「限界集落の真実―過疎の村は消えるか?」という「ちくま新書」から出た本がある。
書いたのは山下祐介氏だ。
山下祐介氏とは数年前、弘前大学の准教授だった頃、「津軽学」の執筆が縁で一緒に飲んだことがある。
その後、3.11大震災が発生し、現地で救援活動を行っていた氏から電話を貰って、「近隣市町村でも早急な援助をお願いします」とのメッセージを受け取った事もあった。
最近はかなりの売れっ子になってしまい、藻谷浩介氏と対談したり各メディアに登場する気鋭の論客としてその露出も多い。
しかし、消滅しそうな集落がある中にあって、逆に、人口が集中している首都圏でも限界集落の存在が指摘されている。
それは1970年代に雨後のタケノコのように乱立した「高層住宅」「公営団地」の類いである。
日本の高度成長を期に、60年代後半から70年代にかけてのベビー・ブームを背景にして、第一次ベビー・ブームとして育った「団塊の世代」と、続く70年代生まれの「団塊ジュニア」世代が、日本の成長を大きく牽引したことは紛れのない事実だろう。
首都圏に人が集まり、地方から若者たちが都会へと流れたことで急激に膨らんだ「巨大都市」は、その抱えきれなくなった人口増に対処するため、受け皿としての「団地」を首都圏近郊に次々と造成していった。
その「団地」が今、老いている。
少子高齢化。老人社会日本。人口減少。孤独死と独り暮らしの増加・・・。
子どもたちはみんな独立して別の家庭を築いて家(団地)を出る。
定年を迎えた父親と専業主婦だった母親だけが、その只ッ広い団地の中に取り残されてゆく。
やがて、2人のどちらかが先にこの世から旅立つ。残されるのは一人だ。
そのうち身体は衰え、病気を患い、年金と僅かな貯金だけで余生を過ごしていたとしても、やがて限界はやって来る。
首都圏の公営団地をはじめ、そういう限界集落の都会版のような状況が見え始めているらしい。
このままで推移すると、日本は凄まじい高齢者社会へと突入する。否、もうしている。
老後を、可愛い孫たちと成長した息子たちに囲まれて悠々自適の生活を送る、そんな勝ち組だけが世の中に存在しているわけではない。
日本は今や、大変な時代へと突入しているのである。
その点、映画「「燦(さんさん)燦」は、あくまでも前向きで明るい老人たちを描いている。
そこに、悲惨な生活や惨めな老後の人生への焦点は当たらない。
映画のテーマ自体が「77歳の婚活」というコメディタッチ仕立てなので、そのことも起因しているだろう。
映画「燦(さんさん)燦」は、介護し続けた最愛の夫を亡くした吉行和子演ずるひとり身の女性が、高齢者の婚活活動を通して、これまでとは違う新たな老後の人生を見出そうとする姿を描いている。
長い介護生活の末に、最愛の夫を亡くした77歳になる女性(吉行和子)。
息子夫婦はとっくに家を出てしまい、団地で独り淋しい生活を強いられながら、それでも前向きな毎日を送っていた彼女が、ある日突然、婚活しようと決意する。
最後のパートナー探しのため、婚活サークルで色んな男性たちと見合いを重ねた末、ついに理想の男性とめぐり合い、その男性との熟年デートを重ねてゆく・・・。
監督はこれが長編映画デビュー作となる外山文治という人。
老老介護をテーマにした短編映画「此の岸のこと」で国内外から高い評価を受けたということだけれど、その短編映画を観ていないので評価の程はよく分からない。
映画「燦(さんさん)燦」は、最後、落ち着くところに落ち着いてゆく。
大きな感動を覚えるとか、素敵な余韻に襲われるとか、笑いっぱなしに終始するとか、そういう事も別にない。
特にこのテーマで、映画にまでする必要があったのか、その点ちょっと疑問に思わなくもない。テレビの2時間ドラマでもよかった気もする。
ただ、考えるとこれはこれでとても深刻なテーマだ。
これだけ高齢者が増えると、終(つい)の新たなパートナー探しは、誰の身にも降りかかって来る、大きな大きな問題なのかもしれない。
書いたのは山下祐介氏だ。
山下祐介氏とは数年前、弘前大学の准教授だった頃、「津軽学」の執筆が縁で一緒に飲んだことがある。
その後、3.11大震災が発生し、現地で救援活動を行っていた氏から電話を貰って、「近隣市町村でも早急な援助をお願いします」とのメッセージを受け取った事もあった。
最近はかなりの売れっ子になってしまい、藻谷浩介氏と対談したり各メディアに登場する気鋭の論客としてその露出も多い。
しかし、消滅しそうな集落がある中にあって、逆に、人口が集中している首都圏でも限界集落の存在が指摘されている。
それは1970年代に雨後のタケノコのように乱立した「高層住宅」「公営団地」の類いである。
日本の高度成長を期に、60年代後半から70年代にかけてのベビー・ブームを背景にして、第一次ベビー・ブームとして育った「団塊の世代」と、続く70年代生まれの「団塊ジュニア」世代が、日本の成長を大きく牽引したことは紛れのない事実だろう。
首都圏に人が集まり、地方から若者たちが都会へと流れたことで急激に膨らんだ「巨大都市」は、その抱えきれなくなった人口増に対処するため、受け皿としての「団地」を首都圏近郊に次々と造成していった。
その「団地」が今、老いている。
少子高齢化。老人社会日本。人口減少。孤独死と独り暮らしの増加・・・。
子どもたちはみんな独立して別の家庭を築いて家(団地)を出る。
定年を迎えた父親と専業主婦だった母親だけが、その只ッ広い団地の中に取り残されてゆく。
やがて、2人のどちらかが先にこの世から旅立つ。残されるのは一人だ。
そのうち身体は衰え、病気を患い、年金と僅かな貯金だけで余生を過ごしていたとしても、やがて限界はやって来る。
首都圏の公営団地をはじめ、そういう限界集落の都会版のような状況が見え始めているらしい。
このままで推移すると、日本は凄まじい高齢者社会へと突入する。否、もうしている。
老後を、可愛い孫たちと成長した息子たちに囲まれて悠々自適の生活を送る、そんな勝ち組だけが世の中に存在しているわけではない。
日本は今や、大変な時代へと突入しているのである。
その点、映画「「燦(さんさん)燦」は、あくまでも前向きで明るい老人たちを描いている。
そこに、悲惨な生活や惨めな老後の人生への焦点は当たらない。
映画のテーマ自体が「77歳の婚活」というコメディタッチ仕立てなので、そのことも起因しているだろう。
映画「燦(さんさん)燦」は、介護し続けた最愛の夫を亡くした吉行和子演ずるひとり身の女性が、高齢者の婚活活動を通して、これまでとは違う新たな老後の人生を見出そうとする姿を描いている。
長い介護生活の末に、最愛の夫を亡くした77歳になる女性(吉行和子)。
息子夫婦はとっくに家を出てしまい、団地で独り淋しい生活を強いられながら、それでも前向きな毎日を送っていた彼女が、ある日突然、婚活しようと決意する。
最後のパートナー探しのため、婚活サークルで色んな男性たちと見合いを重ねた末、ついに理想の男性とめぐり合い、その男性との熟年デートを重ねてゆく・・・。
監督はこれが長編映画デビュー作となる外山文治という人。
老老介護をテーマにした短編映画「此の岸のこと」で国内外から高い評価を受けたということだけれど、その短編映画を観ていないので評価の程はよく分からない。
映画「燦(さんさん)燦」は、最後、落ち着くところに落ち着いてゆく。
大きな感動を覚えるとか、素敵な余韻に襲われるとか、笑いっぱなしに終始するとか、そういう事も別にない。
特にこのテーマで、映画にまでする必要があったのか、その点ちょっと疑問に思わなくもない。テレビの2時間ドラマでもよかった気もする。
ただ、考えるとこれはこれでとても深刻なテーマだ。
これだけ高齢者が増えると、終(つい)の新たなパートナー探しは、誰の身にも降りかかって来る、大きな大きな問題なのかもしれない。