joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

『完全なる経営』 A・H・マズロー(著)

2006年03月25日 | Book
アブラハム・マズローの『完全なる経営』を読んだのはちょうど一年ほど前です。印象は、きれいで自己啓発・経営本に書かれてあるきれい系のことがくまなく述べられているなというものでしたが、本全体の像はそれほど残りませんでした。そこでというわけではないですが、最近改めて読み直してみました。

現代人のマズローに対する評価というものは心理学者・それ以外の学者・学者以外の人たちの間で分かれているのではというのが私の予想ですが、詳しいことは知りません。

『完全なる経営』は、きれいごとを並べ立てている訳ではありません。むしろマズローの趣旨は、きれい系の経営本を無闇に信用することへの警告にあったとも言えます。

経営を論じるに当たっても、マズローはX理論的経営とY理論的経営とを峻別します。

X理論的経営とは、権威主義的メンタリティによる経営、規則による拘束、ヒエラルヒーの固定と命令系統の強化、ボスによる部下のコントロール、自社収益中心主義、神経症的行動、怖れによる動機付け、官僚制と言えます。

それに対しY理論的経営とは、組織内における民主的対等性(ヒエラルヒーを否定するわけではない)、社員の自発性の促進、社外の状況への柔軟な対応、社会貢献の意識などと特徴づけることができます。

これだけを見れば、Y理論的経営のほうが「優れている」ことは一目瞭然です。100人の経営者に聴けば、みなY理論的経営を理想だと答えるでしょう(実践するかどうかは別として)。

しかしマズローがわざわざこの本を書いた意図の一つは、Y理論的経営の無批判的な適用は混乱をもたらすということにありました。

周知のようにマズローの欲求段階説では、低次の生命保存欲求が満たされて初めて高次の自己実現の欲求への目覚めがその人に起きるとされています。

マズローは、その会社が置かれている社会が低次欲求に支配されていれば、Y理論的経営は維持し得ないと指摘します。その例として彼は「発展途上」国の名を挙げています。

彼によれば、明日食うものに困っている状況では、短期的な利益を追い求める組織パターンが有益であり、それはY理論的経営ではないということです。

これを書いていて今思い出したのが、神田昌典さんと本田健さんとの対談『小冊子を100万部配った、革命的口コミ術とは?』

この中で、本田さんの口コミ・マーケティングと神田さんのエモーショナル・マーケティングの違いについて二人が述べています。

神田さんのエモーショナル・マーケティングとは、即効的に会社のキャッシュを増やすことを目的としたもの。そこでは、顧客の心理を吸い寄せるために、・顧客の必要・欲求の分析 ・購買手続きの簡素化(=購買までの面倒の除去) ・顧客の切迫感に訴えるチラシ(「それでもあなたは家を買いますか?」など) ・顧客の目を引いて会社の存在を知らせるネーミング(車修理会社「クルマの専門病院」、ダイエット食品「スリムドカン」等)などなど、非日常的な印象を持つ宣伝方法を用いてお客を惹きつけるテクニックを重視します(例えば『60分間・企業ダントツ化プロジェクト 顧客感情をベースにした戦略構築法』)。

そうした手法に対し本田さんは、あえて売る側がパワーを抑えることで、長期的に顧客を囲い込む方法を実践してきました。本田さんによれば、人は本来セールスされることを嫌うのだから、あえてセールスをしないことで人を惹きつけることができると、そこから口コミが広がるということです。

本田さんの意図は、無理にセールスをするのではなく、自分がしたいことをして、かつそのしたいことが消費者の欲求に合うことをちゃんと計算した上で、そこからは積極的な売込みを図らないということです。

売り込みをしないというと間違いで、むしろ正確に言えば、自分のやりたいことをなぜやりたいのか自分でつきつめて、それを人に説明することでお客を惹きつけると言ったほうがいいでしょうか。セールスではなく自分のやりたいことのシェアと言えます。

だから、そこでは神田さんが用いたようなドギツイ宣伝もなく、あくまで自然体で自分のしたいことを周りの人に説明するという感じです。そこでの目的はキャッシュではなく、自分のしたいことをして周りの人とつながることであると言えます。

こう書くと、本田さんのやり方はかなりの高等手段であると言えます。自然体と言っても、その自然体で自分のしたいことをしてかつそれが人を惹きつけるというレベルに到達していなければ、それは成功しないからです。

しかしだからこそ、一度うまく行けば本田さんのやり方では爆発的に口コミが拡がります。また本田さんのやり方ではキャッシュのためではなく自分のためというスタンスが貫かれているので、お客をひきつけるために色々とアフターケアをする必要もありません。お客さんが来たのはあくまでその人のしたいことに接したいから来たのであって、そこで期待に沿わなくても責任は売り手にないからです。

本田さんは神田さんのエモーショナル・マーケティングについて、「それは毎日閉店セールをやっているようで、疲れてしまう」とあっさり核心を衝いています。

本田さんと神田さんの違いの一つは、経営を短期的な視点で見るか長期的な視点で見るかにあります。そして、キャッシュに困っている状態で、かつビジネスの素人の場合には、おそらく神田さんのやり方が参考になります。

生きていくためにとにかくお金=生活の糧を確保すること、そういう状態では自己実現とか考える余裕は誰にもなく、とにかくお客を即効で集める必要があります。

神田さんの経営がどこまでX理論と言えるかはわかりませんが、ともかく短期的に“お金をかき集める”ことをエモーショナル・マーケティングは主眼としており、それはいまだ人類の大部分にとって必要と言えるのではないかと思います。

ただ、このX理論とY理論、キャッシュと自己実現との関係というのは、私もよく分かりません。後世の心理学者からみれば、マズローの欲求階層理論というのは科学的な根拠のないという意見もあるそうです。つまり、生命維持のための欲求が満たされなければ自己実現の欲求は湧き起らないというのは、根拠のない主張だということです。

わたしの身も蓋もない意見を言えば、マズローの欲求階層理論があてはまる人もいればそうでない人もいるというのが事実なんじゃないかな、と思うのですが。たしかに食うのに困っても自分のしたいことだけをせずにいられないという人もいるだろうし、食うのに困らなくなって初めて自己実現に目覚める人もいます。またどれだけ食うのに困らなくなっても自己実現に興味のない人もいるでしょう。

神田さんと本田さんの対談を聴いて分かることは、マーケティングも自己実現の方法も、どれが最適かはその人のパーソナリティに大きく依存するということ。

ただマズロー自身は、戦後のアメリカのよき時代に生きた彼らしく、アメリカは食うのに困らず自由で民主的な社会と彼には思え、それに対して一部の「発展途上国」は経済的に貧困で社会も独裁政権に支配され人々はY理論的経営で能力を発揮できないと考えたようです。

マズローはどこまでも「客観性」を重視した人でした。しかもその客観性は、ヴェーバーや他の社会科学者のような頭で考えた認識上の客観性ではなく、あくまで実地の検証を重ねたすえに到達する客観性です。それは理論と感覚を総合した上での客観性と言えます。

ただそのマズローにしても、かなり大きくアメリカ人的な視野の狭さを共有しているように見えます。それは上記のような、アメリカ社会は民主的であるからY理論に向いており、「発展途上国」はX理論に向いているといった言説です。

こうしたマズローの偏向は訳者も意識しており、所々彼の偏見に脚注を加えています。「自己実現」「善」などのポジティブなことを言う人にはつねに、「善」以外のものも断定することは避けられず、その際には必然的に偏見に彩られた言説が出てくる可能性があります。


ともかくマズローはY理論の経営を無条件にあらゆる状況に適用することに慎重でした。このことから彼は、ドラッカーやマクレガーを批判しています(両方とも私は未読)。

この点の強調は、マズローが当時の人間性回復運動、60年代の学生運動などに批判的であったことにつながっているのでしょう。いわゆる「ニュー・エイジ」という現象についても、彼が存命していたら、批判の眼差しを向けていたと思います。

同時に、低次元欲求が満たされている社会においては、彼は紛れもなくY理論が成功をおさめると確信していました。人間本来に備わる自己実現の欲求・善の希求という性向を、彼はお伽噺ではなく、実証に耐えうる事実とみなしていました。

その彼にとって、そうした自己実現を抑えつける権威主義的組織は成員の可能性を押し潰し、結果的に会社の業績を悪くすると考えていました。

このことはどれほど本当なのでしょうか?収益中心の組織、末端の成員にイニシアチブを与えない組織は本当に業績を上げないのでしょうか?

現実をこれと逆を示しています。派遣・契約社員の増加はむしろ補助的労働の地位を脱し得ない労働者を大量に作り出し、40代・50代になっても年収300万円を越えるのが困難な就業者を増やしています。現在の日本大企業の業績回復は、これら雇用環境の変化にもたらされたと私は予想しています。

また成果主義への支持の広がりも、マズローの予見とは反対の傾向を表わしています。

しかし同時に、これらの傾向はまだ短期的なものにすぎないと言えます。長い不況から脱する過程でこれら短期的な方策を求めた企業がこれからもそれらの措置を追及し続けるかどうかはまだ分かりません。

まず、極端に低賃金の労働者を社会に大量に放置し続けること、また業績と金銭をリンクさせる成果主義を取りつづけることは、長期的には会社自体の環境を悪化させる要因になりえること。

マズローは他の社会科学者のようにA→Bという単線的な因果関係を求める傾向を戒めていました。例えば会社の業績を挙げるという点で能率的な組織のあり方を追い求め、そこで能率的な仕事の手順の採用が採用されたとします。狭い視野の経営学ならここで分析は終わります。

しかしマズロー的な視点では、そうした手順が被雇用者の心理に及ぼす影響、被雇用者の家族に及ぼす影響、被雇用者と接する顧客への影響、その顧客が家族・地域に戻ったときに拡がる影響といった所まで考察を広げます。

例えば長時間勤務を常態としたとき、一時的な業績向上の見返りに、夫婦間の不和、家族での親の不在、子供情緒不安定、登校拒否・ひきこもりなどの発生、労働に対するネガティブな観念の発生、学校教師の負担量の増大、非行の多発、地域社会の安全の崩壊、無業者の増大、公的支出・社会保障費の増大、などなど単純に想像しても様々なネガティブな事象の発生が予想されます。

低賃金労働・不安定雇用・成果主義の増大は、少なからず社会の安定を脅かし、心理的・金銭的コストを結果的に引き起こします。

この社会安定の崩壊は、長期的には、それを招いた企業にとっては消費者の消費の減退につながり、業績悪化へと跳ね返ってきます。企業は、それを取り巻く社会環境の安定によってはじめて成り立つからです。

ここから、社会貢献とは企業にとっては単なる暇つぶしでも売名行為でもオーナーの自己満足でもなく、自らの存続にとって不可欠であることが分かります。

例えば低賃金労働者を大量に放置する体制を取り続ければ、十分な教育・視野を持たない子供が増え、企業はそれだけ優秀な雇用者の確保が困難になります。このことは中小企業にとって致命的です。

現在馬車馬のように社員を働かせることで、現経営陣は安泰かもしれませんが、企業の長期的な存続は困難になります。これは結果的に国家にとって税収の減少・社会保障費の増大へとつながって行きます。

この悪循環を断ち切るには、どこかで短期的な視野を中止し、将来的な消費の増大につながる社会の安寧を目指す体制に社会全体がスイッチを転換する必要があります。


涼風