1月17日金曜日。
朝5時半には目が覚めたけれど、またゆっくりと眠りに落ち、結局、携帯の音で起こされた。
朝方の東京の空は曇っている。
昨日の夜のうちに買っておいたピーナツバター・サンドイッチとパックの牛乳を飲み、「国領」駅を出る頃には雲ひとつない青空が広がっていた。
駅前で「東京新聞」を買う。110円。
東京都知事選が実質的に「細川VS舛添」という構図を受けたことで、俄かに選挙自体が活気だってきたようだ。
そんな東京都知事選の記事で埋まっている「東京新聞」を読みながら、明るい陽射しが差し込む街並みを車内の窓から眺めていた。
それにしても気持ちのいい青空だ。
気分まで違って来る。
それに、新幹線の車内でやっと書き上げた小説のこともあってか、気分は割りといい。
でも、約3日間で書き上げた短編30枚―前半の部分は前に書いてそのままほったらかしにしていたのだけれど―、じゃあ、これまでの何も書かなかった(書けなかった)空白の3年間って一体なんだったんだ?
おいっ!
追い込まれないと書かない、否、書けないこの悪い性分、ほんとになんとか改善出来ないものか・・・自分で自分が嫌になる。
ただ小説は一応完成したとして、「津軽学」の論考のほうがほとんど出来てない状態にある。
締め切りが月曜日なのに・・・これもどうしようか。
今日は新宿で仕事の打ち合わせ。某デパートに向いての細部を詰めた協議ということになる。
それが終わると、そのまま東京駅から新幹線で青森へ。これで2泊3日間の出張が終わるのだ。
たくさんの宿題を貰って、打ち合わせをした新宿のビルを出た。
平日だというのに新宿はかなりの人で賑わっている。
早足で新宿駅へと戻り、そこから中央線で東京駅。午後3時前発の新幹線にやっと乗り込めた。
車両の中まで、真冬の暖かい太陽のひかりが入り込んで来る。
遠く霞んで、新雪を被った山脈が青い空に浮き出るように聳えている。
なんて気持ちのいい天気なんだろう。
川沿いで午後の陽光を浴びながらゴルフをしている人たちが小さく見えた。
人影のない道路にもしっかりと太陽の暖かいひかりが降り注いでいて、長閑な土手の周りに茂っている緑色の草の群れにも、その陽光は優しく落ちている。
パソコンでキーボードを叩く手を緩め、暫らくの間、その穏やかな景色を車窓から眺めていた。
ところが仙台駅を過ぎて盛岡に近くなってくると、風景は激変する。
夕闇が迫って来たことも手伝ってか、白い闇へとその姿をゆっくりと変え、暗欝な雲が覆って来る。
だんだん憂鬱な気分に襲われる。
少しずつ夕暮れが遅くなってきたことだけは嬉しいけれど、青森に新幹線が近づくたびに気分は落ち込んでゆく。
何を見ても、何を話しても、何を考えても、何を行っても、今居る場所への違和感だけが消え去ってくれない。
だから、愉しいことでも心の底から楽しめない。何処かに虚しさが隠れているからだろう。
新幹線の車窓に額をぎりぎりまで付けて、山下達郎の「陽だまりの彼女」を心の中で口ずさむ。
ちょっとだけ心が和らいだ。
やっぱり、人は何かをやらずに後悔したり、怠けて何かをしてこなかったり、自分を偽って正当化していると、必ずいつか、どこかで躓(つまづ)く。
ドン詰まりになる。悔いる。激しく悔いる。徹底的に落ち込む。
そうなると、何をしても今居るこの場所が―それは単なる場所ということだけではなくて、立ち位置だったり、仕事だったり、組織だったりするわけだけど―違和感だらけの最悪の場所になってしまうのである。
これを悲劇という。
ですから諸君、わたくしを反面教師にして、悪い見本にして、教訓にして、これからの人生の荒波を乗り切ってくださいませ。
マジですよ。
いや、これさあ、ほんと苦しいんだから・・・。
朝5時半には目が覚めたけれど、またゆっくりと眠りに落ち、結局、携帯の音で起こされた。
朝方の東京の空は曇っている。
昨日の夜のうちに買っておいたピーナツバター・サンドイッチとパックの牛乳を飲み、「国領」駅を出る頃には雲ひとつない青空が広がっていた。
駅前で「東京新聞」を買う。110円。
東京都知事選が実質的に「細川VS舛添」という構図を受けたことで、俄かに選挙自体が活気だってきたようだ。
そんな東京都知事選の記事で埋まっている「東京新聞」を読みながら、明るい陽射しが差し込む街並みを車内の窓から眺めていた。
それにしても気持ちのいい青空だ。
気分まで違って来る。
それに、新幹線の車内でやっと書き上げた小説のこともあってか、気分は割りといい。
でも、約3日間で書き上げた短編30枚―前半の部分は前に書いてそのままほったらかしにしていたのだけれど―、じゃあ、これまでの何も書かなかった(書けなかった)空白の3年間って一体なんだったんだ?
おいっ!
追い込まれないと書かない、否、書けないこの悪い性分、ほんとになんとか改善出来ないものか・・・自分で自分が嫌になる。
ただ小説は一応完成したとして、「津軽学」の論考のほうがほとんど出来てない状態にある。
締め切りが月曜日なのに・・・これもどうしようか。
今日は新宿で仕事の打ち合わせ。某デパートに向いての細部を詰めた協議ということになる。
それが終わると、そのまま東京駅から新幹線で青森へ。これで2泊3日間の出張が終わるのだ。
たくさんの宿題を貰って、打ち合わせをした新宿のビルを出た。
平日だというのに新宿はかなりの人で賑わっている。
早足で新宿駅へと戻り、そこから中央線で東京駅。午後3時前発の新幹線にやっと乗り込めた。
車両の中まで、真冬の暖かい太陽のひかりが入り込んで来る。
遠く霞んで、新雪を被った山脈が青い空に浮き出るように聳えている。
なんて気持ちのいい天気なんだろう。
川沿いで午後の陽光を浴びながらゴルフをしている人たちが小さく見えた。
人影のない道路にもしっかりと太陽の暖かいひかりが降り注いでいて、長閑な土手の周りに茂っている緑色の草の群れにも、その陽光は優しく落ちている。
パソコンでキーボードを叩く手を緩め、暫らくの間、その穏やかな景色を車窓から眺めていた。
ところが仙台駅を過ぎて盛岡に近くなってくると、風景は激変する。
夕闇が迫って来たことも手伝ってか、白い闇へとその姿をゆっくりと変え、暗欝な雲が覆って来る。
だんだん憂鬱な気分に襲われる。
少しずつ夕暮れが遅くなってきたことだけは嬉しいけれど、青森に新幹線が近づくたびに気分は落ち込んでゆく。
何を見ても、何を話しても、何を考えても、何を行っても、今居る場所への違和感だけが消え去ってくれない。
だから、愉しいことでも心の底から楽しめない。何処かに虚しさが隠れているからだろう。
新幹線の車窓に額をぎりぎりまで付けて、山下達郎の「陽だまりの彼女」を心の中で口ずさむ。
ちょっとだけ心が和らいだ。
やっぱり、人は何かをやらずに後悔したり、怠けて何かをしてこなかったり、自分を偽って正当化していると、必ずいつか、どこかで躓(つまづ)く。
ドン詰まりになる。悔いる。激しく悔いる。徹底的に落ち込む。
そうなると、何をしても今居るこの場所が―それは単なる場所ということだけではなくて、立ち位置だったり、仕事だったり、組織だったりするわけだけど―違和感だらけの最悪の場所になってしまうのである。
これを悲劇という。
ですから諸君、わたくしを反面教師にして、悪い見本にして、教訓にして、これからの人生の荒波を乗り切ってくださいませ。
マジですよ。
いや、これさあ、ほんと苦しいんだから・・・。