子供の頃に何度か父に甲子園に連れて行ってもらったことがある。
一番最初は小学校低学年のときで、相手は中日だったと思う。
そのシーズンは田淵が驚異的なペースで本塁打を重ねていて(しかし結局は怪我で途中でリタイア)、僕も田淵のホームランを期待していた。
一塁側の内野席後方のシートで、試合は3-0の快勝。ピッチャーは古木という名前だったかもしれない。
なんだか当然のように田淵はホームランをその試合でも打っていた。
テレビで見るホームランはたいてい高く上がる放物線のようだったが、そのときに実際に見たホームランは、低いライナーであっという間のスピードでレフトスタンドに飛び込んでいった。
それは流れ星のようなものと思えばいい。
ドラマやアニメで見る流れ星は、その動きを多少観察できるかもしれない。
しかし実際に目撃する流れ星はあっけないほど一瞬に消え去ってく。
その後も何度か甲子園には父に連れて行ってもらった。
最後に行ったのは小学校六年のときだから、中学以降は父にどこかに連れて行ってもらった経験はない。
甲子園に行くときの父は、私の隣をずんずんと歩いていて、普段はそういうことはないので、わたしはワクワクしていた。
父は皮のバックをいつも肩にかけていたように思う。
わたしたちは球場で今の観客のように旗を振り回すこともなかったし、大声で声援を送るということもしなかった。席に座ってじっと見ていた。
最初に甲子園に行ったときに、私はテレビで聴いていた声援を自分でもしてみようと思ったが、気持ちがひるんでなにもできず、一言「打て」と中途半端に叫んだことが一回ある。
甲子園に行ったときは、父にジュースも食べ物もあまり買ってもらわなかった。父親は私が頼めば何か買うつもりだったと帰宅して母に言っていたが、わたしは何か買ってもらうようにせがむのはいい子ではないと思っていたと思う。
涼風