昨日の日曜日、起きたら外は銀世界。
というよりも、いきなりの大雪だった。
突然、何の脈絡もなく吉野家の牛丼が食べたくなって、吹雪の中、車を飛ばす。店の前に着くと、牛丼はお昼限定との掲示板。仕方がないから、キムチ豚丼をテイクアウト。
えーん。牛丼、食べたかったよ~。
午後からは駅前のスポーツ・ジム。
雪が凄い。ダッフル・コートを着込んで、雪道をとぼとぼと歩いて向かう。
激しい雪が、北風を伴って襲って来る。空はどこまでも暗い。これに、あと4ヶ月間耐えなきゃいけないのかよ。厭になる。
日曜日のジムは、ひっそりしていた。
いつもなら、日曜日の午後はマシンを使う人たちで混雑しているのに、今日は誰もいない。この雪だもんなあ。みんな家でゆっくり寛いでるんだろうなあ。
4キロ走って、そのあと「禅ヨガ」のクラスを受ける。
マットを敷いて、インストラクターの先生の指示通りに体を動かす。何たって、まだ慣れてないから戸惑いもあるけれど、とてもリラックスすることだけは確かだ。
額の前で、静かに合掌。
ゆっくりと息を吸い込み、そしてその二倍の長さで吐き出す。「パワー・ヨガ」と違って、とてもゆっくりとした動作が繰り返される。五感を意識して、呼吸と一緒に体のすべてを再確認してゆく・・・。
サウナに入って、熱いシャワーを浴び、また厳寒の街へと飛び出した。
帰宅して、芥川賞作家で僧侶でもある、玄侑宗久(げんゆう・そうきゅう)氏の「現代語訳 般若心経」を読む。
四苦八苦とは何か?
「生老病死」の四苦。そして、「愛する人と別れる苦しみ」、「憎らしい人と会わなければならない苦しみ」、「求めるものが手に入らない苦しみ」、「人間を構成する体と心が、自然に活動してしまうことで『私』を苦しめること」、これらが四苦八苦である。
仏陀はいう(勿論、実際は、その後の弟子たちが書き物として伝達しただけだけれど)。
一切は空なのだと。色即是空なのだと。かたちもなければ、色もない。ただ、一切は流れて変化し続けるだけなのだと。世は無常でしかないのだと。
しかし、そこに『私』という厄介な概念が乱入してくる。我という厄介者が、心のわだかまりを作り、恐怖を作り、苦悩を生み出してゆく。
玄侑宗久は、こうも述べる。
「死にたいと思ったら、ビルから飛び降りるとか電車に飛び込むとかせずに、水に飛び込んでみたらいい。そうすると、死にたい『私』に関係なく、『からだ』は生きたいともがくに決まっています。『死にたい』と願っていたのは、実は『私』だけだったのです。つまり、脳細胞の一部だけが望み、ほかの細胞はすべて『生きたい』と願っているということが解るのです」と。
般若心経。
「私たちの、体や精神作用は、すべて自性を持たない」。「生じたり滅したりしないし、汚れたりきれいになったりもしない」。「減ることも増すこともない」・・・。
この般若心経の全262文字の中に、すべてがあった。
・・・知らなかった・・・。
というよりも、いきなりの大雪だった。
突然、何の脈絡もなく吉野家の牛丼が食べたくなって、吹雪の中、車を飛ばす。店の前に着くと、牛丼はお昼限定との掲示板。仕方がないから、キムチ豚丼をテイクアウト。
えーん。牛丼、食べたかったよ~。
午後からは駅前のスポーツ・ジム。
雪が凄い。ダッフル・コートを着込んで、雪道をとぼとぼと歩いて向かう。
激しい雪が、北風を伴って襲って来る。空はどこまでも暗い。これに、あと4ヶ月間耐えなきゃいけないのかよ。厭になる。
日曜日のジムは、ひっそりしていた。
いつもなら、日曜日の午後はマシンを使う人たちで混雑しているのに、今日は誰もいない。この雪だもんなあ。みんな家でゆっくり寛いでるんだろうなあ。
4キロ走って、そのあと「禅ヨガ」のクラスを受ける。
マットを敷いて、インストラクターの先生の指示通りに体を動かす。何たって、まだ慣れてないから戸惑いもあるけれど、とてもリラックスすることだけは確かだ。
額の前で、静かに合掌。
ゆっくりと息を吸い込み、そしてその二倍の長さで吐き出す。「パワー・ヨガ」と違って、とてもゆっくりとした動作が繰り返される。五感を意識して、呼吸と一緒に体のすべてを再確認してゆく・・・。
サウナに入って、熱いシャワーを浴び、また厳寒の街へと飛び出した。
帰宅して、芥川賞作家で僧侶でもある、玄侑宗久(げんゆう・そうきゅう)氏の「現代語訳 般若心経」を読む。
四苦八苦とは何か?
「生老病死」の四苦。そして、「愛する人と別れる苦しみ」、「憎らしい人と会わなければならない苦しみ」、「求めるものが手に入らない苦しみ」、「人間を構成する体と心が、自然に活動してしまうことで『私』を苦しめること」、これらが四苦八苦である。
仏陀はいう(勿論、実際は、その後の弟子たちが書き物として伝達しただけだけれど)。
一切は空なのだと。色即是空なのだと。かたちもなければ、色もない。ただ、一切は流れて変化し続けるだけなのだと。世は無常でしかないのだと。
しかし、そこに『私』という厄介な概念が乱入してくる。我という厄介者が、心のわだかまりを作り、恐怖を作り、苦悩を生み出してゆく。
玄侑宗久は、こうも述べる。
「死にたいと思ったら、ビルから飛び降りるとか電車に飛び込むとかせずに、水に飛び込んでみたらいい。そうすると、死にたい『私』に関係なく、『からだ』は生きたいともがくに決まっています。『死にたい』と願っていたのは、実は『私』だけだったのです。つまり、脳細胞の一部だけが望み、ほかの細胞はすべて『生きたい』と願っているということが解るのです」と。
般若心経。
「私たちの、体や精神作用は、すべて自性を持たない」。「生じたり滅したりしないし、汚れたりきれいになったりもしない」。「減ることも増すこともない」・・・。
この般若心経の全262文字の中に、すべてがあった。
・・・知らなかった・・・。