がじゅまるの樹の下で。

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尚泰久と世利休

2014年12月24日 | ・琉球史散策/第一尚氏

 

鬼大城めぐりから
越来城下の歴史スポットをもうひとつ。

尚泰久の側室、
越来村の娘、世利休(せりきゅう)のこと。

尚泰久の妃は護佐丸の娘ですが、
例にもれず側室もいました。

それが尚徳の母にあたる宮里阿護母志良礼、
そして世利休。
(伝承では江洲ノロも)

その世利休と尚泰久のゆかりのスポットがコチラ。

尚泰久は世利休とその息子のために
ここに家を建てさせ、
みかんと白椿の木を植えたそうな…。

 

 

門の側にあるのが、
子孫である川畑家の方々が
ずっと守ってきたという椿の木。

 

 

しかし、白椿はめずらしいということで
近年になって挿し木のために
マニアが切りすぎてしまい、
とうとう枯れてしまったのだそう。

今あるのは、別の場所でかつて挿し木されて生きていた
椿なのだそうです。

(でも挿し木によって白椿になる確率は低いらしく
残念ながら今の椿は白じゃないそうです…)

 

 

 尚泰久が王になって首里に登るとき、
世利休は一緒に連れて行かれなかったようですが、

一説によると息子は江洲王子になったとも
言われています。
(ってことは五男かな?)

 

沖縄市ゆかりの女性ということで
沖縄市は尚泰久妃や百十踏揚よりも
世利休推しのようです。

コザ十字路に制作中の壁画にも…

 

 

 尚泰久(王子)と世利休。

拡大↓

 

 

 
トップの世利休イラスト、
椿が大きすぎてるのは目をつぶってください(^^;