フィクションのチカラ(中央大学教授・宇佐美毅のブログ)
テレビドラマ・映画・演劇など、フィクション世界への感想や、その他日々考えたことなどを掲載しています。
 



 
  (今回泊まったのはキッチン付きアパート)

 中央大学の後期の授業も始まっています。もう後ろを振り返っている余裕はありませんが、共同研究でパリに出張したことで、研究以外のことを少しだけ書いておきたいと思います。
               
 今回パリで宿泊したのは、アパート式の「Les Jardins du Roy」。アウステルリッツ駅のすぐ近くの宿です。私は一人で出張するときはビジネスホテルのような所に泊まることがほとんどなのですが、今回は共同研究のリーダー・高橋慎也教授のいつもの滞在スタイルということで、キッチン付きアパート式の宿に泊まりました。
 こうしたスタイルの宿に泊まるのは、私は初めてでした。特にたいした料理をするわけでもなく、滞在中にゆで卵を作ったのと、ソーセージをゆでたくらいでした。ただ、部屋も広く、冷蔵庫も電子レンジも食器もある生活というのは、たしかに快適でした。
 キッチン付きと言っても、滞在中に外食は避けられません。その中でこれから書くような食堂にも(私一人で)立ち寄りました

 
  (なつかしい中華食堂「中快」)

 私がパリを訪れたのは4回目です。1986年、1995年、1996年と今年ですので、今回は実に14年ぶりのパリ滞在でした。今回は研究・調査のための出張ですので、ゆっくり観光することなどできませんでしたが、観光地ではなくても一箇所どうしても行きたいところがありました。それがこの中華食堂「中快」(China Express Nord)です。
 この食堂は、パリ北駅のすぐ近くにあります。庶民的と言えば聞こえはよいですが、けっして見栄えはよくなく、客層の面でも裕福そうな人はまず入らない店のようでした。しかし、私にとっては大切な店です。
 さかのぼれば1995年のこと。私は在外研究の期間中で、ヨーロッパのさまざまな大学を訪問している出張の途中でした。しかし、その頃の私はあまり外国慣れしておらず、一人でドイツ・デンマーク・オランダ・フランスなどを転々として、少し疲れていました。お金は多少持っていても、一人でレストランで豊かな食事をするという気にもなれず、北駅の前のこの店の前を通りかかって、「ああ、乾いたパンとかじゃなくて、こういうお米の御飯とあったかい料理が食べたいなあ…」と思って立ち止まりました。
 するとお店の若い男性が、「どうしたの?食べていきなよ」っていうようなことを言って声をかけてくれて、それをきっかけにこの店であたたかい料理を食べてほっとしたことをよく覚えています。それからパリ滞在中、私はこの店に毎日通って、この「中快」で文字通り「快い」時間を過ごしたのでした。
 その間に店の人と少し仲良くなって、この店の人たちが中国系カンボジア人であること、そこからフランスに移住してきたことなどを聞きました(私は中国語もフランス語もできないので会話は英語でした)。そんなこともあって、私にとっては旅行中の単なる通りがかりの店ではなく、とても大切な店となりました。その翌年に家族を連れてパリを訪れたときにも、一緒にこの店で食事をしました。そこで食べたものから、我が家ではこの店は「酢豚かけチャーハンの店」という呼び名で通っています。

 
  (「中快」の店内。長いテーブル席が昔のまま。)

 それから14年。まだこの店があるか心配でしたが、たしかに同じ店が残っていました。ただ、14年経って、あれほど好きだったこの店になんだか入りにくくなっている自分に驚きました。30代で、まだ半分大学院生みたいな気分で、宿も食事も安上がりなところにばかり行っていたその頃の私と違い、今50代になった私は、自分でも気づかないうちにすっかり贅沢になっていたのでした。この14年の間に、あれほど安心できる場所だったこの店が、私にはとても入りにくい場所になっていたのでした。そんな自分が悲しくもありました。
               
 そんな気持ちから、その日は「中快」に入らずアパートで食事したのですが、最後に思い直して、もう一度行ってみました。帰国便が夜出発の飛行機だったので、最終日に少し時間の余裕があり、その時間にもう一度「中快」に行って、今度は思い切ってこの店に入りました。「えいっ!」って感じです。
 そうしたら、なんということもなく、すぐ店の雰囲気に入っていくことができました。14年の間隔もすぐに埋められたように感じられました。

 店の人に尋ねてみると、残念ながら今働いている人たちは、14、15年前に働いていた人たちの家族ではないとのことでした。ただ、お互いに知り合い同士ではあるようでした。少し寂しくはありましたが、なつかしい思い出のある食堂にまた来られたことで、ちょっと涙が出そうでした。
               
 旅行すると、こうした思い出の場所というものができることがあります。共同研究の出張のおかげで、パリのなつかしい食堂をもう一度訪れることができました。

 
  (定食以外を注文したので料理ごとの量り売りだった) 



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