淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

「『私』という病い」

2006年12月04日 | Weblog
 昨日の日曜日、起きたら外は銀世界。
 というよりも、いきなりの大雪だった。
 突然、何の脈絡もなく吉野家の牛丼が食べたくなって、吹雪の中、車を飛ばす。店の前に着くと、牛丼はお昼限定との掲示板。仕方がないから、キムチ豚丼をテイクアウト。
 えーん。牛丼、食べたかったよ~。

 午後からは駅前のスポーツ・ジム。
 雪が凄い。ダッフル・コートを着込んで、雪道をとぼとぼと歩いて向かう。
 激しい雪が、北風を伴って襲って来る。空はどこまでも暗い。これに、あと4ヶ月間耐えなきゃいけないのかよ。厭になる。

 日曜日のジムは、ひっそりしていた。
 いつもなら、日曜日の午後はマシンを使う人たちで混雑しているのに、今日は誰もいない。この雪だもんなあ。みんな家でゆっくり寛いでるんだろうなあ。
 4キロ走って、そのあと「禅ヨガ」のクラスを受ける。

 マットを敷いて、インストラクターの先生の指示通りに体を動かす。何たって、まだ慣れてないから戸惑いもあるけれど、とてもリラックスすることだけは確かだ。
 額の前で、静かに合掌。
 ゆっくりと息を吸い込み、そしてその二倍の長さで吐き出す。「パワー・ヨガ」と違って、とてもゆっくりとした動作が繰り返される。五感を意識して、呼吸と一緒に体のすべてを再確認してゆく・・・。

 サウナに入って、熱いシャワーを浴び、また厳寒の街へと飛び出した。
 帰宅して、芥川賞作家で僧侶でもある、玄侑宗久(げんゆう・そうきゅう)氏の「現代語訳 般若心経」を読む。

 四苦八苦とは何か?
 「生老病死」の四苦。そして、「愛する人と別れる苦しみ」、「憎らしい人と会わなければならない苦しみ」、「求めるものが手に入らない苦しみ」、「人間を構成する体と心が、自然に活動してしまうことで『私』を苦しめること」、これらが四苦八苦である。

 仏陀はいう(勿論、実際は、その後の弟子たちが書き物として伝達しただけだけれど)。
 一切は空なのだと。色即是空なのだと。かたちもなければ、色もない。ただ、一切は流れて変化し続けるだけなのだと。世は無常でしかないのだと。
 しかし、そこに『私』という厄介な概念が乱入してくる。我という厄介者が、心のわだかまりを作り、恐怖を作り、苦悩を生み出してゆく。
 
 玄侑宗久は、こうも述べる。
 「死にたいと思ったら、ビルから飛び降りるとか電車に飛び込むとかせずに、水に飛び込んでみたらいい。そうすると、死にたい『私』に関係なく、『からだ』は生きたいともがくに決まっています。『死にたい』と願っていたのは、実は『私』だけだったのです。つまり、脳細胞の一部だけが望み、ほかの細胞はすべて『生きたい』と願っているということが解るのです」と。

 般若心経。
 「私たちの、体や精神作用は、すべて自性を持たない」。「生じたり滅したりしないし、汚れたりきれいになったりもしない」。「減ることも増すこともない」・・・。
 この般若心経の全262文字の中に、すべてがあった。

 ・・・知らなかった・・・。




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6代目ジェームズ・ボンドにダニエル・クレイグ。映画「007 カジノ・ロワイヤル」の出来や如何に。 

2006年12月03日 | Weblog
 最初、ニュー・ジェームズ・ボンドにダニエル・クレイグが決まったと聞いたときは、ちょっとがっかりした。だって、そんなイケメンというわけでもないし、どちらかと言えば武骨で、スマートさに欠けるような印象を持ったからだ。どうしても前任者と比較してしまう。
 それに、ボンド・ガールも、クランク・イン直前まで中々決まらず、映画自体も遅れるのではという憶測も流れたほどだ。

 そして、遂に全米公開。
 これまでの007シリーズを制作していたMGMは、ソニー(コロンビア・ピクチャーズ)に買収されたため、今回からの配給は当然ソニーが担うことになり、どの程度の興行収益が上がるのかも注目されてのアメリカ公開となった。

 ふたを開けたら、大ヒット。公開二週目で1億ドル突破。首位はペンギン・アニメに譲ったけれど、それも僅差ということで、前作を凌ぐ勢いの大ヒットと相成った。

 今回は、主役にダニエル・クレイグ(「ミュンヘン」「レイヤー・ケーキ」)を迎えての、イアン・フレミングによる最初の原作を元にした、ジェームズ・ボンドが007になるまでを描くシリーズ第21作ということになる。

 そして何と、脚本には、あの傑作「クラッシュ」や、現在日本でも公開中の映画「父親たちの星条旗」のポール・ハギスが参加したのである。
 もうこれを聞いただけで、心は踊り、俄然、映画への興味が増してしまった。
 それから、監督には第17作「ゴールデンアイ」以来の再登板となったマーティン・キャンベル。「マスク・オブ・ゾロ」や「バーティカル・リミット」も撮っている。無難と言えば無難な選択かも。

 映画館は、超満員。
 やはり、007というネーム・バリューだけでこれだけの動員力があるんだなあと、思わず唸ってしまった。僕が働く組織の№2の方も、御夫婦で観にいらしていた。最後尾の列に座って、珈琲とポップコーンを頬張りながら映画の上映を待つ。

 映画は、冒頭から激しく動く。
 アクション映画には定番の追っかけっこも、これまでの007シリーズで展開されてきたド派手で荒唐無稽で、余りにも「あり得ねえ!」パターンは極力排し、生身の人間による、汗と痛みの感じるものへと変えている。
 なにしろ、主役のダニエル・クレイグ。走る、走る。全力疾走で敵を追いかける。これまでのボンドの洗練さやかっこよさはないけれど、その肉体美もあわせてよく動き回る。

 そうなると、何かこのニュー・ボンド、違和感なく見られ、だんだんピッタリと映画の中に嵌まってくるから不思議だ。
 
 ジェームズ・ボンド最初の任務は、世界中のテロリストを資金面で支える男、ル・シッフルという危険人物の資金を絶つことだった。
 その男がモンテネグロの「カジノ・ロワイヤル」で大勝負に出ることが明らかとなることから、ボンドはその目論見を阻止し、ル・シッフルの組織を壊滅に追い込むためモンテネグロへと向かう。そして、そのボンドのもとに、Mは監視役として美女ヴェスパー・リンドを送り込む。
 最初は反発し合う二人だったが、任務を遂行するうち次第に二人は心を惹かれていく・・・。

 今回は、ラブ・ストーリーの要素が多少濃い。なので、ノン・ストップ・アクションのたぐいを期待すると失望感が漂うかも。
 ただ、アカデミー賞を取ったポール・ハギスが加わった脚本は、きちんと一本太い線が通っていて、映画としての完成度も高い。

 次回も期待できそうだ。




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木村拓哉×山田洋次×藤沢周平の、映画「武士の一分」。ラストは秀抜! 絶対観るべし!

2006年12月02日 | Weblog
 ちょっと大袈裟に言っちゃえば、とにかく、この映画を観ることだけを楽しみに生きていたといっていい。特に、ここ一週間は。
 あの、藤沢周平の原作である。これまでの「たそがれ清兵衛」、「隠し剣 鬼の爪」、そして「蝉しぐれ」。そのどれもが素晴らしい作品だった。

 特に山田洋次監督作品としては、「たそがれ清兵衛」「隠し剣 鬼の爪」に続く、時代劇3部作の最終章ということにもなる。そして主演がキムタク。原作は「隠し剣秋風抄」所収の「盲目剣谺(こだま)返し」。
 前評判も高かった。もう観たくて、観たくて、12月1日の封切りを心待ちにしていたのである。

 三村新之丞(木村拓哉)は、東北のある小さな藩に仕える三十石の下級武士だ。
剣術の覚えもあるけれど、現在の勤めは殿様の毒味役に甘んじていて、張り合いのない役目に不満を持ちながら、美しく気立てのいい妻・加代(壇れい)と平和な日々を送っている。
 ところがある日、毒味の際、貝の毒にあたり、一命は取り留めたものの、結局、失明してしまう。
 そのことに深く絶望し、自ら命を絶とうとする新之丞を、加代は懸命に思い留まらせる。しかし、武士としての勤めを果たせなくなった以上、藩の沙汰次第では生きていくことさえも叶わないのだ。
 親戚縁者が集まり、今後の身の振り方を相談する席で、加代は、嫁入り前からの顔見知りだった、藩の上級武士である島田藤弥のことを話し、その人に相談を持ちかけるよう説得される。このままでは、明日の米代にも事欠く有様なのだ、もうほかに頼る者はない。
 そして、それが悲劇の始まりとなる・・・。

 確かに、前半は単調に推移するかもしれない。
 「隠し剣 鬼の爪」や「蝉しぐれ」のような、物語の急展開やお家騒動が持ち上がるわけでもない。実に淡々と、夫と妻、そして使用人の暖かな触れ合いが語られてゆく。
 時には軽いユーモアさえ出しながら。

 後半、映画は一気に動き出す。
 その後半が、生き生きと瑞々しい「動」をみせるのは、この映画の前半部分における「静」があってこそ。
 
 木村拓哉、檀れい、笹野高史、桃井かおり、大地康雄、緒形拳、坂東三津五郎。すべての役者がいい味を出している。
 特に、檀れいと、笹野高史。はっきり言って演技賞ものである。と言うか、この二人、今年度各映画賞の、助演女優賞と助演男優賞の最有力候補なのではないか。

 勿論、欠点もある。いささか性急過ぎる展開がないわけではない。
 ゆったりとした前半と、先を急ぎすぎる後半との乖離に、少し違和感を覚える人もいるだろう。

 しっかし、ラスト数十分!
 こう来たかという感じで、思わず唸る。
 最後の「落としどころ」には、迂闊にも泣いてしまった。もう、涙がボロボロ零れ落ちて、帰りのトイレで鏡を見たら目が真っ赤に腫れていた。

 ラストは秀抜である!
 こういうラストこそが、映画の醍醐味だ。
 絶対、観るべし!!


 

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いやあ、マジでリラックス! 「ヨガ」ってこんな素晴らしいものだったんだ!

2006年12月01日 | Weblog
 ヨガの素晴らしい効用って、よく雑誌や書物なんかで紹介されていたけれど、個人的には、半信半疑で「ふーん」なんて思っていた。ヨガを積極的にやってみたいなんて全く思わなかった。
 それよりは、エアロビクスでどっぷりと汗を掻き、滅茶苦茶に体を苛め抜いたほうがスッキリとして気持ちがいい。なんかヨガって、淡白な感じがしてイマイチやってみたいという気分にはさせてくれなかったのである。

 ところが最近、ブラッド・ピッドと離婚した女優のジェニファー・アニストンが、雑誌のインタビューに対して、ブラビとの離婚による深い悲しみを今、ヨガによって癒している、ヨガって本当に素晴らしい!という趣旨の発言をしているのを目にした。

 それから、もうひとつは、ある有名なアメリカの心理学者の著書に書かれていた「ヨガをすることで心が軽くなる。ヨガは私の人生にとって最も重要なものだ」という言葉である。
 そんなに凄いの? ヨガって?
 じゃあ、やってみるしかないでしょう。

 灯台下暗しというか、そういえば、いつも通ってるスポーツ・ジムでも「パワー・ヨガ」とか「禅ヨガ」とか、様々なヨガのメニューが行われていたっけなあ。
 で、即、体験してみた。

 いきなり試してみたのが、パワー・ヨガ。
 このパワー・ヨガ、肉体に負荷をかけることにより脂肪を燃焼させ、美しい肉体を作ることを目的として主にアメリカで開発されたものらしい。ハリウッドスターを中心に一大ブームとなり先進諸国に広がったことから「ハリウッド・ヨガ」ともいうのだとか。

 少しドキドキ。
 マットを用意して、スタジオの一番後ろに陣取った。横の人を見たら、裸足になってリラックスしている。そうか、靴下とシューズは脱ぐわけね。

 そしてスタート。
 環境音楽というか、インド音楽というか、ゆったりとしたBGMがスタジオ内を満たす。合掌のポーズを含め、基本は大きく息を吸い、それからゆっくりとまた息を吐き出す。これを何度も繰り返す。
 ただ、パワー・ヨガというだけあって、素早い動作の繰り返しや激しいポーズもなくはない。なので、薄っすらと汗が滲む。
 一つのポーズをとったまま一定時間静止した上で次のポーズに移行するのに比べ、各種ポーズをストレッチのように一連の流れの中で行うのが特徴なのだろう。
 でも、このパワー・ヨガ。ちょっと間違えると、腰痛とか関節痛などを引き起こすかも。

 一連の動作を行い、最後はマットの上に横たわり、目を閉じてリラックス。スタジオの電気も消えた。ゆっくりと呼吸を吸い、それから吐き出してゆく・・・。
 インストラクターが、体と心を調和させてくださいと何度も囁くけれど、ポーズ自体が初体験なので、そこまでなかなか集中できないもどかしさがある。

 それはそれとして、確かにリラックスできる。ポーズをきちんと把握したら、もっと自分の動きに余裕が出来るかもしれない。
 でも、瞑想の世界にまでは行き着けなかったけどね。って当たり前か。まだ体験して一回目だもんな。これってハマると、病みつきかも!

 よし! 次は「禅ヨガ」に挑戦しよう!




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