齋藤元彦・兵庫県知事のことがしばしば報道されています。知事が周囲にパワハラや問題行動を繰り返していたという匿名の告発があったのが発端です。ごく簡略にまとめるなら、知事はその告発者の犯人捜しをして、告発者が兵庫県の公務員であることをつきとめ、告発は事実無根と判断してその人物の定年退職を取り消し、停職3か月の処分を下し、再就職ができないようにしたということです。さらにその公務員は、自殺と思われる死をとげました。
詳しく経緯をまとめるのは難しいので、これまでの報道から、たとえば下記のようなサイトをご覧ください。もちろんこれらに限らず、この件についてはさまざまな報道がなされています。
7月30日時点の報道
【解説人語】内部告発の元県幹部死亡 兵庫県知事、高まる批判の声 動画:朝日新聞デジタル (asahi.com)
8月30日時点の報道
【ライブ】"パワハラ疑惑"兵庫県・齋藤元彦知事 証人として百条委員会に出席【LIVE】(2024/8/30) ANN/テレ朝 (youtube.com)
“パワハラ疑惑”兵庫県・斎藤知事の証人尋問が終了 百条委員会が会見「説明責任が果たされたとは考えられない」(2024年8月30日) (youtube.com)
多くの人と同様に、私もスマホであれこれネットニュースを見ます。見ようと思わなくてもつい見てしまいます。その中でふとこのニュースを読んだところ、次々とこの関係のニュースが入るようになってしまいました。そうすると、また翌日もまた翌日も、この関係のニュースが入ってきます。
正直に言いまして、このニュースは読めば読むほど不愉快になります。それなら読まなければいいのに、ニュースが入るとついまた読んで、そしてまた不愉快になってしまうことを繰り返しました。なぜ、こんなに不愉快になるのに読んでしまうのでしょうか。その要因を考えてみました。これらのうちのどれか、または全部なのかもしれません。
①このような人間が、知事という責任ある立場にいつまでもとどまっていることに腹が立つ。
②自分の保身しか考えていないことは明らかなのに、「県民のため」などと嘘っぽい言い訳をしていることに腹が立つ。
③こんなひどいことをしても許されるなら、自分ももっとわがままにふるまえばよかったと悔しくて腹が立つ。
①は誰でも考えるので当然ですが、②も大きいように思います。彼はどんなにインタビューなどで批判/追求をされてもけっして認めず、自分の行為は適切だったと繰り返します。すごいメンタルだと思いますが、官僚をやめて知事になった彼にとって、自分の非を認めて辞任するようなことになれば、今後人生で表舞台に浮かび上がることはまず不可能でしょう。けっして非を認めないであと1年弱の任期をまっとうし、その後再選されなかったとしても、少なくとも「パワハラ辞任知事」というレッテルを貼られることだけは避けようとしているのだと思います。もしかしたら誰か別の政治家の手伝いで復帰できるかも、あわよくば国会議員選挙の比例区上位に載せてもらって政界復帰できるかも、などと考えているのかもしれません(あり得ないと私は思いますが)。
それ自体は否定しません。人間は自分が絶望的な状況になると思えば、なりふりかまわず何だってするものです。しかし、見ていて腹が立つのは確かです。多くの人の怒りを買っているのは、そういう②のような理由もあるように思います。
それにもう一つ③も考えてみました。たいした地位ではありませんが、私も組織の長になったことはあります。私なりに言動には気をつけていたつもりですが、兵庫県知事のような言動がもし許されるなら、私が気をつけていたことはなんだったのか、もっとやりたい放題のわがままをやればよかったと悔しくて、これも腹が立つ理由なのかもしれません。これはもう「やっかみ」以外の何ものでもありません。
兵庫県知事のような人間のことを考えても自分のためにはならないので、なるべく関心を持たないようにしようと思ってはいますが、この騒動がどういう結末になるかくらいは見届けておこうかと思っています。
※このブログはできるだけ週1回(なるべく土曜日)の更新を心がけています。
追伸
この問題は別の観点からも考察できます。「自分がされたこととと同じことを他人にする」という観点です。時代の違い、置かれた場の違いを考えずに同じことを繰り返して失敗する、という法則です。大学の教育に関しても同様なことがあり、自分の出身校で受けた過去の教育を繰り返そうとして失敗する例は多々あります。これについてはまたあらためて書いてみたいと思います。