淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

「Whole lottalove!」

2014年01月13日 | Weblog
 自由で希望の国、誰でも頑張れば夢が叶う国アメリカは、1%の富裕層がその他の99%の貧困層を支えている。
 あまりにも極端な超格差社会だ。

 翻って我が国、日本。
 「ホームレスの実態に関する全国調査」によれば、日本には9,500人ほどのホームレスが統計上では確認されている。
 でもそれとて、役所が定義しているホームレスの実態でしかない。
 実際に、職を失い、食べるものもなく、眠る場所もなくて、野外を転々としている人の数はこの比ではないだろう。

 ネットを見たら、最近の日本はホームレスそのものが減少する一方で、若年層を中心としたネットカフェ難民など、「見えないホームレス」が数多く存在するようになっているのだとか。

 少しの日銭を稼ぎ、アパートも友人宅もなく、仕方がないのでネットカフェで寝泊まりし続ける若者は確かにいる。
 先日もテレビのドキュメンタリー番組で、そういう都会を漂流する若者たちの実態を追っていた。

 数年前、この厳寒の街で暮らしているホームレスたちの実態を、民放地方局がニュースで流していたのを観たことがある。
 衝撃を受けた。

 その中の一人は、真冬の「青い森公園」のベンチと東屋の中に段ボールを囲って寒さをしのいでいた。
 もう一人は(中年の女性だったが)、市内の東部方面から猛吹雪の中、歩いて市内中心部までやって来て公共施設等で暖をとり、そしてまた歩いて10キロほど離れた家(らしき朽ちた建物)までの路を地吹雪に耐えながら帰ってゆく。

 それからもう一人は、追い出される直前まで「青森駅」の中で寒さをしのぎ、真夜中は凍えて死ぬかもしれないというので、ひたすら街中を徘徊し、至る場所で吹雪を回避しながら休息をとり、自動販売機の中に忘れていった小銭を探し回っていた。

 その番組を観終えてから、俺は家から10数分の場所にある「青い森公園」の中の東屋を確かめに行ってみたことがある。

 でも、これもまた偽善に満ちた、かなり薄汚い行為でしかない。
 本当にホームレスの人が居るのか居ないのか、そのことだけを確かめに足を運んだに過ぎず―その時は誰も居なかったのだが―、もしも仮にそこに極寒の中で寒さに震える人間が居たとして、俺が出来ることといったら、パンと温かい飲み物を与え、警察に通報するぐらいが関の山だ。

 第一、俺は東京を歩いていて、段ボールに包まって飢えと寒さをしのいでいるホームレスの人たちに何か親切な心でサポートしてあげるとか、お金を分け与えたことなど、たったの一度だってなかった。そんな偽善者野郎なのである。

 ただ、この凄まじい寒さに震える街の中で、本当に氷点下の真夜中、過ごし通せるものなのだろうか? それが本当に分からない。
 なので今でも、真冬になると雪に埋もれた「青い森公園」の中を覗いてみることがよくある。

 半分本気で、一度そこで一晩過ごしてみようかと考えたことがあった。
 そしたら、その死にたいほどの辛さと苦痛の中で何かが見えてくるんじゃないか? そんなアホな事を考えたのだ。

 そうでもしないと、ただ俺は恥ずかしく生きているだけだという原罪から逃れることが出来ないんじゃないか。
 一晩が無理なら、ちょっとの時間でもいい。氷点下のベンチの下に潜り込んで、そこから見えて来る何かを知っておきたい。

 そんな事を考える俺って、やっぱりどこかおかしいんだろうか?
 いや、おかしいんだろう、多分。
 最も唾棄すべき偽善者なのだろう、俺って人間は。

 日本の富裕層トップ1%の所得シェアの推移は年々増加し続けている。
 富裕層1%の所得が年々増加しているということは、残り日本国民99%の国民所得が年々減少しているということを意味している。

 今こうして猛吹雪に見舞われている街にも、それから雪は降らないけれど北風に晒されている街にも、寒さと空腹に凍えて絶望と悲観に暮れている人間たちが大勢いる。
 そして、そういう同情を抱きながら何も手を差し伸べることなく、何の行動に移す事も無く、明日からまた仕事かよと、どうでもいい瑣末な事に想い煩っている、俺のような偽善者もまた世の中には大勢いる。

 やっぱり、人生は限りなく理不尽で不可解だ。

 なんの答えもありゃしないじゃねえか。

 





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