フィクションのチカラ(中央大学教授・宇佐美毅のブログ)
テレビドラマ・映画・演劇など、フィクション世界への感想や、その他日々考えたことなどを掲載しています。
 



 4月から始まったNHK朝ドラ(連続テレビ小説) 『半分、青い。』の放送が1週間分終わりました。ネット上で賛否両方の意見があるのはどの作品にも言えることですが、視聴率は安定して高いようです。
 1週間見たところ、NHK朝ドラらしいところと斬新なところが両方ありました。主人公は少し型破りのところがある元気のよい少女、大人になっても重要な役割を果たす幼なじみの男の子、子どもたちを見守る周囲のあたたかい人びと、といった設定は、もはや朝ドラの定番です。
 その一方で、星野源の主題歌の曲調は、つい昨年の民放ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』を思い出させますし、ナレーションの語り手が交替していくのも珍しい気がします(主人公→友だち→主人公の祖母)。
 それから、ネット上でも書かれているのは、主人公が左耳の聴力をおたふく風邪で失ってしまうという設定について。病気の場面はまだ出てきませんが、主人公のナレーションによって、初回に既に聴力を失うことが明かされています。この設定がこの作品の眼目になりそうな気配です。
 ちなみに『半分、青い。』の脚本を書いているのは北川悦吏子。恋愛ドラマの神様と言われ、多くの民放大ヒットドラマを書いてきた有名脚本家です。そして、北川悦吏子といえば、『愛していると言ってくれ』(1995年)『ビューティフルライフ』(2000年)『オレンジデイズ』(2004年)など、障害を持った人物を主人公や中心人物に設定した作品を多く描いてきました。障害を単なる設定としてではなく、その障害と向き合うさまを積極的に描いてきています。その意味では、今回『半分、青い。』の主人公像は、北川脚本の得意とするところでしょう。
 ただ、そこには気になる点もあります。というのも、障害とどのように向き合うのかという社会的な姿勢が、この10年ほどに大きく変化してきています。たとえば、民放テレビ局の毎年恒例の大チャリティー番組の中で、必ず障害を持つ人びとが登場したり、描かれたりしてきました。しかし、近年は、そういった姿勢を「感動の押し売り」「障害者は感動装置か」と批判する動きが出てきました。その一つのあらわれが、NHKで放送された『バリバラ』(2016年8月28日放送)などでしょう。
  ⇒https://www.j-cast.com/2016/08/01274164.html
 露骨な言い方をするなら、障害を持つ人びとがそのハンディキャップを乗り越えていく姿を繰り返し示し、そこからチャリティー(寄付)に結びつけてような姿勢を、障害者を利用した商売とみるような厳しい空気が社会的に広がってきたということです。こうした社会的状況が、北川作品が大ヒットした頃と大きく異なる点です。

 この1週間の放送内容に関しても、左耳が聞こえないことを自分自身で「面白い」と語ったり、突然なくなった祖母を「ピンピンコロリ」「現代から見るとうらやましいでしょう」と表現したりするところに、ネット上で一部の視聴者から「配慮が足りない」「心ない表現」といった批判的な書き込みがされています。
 しかし、誰からも批判されないような品行方正なドラマを、すべての視聴者が求めているわけではないでしょう。逆に言えば、そのあたりが『半分、青い。』のNHKらしくない、朝ドラらしくないところでもあります。左の耳が聞こえないという主人公の設定が、このドラマの必然に思えて視聴者にも支持されるのか、それとも障害を利用した安易な設定と見えるのか、その点にも注目して、今後のドラマ展開を見守っていきたいと思います。


「障害」ではなく「障がい」と表記することも近年は増えています。このブログでは、「障害者差別解消法」などの法律表記にしたがって「障害」と表記していますが、表記の差異に関しては今後も考えていきたいと思っています。

※このブログはできるだけ週1回(なるべく土日)の更新を心がけています。



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