70才。役に立つ話が次々現われる。

世界で最低の日本人の声を改善する方法を95%まで独自に確立しました。

朗読は声が命だ

2012年06月27日 21時24分49秒 | Weblog

 昔、私の発声教室に22年間在籍していた女性が、今日、突然訪ねてきた。10年ぶりの再会だ。

 昨夜、ご飯でも一緒にと電話あり、教室に見学がてら私の顔を見に来た。

 「ずいぶん稽古内容がかわりましたね」と驚き、「この後、朗読も稽古するんですか」と聞くので、「そうだよと」答えた。

 彼女は最近ではNHKの大河ドラマの方言指導などをしていて、少しは有名だ。

 彼女は元テレビ朝日のアナウンサーで、声優、ナレーション、朗読・特に方言の語りで有名だ。

 2時間余り黙って聞いていて「非常にいいですね」と感心していた。

 「声がいい、一般の朗読とかけ離れて声いいですね」

 「キャラクター表現は」と私が聞くと「無理がなく、判別ができていて素晴らしい」と彼女が言う。

 多くの朗読を愛好する人は声がよくない。だから、作り声だったり、声帯を無理に使ったりで、抵抗がある。つまりスムーズに楽しめない。しかし先生の生徒さんは非常に自然に、声の変化、年齢、性別、動物などをわけていると褒めてくれた。

 教室で録音したものをCD に焼いていくつかのところに渡した。7月にデーサービス・ツクイで聞かせることになった。「大変上手なのでぜひ来てください」と二つ返事で決まる。

 「老人か」耳が遠い人もいるかな「よし紙芝居もやるか」で図書館から紙芝居を借りてきて、今日、教室で稽古した。

 私は70年以上前に街頭で行われる紙芝居をよく見た。確か10円で水あめを買って、見る権利を得た記憶がある。商売なのだ。だから人気のある人と面白くない人といろいろあった。

 「エンターテイメントだ、アドリブをどんどん加えろ」と生徒をあおる。裏に書いてある言葉だけを忠実に読んでも面白くない。朗読とは別の世界なのだ。

 テキストをみながら優等生的に語る朗読。片や街頭、話芸。つまり紙芝居には生活が懸かっている。1円でも多く収入を得なくては家族を養えない。みんながみんな裏に書かれている言葉を姿勢正しく読んでいれば、みんなの家族が飢え死にする。

 大体、1日に3人ぐらいの紙芝居屋さんが来る。子供たちのお小使は非常に限られている。だから3人の内から1人を選ぶ。選ばれるためには中身とエンターテイメント性に優れていなければならない。ライバルを蹴落とす。生き残りをかけるなどが表現を豊かにした。

 この70年前の記憶を呼び覚まし、生き残れる紙芝居を生徒にやらせることにした。テレビやアニメ映画がレベルの高い現在、稚拙に近い動かない絵、それも10枚程度だ。しかしこの単調さがニワカ紙芝居屋を育てるのだ。

 7月のデイサービスでは子供向けの絵本の朗読と図書館から借りた紙芝居で勝負する。

 「先生やはり、声ですね、生徒さんはみんな声ができているので、安心して楽しめます」と言い残してNHKで俳優たちに方言指導をしている元アナウンサーは帰って行った。 

 なるほど出来はいい。申し分ないところまで出来あがつている。当初の私の予想をはるかに超えた水準だ。まだまだ伸びるだろう。