がじゅまるの樹の下で。

*琉球歴女による、琉球の歴史文化を楽しむブログ*

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……。

2012年02月09日 | ・徒然日記

 

プリンタ壊れた。

 

 

プリントはともかく、
スキャナー使えなくなったのは大打撃…
(電源自体が入らなくなったノダよ)

 

ああ、もうっ

 

 

   
とりあえずもう寝よう…。

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満月日和

2012年02月09日 | ・徒然日記

電話してたら外から明るい光が垣間見えたので

カーテンを開けてみたら、

 

見事な満月が
真正面にあがっていた。

 

ああ、いい満月日和だ

 

 

 

しばし月を眺め…。

 

さ、シゴトに戻ろう。

 

 

いただいてるコメント、ずっとお返事できなくてスミマセン
遅くなりますがお返事しますのでしばしお待ち下さい

 

(今日も本当はブログ書かない予定でしたが
あまりの満月の見事さにUPしてしまいました

 

 

   
こんな時に限ってプリンタの調子が悪くて
PDFデータが印刷できん…( ̄△ ̄;)むきー!
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北山の風桜まつり公演、フォトレビュー【後半】

2012年02月08日 | ・現代版組踊レポ

 
北山の風桜まつり公演、フォトレビュー後半です。
(前半はこちらから

 
こちらも恒例の谷茶前


本部の妻、真鶴。方言読みだとまじるー。


14年も引きずる本部も本部だよね… ちなみに今帰仁落城の14年後は1430年、琉球統一してます。


謝名から散策の許可を得た時の「ょっしゃ!」っていうガッツポーズカワイカッタです♪


忠義一本武将の謝名と育ての母としてゆらぐ乙樽


元服に形見の刀を託された千代松


複雑な思いの乙樽


乙樽の願いと祈り


千代松にとっては「初」となる父・攀安知の墓参り。その心情は…。


続けて訪れた本部と真鶴


「この時を天に願かけて待っておりました」


ひゃっほ~い、謝名かっこいい~


本部の自害に桜の演舞。クライマックスへのつなぎでしっとりしてて良かったです 


では、クライマックスの演舞、連続でどうぞ!

(今回は引き写真極少です。本当は前に陣取って表情メインで撮りたかったんだけど…
結局いつものパターンになっちゃった…



また正面ポジションは陣取れませんでした~


うひっ、かっこいい 1人を除いてみんな女の子。北山、男子求む。

今回は北山の舞台立ち上げのきっかけであり、原作「北山」の作者である
新城紀秀先生の追悼公演でもありました。

新城先生の想い、教え子たちの想いを引き継ぎ、
北山を誇りに思い、北山に語り継がれる舞台として、
これからのさらなる飛躍を期待しています

 みなさん、寒い中お疲れさまでした

 

トップはALLキャスト&スタッフさんも一緒の記念撮影。
青春だな~
(でも直前に月撮ってそのままだったからカメラ設定ミスった…あちゃ~

 

   
今日もご訪問ありがとうございます。

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そういえばワタシの前にすごいズームレンズ付けたカメラで
これまたすごい連写で写真撮ってる方がいました。
私も撮ってたほうだけど、
そんなワタシが圧倒されるくらい…。
どんな写真が撮れたんだろう。
ちょっと見てみたいかも

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北山の風桜まつり公演、フォトレビュー【前半】

2012年02月07日 | ・現代版組踊レポ

 2012年2月5日(日)

北山の風~今帰仁城風雲録~
今帰仁グスク桜まつり公演

 

急いで会場に向かう途中で、
カメラにSDカードを入れるのを忘れていたのが発覚

ぎゃー!ってなって、
結局途中のコンビニで売ってたので買いました(2G)

…売ってて良かった

 

ホッとしたのもつかの間、今度は桜まつり混雑も相まって駐車場がない

2回ぐらいぐるぐる周って(周されて)、
なんとか確保できて急いで会場入りしたのは開演目前でした。
(…疲れました…

よって、発掘&復元作業が進むグスクや桜を愛でることもままならぬまま、
公演スタートです。

 

写真の撮れる北山の風グスク公演は
いつものレビューじゃなくてフォトレビューで…。
(でも実はフォトレビューの方が時間かかってる…

でも数が多いので前半と後半に分けますね。


オープニングの「出発の朝」は前回の北山オリジナルverに加えて、歌詞もオリジナルに!
小道具の桜が更に北山オリジナリティーを演出キーワードはとことん「桜」


開演の6時はまだ明るかったです。いつの間にか陽が延びてきたなー。晴れてよかった


足微妙なところで切れちゃった…


黄金の今帰仁グスク。新城先生は前回・前々回に引き続きTeamシンカヌチャーより友情出演


楽しそうな、うしーとうまー。


「ひと時汚名を被るのが何だというのだ」
…言うよねー、大里(笑)


「この本部、全て承知した」


「今宵は千代松の誕生日ぞ」

 
「首里のヘロヘロ武士が!」 もうこれ名言(笑)


国頭サバクイ


三つ巴の舞。スピード感があるので写真撮るのは至難の技でした。
やっぱりいつかグスク公演でも生バンドを…。音が全然違うノダ。


2度目、膝をつくのが良かったな☆


「千代松元服の折には…」


千代松を託された謝名と乙樽


今回のお気に入りphotoの中の1枚☆まなざしがイイ
トップ写真も攀安知。ピントはぶれてるけどドラマチックに撮れたのでトップに採用(^ω^

 
引きバージョンもあったりする(笑) どちらも捨て難い? 前半の花はやっぱり本部より攀安知(^ε^)

 

というわけでフォトレビュー、

 

後半へ続く

 

 

  
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79~。
 


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琉球浪漫シアター【11】宮古島伝説シギラ~月の船の物語~

2012年02月06日 | ・現代版組踊レポ

帰省と結婚式と舞台の連チャンはさすがにキツかった…

ヘロヘロで頑張った今日です。

 

さて、でもさっさと書いておかないと忘れる!

でもやること満載!ってことで今回は短めに!

 

 

琉球浪漫シアターⅢシリーズ
「宮古島伝説シギラ~月の船の物語~」

2012年2月4日(土)

てんぶすホール

出演/Teamシンカヌチャー(選抜)

 

 

出演者、全員で14名の少数気鋭による舞台でした。

幕開けのシンカヌチャー(久しぶり♪)は
新振り付けで、「百十踏揚」の舞台の時のような
モダンな振り付け(やっぱりこの言い方妙なんていえばよい?)
新鮮でした

男サンの扇子の舞も見れて、
つい「やった~」って声がでちゃいました。
(見れたら嬉しい、扇子の舞

たった10名の(女子6、男子4)の演舞チームにも関わらず、
さすがにかっこよく、そして華やかに魅せてくれました

 

物語としては全体的に「詩的」な感じ。

時には一人芝居のような、
セリフのないパントマイムのような、
そして童話のような、

1から10まではっきりとした起承転結のストーリー展開があるのではなく
どこか、ふんわり、ぼやけてる。

観客のイメージにゆだねられている部分が結構あって
童話的でありながら、
なるほど、確かに「大人の雰囲気」の舞台でした。

うん、まさに絵本の世界かな。

理解するというよりは、
感じる物語。

宙大王子の恋、
海の神様にオニヒトデにされた宙大王子、
サンゴとオニヒトデの戦い、
嵐に巻き込まれた子ども、
子どもを救うべく身を投げたお母さん、
海の神様からのメッセージ、
許しあうこと、
宮古島の旧暦の自然現象、
そして人魚伝説…

でもタイトルにもなっている「シギラ」は役としては登場せず、
宙大王子はセリフは一切なく演舞のみ、
オニヒトデやサンゴ、海の神様や母親もすべて
主人公「朱里」の読みきかせという形で、物語は進んでいきました。

だから演舞を通してイメージの道筋を示してくれながらも
観客それぞれが、それぞれの風景やドラマを描いて楽しむ感じでした。

 

でも押さえるとことは押さえる(笑)

長さん&シギラママ。

3年3ヶ月前の長さんは割と覚えてたなー。
船のシーン、実際に観客とやり取りをしながらのアドリブだったな。

宮古訛り、いいよね♪
(でも宮古訛り聞いたらFM沖縄の某有名昼番組の某宮古の常連リスナーさんを思い出すのは私だけじゃないはず…)

そしてシギラママ…サイコーすぎ

観客とのやり取り、楽しんでましたね

 


この物語は膨らませて長編化も可能かもしれないけど、
個人的には今回のような短いスタイルが雰囲気にあってるような気がしました。

 

うたかたの夢のような、

 

そんな舞台でした

 

トップの写真は一昨年撮ったモノ。
2枚目は昨日の朧月。

 

    
2回連続で見てたらもっともっと深く味わえてたかな。
そんでもってやっぱり音楽「月の船」泣ける…
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しばらくコメントお返事遅れます

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実家なう。

2012年02月04日 | ・ネコスケ日和

風邪ひきネコスケ…。
もうかなりの歳だから心配…。




今日の舞台『シギラ』、とっても良かったです
オニヒトデとかママとか、
あ~そうだったそうだった!
って、三年前の舞台をいろいろ思いだしました。

二回目の講演も観たかったんだけど…

ただいま実家です

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3年3ヶ月前のシギラ

2012年02月03日 | ・現代版組踊レポ

 

現代版組踊ファンは多かれど、

約3年3ヶ月前のこの舞台を見た人は、
たぶんそんなに多くないと思う。

昼・夜の両公演合わせても100人いるか…いないか…じゃないかな。

なぜならば、この舞台の会場は
ご飯を食べながらショーが見れるというスタイルの「お店」だったから。

 

3年3ヶ月前のこのレアな舞台の名前は、


「現代版組踊 THE REQUIOS~月の船の物語~」
宮古に伝わるという月の女神「シギラ」の伝説を描いた母なる愛の物語。

 

正直言うと…ストーリーはあまり覚えていない…
(この時は現代版組踊に出会ってまだ1ヶ月半くらいの頃で、レビュー書いたりとか全然してなかったから…)

でも会場や舞台の雰囲気、演舞や演技の断片は記憶にありますよ。
(演者さんも何名か 前代の阿麻和利君もいましたしね

あとは、この時に初めてレジの前で平田大一さんに声かけたとか、
一緒に見に行った同僚と待ち合わせしてる間にテンペスト読んでたとか(初読の頃!)
そういうのは覚えている(笑)

あ、そういえば紹介された肝高の阿麻和利メンバーさんに
パニくって変な挨拶(受け答え)しちゃったのも思い出した…(笑)

 

この舞台がいったいどんな内容だったのか、
あの時と全く同じではないとは思いますが
芯の部分はたぶん同じだと思うので
今度はちゃんと記憶と記録に残したいと思います。

というわけで、

琉球浪漫シアターⅢシリーズ
「宮古島伝説 シギラ~月の船の物語~」

明日、2月4日(土)
那覇のてんぶすホールで開催です!

17:30~
19:30~

2回公演です。
(公演時間約60分)


見所と詳細は
Teamシンカヌチャーのブログ→ 
TAO Factoryのサイト→ 
までどうぞ!

 

 

    
いつのまにやらラジオ小説「月下に語る」もトータル1600アクセス突破!
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百十踏揚○○○説

2012年02月02日 | ・琉球史散策/第一尚氏

 

先日、じのんで手に取ったとある本。

確か与勝の歴史散歩みたいなタイトルだったと思うけど、
与勝地域の歴史についてのシンポジウム?を本にしたようなものだった。

いつものように、目次をチェックして興味を惹かれた箇所をぱらぱらとめくる。

 

 

 

 

 

その中の一文に思わずむせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

百十踏揚はスパイだった。

 

 

 

 

つまり女スパイ。

 

 

 

賢雄は分かるけど百十踏揚もか(笑)

つまりはだから2人は元々デキててグルだったってことでしょうが…

王女・百十踏揚にそのような役割は少なからずあったであろうことは
特に珍しい説ではないですが
ここまでストレートに百十踏揚は女スパイって言われたら
全く違ったイメージが浮かんでしまうのはワタシだけじゃないはず(笑)

ちなみにその本では
百十踏揚と賢雄が常に一緒(グルだから?)で
百十踏揚と阿麻和利は通常の夫婦生活は全然送れていなかった。

そのことに阿麻和利が不満をもって…

 

以下略。

 

でした。

 

 

 

もうひとつは、勝連クーデター。
つまり阿麻和利が茂知附按司を討伐し按司になったのは

 

1453年

 

と明記。

 

理由はその年に起こった志魯・布里の乱。

勝連で起こったクーデターという大事件がありながらも
王府では何もアクションがなかったということは
志魯・布里の乱で王府そのものがドタバタだったから、

という理由からだそうな。

 

1453年が本当かどうかはわかりませんが、
王府が脅威を抱いたほどの勝連の繁栄は
阿麻和利がゼロから起こしたのではなく
前代の茂知附按司から(もしくはもっと前から?)のもので
阿麻和利はそれを引き継いで更に発展させた…
ということは予想もつきますし、

個人的には阿麻和利が按司になって百十踏揚が嫁に来て
護佐丸・阿麻和利の乱が起こるまで
そんなに長い年月ではないと思ってるので
イメージに近いっちゃぁ、近いです。

 

 

    
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春色

2012年02月01日 | ・琉球/沖縄、徒然日記

今度はカメラ女子モードで
本日2つ目の記事です。

 

今日は天気予報にマークがついてたので
カメラ持参で出勤しました。
(マクロレンズONLY)

休憩時間に、ショクバの前の桜を撮りたくて。

(そういえば去年も今頃にショクバの桜UPしてるなー。 →  

今年は開花が遅く、
咲き具合としては4・5分咲きという感じで、
被写体としての桜も、まだまだこれから…ですが、
(なので引きの写真はなし

一足先に、
青空にピンクの、爽やかな春色
をお届けします

今帰仁グスクや八重岳の桜の咲き具合はどんな感じかな?

(一昨年の八重岳桜まつり・今帰仁グスク桜まつりの記事はこちら→       )

 

  
緋寒桜は下向きに咲くので、
木の下から見上げるようにして撮るのがgoodです.

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阿麻和利○○説

2012年02月01日 | ・和心な本、琉球な本

 

沖縄には記録的な豪雪こそありませんが、
インフルエンザは急増中ですね!

ワタシも風邪とか引いてるヒマないっつーの。
(シゴトもさることながら、舞台もまだまだ目白押しだし!)

みなさんもしっかり自己管理して行きましょうね

今は「バカは風邪ひかない」時代じゃないですから。

 

 

さて、昨日イタイ賢雄のネタを紹介しましたが(笑)
賢雄の武勇伝の1つに

「女装」

がある、というのは過去にも既にお伝えしたとおり。

その時の記事でも書きましたが、
実は賢雄が女装した、とは別に、阿麻和利女装説もあるのです。

 

その阿麻和利女装説が、コレに載ってました!

先日、古本屋じのんで購入した
「毛氏先祖由来伝」

毛氏っていうのは護佐丸を祖とする一族です。
(護佐丸の唐名=毛国鼎(もう こくてい)

そうです、テンペストでも出てくる「毛一族」ですね。

 

この冊子は昭和62年11月、護佐丸公530年祭にあわせて発行ものらしいです。

実際にこれが書かれたのがいつなのかは分かりませんが
(琉球王国時代であることは確かだと思いますが)
現本は残っておらず、読み下し文にして読みやすく編纂したのがこの冊子のようです。

 

では、阿麻和利女装説について、該当箇所を引用してみましょう。

 

大城、官軍を卒へ、勝連へ攻寄、
火を散じ戦候(に)付、終に打勝、城へ攻入、
阿麻和利(を)致探索候へども、行衛不相見得、
遂に女仕度にて女中へ紛れ落ち行き候を、大城追いかけ、
首を被斬たるよし。

 

訳すると

大城(賢雄)は王軍を率いて勝連に攻め入った。
火を放って戦い、遂に打ち勝ち、(勝連)城に侵入した。
大城は阿麻和利を探したが見当たらなかった。
しかし、阿麻和利が女装し女中にまぎれて逃げようとしているのを見つけ
追いかけて阿麻和利の首を取った

という感じでしょうか。

 

それにしても何がどうなって
阿麻和利女装説と賢雄女装説が混在することになったんでしょうかね~
(ちなみに王府編纂の歴史書が賢雄女装記述です。こっちの方がメインで、阿麻和利女装説はマイナーです)

 

 

ついでに、賢雄女装説に戻りますが、

賢雄が勝連侵入を果たすべく女装する際に使用した女物の着物、

 

 

この着物は、

 

 

 

 

 

 

 

 

百十踏揚のものだった

 

 

 

 

 

 

という言い伝えもあるようです。

 

 

 

 

はぁ~、やっぱり飽きない、この3名の関係性(笑)

 

  
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