ・ドメーヌのドメーヌ・フェレを購入しました。
伝統と革新が共存する醸造所
ルイ・ジャドは、ブルゴーニュ・ワインの歴史的中心であるボーヌの町にあります。
3つのセラーがあり、その中で最も美しい建造物であるクーヴァン・デ・ジャコバンは、1477年に建造されたドメニコ派の修道院だったもので、現在はルイ・ジャド社の迎賓館となっています。
地下セラーは、隣接する醸造所とつながっており、こちらには、醸造設備と1,500平方メートルの地下セラーがあります。
ルイ・ジャド社のラベル
ルイ・ジャドのラベルで販売されるものは、全てブルゴーニュ地方のAOC格付けで、全て同じデザインのラベルです。これは、ルイ・ジャド社が創設当初から、グラン・クリュからAOCブルゴーニュに至るまで、全てのアぺラシオンに対して同等の価値を置き、同等の熱意を持ってワイン造りを行っていることを示しています。縁取りが施されたバッカスの顔と、淡いイエローのラベルは、不変で、一目でルイ・ジャドと分かります。
テロワールとともに生きる哲学
メゾンの考えはブルゴーニュの真のテロワールを、それぞれのワインを通じて表現し、長い将来にわたりそのテロワールが維持されていくことです。 中世の修道士達が行ったように、畑を最良の状態で次の世代に残して行きます。
20年前から、自社畑における化学肥料や農薬の使用を中止し、伝統的な農法を実践しています。
5年程前から、ボーヌ周辺の14haの畑と、ムーラン・ア・ヴァンのシャトー・デ・ジャックにあるロシュグレの畑の一部をビオディナミ農法で栽培しています。
自然酵母による発酵
ルイ・ジャドのワイン造りにおいては、ぶどう畑やワイナリーの環境内に存在する自然酵母だけを用いて発酵を行い、澱引きの回数は最小限度に留めます。また、オークの新樽の使用は、ワインのデリケートなアロマや味わいのニュアンスを増幅するもので、ワインの個性を支配してはならないので、熟成での新樽の使用はなるべく控え目です。
1995年にラドワ・セリニー村に樽製造会社カデュスを設立し、自社のスタイルに、より合う樽を使用できます。フランスの最良の森から選ばれたオーク材は、屋外で30ヶ月にわたる乾燥期間を経た後、容量228リットルのブルゴーニュ樽に造ります。
シャンボール・ミュジニー[1997](ルイ・ジャド)ChambolleMusigny[1997](LouisJadot)【円高還元】【赤ワイン】
ルイ・ジャド社は1859年に創立した、ブルゴーニュでもトップクラスのネゴシアンです。1962年にルイ・オーギュスト・ジャドが死去した後、マダム・ジャドはルイ・オーギュストの片腕だったアンドレ・ガジェイに、この由緒ある会社の将来を託しました。
今日ではアンドレ・ガジェイの息子であるピエール・アンリ・ガジェイが、同社の社長として運営にあたっています。
1998年に本社はボーヌのサミュエル・ラジェイ通りからウジェーヌ・スピュレール通りへと移転し、1500平方メートルの広さを持つ地下セラーは、隣接するジャコバン修道院の地下へとつながっています。
同社のワイン醸造の責任を担っているのは、才知あふれる醸造家のジャック・ラルディエール氏で、1970年からルイ・ジャドのワインに携わってきた彼のポリシーは、あらゆるワインにおいて、テロワールの個性を最大限引き出すことにあります。
そのため、ブルゴーニュ・ワインの醸造にとって重要な役割を果たすオーク樽は、ルイ・ジャド社の資本のもと、1996年にラドワ・セリニー村に創立した樽製造会社カデュスで造られています。
大きな会社ゆえに見落とされがちですが、どのワインも樽に頼りすぎずに、テロワールの個性をしっかりと引き出したとても良いワインばかりです。ルイ・ジャド社のワインは是非押さえておきたいものばかりです。
(ドングリアーノワインより)
■銘醸畑に彩られたルイ・ジャドの歴史
ルイ・ジャド社は1859年に、由緒あるぶどう栽培家としての歴史を有するジャド家のルイ・アンリ・ドゥニ・ジャドによって創設。
1794年からジャド家が所有するシュヴァリエ・モンラッシェ・レ・ドゥモワゼルの総面積の半分や、1826年に取得したボーヌ・ヴィーニュ・フランシュのプルミエ・クリュで、現在までモノポールであるクロ・デ・ズルシュールに加え、ブルゴーニュの銘醸格付け畑を次々に取得し、ブルゴーニュ有数の大ドメーヌとなるとともに、優れた品質のワインを提供するネゴシアン・エルブールとしても高い評価を受けています。
1900年にルイ・ジャン・パプティストが家業を引き継ぐと、コルトン・シャルルマーニュ等の著名な畑を次々に購入し、強力なポートフォリオを構築しました。
その後、ルイ・オーギュスト・ジャドは、イギリス・アメリカにも市場を拡大し、ルイ・ジャド社の世界的名声を確固としたものにしました。ルイ・オーギュストの死後、マダム・ジャドは、彼の片腕であったアンドレ・ガジェにルイ・ジャド社の経営を委ねました。
1970年には才能豊かなジャック・ラルディエールが醸造チームに加わり、彼の卓越したワインづくりの手腕は、ルイ・ジャド社の名声を更に高めてきました。
マダム・ジャドは、1985年に、ルイ・ジャド社の長期的安定を期すため、長年にわたる米国でのパートナーであり、ルイ・ジャド社の良き理解者であったコブラント社のオーナー、ルディ・コップに所有権を売却しましたが、経営はその後もアンドレ・ガジェが担当し、1992年に息子のピエール・アンリ・ガジェが、その後を引き継いで社長に就任。現在に至ります。
■自社畑の殆どがグラン・クリュとプルミエ・クリュ
ルイ・ジャド社はネゴシアンとしてブルゴーニュ・ワインの取引に携わる一方、総面積150ヘクタールのぶどう畑を所有する大ドメーヌでもあります。
その内、70ヘクタールがジュヴレ・シャンベルタン村からサントネイ村までのコート・ドール全域にあり、その所有形態に応じて、「ドメーヌ・デ・エリティエ・ルイ・ジャド」、「ドメーヌ・ルイ・ジャド」、「ドメーヌ・ガジェ」、「ドメーヌ・デュック・ド・マジェンタ」等に分かれ、それぞれワインのラベルに明記されています。
さらに、1996年にはボージョレ地区の「シャトー・デ・ジャック」を入手。格付けのないボージョレは例外として、コート・ドール地区に所有する自社畑のほとんどがグラン・クリュとプルミエ・クリュで占められていることは特筆すべき点です。
とくにボーヌ・プルミエ・クリュ・ヴィーニュ・フランシュの一部であるクロ・デ・ズルシュールは、2.75ヘクタールのモノポール(単独所有畑)として知られ、樹令の高いピノ・ノワールからは、時には他のコミューンのグラン・クリュを凌駕するワインが生まれます。又、2008年には、プイィ・フュイッセの中心に15haの畑を持つトップ・ドメーヌとして名高いドメーヌ・フェレを購入。ブルゴーニュ随一の生産者として、今後も注目です。
名門ルイ・ジャド社のバックヴィンテージ品!
■ルイ・ジャド シャンボール・ミュジニー[1997]
シャンボール・ミュジニーは面積が小さいにもかかわらず、大変名声の高い村です。石灰質が支配的な、コート・ド・ニュイ地区ではユニークな土壌です。その影響は、シャンボール・ミュジニーの柔らかさに表れています。ルイ・ジャド社は、芳醇で上品なシャンボール・ミュジニーを生産します。
【格付】A.C.シャンボール・ミュジニー
【土壌・畑】特徴的な石灰質土壌
【使用品種】ピノ・ノワール100%
【収穫】全て手摘み
【醸造情報】3~4週間醗酵槽で醗酵
【熟成】フレンチオーク12~15ヶ月間
【タイプ】赤ワイン・ミディアムへヴィ
15年の経過ですが、いまだ美しい色合いを保ちます。ほのかなスパイスと、よく熟したベリー系果実の芳醇な香りが広がり、スパイス、干し杏、トリュフの香りが引き出されます。絹のような滑らかな味わい。こなれたタンニンと酸、奥行きがあり優雅さとフィネスを兼ね備える。
(カガヤより)
ワイン会にて
抜栓日:2014年1月30日
色はそんなにコクはないルビーガーネット。すこし深い色合いの印象。香りはベリー系のかおり。最初優しいニュアンスでしたが、徐々に香水系の香りに変化しました。
味わいも、伸びる酸があって、優しい果実甘味がまざりあいますが、時間とともに果実甘味がややジャミーな感じと変化した記憶です。
97、第一次飲み頃期のタイミングじゃないですかね
勉強になりました
ロバート・パーカー5ッ星生産者!大成功を収めている巨大ネゴシアン。 また自社畑(そのほとんどが特級畑)も所有する大ドメーヌでもあり、ワインはどれも高品質で畑の特徴を最大限に表現されています。
銘醸畑に彩られたルイ・ジャドの歴史
ルイ・ジャド社は1859年に、由緒あるぶどう栽培家としての歴史を有するジャド家のルイ・アンリ・ドゥニ・ジャドによって創設されました。
1794年からジャド家が所有するシュヴァリエ・モンラッシェ・レ・ドゥモワゼルの総面積の半分や、1826年に取得したボーヌ・ヴィーニュ・フランシュのプルミエ・クリュで、モノポールであるクロ・デ・ズルシュールに加え、ブルゴーニュの銘醸格付け畑を次々に取得し、ブルゴーニュ有数の大ドメーヌとなるとともに、優れた品質のワインを提供するネゴシアン・エルブールとしても高い評価を受けています。
1900年にルイ・ジャン・パプティストが家業を引き継ぐと、コルトン・シャルルマーニュ等の著名な畑を次々に購入し、強力なポートフォリオを構築しました。
その後、ルイ・オーギュスト・ジャドは、イギリス・アメリカにも市場を拡大し、ルイ・ジャド社の世界的名声を確固としたものにしました。ルイ・オーギュストの死後、マダム・ジャドは、彼の片腕であったアンドレ・ガジェにルイ・ジャド社の経営を委ねました。
自社畑の殆どがグラン・クリュとプルミエ・クリュ
総面積150haのぶどう畑を所有する大ドメーヌでもあります。
その内、70haがジュヴレ・シャンベルタン村からサントネイ村までのコート・ドール全域、その所有形態に応じて、「ドメーヌ・デ・エリティエ・ルイ・ジャド」、「ドメーヌ・ルイ・ジャド」、「ドメーヌ・ガジェ」、「ドメーヌ・デュック・ド・マジェンタ」等に分かれ、それぞれワインのラベルに明記されています。
さらに、1996年にはボージョレ地区の「シャトー・デ・ジャック」を入手しました。ボージョレは例外として、コート・ドール地区に所有する自社畑のほとんどがグラン・クリュとプルミエ・クリュです。
とくにボーヌ・プルミエ・クリュ・ヴィーニュ・フランシュの一部であるクロ・デ・ズルシュールは、2.75haのモノポール(単独所有畑)として知られ、樹令の高いピノ・ノワールからは、時にはグラン・クリュを凌駕するワインが生まれます。
2008年には、プイィ・フュイッセの中心に15haの畑を持つトップ・ドメーヌのドメーヌ・フェレを購入しました。
伝統と革新が共存する醸造所
ルイ・ジャドは、ブルゴーニュ・ワインの歴史的中心であるボーヌの町にあります。
3つのセラーがあり、その中で最も美しい建造物であるクーヴァン・デ・ジャコバンは、1477年に建造されたドメニコ派の修道院だったもので、現在はルイ・ジャド社の迎賓館となっています。
地下セラーは、隣接する醸造所とつながっており、こちらには、醸造設備と1,500平方メートルの地下セラーがあります。
ルイ・ジャド社のラベル
ルイ・ジャドのラベルで販売されるものは、全てブルゴーニュ地方のAOC格付けで、全て同じデザインのラベルです。これは、ルイ・ジャド社が創設当初から、グラン・クリュからAOCブルゴーニュに至るまで、全てのアぺラシオンに対して同等の価値を置き、同等の熱意を持ってワイン造りを行っていることを示しています。縁取りが施されたバッカスの顔と、淡いイエローのラベルは、不変で、一目でルイ・ジャドと分かります。
テロワールとともに生きる哲学
メゾンの考えはブルゴーニュの真のテロワールを、それぞれのワインを通じて表現し、長い将来にわたりそのテロワールが維持されていくことです。 中世の修道士達が行ったように、畑を最良の状態で次の世代に残して行きます。
20年前から、自社畑における化学肥料や農薬の使用を中止し、伝統的な農法を実践しています。
5年程前から、ボーヌ周辺の14haの畑と、ムーラン・ア・ヴァンのシャトー・デ・ジャックにあるロシュグレの畑の一部をビオディナミ農法で栽培しています。
自然酵母による発酵
ルイ・ジャドのワイン造りにおいては、ぶどう畑やワイナリーの環境内に存在する自然酵母だけを用いて発酵を行い、澱引きの回数は最小限度に留めます。また、オークの新樽の使用は、ワインのデリケートなアロマや味わいのニュアンスを増幅するもので、ワインの個性を支配してはならないので、熟成での新樽の使用はなるべく控え目です。
1995年にラドワ・セリニー村に樽製造会社カデュスを設立し、自社のスタイルに、より合う樽を使用できます。フランスの最良の森から選ばれたオーク材は、屋外で30ヶ月にわたる乾燥期間を経た後、容量228リットルのブルゴーニュ樽に造ります。
シャンボール・ミュジニー[1997](ルイ・ジャド)ChambolleMusigny[1997](LouisJadot)【円高還元】【赤ワイン】
ルイ・ジャド社は1859年に創立した、ブルゴーニュでもトップクラスのネゴシアンです。1962年にルイ・オーギュスト・ジャドが死去した後、マダム・ジャドはルイ・オーギュストの片腕だったアンドレ・ガジェイに、この由緒ある会社の将来を託しました。
今日ではアンドレ・ガジェイの息子であるピエール・アンリ・ガジェイが、同社の社長として運営にあたっています。
1998年に本社はボーヌのサミュエル・ラジェイ通りからウジェーヌ・スピュレール通りへと移転し、1500平方メートルの広さを持つ地下セラーは、隣接するジャコバン修道院の地下へとつながっています。
同社のワイン醸造の責任を担っているのは、才知あふれる醸造家のジャック・ラルディエール氏で、1970年からルイ・ジャドのワインに携わってきた彼のポリシーは、あらゆるワインにおいて、テロワールの個性を最大限引き出すことにあります。
そのため、ブルゴーニュ・ワインの醸造にとって重要な役割を果たすオーク樽は、ルイ・ジャド社の資本のもと、1996年にラドワ・セリニー村に創立した樽製造会社カデュスで造られています。
大きな会社ゆえに見落とされがちですが、どのワインも樽に頼りすぎずに、テロワールの個性をしっかりと引き出したとても良いワインばかりです。ルイ・ジャド社のワインは是非押さえておきたいものばかりです。
(ドングリアーノワインより)
■銘醸畑に彩られたルイ・ジャドの歴史
ルイ・ジャド社は1859年に、由緒あるぶどう栽培家としての歴史を有するジャド家のルイ・アンリ・ドゥニ・ジャドによって創設。
1794年からジャド家が所有するシュヴァリエ・モンラッシェ・レ・ドゥモワゼルの総面積の半分や、1826年に取得したボーヌ・ヴィーニュ・フランシュのプルミエ・クリュで、現在までモノポールであるクロ・デ・ズルシュールに加え、ブルゴーニュの銘醸格付け畑を次々に取得し、ブルゴーニュ有数の大ドメーヌとなるとともに、優れた品質のワインを提供するネゴシアン・エルブールとしても高い評価を受けています。
1900年にルイ・ジャン・パプティストが家業を引き継ぐと、コルトン・シャルルマーニュ等の著名な畑を次々に購入し、強力なポートフォリオを構築しました。
その後、ルイ・オーギュスト・ジャドは、イギリス・アメリカにも市場を拡大し、ルイ・ジャド社の世界的名声を確固としたものにしました。ルイ・オーギュストの死後、マダム・ジャドは、彼の片腕であったアンドレ・ガジェにルイ・ジャド社の経営を委ねました。
1970年には才能豊かなジャック・ラルディエールが醸造チームに加わり、彼の卓越したワインづくりの手腕は、ルイ・ジャド社の名声を更に高めてきました。
マダム・ジャドは、1985年に、ルイ・ジャド社の長期的安定を期すため、長年にわたる米国でのパートナーであり、ルイ・ジャド社の良き理解者であったコブラント社のオーナー、ルディ・コップに所有権を売却しましたが、経営はその後もアンドレ・ガジェが担当し、1992年に息子のピエール・アンリ・ガジェが、その後を引き継いで社長に就任。現在に至ります。
■自社畑の殆どがグラン・クリュとプルミエ・クリュ
ルイ・ジャド社はネゴシアンとしてブルゴーニュ・ワインの取引に携わる一方、総面積150ヘクタールのぶどう畑を所有する大ドメーヌでもあります。
その内、70ヘクタールがジュヴレ・シャンベルタン村からサントネイ村までのコート・ドール全域にあり、その所有形態に応じて、「ドメーヌ・デ・エリティエ・ルイ・ジャド」、「ドメーヌ・ルイ・ジャド」、「ドメーヌ・ガジェ」、「ドメーヌ・デュック・ド・マジェンタ」等に分かれ、それぞれワインのラベルに明記されています。
さらに、1996年にはボージョレ地区の「シャトー・デ・ジャック」を入手。格付けのないボージョレは例外として、コート・ドール地区に所有する自社畑のほとんどがグラン・クリュとプルミエ・クリュで占められていることは特筆すべき点です。
とくにボーヌ・プルミエ・クリュ・ヴィーニュ・フランシュの一部であるクロ・デ・ズルシュールは、2.75ヘクタールのモノポール(単独所有畑)として知られ、樹令の高いピノ・ノワールからは、時には他のコミューンのグラン・クリュを凌駕するワインが生まれます。又、2008年には、プイィ・フュイッセの中心に15haの畑を持つトップ・ドメーヌとして名高いドメーヌ・フェレを購入。ブルゴーニュ随一の生産者として、今後も注目です。
名門ルイ・ジャド社のバックヴィンテージ品!
■ルイ・ジャド シャンボール・ミュジニー[1997]
シャンボール・ミュジニーは面積が小さいにもかかわらず、大変名声の高い村です。石灰質が支配的な、コート・ド・ニュイ地区ではユニークな土壌です。その影響は、シャンボール・ミュジニーの柔らかさに表れています。ルイ・ジャド社は、芳醇で上品なシャンボール・ミュジニーを生産します。
【格付】A.C.シャンボール・ミュジニー
【土壌・畑】特徴的な石灰質土壌
【使用品種】ピノ・ノワール100%
【収穫】全て手摘み
【醸造情報】3~4週間醗酵槽で醗酵
【熟成】フレンチオーク12~15ヶ月間
【タイプ】赤ワイン・ミディアムへヴィ
15年の経過ですが、いまだ美しい色合いを保ちます。ほのかなスパイスと、よく熟したベリー系果実の芳醇な香りが広がり、スパイス、干し杏、トリュフの香りが引き出されます。絹のような滑らかな味わい。こなれたタンニンと酸、奥行きがあり優雅さとフィネスを兼ね備える。
(カガヤより)
ワイン会にて
抜栓日:2014年1月30日
色はそんなにコクはないルビーガーネット。すこし深い色合いの印象。香りはベリー系のかおり。最初優しいニュアンスでしたが、徐々に香水系の香りに変化しました。
味わいも、伸びる酸があって、優しい果実甘味がまざりあいますが、時間とともに果実甘味がややジャミーな感じと変化した記憶です。
97、第一次飲み頃期のタイミングじゃないですかね
勉強になりました