福島県で柔道の部活中に一人の少年の暴力で意識不明の寝た切りになった少女の民事裁判、判決が下る。県と市に対して1億五千万円の賠償が言い渡された。
事件発生当初は校長、教頭、教育委員会全員が事件を否定した。むしろ隠蔽工作をした。何故、関係者の長は隠蔽工作に走るのか。
それぞれに生活がある。収入を無くしたくないが先ず起こる。自分が在任中は何事も起こらないことを切に願う。減給、定職、免職が一番怖い。その割に事件が起こる背景、要因の防止には無関心である。
いじめでの自殺でも必ず「知れなかった」と連発される。正確には「知ろうとしない」である。
税金で暮らす人のかなりは自分の権利は主張するが、義務はいいかげんにしたい本質がある。プールの排水穴の蓋が外れていて吸い込まれて死亡した少女がいた。これも関係者の怠慢である。
どうすればいいのか、生活防衛第一、仕事第三ぐらいの日本の現実を。
一番の問題は自分の義務、責任を第一に置き換えることだ。法律、規律で縛るのか。それともモラルなど思想的面に力を入れるのか。
一生寝たきり。植物人間にさせられた親、親族はたまらない。もしある校長の子供が同じ目に会えば、どうするのか。常に働くのは「自分とは関係ない」精神だ。この最高峰が国の代議士である。
いいかげんに出鱈目を減らしてもらえないか。