青森市の積雪は、29日午後1時現在で46センチ。気温がマイナス2.6度。
昨日あたりから結構雪が降り続いている。
そろそろまた雪片付けをしないと、玄関先に積もった雪で車庫から車を出せなくなる。
確かに去年の冬に比べたら雪の量は少ないけれど、でもまだ分からない。1月末からいきなり何日も雪が降り続け、真冬日が1週間以上も連続した冬だってあった。
油断大敵、火がぼうぼう。
火じゃなくて、雪のほうですけどね。
水城せとなの「失恋チョコラティエ」を第7巻まですべて読み終えた。
というか、3巻あたりからは一気に読んでしまった。
面白い。
こんな面白い少女漫画も久しぶりに読んだ(本当はもっと面白い少女漫画がたくさんあるんだろうけど)。
月曜日のフジ月9ドラマももちろん欠かさず観ているけれど、原作のほうがやっぱり数倍面白い。
主人公である小動爽太(こゆるぎ そうた)の、紗絵子さんに対する片思いが漫画の主な主軸であるけど、友人のオリヴィエ・トレルイエ、仕事仲間の薫子(かおるこ)、爽太の妹のまつり、そして爽太のセフレ加藤えれな、このそれぞれの愛憎関係がとにかく面白いのだ。
第7巻は衝撃的な展開でちょっと吃驚した。
これって、テレビでそのまま放映できるの? まあ、月9のテイストとしてどうなの、って感じだけど・・・。
早く次の巻が読みたいけれど、第8巻は春になんなきゃ発売されないみたいだし、ということはテレビドラマのほうが先に終わってしまうわけで、漫画とテレビのラストが異なるということになっちゃうんだろうか?
うーむ。
そんな、今日は1月29日、水曜日。
今晩夜の10時からは、今何かと話題沸騰のドラマ「明日、ママがいない」が放映される。
このドラマ、マスコミ報道も過熱気味で、番組のスポンサーも既に何件か降板したらしく、今日の放映をもって全社が降りるというニュースも流れている。
その周辺ネタでいうと、あの「高須クリニック」が番組救済に動いているようで、新たなCMスポンサーに名乗り出たのだとか。
確かに、ドラマの中に出てくる子どもたちが付け合う「あだ名」はちょっと酷過ぎると思う。
そういう細やかな配慮が最初からなかったのだろうかと、製作者側の姿勢に対して違和感を覚えるし、ドラマの中で「ポスト」だとか「ドンキ」(親が鈍器で殴ったからドンキというあだ名を付けたという設定だ)だとか、あまりにも過激過ぎる「あだ名」ではある。
ドラマ「明日、ママがいない」は、親のいない子供たちを一時的に引き取って、里親探しに力を貸す施設であるグループホーム「コガモの家」で生活する子どもたちを描いていて、非情な対応をするホーム長だとか、学校での虐めだとか、里親の極端な対応だとか、テレビならではの過剰なデフォルメが目に付くということもないわけじゃない。
ただ、これまで放映されたすべての回を見てみても、前段で述べた部分を除けば、芦田愛菜と鈴木梨央の2人は健気に頑張っているし、同じ日テレの「家なき子」あたりのテイストと似ている部分がかなり感じられる。
匂いがおんなじなのだ。
そう思っていたら、やっぱりこのドラマの脚本、「家なき子」を企画した野島伸司(脚本監修)だった。
誤解を恐れずに言い切ると、表現の自由という大きな問題まで直面する。
このドラマを即刻中止せよと叫ぶのであれば、もっと差別的で、もっと過激で、もっと残酷で、人間を、あるいは子どもたちや女性やハンディを背負っている人たちを、真っ当な人間として扱っていない、そんな映画や雑誌や本などはこの世の中にはごまんと存在する。嫌悪感を通り越して、心が折れそうな表現を繰り返している映像媒体は星の数ほど存在している。
まずは、最後まで放映すべきである。
そして、堂々とそこから批判をし、反論をさせるべきである。
それにしても、吃驚したのは芦田愛菜だ。
実は正直に告白すると、この子役、好きじゃなかった。
「あの可愛い笑顔の後ろには、大人びた計算とか打算が隠れているんだろうなあ」というような、強い偏見を抱いていたからだ。
しかし、この「明日、ママがいない」を観てよくわかった。
芦田愛菜、いい。
それから、鈴木梨央もいい。
でもたぶん、このままだと、途中で放映中止ということになっちゃうんだろうなあ。
昨日あたりから結構雪が降り続いている。
そろそろまた雪片付けをしないと、玄関先に積もった雪で車庫から車を出せなくなる。
確かに去年の冬に比べたら雪の量は少ないけれど、でもまだ分からない。1月末からいきなり何日も雪が降り続け、真冬日が1週間以上も連続した冬だってあった。
油断大敵、火がぼうぼう。
火じゃなくて、雪のほうですけどね。
水城せとなの「失恋チョコラティエ」を第7巻まですべて読み終えた。
というか、3巻あたりからは一気に読んでしまった。
面白い。
こんな面白い少女漫画も久しぶりに読んだ(本当はもっと面白い少女漫画がたくさんあるんだろうけど)。
月曜日のフジ月9ドラマももちろん欠かさず観ているけれど、原作のほうがやっぱり数倍面白い。
主人公である小動爽太(こゆるぎ そうた)の、紗絵子さんに対する片思いが漫画の主な主軸であるけど、友人のオリヴィエ・トレルイエ、仕事仲間の薫子(かおるこ)、爽太の妹のまつり、そして爽太のセフレ加藤えれな、このそれぞれの愛憎関係がとにかく面白いのだ。
第7巻は衝撃的な展開でちょっと吃驚した。
これって、テレビでそのまま放映できるの? まあ、月9のテイストとしてどうなの、って感じだけど・・・。
早く次の巻が読みたいけれど、第8巻は春になんなきゃ発売されないみたいだし、ということはテレビドラマのほうが先に終わってしまうわけで、漫画とテレビのラストが異なるということになっちゃうんだろうか?
うーむ。
そんな、今日は1月29日、水曜日。
今晩夜の10時からは、今何かと話題沸騰のドラマ「明日、ママがいない」が放映される。
このドラマ、マスコミ報道も過熱気味で、番組のスポンサーも既に何件か降板したらしく、今日の放映をもって全社が降りるというニュースも流れている。
その周辺ネタでいうと、あの「高須クリニック」が番組救済に動いているようで、新たなCMスポンサーに名乗り出たのだとか。
確かに、ドラマの中に出てくる子どもたちが付け合う「あだ名」はちょっと酷過ぎると思う。
そういう細やかな配慮が最初からなかったのだろうかと、製作者側の姿勢に対して違和感を覚えるし、ドラマの中で「ポスト」だとか「ドンキ」(親が鈍器で殴ったからドンキというあだ名を付けたという設定だ)だとか、あまりにも過激過ぎる「あだ名」ではある。
ドラマ「明日、ママがいない」は、親のいない子供たちを一時的に引き取って、里親探しに力を貸す施設であるグループホーム「コガモの家」で生活する子どもたちを描いていて、非情な対応をするホーム長だとか、学校での虐めだとか、里親の極端な対応だとか、テレビならではの過剰なデフォルメが目に付くということもないわけじゃない。
ただ、これまで放映されたすべての回を見てみても、前段で述べた部分を除けば、芦田愛菜と鈴木梨央の2人は健気に頑張っているし、同じ日テレの「家なき子」あたりのテイストと似ている部分がかなり感じられる。
匂いがおんなじなのだ。
そう思っていたら、やっぱりこのドラマの脚本、「家なき子」を企画した野島伸司(脚本監修)だった。
誤解を恐れずに言い切ると、表現の自由という大きな問題まで直面する。
このドラマを即刻中止せよと叫ぶのであれば、もっと差別的で、もっと過激で、もっと残酷で、人間を、あるいは子どもたちや女性やハンディを背負っている人たちを、真っ当な人間として扱っていない、そんな映画や雑誌や本などはこの世の中にはごまんと存在する。嫌悪感を通り越して、心が折れそうな表現を繰り返している映像媒体は星の数ほど存在している。
まずは、最後まで放映すべきである。
そして、堂々とそこから批判をし、反論をさせるべきである。
それにしても、吃驚したのは芦田愛菜だ。
実は正直に告白すると、この子役、好きじゃなかった。
「あの可愛い笑顔の後ろには、大人びた計算とか打算が隠れているんだろうなあ」というような、強い偏見を抱いていたからだ。
しかし、この「明日、ママがいない」を観てよくわかった。
芦田愛菜、いい。
それから、鈴木梨央もいい。
でもたぶん、このままだと、途中で放映中止ということになっちゃうんだろうなあ。