フィクションのチカラ(中央大学教授・宇佐美毅のブログ)
テレビドラマ・映画・演劇など、フィクション世界への感想や、その他日々考えたことなどを掲載しています。
 



 このところ、多くの方から著書を送っていただいたのですが、いろいろと忙しくて、個々の本のことをブログに載せることができませんでした。まとめてで申し訳ないのですが、簡単に紹介させていただこうと思います。


原仁司氏の著書
『中心の探求 言語をめぐる〈愛〉と〈罪〉』 (学芸書林、2,800円+税)

 ル・クレジオから柳美里、太宰治、さらには絵画や映像まで論じられた評論集で、著者・原仁司氏の関心領域の幅広さに感嘆します。これまでにも何本か原氏の論文は読ませてもらっていますが、いずれも狭い日本文学の枠に閉じられておらず、また、御自身の主張が鮮明に打ち出されていることが強く印象に残っています。私はどちらかというと、客観性を重視しすぎて自分の独自色が出にくい方なので、原氏のような独自の主張を明確に出していくお仕事に魅力を感じます。


風丸良彦氏の著書
『村上春樹〈訳〉短編再読』 (みすず書房、2600円+税)

 小説家としてだけでなく、翻訳家としても知られている村上春樹が翻訳したアメリカ文学作品を論じた本です。興味深いのは「序」で、個々の作家作品を論じた研究は多くありますが、実はこうした「文学とは何か」「文学研究とは何か」といった内容を学部学生にわかりやすく講義するような研究書・論文にはなかなか出会えません。学部1、2年次に読ませるような文章としても適切な内容になっています。


柴田勝二氏の著書
『中上健次と村上春樹〈脱六〇年代的世界のゆくえ〉』 (東京外国語大学出版会、2500円+税)

 中上健次と村上春樹は、対照的な作家と受けとめられることが多かったように思いますが、「六〇年代」をモチーフとして「ポストモダンの時代を描く作家同士」という共通項で論じられると指摘されています。私も中上と村上を対照的に捉えていた人間の一人なので、そのような論旨を読んでみると、「そう言えば」と思い当たることがいくつもあります。
 また、東京外国語大学の出版会創立第1冊めの本とのこと、それにふさわしい立派な本だと思いました。


飯田祐子氏・島村輝氏・高橋修氏・中山昭彦氏の編著
『少女少年のポリティクス』 (青弓社、3000円+税)

 文学作品やメディアに描かれた「少女少年」像を考察した論文集で、「少年少女」ではなく、「少女少年」としているところに意味があります。多くの論考が並んでいますが、一例をあげると、中山昭彦さんの論文「断種と玉体――国民優生法と齟齬の〈帝国〉」。たいへんなボリュームのある、国民優生法をめぐる論考で、私などが漠然と持っていた優生保護法のイメージと大きく異なり、さまざまな齟齬をかかえこんだことがわかりました。そのような齟齬が靖国問題へもつながるという指摘も興味深いものでした。



竹村民郎氏・鈴木貞美氏の編著
『関西モダニズム再考』 (思文閣出版、8500円+税)

価格からもわかるかなり厚い本です。その中で、増田周子さんの論考に興味を持ちました。増田さんの論文「大阪におけるカフェ文化と文藝運動」では東京と大阪のカフェ文化の比較がなされており、大阪のそれの密度の濃さや積極的な雑誌刊行のことが指摘されていました。こうした観点から文芸運動を見てみたことがなかったので、勉強になりました。


『多喜二の視点から見た〈身体〉〈地域〉〈教育〉 オックスフォード小林多喜二記念シンポジウム』 (小樽商科大学出版会/紀伊国屋書店、2,000円+税)

 本のサブタイトルにもあるように、英国オックスフォード大学でおこなわれた小林多喜二をめぐるシンポジウムの記録本で、全体のコーディネート責任者はプロレタリア文学研究者の島村輝さんでした。その中の山崎眞紀子さんの報告記録「拷問における身体の収奪」は、小林多喜二『一九二八・三・一五』と村上春樹『貧乏な叔母さんの話』を関連させて論じたものです。私は、多喜二と村上春樹のつながりは考えたこともなかったのですが、身体の問題から「自分の体は自分のものである」ことを奪うシステムの考察、興味深く読みました。


張季琳氏の著書
『台湾における下村湖人 文教官僚から作家へ』 (
東方書店、3500円+税)

 台湾滞在中の下村湖人を考察した研究書です。これまで十分に示されてこなかった台湾側資料を駆使していて、しかも、日本政府系の台湾新聞『台湾日日新報』、台湾人側の新聞『台湾民報』、さらには当事者の自伝などを活用しており、資料的にきわめて価値が高い研究書です。こういうテーマは、日本側と台湾側の立場によって大きな違いが生じるものですが、詳しい資料に基づいた研究で、どちらの立場にも偏らない客観的な考察を貫いた、立派な研究書でした。


斉藤孝氏の著書
『社会科学情報のオントロジー』 (中央大学出版部、4700円+税)

 情報科学的な頭を持っていない私には、とても完全に理解できるわけではないのですが、斉藤氏がここ数年一貫して言語情報のあり方の解明という大きな課題に取り組んできたことはわかるつもりです。たとえば、この本の最初の方を読んでみただけでも、「○○は○○を教える」といった日常当然のように発している一文でも、その言語情報としてのあり方を解明しようとしたらそれがいかに難しいことなのか、思い知らされます。そして、「クラスと関係性」という概念がそれを解く手がかりなるということを勉強させてもらいました。ここで問われている問題はけっして一つの学問分野にとどまることではなく、情報学・社会科学・哲学などにも通じるきわめて大きな問題だということを感じました。



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