テレビドラマ『ドラゴン桜』が最終回を迎えました。
現在のテレビドラマの困難な状況の中で高視聴率をあげ、まだテレビドラマの面白さが追究できることを示してくれた作品でした。その一方で、第1シリーズとはすっかり異なる作品になっていたことも確かです。多くの人が指摘しているように、『ドラゴン桜』第1シリーズ+『半沢直樹』=『ドラゴン桜』第2シリーズ、という感じです。すっかり半沢直樹っぽい作品に作り直されていました。
そのことの評価はさまざまあるでしょう。節操なく視聴率をとりにきている、といった見方すらあるかもしれません。その一方で、物語というものはそういうもの、という考えもあります。「そういうもの」とは、物語はオリジナリティに価値があるのではなく、受け継がれ、変形しながら流通していくことにこそ価値がある、という考え方です。
たとえば、私の好きなミュージカル『オペラ座の怪人』は、原作小説から見れば大幅に改変されてミュージカルとして流通しています。それがいけないかといえば、多くの人びとに受け入れられるように変形されたからこそ流通した、ともいえます。変形して流通するのは、それだけ変形したくなるような素材だった、という言い方もできます。
今シリーズの『ドラゴン桜』を見ていて、複雑な気持ちが湧いてきました。しかし、その複雑な気持ちは、オリジナルへの単なるオマージュにすぎないのかもしれません。
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