先日、沖縄市郷土博物館主催の体験講座
「越来から知花へ 鬼大城をたどる」
に参加してきました。
第二尚氏によるクーデターの際、
越来グスクの按司となっていた大城賢雄が
戦いながらも終われ、
終焉の地となる知花までの
逃亡ルートをたどるウォークラリーです。
(けっこ~人いた!25人くらい?
しかも結構女子率高かった!賢雄人気!?(笑))
「鬼大城の道」と呼ばれる
逃亡ルート(地図)があるのは知っていましたが
実際に巡るのは初めて。
時折陽が差すものの
風が吹く寒い中、約3時間あまり。
賢雄のためならエンヤコラということで
頑張りましたよ(笑)
実際には越来から知花へ行く道での
越来・美里・松本・知花の
各の史跡も見ながらと盛り沢山だったのですが
今回は賢雄にゆかりのあるスポットのみを
復習も兼ねてご紹介します。
知花グスクも間近の松本エリア。
カンジャー(鍛冶屋)という屋号をもつ家があった場所。
今は取り壊され、更地になっていました。
この家の近くには
メーントーウーヌナーカという屋号のうちがあったそうな。
賢雄は側室である石城の娘を脇に抱えて逃げていたが
ここで死を覚悟して娘を逃がした
という伝えがあるそうです。
共に逃げたのは
妻の百十踏揚ではなく、
側室の石城の娘。
本読んでたらこの賢雄の最期を語るのに
この石城の娘ってちょこちょこ出てくる。
(過去記事にも)
戦前まで残っていたという
賢雄の着物はこの石城家にあったものらしい。
側室の石城の娘…。
考えさせられる存在ですね~。
賢雄の逃亡ルートは2説あるらしく、
その分かれ目である知花第一公園前。
今回は左手にGO→
その先にあるのが…
屋号「ウフグシク(大城)」
賢雄が生まれた場所とも
幼いころに過ごした場所とも言われています。
喜屋武按司の息子だった賢雄は
幼くして父を亡くします。
母ちゃんは城を維持できなくなったため
実家である大城家に身を寄せます。
その、大城家。
残念ながら今は子孫ではなく
別の方が住んでいるようです。
前の坂はこの家にちなんだのか
「ウスグシクびら(坂)」と言います。
そして、逃げる賢雄はワタンジ川(ワタンジャー川)に阻まれ
大きく迂回して知花グスクへ。
そしてゴールの知花グスク。
これは幾度となく紹介済みなので割愛しますが、
墓の前の案内板が無くなってました。
今年の台風で壊れてしまったのだとか…。
(beforeはこちらから)
知花グスクの麓はクシドーと呼ばれる松林だったらしく、
若き賢雄はここで夜な夜な武術の訓練をしていたそうな。
当時知花には農民しかいなかったため、
賢雄は尚泰久の家来になる時、
「草むしりをさせてください」
とお願いしたと伝えられているようです。
阿麻和利が茂知附按司の家来になる時も
そんな感じだよね。