joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

“Good To Great” by Jim Collins

2006年05月26日 | Audiobook


“Good To Great: Why Some Companies Make The Leap...and Other's Don't”というオーディオブックをこの2月ぐらいからずっと聴いていました(毎日というわけじゃないけど)。ビジネス書ですが、とてもとても面白い内容です。

これは知っている人はご存知のように、日本でもベストセラーになった『ビジョナリー・カンパニー 2 - 飛躍の法則』の原書です。アマゾンのレビューを見るとビジネスマンの間では知らない人はいない本だったんですね。私は全然この本のことを知りませんでした。しかし聴いてみるとたしかにベストセラーになるのも頷ける充実の内容です。

オーディオCD版はCD8枚で約10時間。つまり原書が全文朗読されています。それもナレーターは著者のジム・コリンズ本人なので、彼が何を強調したいのかがよく分かります。英語がとてもゆっくりと話されているので、英語に自信のない方でもとっつきやすいんじゃないでしょうか。プロのナレーターとは違って彼の声は少し濁声(だみごえ)ですが、何度も聴いているとそのクセも気にならなくなりました。


メモを取りながら聴いたわけではないのですが、印象的だった内容について。

この本は、数ある企業の中から、70年代から90年代にかけて(目安は15年)、「そこそこ」の業績だった企業(“Good Company”)から驚異的なパフォーマンス(約3倍の業績)を示す企業(“Great Company”)へと変貌を遂げた企業11社(だったと思う)を選び、それら“Good To Great Company”を、「そこそこ」の業績しかずっと上げることのできなかった企業(“Good Company”“Comparison Company”)と比較することで、“Good To Great Company”の特徴(原因とはちがう)というもの。

“Good To Great Company”の例としては、HP、Phillip Morris、Walt Disny、Johnson & Johnson、Kimberly-Clark などが挙げられています。

・15年間で当初より3倍以上の利益を上げた企業

15年という単位を筆者が重視したのは、数年で急成長した企業でもその後急落するという例がよくあるから、それなりの期間成長し続けている企業の方がバブルであっという間に巨大になった企業よりも、筆者にとっては企業の理想型として分析に値するということです。

そう考えると日本で言えば楽天だってまだ10年経っていないし、グーグルなんて5・6年の企業なので、持続的に発展し続けるかどうか分からないんですね。アマゾンにしても赤字を脱したのはこの1・2年です。ソフトバンクは今でも赤字を続け、さらに2兆円という巨大な借り入れを行いました。これらの今をときめく企業は“Good To Great Company”には含まれないんですね。


・Not charismatic leader

著者が反面教師として何度も挙げるのはクライスラーの経営者だったアイアコッカ。そのカリスマチックな魅力でクライスラーの業績を回復したアイアコッカは、破格のボーナスや退職金をもらい、本を出すなど“スター”になりました。しかしクライスラーはアイアコッカが退職すると同時に彼がクライスラーに来るよりももっと業績が落ち込んだそうです。

要するにカリスマ的なリーダーシップで一時的に組織を立て直したよう見えても、それはその場限りの利益獲得にはつながっても、組織運営の継続的な改善にはつながってなかったということですね。リーダーが去ればまた組織が崩れるというのは、それだけその元リーダーが組織の組み立てを行わずに短視眼的にしか経営を行っていなかったことを意味します。

経営者が恰もスターのようにメディアに登場する傾向は、日本では堀江さんで頂点に達したし、私達国民は彼によって会社経営・株式市場というものへの関心を呼び起こされました。その点では堀江さんがもたらした影響には教育的なものもあったと思います。彼のおかげで、誰もが“ビジネス”というものに興味を持ち、それに対して自分はどういう思い込みで生きてきたのか反省させられました。あまりよく考えずに大学に入り組織に入る人生が当たり前と私たちは思っていましたが、そうではない人生があることを彼は教えてくれました。

キヨサキさんや本田健さんがソフトに広めた社会構造のお話(「従業員」「自営業」「ビジネスオーナー」「投資家」という社会の分類)を、もっと派手な形で堀江さんは教えてくれたわけです。

しかしかれの逮捕によって、その負の面も知るようになりました。ライブドアの企業パフォーマンスは株式の時価評価に依存し、ビジネスの実体は貧弱だったこと。ポータルサイトのショッピング・ビジネスや広告ビジネスもヤフーや楽天のニ番煎じで大きな業績を上げていたわけではないことに私たちは気づきます。

また頼みの時価評価額も、会社の実体を伴わずに、株式分割で不当に吊り上げられ続られていたに過ぎないこと。

まぁこれらのネガティブな情報もあくまで二次的情報として伝わってきているので、これ自体も信憑性が確かかどうかは検討の余地があるのですが。

いずれにしても、ライブドアが、そして他のネット企業が強烈な一人のパーソナリティに引っぱられて急成長したのは事実ですが、それは“Good To Great”の重要な条件ではないということです。

一人のカリスマがいなくなると同時にその企業の業績が下がれば、そのカリスマは企業と株主にとって本当には貢献をしていなかったことになります。その点では、カルロス・ゴーンが本当に偉大な経営者だったかどうかは、これから明らかになるということですね。

それは現在の自民党にも言えることでしょう。旧来の自民党の支持基盤を破壊して一時的に驚異的な議席を獲得しましたが、それは自民党が浮動票頼みの組織に変わったことを意味します。

元々政策の一貫性ではなく時流におもねることで躍進したのですが、昨年の選挙で完全に組織としてはあやふやな考えの議員で固められるようになったのではないかと思います。

実体のない話(「郵政民営化が構造改革である」)を争点にしたからこそ、よけいに幻想が膨らんだわけで、しぼむときはあっという間にしぼむでしょう。

いくら小泉さんでも同じ手を何度も使えないし(実際、小泉さんが選挙で勝利を収めたのは昨年の選挙だけだった)、彼ほどの天才的な劇場演出力がなければ、次の首相はかなり苦労する気がします。

もし次の首相が政策運営・国会運営・選挙で苦戦するようなことがあれば、それは現在の首相が組織を根本的に改善せず、場当たり的に“利益”を求めていたにすぎないからだという議論もできます。


著者のジム・コリンズは“Good To Great Company”の経営者は決してアイアコッカやジャック・ウェルチのようにメディアの表に出ることもないし、カリスマ的な魅力をもっていたわけでもないと言います。

むしろそれら“Good To Great Company”の経営者に共通するのは謙虚humbleなことでした。

彼らは自分の力で成し遂げたことを語るのではなく、いかに自分が恵まれていたか(“Good Luck”)を語る。なんだかみも蓋もない人生訓のようですが、そうした傾向が“Good To Great Company”のCEOには共通しているみたいです。

また必ずしもハードワークで一日3時間しか寝ないような生活をするのではなく、つねに家族との生活を大事にするなど。こうして、通常わたしたちが思い描くアングロサクソン的なエリート・ビジネスマンとは対照的な、むしろ控えめで私生活を大事にし、周りの社員と協調し、といった特性が著者によってクローズ・アップされます。

こういう箇所を聴いていると、アメリカ人自身もどこかでアメリカのビジネス競争社会が狂っていること、外部から来たCEOが何万人というレイオフを行い、同時に何億という退職金を手にして、決して下からは入れない上流社会を形作っていることの異常さを感じているのではないかと思わされます。

むしろ著者は、“Good To Great Company”の経営者は従業員との一体感があること、またその会社のよき文化が守られること、そのためにも優れたCEOはその企業内部からしか生まれないことを説きます。


・最初に重要なのはバスをどこに走らせるかではなく、誰をバスに乗せるか

上記のような経営者像を語られると、反アングロサクソン的なキレイ系のビジネス書のようにも見えるかもしれません。しかし同時に著者は人の採用・解雇についてシビアなことも指摘します。

それは、「最初に重要なのはバスをどこに走らせるかではなく、誰をバスに乗せるか」という原則。これは要するに、どういう経営戦略を採るかよりも、どういう人を会社のメンバーにするかが大切だということ。

この「誰をバスに乗せるか」に関して大切なポイントは、決してその人をモチベイトする必要がないこと。ビジネス書のコーナーに行けば最近ではコーチングの本が溢れかえり、またそれ以前にも部下のヤル気を引き出すためのマニュアル本はたくさんあったのでしょう。

しかしジム・コリンズは、大切なのは社員のヤル気を引き出すことではなく、ヤル気を引き出すような必要のない人を会社に入れることだと言います。つまり最初からその職務に適した人をそのポジションにつけることが大切なのであって、採ってから教育することは無駄であるということ。

この内容について著者は詳しく語っているわけではありませんが、こちらからモチヴェイトしなければ動かないような人は最初からそのポジションにつけてはいけないということでしょう。

むしろ著者は、モチヴェイトしなければいけないような人はそのポジションの適性がないのだから、その人のために「バスから降ろす」(降格?解雇?)べきだと言います。なぜなら自分の適性にあっていない仕事をやらされることは、その人の人生にとってもマイナスだからだと言います。

この点を著者はさらっと言います。そんなこと言われても実際に降格や左遷されたら当人はとても打ちのめされると思いますが、むしろ著者は楽天的に誰にでもある種の適性があり、それにあった仕事に就くべきだと思っているのでしょう。

ともかく会社運営で必要なことは「正しい人」を会社に引き入れ、彼らが熱くなり過ぎることのないよう気をつけることであって、彼らを熱くすることではありません。そんな無理なモチヴェイトをする必要が生じている時点で運営の失敗の目が出ているということです。

・得意なことを磨く(“Hedgehog Concept”)

必要なのは適性のある社員を入れることという考えとつながっているかもしれませんが、会社にとって大切なのは、「その会社が世界で一位になれるのは何か」を見出すことだとも著者は言います。

このように「世界で一位」になれる得意なことを磨くことを著者は“Hedgehog”(ハリネズミ)と喩え、それを“Sly Fox”と対比させます。“Sly Fox”とはたしかに優秀なのですが、やることに焦点がなく、いろいろ優れた戦略をもっていますが、その会社独自の強みがなく、そのため飛躍的に成長できない企業のことです。

著者は“Hedgehog Concept”とは“Sly Fox”とは違いもっと単純なコンセプトにのっとって行動することだと言います。強みを磨くことは、シンプルな得意技をかいはつすることなのでしょう。

“Hedgehog Concept”の説明で著者は、偉大な思想家は皆そうした単純なコンセプトをもっていると言います。アダム・スミスの「分業」、マルクスの「階級闘争」、フロイトの「無意識」etc…。どの偉大な思想家も単純な原理で社会を説明し、それゆえ後世の平凡な小秀才達からは批判されます。しかし彼ら偉大な思想家が偉大であるのは、単純でありながらたしかに社会や人間の説明として通用する原理を発見し、その原理をバージョンアップさせ続けたからです。20世紀アカデミズムの社会科学の細分化は、そうした“Hedgehog Concept”をもつ思想家を生む土壌を傷つけてきたのではないかと思います。

・文化をもつこと

またこの本では会社がどういう文化・理念をもつのかは重要ではなく、文化・理念・価値観を持つこと自体が重要であると述べ、フィリップ・モリスという企業を擁護します。こうした明らかに有害な薬物を販売する企業の存在が本当に望ましいのかは議論が分かれるところですが、著者は明確にフィリップ・モリスを支持します。

薬物がもたらす中毒症状ということを考えれば、インターネットやゲーム、映画、音楽などの産業だって中毒をもたらします。ポイントは対象の使い方にあるのであって、対象それ自体(タバコなど)ではないのかもしれません。神田昌典さんは、どんなビジネスをしたってすべての人を満足させることはできないし、絶対に批判は出てくると言いますが、それは実際にビジネスをしているから言えることなのでしょう。私には理解するのが難しい点です。



この本が出版されたのが2001年。その後の変化にこの本で取り上げられている企業がどれだけ耐えているのかは私はよく調べていません。この本ではその会社独自の文化を大切にするためにも、経営者は内部から生まれることが望ましいとされていますが、HPは外部からやり手経営者を迎え入れたことで話題になりました。

ただ、この本が指摘した“Good To Great”な会社に流れている原則は、単純に成果主義で競争を志向することでもないし、また単純に従業員主義の完全雇用・年功序列を目指しているのでももちろんありません。

聴いていて感じるのは、会社が伸びる原則として挙げられている点は、そのまま個人にも当て嵌まるように思えること。得意なことを磨くこと、無理にヤル気を出さなくてもできることをすること、幸運に感謝すること、周りの人や家族との時間を大切にすること、規律の意識をもつことetc…。これらはそのまま人生論として通用します。それだけ著者は企業というものを“生き物”として分析する視点を明確に持っていることなのでしょう。

その点では社会科学的な分析を期待する人には物足りないかもしれませんが、会社が伸びる原理の説明として、読む者(聴く者)の感覚にとても訴えてきて、いくつかの事例が挙げられただけで「そうそうそうだよなぁ」と頷いてしまう説得力があります。本能的にこの著者の言っていることは正しいのではないか、いや正しくあって欲しい、そう思ってしまいます(それはこの本の議論が必要な点でもあるかも)。

いずれにしても、時代が変化して一部の経営者が脚光を浴びる中で、より冷静に会社を見る視点を与えてくれる本であることは間違いありません。


参考:「Good to Great (邦訳ビジョナリーカンパニー2)~人生に生かしたい「Hedgehog(ハリネズミ)」の概念」『CD、テープを聴いて勉強しよう!! by ムギ』

イヤフォンあれこれ

2006年05月26日 | 家電製品にかかわること
またまたイヤフォン・ヘッドフォンのお話。

前にも書いたかもしれませんが、ポータブルMDを聴きながらウォーキングするのが日課になっていたら、聴き過ぎからか耳の中が痛くなりました。音がチクチク突き刺してくる感じです。

今ipodのブームでイヤフォン難聴が若い人たちのあいだに広がることがお医者さんにも懸念されているみたいです。

それで性能のいいイヤフォン・ヘッドフォンだとチクチクがないのかなと思って量販店でいくつか試してみました。

よくここでも取り上げていますが、BOSE製の「Triport」「QuietComfort2」はやはりいいですね。前者が2万円、後者が4万円とお高いですが、それに見合う性能なのでしょう。

今回店頭で試してみたのは今流行っているらしいカナル型イヤフォン。私がつけてみたのは「Etymotic Research ER-6I」。

カナル型という技術の原理はわかりませんが、普通のイヤフォンと違って耳栓のように耳の奥まで差し込んで音が出るのが、騒音の遮音性が高く、音も小さいボリューム数値でわりときれいな音が出ていました。たしかに普通のイヤフォンとはモノが違います。

これをつけたあとにもう一度BOSEのTrioportをつけてみると、Triportの方が音がこもって、かつヘッドフォンの側圧が感じられる分重い感じがするほど(Triportはヘッドフォンの中では破格の軽さなのですが)。

たしかに耳栓を入れているときの違和感はありますが、それを補う音のクリアさが「Etymotic Research ER-6I 」にはあります。

試しに隣にあった3万円台の「Etymotic Research ER-4P」もつけてみたら、これがさらに音をクリアに耳に伝えていました。これも値段相応の品質なのでしょう。

お金のある人or音にこだわりのある人なら、たしかに欲しくなる品です。

今回もう一つ試してみたのが、今年から店頭に並び始めたらしい骨伝導ヘッドフォン。これも原理は良く分からないのですが、通常のヘッドフォンは空気を伝わって音が届くのに対し、骨を音が伝わる仕組みらしいです。

直接耳に付けるのではなく、こめかみ寄りにつけるみたい。この付け方も素人が一人でやっていてはよくわからない。私は店員さんに教えてもらっていましたが、それでも上手くつけていたのかよくわかりませんでした。

また、つけてみてもこれが全然聴こえない。店員さんも、じつはこれは非常に個人差があり、上手く聴こえる人もいれば聴こえない人もいるとのこと。聴こえないときにボリュームを上げれば少しは聴こえますが、それはもう骨ではなく普通のヘッドフォンと同じで空気を伝って耳に届いているだけになるそうです。

私に対応してくれた店員さんはとても正直な人で、ニュアンス的には、実際のところは骨伝導で音を聴き取るのは難しいし、周りに雑音が多ければなおさら聴きにくいとのこと。

宣伝では骨伝導は難聴防止によいことを謳っているので、私は今回一番期待していたのですが、ちょっとこれは、という感じでした。まだ店頭に出始めたばかりなので、これからの技術なんでしょう。

どれもお値段が結構するのでポンと購入することもできませんでしたが、色々な新技術がでているんですね。

問題は、店頭でつけて心地よくても、本当に長時間つけていても耳の中が痛くならないのかということ。私の推測では、どうも僕の耳は音に強いわけではなさそうだし。

とりあえずは、今は私は耳を休めたいと思います。


涼風