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日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

メリット、ディメリット

2006年03月24日 | 日記

神戸市図書館に洋書の購入を頼んでみたら、「次に借りる人もいないので…」と断わられました。もちろんその場で即答されたわけではありませんが。

神戸市の図書館には日本語の本であれば大体の本が購入してもらえると思います。

公立の図書館の利用というのは習慣みたいなもので、面倒な人にとっては書店で購入するほうがいいと思えますが、一度利用するクセがつくともう駄本は買う気にはなりません。

というわけで私は重宝していてお世話にもなっているのですが、まだ洋書は買ってもらえないかな。今まで頼んだ日本語の本は買ってもらえていたので上手く行けばと思っていたのだけど。

僕の場合、なんだか気分的に「調子に乗っていると」大体途中で物事が違う方向に行き、それまでのようには進まなくなる。今回もそれと同じかな。

私の家の近くに(バスで20分ほど)は「学園都市」という所があり、四つぐらい大学があります。そのうちの一つの流通科学大学(ダイエーが創立)では一応図書館が一般市民に開放されているのですが、本の借り出しは不可能です。

国公立の大学でも市民に図書館を開放している大学というのは聞いたことがありません。しかし大学というのは公立図書館に比べたら膨大に書籍を所蔵しているので、それが市民に開放されないというのは文化利用の面で損失であるとも言えます。

大学にしてみれば構内に市民が出入りするとセキュリティの面で秩序が維持できなくなること、また図書の管理も難しくなると考えているのでしょう。


以前中谷彰宏さんはホテルに図書室を設置して本の持ち出しも無許可で自由にすることを提案しました。するとホテルの人が「そんなことをしてたくさん本を盗られたらどうするんですか?」という当然の疑問が返ってきました。

すると中谷さんは、「じゃあ、実際にどのくらい本がなくなるか、それを計測するためにも一度実施してみましょう」と提案したそうです。すると、確かにわずかに本がなくなったのですが、しかし図書館の秩序は保たれ、ほとんどの本はちゃんと図書室にもどってきたそうです。

中谷さんは、物事の悪い面・リスクだけを見ていると、その裏腹のメリットが見えなくなると言います。図書館を開放すると、かならず一定数の図書はなくなります。しかしそれと同時に図書館を利用する人が増え、「図書館」という機能が地域の中で働くようになります。

言い換えれば、一定数の本が紛失することは、「図書館」の機能が働くことにとって不可避であると言えます。

例えば、人気者になれば必ずストーカーが現れたりします。自分の意見を述べれば必ず反対・批判が現れます。自分のやりたいことをやって表舞台に立てば必ず嫉妬・攻撃が出てきます。そうしたマイナスは、自分のやりたいことをやる上で不可避だし、またそれだけ自分のパワーがまわりに放射されていることの証左にもなります。

秩序を優先して何もしなければ、わずかのリスクを怖れて、それを補って余りあるメリットを見逃すことになります。


涼風

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