狭い歩道を歩いていると、突然ぶつかるように後ろから自転車が通りすぎていく。呼び鈴も言葉もなく、体すれすれで、しかもかなりのスピードである。
警視庁によるとあまりにも自転車が絡む事故が多いので、取締りを強化した。
携帯電話でメール打つ、音楽携帯機器を聴きながらは禁止された。その上2mの狭い歩道を走るも違反だ。これら禁止事項を3っも違反する人が多い。
特に高校生の80%ぐらいが3重違反をしていると思われる。私にぶっかりかけた自転車に注意すると「ウルセえ、くそジジ」といわぬばかりに睨まれる。
本来音楽、文字は人を成長させる効果がある。しかし、音楽プレヤーや携帯のメールは人間形成に役立っているのか。違反行為をとがめられて逆に反撃する行為は低きに流れる証拠ではないか。
俳優を志す若者は周りの環境に敏感でなければならない。毎日通る道、その周辺の変化に気を配る、も大切だ。演技においては自分のことを30%以下に押さえ、残りは相手役や周りに配る必要がある。これは相手の出方で自分も変わる。つまりこの先がきを自分の思いで進めてはならないのだ。それを台詞のキャチボールという。相手がどこにボールを投げてくるか自分で決めてはならないわけだ。下手な演技者は相手が投げてくる場所を勝手に決める。だからボールはいつも外れて受け止められない。キャチボールが成り立たない。
演技の勉強が順調に進むと顔が魅力的になるといわれている。想像力、洞察力、感受性などが発達するからだ。当然、心が豊かになっていくから顔がよくなるのだ。
この反対の極にあるのが、常時音楽プレーヤーを聞く、メールを打つなどがあると思われる。プレーヤーは与えらるだけの一方交通だ。メールも同じだ。創造的なな文章を書くなどは自転車で走りながら打てるわけはない。
つまり人間を低きに流す、俗な言葉で自慰行為だ。
これが心を砂漠化させると私は見ている。