私はこの日曜日に調布警察管轄の交番に出向いた。警察を信頼して「善処」してもらうためだ。ところがその後の扱いは重要事件の犯人のような取り調べ、検察への書類送検であった。
それは昭和初期の警察の取り調べ、罪に落とすやり方であると思われた。
だから私は自分の恥をさらすかも知らないが、明らかにする。
日曜日午後12時30分ごろ代々木の歩道橋の植え込みの中に、黒い車体で赤い派手な20インチの折り畳み自転車を見つけた。チュウブがぐじゃぐゃにはみ出し、タイヤは外れ、ブレーキも調子も悪そうだった。何故か防犯登録がない。鍵もかかっていない。前日の土曜日の雨で外れたタイヤの中に水がたまっている。
通り過ぎたが、なぜか魔がさした「もったいない、修理できるかもしれない」と引き返し、運ぶことにした。しかし20kgぐらいあり、後輪がダメージを受けているのでサドルのシャフトを持ち上げて、歩く、そして100円ショップでブルーシートを購入して、くるんで、バスで狛江まで運んだ。2500円出して新品のチュウブに取り換え、あっちこっち調整してためしに乗ってみた。すこぶる乗り心地が悪い。サドルとハンドル、ペダルの位置関係が設計ミスのようだ。娘が「何でそんなの拾ってきたの捨てなさい」と怒る。私も同感で近くの交番に相談に言った。警察なら元の持ち主を探し出してくれるかもと。
しかしこれが「占有離脱物横領罪」になった。狛江の交番から調布警察へ手錠こそはめられなかったが、後で、見えない手錠がかけられていた恐怖を感じた。
横領した場所、持ち帰った経緯・・・・「では現場に行こう」で警察のパトカーで。「え、何やってんの」車が出ない。カーナビに行く先を打ち込むのだが、2人の警察官が何度やっても成功しない。このロスタイム約10分。私は緊急出動要請があっても同じかなと呆れた。日ごろの訓練が足りないのだ。
現場に着き、私が落ちていた場所を指さし写真撮影。電池の具合が悪く、何度も電池を取り換える。
調布警察に戻り、事情調書取り。横領、横領、窃盗の言葉がたびたび出る。寝たきりの難病の身体障害者だ(介護認定5)からしばしば携帯にかかる。私は5時過ぎに食事を作り、妻と食べる、時々スプーンで食べさせたりする。嚥下作用が悪く食べ物が肺に入り、猛烈に咳き込む。娘がいるとしても警察に私が囚われているので妻は恐怖の声だ。その後、どんどん電話がかかる。
「書類送検」 私は重要犯罪人と同じ扱いをされていることを知り「帰る」と立ち上がる。奥からその日の一番上という警察官が現れ、力ずくで私を椅子にねじ伏せる。何度抵抗しても頑として部屋から出さない。「手錠」そうか私には見えない手錠がはめられていたのか。
私が運んだ自転車はあのままで中古買い取り業者に持ち込んでも1000円か2000円でも引き取らないだろう。私の推測だが雨の中でパンク、持ち主はその場でいろいろ試すがあきらめて、防犯登録を外し捨てたと思われる。鍵はチェーン式でかけずに持ち帰ったと推測した。だから警察で車体番号から持ち主を割り出そうとしたが不明のようだ。
検察への文章作り。パソコンのパスワードを外すUSBメモリがない。約10分のロスタイム。
本籍地の字が熊の字になっている。正しくは能だ。私の免許証から本籍を割り出しメモを取っているのに、思い込みで間違ったようだ。
「甘い、甘い・・・要するに甘い」
強引に連れられて6枚の顔写真撮影、両手の指紋取り、手のひらも、横もすべてとられた。「殺人犯」と同じだ。
警察を信用して、善処してもらうために訪ねたのが、「初犯だから」とか「横領犯」などの言葉がどんどん出た。検察庁が呼び出すときに不都合な日はないかと聞かれた。7月11日にヘルニヤの手術を受けるので10日、11日、12日はダメだといった。そのとき、私は重大犯罪人を再度、自覚した。
交番に届け出ただけで済むと気楽に尋ねたのに、ここまでやられるのか、やる必要があるのかと大後悔した。「警察は罪を大きくし、作る所だと恐怖が全身を襲う」。ネパール人が検察の都合の良い証拠固めで15年間収監されたのと私の罪(初犯)はルーツが同じと震えた。
私は大きな、ねぎを背負って交番を訪れた馬鹿なカモであったのだ。訪ねてきた限り、絶対有罪にしてみせる警官の執念を猛烈に感じた。
自宅で釈放、但し、「本来なら引取り人が署まで来るのだが」と言われた。私は特別の計らいで自宅におくられた。ねぎと鴨のためか優遇されたのだ。娘が家で署名捺印した.
そして、動転する言葉が2人の警官から出た。「交番に自転車を持ってこないで相談しに来ればよかったんだ」「え、相談?どうなるんですか」と私が聞くと、曖昧だったが自転車を消せばよかったらしい。そうすればこの5時間はなかったのだ。私には{なんだ」という意外さが走った。
私は死ぬまで警察は「敵だ」我々を利用して警官自身の自分の将来よくしたいのだと肝に銘じた。
今後、絶対に警察を信じない・協力しないを心の奥に据えた。
最後に日本の警察は「自分に甘く他人に厳しい」を皆さんに伝えます。長くてごめん。
追記、調書に署名、指紋を押せばすべて負けだ。しかし多系統萎縮症の妻は体の動きが不自由だ、それでもベットの横にある携帯トイレにベットから自分一人で移動する。しかしうまくいかず床に倒れる。夜中に私が熟睡しているときに、時々ある。重くて起こせない二階で眠る娘夫婦を起こし助けてもらう。
妻に父は95歳で、やはりトイレか何かで夜中に床に倒れてもがいていた。私は2時間おきに見回っていて、見つけたが相当もがいたのが別人のような顔になっていた。そして1ヶ月ほどで死亡した。隣の老人も79歳で床に倒れて朝、死亡を家族が発見した。
私は1分でも早く帰りたかった。署名、指紋捺印しなければ何時までも警察に止め置かれるだろうと思った。妻の死を早めたくなかったのだ。
それにしても妻を殺すぐらい今回の問題は大きかったのか。警察官の成績を上げるために協力したとしか思えない。
解放されたのは夜の9時半であった。不安で妻は数時間眠れず私の帰りを待っていた。いつもは7時には眠りに入っていたのに。馬鹿なことをしたものだ。しかしメモ用紙1枚ない、紙袋1枚ない時代を経験した老人は「もったいない」精神にあふれている。では本当にさようなら。