joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

楽しいこと

2006年05月17日 | 日記


先日のエントリーで川島隆太さんのボケる条件でテレビやインターネットを見ることという話を書きましたが、ある人にそのことを話してみました。

川島さんの話に対するその人の感想は、「テレビを見ることが悪いとは限らず、楽しみを探すための代替物としてだらだらとテレビを見ることが脳に悪いのでしょう。そういう時は結局テレビを見ること自体には楽しみを見出していないので、満足を得ることができず長時間テレビを見てしまう。本当に楽しくテレビを見るときは、番組を見終わったらさっとスイッチを切ることができる」というのがその人の感想でした。

なるほど。本当に楽しいときはさっと止められるというのはそうかもしれない。

以前僕はドトールにほぼ毎日のように通っていたことがあります。東京の国立市に住んでいたとき、そこの大学通りにあるドトールのお店はとても雰囲気が良く、そこで本を読みながらロイヤルミルクティーを飲んだりすることはこの上もない至福のときでした。

しかし、雰囲気をよく楽しみ、お茶をおいしく飲み、本を楽しく読めたときは、じつは30分ぐらいで切り上げても満足感一杯でお店を後にすることが出来ます。

それに対して、なんか気分がしっくりこないなぁとかイライラしているときは、何とか喫茶店から「楽しみ」「快適さ」を引き出そうとして1時間以上粘ることもありました。

何かをしていて楽しいときは、短時間で切り上げても満足感がある。楽しくないときは、無理にでも楽しくなろうと長時間粘る。それは喫茶店でもテレビでもインターネットでもゲームでも(僕はゲームをしないが)読書でも同じなんでしょう。

楽しくないのに「楽しいはずだ」と思いこんですること、それが「脳」に良いか悪いかは知らないが、気分にはよくないと思う。気分によくないことは脳に悪いんじゃないだろうか。

テレビでも映画でもインターネットでも音楽でも、たくさん長時間接していて、それでも頭がよくまわる人というのはたくさんいるだろう。音楽家なんてずっと音楽聴いているし。

テレビや音楽自体がわるいわけではないんでしょう。

涼風


松井をW杯で見たい

2006年05月17日 | スポーツ


宇都宮徹壱さんの「23名のリストから見えるもの」を読んでいると、余計に松井大輔が落選したのが口惜しい感じがします。次のワールドカップで松井が選ばれても29歳で初出場となる。うーん、なんだか複雑な気分。

今さらチームにフィットさせる時間がないと言われればそれまでだが、しかしなぁ。

今回のメンバーで次のワールドカップに何人入るのだろうか。小野たち「黄金世代」は31歳。なかなか微妙な年齢ですね。選手によっては峠を越した人とピークを維持している人とハッキリ別れだす年齢かもしれない。

中田はどうなるかは、本人次第だと思います。彼ほどの選手なら多少運動量が落ちてもインテリジェンスでカバーできるかもしれない。ただ、本人がそこまでサッカーや代表に固執するかどうか。

いずれにしても、小野たち以下の世代がここでま少ないのも、不安ではあります。それだけ小野世代が凄すぎたのか。やむをえなかったのか。


思想家のドラッカーは、「自由」とはその社会の重要な領域で確保されてこそ有効性を発揮すると述べています。つまり、どのアイスクリームを選ぶかという自由と、どの職業を選ぶかという自由とは区別されるということです。

アイスクリームを選ぶ自由を確保しても職業を選ぶ自由が許されなければ、それは自由な社会とは言えません。

逆に、職業を選ぶ自由のある社会では、おそらく必然的にアイスクリームを選ぶ自由もあるでしょう。

スポーツにおける「自由」はどうでしょうか。サッカーの代表チームがどうあるべきかという議論が活発に・自由に行われることはどれだけ社会にとって重要なことでしょうか。

昔、ある社会学者が、会社を辞めてまで代表の遠征についていくサポーターを見て「どうみても幸せな人生とはいえない」と述べていました。

代表選手がどうあるべきかについての議論は、私達にとって単なる気晴らしでしょうか。それとも、そこには何か重要なものが隠されているでしょうか。

誰が代表に選ばれ、どういうチームが作られるかという議論は、娯楽の一つに過ぎないでしょうか。それとも、私たち自身と私達の社会について考える一つの契機でしょうか。