(石巻市にまだ残る瓦礫の山)
青森市で講演するにあたって、その前に宮城県石巻市へ寄り、プロジェクト結(ゆい)の活動を見てきました。
プロジェクト結は次のような活動をする団体です。
主に、子どもたちの放課後の学びと遊びの場づくりを展開する「日常支援」と、子どもたちや地域の方を元気づけるイベントの企画・開催を展開する「非日常支援」を行います(ウェブページより)。
今回この団体を訪ねたのは、私が中央大学大学院で指導した卒業生の塚原諒君が、この団体のメンバーとして活動しているからです。塚原君は大学院在学中からこの団体の活動に加わり、今春に大学院を修了した後は、この団体の有償ボランティアをして活動しています。
私は、10歳から18歳まで宮城県仙台市で育ちましたので、東日本大震災に際しては多くの友人・知人が被災しました。震災後もそういった人々と連絡をとりあったり、私なりに寄付をしたりしましたが、実際に東北地方に出かけることはしていませんでした。
今回、青森市に講演で出かけるということで、その前に石巻市の現状を見て、塚原君たちの活動の様子を見学させてもらいました。
石巻市で大きな被害のあった地区では、まだ空き家になったままの家や瓦礫があちこちに目につきました。津波と火災のため、報道でもしばしば取り上げられた門脇小学校は、まだそのままの姿を残していました。
(津波と火事の被害にあった門脇小学校)
こうした現状の中で、プロジェクト結のメンバーたちは、支援物資の仕分けや搬入、仮設住宅の子どもたちの支援などをおこなっています。
全国から集まった支援物資は、移転した後の旧石巻市役所に集められていますが、その量は膨大で、段ボールを開いて仕分けしないと使うこともできません。そうした地道な作業をプロジェクト結のメンバーたちが時間をかけておこなっているということでした。
また、石巻市にはまだたくさんの仮設住宅があります。中には1500世帯もあるような大きな仮設住宅もあります。「震災後の復興」ということが言われますが、このような仮設住宅の多さは、「復興」どころか、まだ元の生活に戻ることさえできていないという状況を示しています。
こうした中で生活する子どもたちについて言えば、通常の生活をすることすら困難です。ましてや勉強や遊びをする余裕が十分になく、プロジェクト結のメンバーたちが仮設住宅の集会室などでその支援をしているとのことです。
(プロジェクト結によって仕分けされた支援物資)
具体的には、集会室に遊び道具を持って行って小さい子どもたちを遊ばせたり、もう少し大きな子どもたちにはクッキーを作ってもらったり、といった活動をしています。また子どもたちの勉強を見てあげたりといった学習支援もあわせておこなっているとのことでした。
(石巻市内の仮設住宅の1棟)
震災から1年半が経ち、多くの人の意識の中から震災のことを徐々に消し去られていきつつあります。しかし、こうして被災地を実際に訪れてみると、まだ震災の傷が確実に人々の生活を奪ったままになっていると思い知らされます。
だからこそ、こうした状況を復旧・改善させていく努力が、自治体・民間を問わず必要なのだと思います。今回、石巻市の現状とプロジェクト結の活動を見学して、そういう思いを強くしました。
宇佐美くん、もしよかったらFB仲間になってください。