70才。役に立つ話が次々現われる。

世界で最低の日本人の声を改善する方法を95%まで独自に確立しました。

耳に音楽、目に携帯、心は砂漠化

2011年10月29日 09時53分35秒 | Weblog

 狭い歩道を歩いていると、突然ぶつかるように後ろから自転車が通りすぎていく。呼び鈴も言葉もなく、体すれすれで、しかもかなりのスピードである。

 警視庁によるとあまりにも自転車が絡む事故が多いので、取締りを強化した。

 携帯電話でメール打つ、音楽携帯機器を聴きながらは禁止された。その上2mの狭い歩道を走るも違反だ。これら禁止事項を3っも違反する人が多い。

 特に高校生の80%ぐらいが3重違反をしていると思われる。私にぶっかりかけた自転車に注意すると「ウルセえ、くそジジ」といわぬばかりに睨まれる。

 本来音楽、文字は人を成長させる効果がある。しかし、音楽プレヤーや携帯のメールは人間形成に役立っているのか。違反行為をとがめられて逆に反撃する行為は低きに流れる証拠ではないか。

 俳優を志す若者は周りの環境に敏感でなければならない。毎日通る道、その周辺の変化に気を配る、も大切だ。演技においては自分のことを30%以下に押さえ、残りは相手役や周りに配る必要がある。これは相手の出方で自分も変わる。つまりこの先がきを自分の思いで進めてはならないのだ。それを台詞のキャチボールという。相手がどこにボールを投げてくるか自分で決めてはならないわけだ。下手な演技者は相手が投げてくる場所を勝手に決める。だからボールはいつも外れて受け止められない。キャチボールが成り立たない。

 演技の勉強が順調に進むと顔が魅力的になるといわれている。想像力、洞察力、感受性などが発達するからだ。当然、心が豊かになっていくから顔がよくなるのだ。

 この反対の極にあるのが、常時音楽プレーヤーを聞く、メールを打つなどがあると思われる。プレーヤーは与えらるだけの一方交通だ。メールも同じだ。創造的なな文章を書くなどは自転車で走りながら打てるわけはない。

 つまり人間を低きに流す、俗な言葉で自慰行為だ。

 これが心を砂漠化させると私は見ている。


保育園食事、缶詰多すぎないか

2011年10月20日 10時20分27秒 | Weblog

 毎朝、散歩で通る道に保育園がある。ゴミ回収の日、ビンカンの時、大量の缶詰の空き缶が出されている。大半は外国産の安い果物などだ。

 成長盛り、未だ完成されていない幼児にこれら缶詰製品は大丈夫なのか。特に心配されるのは、缶を開けて残りをそのまま缶に保存することだ。いちいちビンや陶器の容器に移すのは面倒だ。だから次回使うまで空けられた缶のまま冷蔵庫に保管されていないか。缶詰は空けるとブリキの腐食が始まる、俗に酸化という現象だ。

 食品が酸化する。それを幼児が食べる。これが平然と行われていないか。第一缶詰製品を大量に使う神経が理解できない。コストが安いからか。手間がからないからか。

 預ける側は不足がちな保育園に対して文句が言いにくい。行政、所轄官庁がこれら調査をして、幼児の安全に万全をきすべきだ。

 相対的に行政・役所はルーズだ。何か大きな事件が起きなければ対処しない。

 私はこれら怠け者に警告を発したい。幼児が口にするものにもっと神経を使う、配慮することを。



地震予知に3000億円。無駄。

2011年10月17日 10時31分59秒 | Weblog

 地震予知に年間100億円が投入されている。しかし東日本大震災は予知できなかった。阪神淡路大震災も同じく予知できなかった。

 この年間100億円のお金は何のためか。会議費など、関係者の生活費か。いやそれ以上のお手当てか。人の弱みに付け込む、利用する典型的寄生虫だ。

 そもそも大地震の事前予知はできるかという問題がある。東大の教授(外国人)がテレビで述べていたが予知は不可能という。

 予知の関係者は政府に、大地震は予知できる幻想を与えて優雅な暮らしをしているのではないか。ある意味で地震予知は保険だともいえる。しかしまったく保障のない予知に年間100億円はどういうことか。過去の3000億円はほとんど自民党が配分した。そのかなりのお金が自分たちに還流しているのではないか。

 素人の私でもわかる地震予知がある。もちろんダダ同然にだ。それは三陸沖の過去の大地震・大津波のデーターを調べることだ。約数百年周期で起っている。これは日本の島と大陸棚のズレが正される周期だ。つまり大陸棚も元に戻そうとする力が働く。これが数百年というパターンだ。

 2年前に東電に大津波・地震の到来が調査機関から告げられていた。「津波の高さ10m以上が近い将来起こる」と言うことが。こらは過去のデーターから類推してだ。それを東電は無視した。それが日本国を潰すかも知らない大事態になっている。

 結論は今の地震予知学会・関係をすべてご破算にすることだ。これで年間100億円は節約できる。その代わりに過去の大地震・大津波のデーターを研究する小規模の組織を立ち上げ、そのデーターから政府は災害を予知・対策を立てるのだ。

 要するに保障のない、災害でも支払われることのない。でたらめ地震予知学会・関連団体をすべて整理することだ。

 そこから次の打つ手を見出すのだ。




 

大病院よ。入場料を取れば。

2011年10月13日 10時54分56秒 | Weblog

 厚生年金がボロボロになっいている。100年安心などつい最近聞いた話ではなかったのか。

 医療もべらぼうな伸びで国家の予算を奪い取る。この特出した高騰は患者側にも問題がある。冷暖房がきいていて、待合室もあり、大きな病院では食堂もある。1日中気持ちよく過ごせる。今では公共の図書館や老人の集まるところは過密状態で居心地が悪い。自ずと大病院に行くことになる。医療費を支払う側は大変だ。

 劇場のように玄関で入場料を取り、それを不足がちな国や地方自治体の医療費に当てる方法はどうだろうか。

 要するに簡単な病気や待合室に座るために大病院を訪れる人をコントロールするわけだ。このように書くと老人からお叱りを受けるかもしれない。しかし国が潰れれば老人も生きられないのだ。

 ちなみに私は76才の現在、高血圧の最低の錠剤を1日1粒飲んでいるだけだ。他には年に2回ぐらい歯医者に通う程度だ。それは日頃から健康管理に努力しているからだ。大体、1日1万歩は歩く。若いときは1日20km以上走っいていた。体重は59・5km、身長161cmである。30年前より軽くなっている。

 健康維持は毎日の努力の結果である。医療をできるだけ受けない心がけも病気予防につながる。風邪や少々の腰・膝の痛みでは医者に掛からない。膝の痛みなどは裏筋を伸ばせば収まる。杖を付いて痛そうに歩く老人は膝の裏筋hが伸びていない。つまり膝が曲がっているのだ。これだと体重のほとんどが膝にかかる。そこで痛くなる。

 立った姿勢で横から見ると膝が曲がり、体重が体の中心線に収まっていない。横から見てまっすぐであれば膝に多くの体重がかかることはない。だから膝が痛い人は床に座り、両足を左右に広げて膝の裏すずじを伸ばせばよい。毎日数回徐々に広げるのだ。これで整形外科に行く回数が相当減るはずだ。

 腰痛はタンスの一番下の引き出しを少し出して、そこへ足をかけて膝を曲げた腹筋運動をすれば、相当楽になる。これも徐々に回数と運動量を増やすのだ。

 他に喘息も95%までが簡単に再発しなくなる体操がある。

 
 

 

震災復興費、お役人大儲け

2011年10月12日 12時10分44秒 | Weblog
 東日本大震災の復興費が3・5兆円に上る。7000億円の再生枠に各省庁から3倍近い2兆円要求が殺到した。

 災害復興費は青天井だと言われている。しかも各省庁で重複するものも見られる。重複とはどちらかが不要なので。しかも二重、三重、四重と重複するものもあるだろう。たとえばひとつに整理すれば三分の一、たとえば2億円から引けば6000億円で足りるのだ。1・4兆円の節約である。

 これら精査が民主党にはできない。事業仕分けのエネルギーを何故、ここに割かないのか。たかが1・4兆円の無駄といえども、今回はまだまだ未曾有にお金が出る。1円でも無駄をなくす考えがないと未来に大きな負債を背負わせる。

 もしお役人が東京から災害地に出張すれば1日いくら給与に加算されるのか。ボランテイアーは無給で災害現場で働く。しかも食事、泊まりすべて自腹だ。

 何かことが起きると担当お役人は大儲けするといわれている。今回は規模が大きすぎる。今まで絞りあげられていた予算を今回の震災復興で、数倍の規模で懐に入れる可能性がある。

 ぜひ提案したいのは「民間の監視」を導入して、無駄を徹底的に洗い出してほしい。

 

 

怒り・あきれる、原発産官学

2011年10月02日 21時48分34秒 | Weblog

 読売新聞電力維新4から。

 何故福島原発の大事故が防げなかったのかーーー。

 専門家の過信が安全神話を一人歩きさせた。

 事故を想定できなかったのは枠の中に安住し、想像力が欠如していた。

 「原子力,ムラ」の弊害が大きい。大体日本人は000ムラを作りたがる。93才の日本人女性画家は、テレビの中で「画壇と言う組織が絵画の発展を停滞させている」とのべた。

 クラシックの音楽の世界も閉鎖的ムラで、例えば若者がムラの外の先生から学ぶと村八分、爪弾きにされる。例えば声楽の世界には学んだ先生の氏名を書く欄がある。ムラに属さない先生の名前を書くと将来がないといわれている。

 30年以上前ごろ私の声のトレーニング法は朝日新聞に何度も大きく取り上げられた。1日講習会もしばしば開いた。ある時、東京芸大の声楽科の若い学生さんが参加した。彼女は体験後「非常によい。しかし私に学べば将来はない」と二度と私の目の前には現れなかった。

 原子力発電関連には莫大なお金が動く。原子力,ムラから外れれば、極貧の生活に落ちる。これがすべてを狂わせたのではないか.

 原子力、ムラの住民は原子力という、人類を破滅させるかも知れない恐ろし物を自分たちは扱っているという認識をお金に目がくらみ忘れていたのではないか。

 この付けは数十兆円という金額になり、日本の存続を危うくさせている。

 原子力、ムラの住民は、まるでジャガイモやキャベツを扱うように原子力扱った。野菜は腐れば簡単に捨てられる。しかし原子力は埋め場、捨て場が非常に難しい。

 日本人は極貧に、村八分に絶えて自分を貫く精神にかけている人種か。