joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

親子連れ 少子化 移民受け入れ 

2006年03月05日 | 日記
今日のお昼はとても暖かかったです。私はイヤフォンでMDを聴きながら近くの大蔵海岸まで歩いていきました。

大蔵海岸は砂浜が開放されているので親子連れがたくさん。小さい子供は見ていて楽しいですね。お父さんたちもお母さんたちも楽しそうでした。

こういう喜びは本人になって経験しないと本当には分からないのでしょう。自分の人生ではないですが、彼らを見ていて、働いて・結婚して・子供を作るという人生の中にある幸せを感じました。

海の水もとても透き通って、気温が暖かいので見ていて気持ちよくなりました。


少子化の原因は、お金があっても子供を産みたくないという人もいるし、お金がなくて子供を作りたくないという人もいる。結婚したくてもできない人もいる。昔と違って“好きな人と恋に落ちて”結婚したいと思っているので、結婚する人が増えないという側面もあるかもしれません。

また結婚しなくてもなんとなく生きていけるという社会になっていることも大きいかもしれません。結婚しなくても映画などの娯楽やショッピングという楽しみがあるので、無理に子供を作る必要なんてない。

「なぜ子供を作らなくてはいけないのか?」と人類史上初めて問い出したのが、日本や西欧諸国の若い人たちです。

ドイツでは、移民受け入れ政策で、移民が安い賃金で働くのでドイツの労働者が国外移住せざるをえなくなったという現実があります。労働者不足で移民受け入れを始めると、日本でも同じことが起きる可能性もあります。そうした状況になったとき、私たちは移民の人たちと幸せに共生する社会を創ることができるでしょうか?


涼風

『プライベート・ライアン』

2006年03月05日 | 映画・ドラマ
『プライベート・ライアン』という映画を観ました。もう超有名な映画ですね。でも私は先日初めて観ました。

先の大戦でアメリカは、同じ家族で戦死者が出た場合は、その家族で生き残っている他の兵士は国へ還ることを認められた(命じられた)そうです。戦地に赴いた家族全員が戦死するのは家族がかわいそうだという軍の「はからい」です。

題名は「ライアン二等兵」という意味。つまりこのライアン君の兄弟がみんな戦死したため、生き残っているライアン君を軍は家族の下へ帰還させようとします。しかしこのライアン君は戦場で行方不明のため、大尉(トム・ハンクス)率いる7名が敵の真っ只中の戦場でライアン君を捜しに行きます。

映画は、このアメリカ軍の「はからい」のため、ライアン君を捜すことを命じられた7名の兵士が命を危険に曝される姿を通じて、「なんで一人の人間を助けるために俺達が危険な目に遭うんだ」という戦争の不条理を描いています。

強制的な徴兵で多くの兵士が戦争に不満をもち、かつ一人の兵士を捜すために複数の兵士が命を危険に曝すことで、軍の身勝手な「はからい」、任務に忠実であろうとする大尉、下っ端で不満を言う兵士など、さまざまな立場から戦争の現実を照らし出していきます。

映画は、こうした特異なエピソードを通じて、戦争のさまざまな側面を描き出します。それは、ロマンも何もないただ殺戮だけが行われる側面、多くの兵士の命と国を守ろうと正義感に溢れる大尉の忠誠心、ともかく殺人マシーンとして命令に基づいて相手兵士を殺していく軍人、徴兵に不満を持つ兵士。

ラストで多少戦争を美化したような場面がありますが、スピルバーグはこの場面でも戦闘のリアリズムを追及しながら、同時にお伽噺の要素も取り入れています。これは意見の分かれるところなのでしょう。

ラストの戦闘シーンも戦争の現実を伝えますが、やはり圧巻なのが冒頭のノルマンディー上陸のシーン。戦争体験者がこのシーンを見て当時を思い出し神経症にかかったという話があるそうですが、確かにこれまでのどんな戦場シーンよりも「リアル」に見えます。このシーンを見れば、戦争にロマンを感じることのバカバカしさがよくわかります。

私はこの冒頭の場面を見て、『スターシップ・トゥルーパーズ』というSF戦争映画を思い出しました。パロディと残虐性を同時に描写した映画は、その残酷なシーンが有名ですが、まさに同様のことが実際の戦争でも行われるのだということが、『プライベート・ライアン』を観るとよく分かります。


涼風

ボスニア・ヘルツェゴビナ戦

2006年03月05日 | スポーツ
少し前の話ですが火曜日にサッカー日本VSボスニア・ヘルツェゴビナ戦を先輩のSさんとテレビ観戦しました。Sさん、ありがとうございました。

場所は三宮にあるスポーツ・バー。初めて行った場所ですが、とても雰囲気の良い店でした。店内がゆったりして料理もまずまず。テレビも大画面。お客さんも平日の9時の試合にもかかわらずたくさん来ていました。

試合のほうは、観た方はご存知のように後半は相手に押されっぱなし。

前半は「さすが中村と中田が入るだけでこんなに違うのか」と感じるプレーぶりでした。とにかく二人のところにボールが入るだけでボールが落ち着くし周りの動きも良くなるし、インド戦と違ってチーム全体が有機的に連動しているように見えました。

しかし後半にボスニア・ヘルツェゴビナが本気になった途端、サイドを何度もすごいスピードでえぐられていきます。4-4-2なので中盤とサイドが守備と攻撃のタイミングを図らないとだめなのですが、なぜかサイドから簡単にフリーでクロスを上げられて、かつゴール前でも簡単に相手をフリーにしてしまうという、スパーリング状態でした。

ヨーロッパの強豪国が本気になった途端これだけいいように操られるというのは、やはり日本と欧州との差は「ゴールデン・エイジ」が主流となってもまだまだありそうです。

Sさんと同意見だったのがサイドの人財不足。日本のように強豪相手では押し込まれるレベルの国では、サイドの守備はとても大切。かつ攻撃も少ないチャンスを生かすためにタイミングよく上がるプレーヤーが必要。

クロアチアともオーストラリアとも不安一杯になるような火曜の夜なのでした。


涼風