淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

マシュー・マコノヒー主演の映画「MUD」は、「スタンド・バイ・ミー」のような少年成長ドラマ。

2014年01月21日 | Weblog
 週末が終わって、また月曜日が来たと思うとすぐに火曜日へと変わる。そしてあっという間に水曜日。それも瞬きするくらいに終わってしまい、いつの間にかもう木曜日だ。

 そうかあ、もうすぐ週末と浮足立っていると、そのうち金曜日も過ぎて、待望の土日が始まってゆくけれど、それさえ一瞬で終わってしまう・・・。
 で、また暗~い月曜日が始まる。
 そんな繰り返しなのだ、人生なんて。
 
 時間なんて儚い。
 そして人生もまた儚く過ぎてゆく。

 青春真っ只中だと思っていても、すぐにそんな黄金の時は終わってしまう―その真っ只中にいる時でさえ、ひとはその素晴らしい輝ける時間のことなど自覚しない―。

 映画では、そういう最も人間が輝いている青春の一コマをこれまで幾度となく描き続けて来た。
 最も多く描かれて来たのは、俗に言うところの「青春映画」のジャンルだろう。
 それは18歳前後における一番楽しい季節―何度も言うけど、それは後でそんなふうに感じて懐かしがるだけで、その青春の只中にいる時は、そういう自覚なんてまったくない―を、恋愛や友情や暴力や生と死などの色んなキーワードを駆使して描いて来たのである。

 青春映画の傑作は多い。
 今、個人的に思い浮かべてみても、「卒業」、「個人教授」、「ウェストサイド物語」、「ロミオとジュリエット」、「ひとりぼっちの青春」、「ビッグ・ウェンズディー」、「トレインスポッテイング」・・・まだまだ数え切れない。

 これに、日本映画と最近の洋画、それとジャンル的には少しずれていても「青春映画」(それにしても曖昧な表現だ!)として捉え直したら、もっともっと面白い映画はいっぱいあるだろう。
 だって、あの「仁義なき戦い」(第1作目と第2作目辺りとか)だって、青春映画の傑作として観ることは可能である。

 マシュー・マコノヒー主演の映画「MUD」もまた、「スタンド・バイ・ミー」のような少年成長ドラマ、青春映画の一つとして捉えることが出来る。

 映画「MUD」主人公の年齢は少し低くて14歳。
 こういう微妙な年齢―青春に突入する少し前の多感で感受性の強い年頃―を扱う映画にもまた傑作が多い。

 監督は、「テイク・シェルター」のジェフ・ニコルズ監督。主役がマシュー・マコノヒー。
 あんまり、マシュー・マコノヒーって個人的には苦手な役者だけれど、ハリウッドじゃかなり持て囃されている。

 映画の舞台はアメリカ南部の小さな街。
 その郊外の川岸に両親と暮らしている14歳の少年エリスは、ある日、無二の親友とボートに乗って出かけた河の無人中州で、謎のマッドという男と出会う。

 マッドは誰かから身を隠しているようだ。そして何かの秘密を抱えているようだ。
 少年2人は家からこっそりと盗んで来た缶詰を分け与え、壊れた古いボートに寝泊まりしているマッドと少しずつ仲良くなって、友情を育んでゆく。

 やがて少年2人は、マッドが人を殺して警察や賞金稼ぎたちから追われていることを知ってしまう。
 マッドは、幼なじみで最愛の女性(リース・ウィザースプーン)と再会するために敢えて中洲の奥に身を隠していたのだが、彼女は殺された家族たちから見張られていて、警察もマッドの行方を追っていた。

 主人公のエリスもまた、両親の不仲による離婚騒動に心を痛めていて、街で知り合った年上の女の子との初恋も絡み、マッドたちの真剣な愛の逃亡に一肌脱ごうと決心するのだが・・・。

 マシュー・マコノヒーとリース・ウィザースプーンの2人が、いい味を出している。
 それと、少年エリスの親友役の少年が、映画「スタンド・バイ・ミー」のリヴァー・フェニックスにちょっと似ていて、これもまたいい。人気が出るかもしれない。

 マシュー・マコノヒーは、この映画で今度のアカデミー賞にノミネートされるのではないかという噂があるけれど、映画自体、全体的に悪くない仕上がりにはなっている。

 ただ、だからといって、この映画があの佳作「スタンド・バイ・ミー」と同列視出来るほどの映画かと問われたら、そこまでは行ってないと答えるしかないだろう。

 ラストがイマイチなのである。
 ここに、ビターな青春前夜の切なさが加わっていたなら、かなりの線まで到達出来たかもしれないけれど・・・。









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