沖縄には記録的な豪雪こそありませんが、
インフルエンザは急増中ですね!
ワタシも風邪とか引いてるヒマないっつーの。
(シゴトもさることながら、舞台もまだまだ目白押しだし!)
みなさんもしっかり自己管理して行きましょうね
今は「バカは風邪ひかない」時代じゃないですから。
さて、昨日イタイ賢雄のネタを紹介しましたが(笑)
賢雄の武勇伝の1つに
「女装」
がある、というのは過去にも既にお伝えしたとおり。
その時の記事でも書きましたが、
実は賢雄が女装した、とは別に、阿麻和利女装説もあるのです。
その阿麻和利女装説が、コレに載ってました!
先日、古本屋じのんで購入した
「毛氏先祖由来伝」
毛氏っていうのは護佐丸を祖とする一族です。
(護佐丸の唐名=毛国鼎(もう こくてい))
そうです、テンペストでも出てくる「毛一族」ですね。
この冊子は昭和62年11月、護佐丸公530年祭にあわせて発行ものらしいです。
実際にこれが書かれたのがいつなのかは分かりませんが
(琉球王国時代であることは確かだと思いますが)
現本は残っておらず、読み下し文にして読みやすく編纂したのがこの冊子のようです。
では、阿麻和利女装説について、該当箇所を引用してみましょう。
大城、官軍を卒へ、勝連へ攻寄、
火を散じ戦候(に)付、終に打勝、城へ攻入、
阿麻和利(を)致探索候へども、行衛不相見得、
遂に女仕度にて女中へ紛れ落ち行き候を、大城追いかけ、
首を被斬たるよし。
訳すると
大城(賢雄)は王軍を率いて勝連に攻め入った。
火を放って戦い、遂に打ち勝ち、(勝連)城に侵入した。
大城は阿麻和利を探したが見当たらなかった。
しかし、阿麻和利が女装し女中にまぎれて逃げようとしているのを見つけ
追いかけて阿麻和利の首を取った
という感じでしょうか。
それにしても何がどうなって
阿麻和利女装説と賢雄女装説が混在することになったんでしょうかね~
(ちなみに王府編纂の歴史書が賢雄女装記述です。こっちの方がメインで、阿麻和利女装説はマイナーです)
ついでに、賢雄女装説に戻りますが、
賢雄が勝連侵入を果たすべく女装する際に使用した女物の着物、
この着物は、
百十踏揚のものだった
という言い伝えもあるようです。
はぁ~、やっぱり飽きない、この3名の関係性(笑)