淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

クリスマスの狂乱に沸き返る渋谷の映画館で、ドキュメンタリー映画「ダーウィンの悪夢」を観て独り考える。

2006年12月25日 | Weblog
 ドキュメンタリー映画「ダーウィンの悪夢」を観終え、明るい冬の太陽が降り注ぐ渋谷の街を歩いたら、さっきまで僕に突き付けられた、アフリカの現実との余りにも大きな落差に少し唖然としてしまった。
 街を行き交う人々はクリスマス気分に高揚していて、誰も彼もが能天気にはしゃいでいるようにさえ思えてくる。

 勿論、ホームレスや年末を越すことさえ難儀な人間もいることはいる。でも、この国に住まう人々の大部分には、相変わらず飽食と浮かれ気分が蔓延しているし、危機意識の薄い、グローバリズムとは無縁な、張りぼてのアジアの大国であることに変わりはない。
 国家間、地域間、世代間、その他を含めて、様々な形での「格差」という怪物が、いかに世界規模で広がっているかを深く考えさせられる。

 「ダーウィンの悪夢」は、グローバル経済に吸い込まれたアフリカの一地域で引き起こされた悪夢のような現実を、真摯に描き出したドキュメンタリー映画である。
 映画の切符を買い求めようと並んだら、次から次へと後列が膨らみ始めていった。それだけ話題性に満ちた映画だということが分る。上映初日ということが当然あるとしても。

 アフリカのビクトリア湖という大きな湖には、かつて多様な生物が生息していた。
 それをもって、「ダーウィンの箱庭」とも呼ばれていたビクトリア湖に、今から半世紀ほど前に、外から持ち込まれた肉食の「ナイルパーチ」という巨大な魚が放たれたのである。
 「ナイルパーチ」は、元からこの湖に住んでいた様々な種類の魚たちを次々と駆逐してゆき、爆発的に増殖し続けることで、湖の生態系そのものを破壊してゆく。

 この「ナイルパーチ」という魚、淡泊な白身魚ということで、食用としてもEUや日本で大変好まれるらしく、湖畔の町に「ナイルパーチ」を加工・輸出する一大産業が誕生することになるのである。
 つまりこの日本で、僕たちも、白身魚のフライとして、いつも食卓や弁当のオカズの一品としていつも食しているのだ。

 ここから、悲劇が生まれる。
 新たな加工・輸出会社は、地域社会にたくさんの雇用を生み出し、それが一部の富をもたらす一方で、すさまじいまでの「格差社会」を招くことにも繋がってゆく。
 街には、売春やエイズ、それからストリートチルドレン、ドラッグがあふれかえる。
 映画は、エイズで死んでゆく人たち、街で売春をしながら生計を立てる女性たち、物乞いをし、暴力を受けながらも、街の舗道で夜をしのぐ小さな子どもたちの姿を執拗に追ってゆく。

 一方で、旧ソ連からやって来て大量の魚を積み、EUへと空輸していく飛行機にも疑惑が向けられる。
 膨大な武器や弾薬を積んでいるのではないか? そしてその武器類が、アフリカの内戦を助長し、回りまわってこのような貧困が生まれているのではないのか? それらを映画はインタビューを交え問い詰める。

 映画は、工場経営者や輸送機のパイロット、そして彼らに群がる売春婦たち、ウジや泥に塗れながら廃棄された「ナイルパーチ」のアラを貪り食う地元民たち、暴力や飢えに苦しみ粗悪なドラッグに手を染めるストリートチルドレンたちの生活を映し出し、グローバル経済システムに組み込まれた各階層それぞれに光を当てながら、グローバリゼーションの縮図とも言えるこの街で繰り広げられる、恐るべき日常を世界に告発する。

 何ともやり切れない、負の連鎖。
 明確な結論は出ない。でもこのままでいいわけもない。
 俺もそのうち、この映画のことなど頭の隅に追いやり、コンビニで買い求めた弁当に入っているフライの白身魚を美味そうに口に頬張るんだろうな。

 しかし、この「ダーウィンの悪夢」、一見の価値はあるかも。




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「GO!」

2006年12月25日 | Weblog



        きっと明日は君の街へ
        パレードはやって来る


                      



        

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