ポンゾ錯視といわれるA図では線aと線bは同じ長さなのにaのほうが長く見えます。
そのように見える理由として普通は遠近法的な見方をするからだとして、B図のような例が示されます。
日常経験では、同じ長さの棒なら遠くにあるほうは短く見えるのですが、この絵のように遠くにある棒が同じ長さに描かれていれば、実際は手前の棒より長いと脳が解釈するので遠くの棒のほうが長く見えるというのです。
A図の斜めの線がB図の道路のように遠近感を感じさせるので、aのほうが長く見えるというわけです。
ところがこの説に対する疑問は当然ですが以前からあります。
脳が解釈するという文学的というか比喩的な説明はテキトーに過ぎるからです。
たとえばC図の左のように中央に同じ長さの線を上下に並べても、遠くにあるはずのaのほうが長く見えるということはありません。
また右の図は斜めの線をに等分しているのですが、上の線であるaのほうが長く見えるということもありません。
遠近法で説明しようとするならば、いずれの場合もaのほうが長く見えなければいけないのに、なぜそう見えないのか説明がつかなくなります。
この矛盾を解消するにはどうすればよいかといえば、C図の場合は遠近感を感じさせないとでも言うよりありません。
そうすると同じような形が、A図では奥行き感を感じ、C図では感じないということになるのですが、ちょっと苦しいところです。
C図のような反論があるにもかかわらず、遠近法による説明がいまだに主流となっているのは、それならなぜA図でaのほうが長く見えるかということを説明しないからです。
遠近法をもちださなくてもaのほうが長く見えることが説明できれば、C図の反論も有効になるのです。
そこでD図を見てください。
aはA図の上の部分から切り取ったものです。
bはA図の下の部分から切り取って逆さまにしたものです。
aとbの配置は遠近法を感じさせるものではありませんが、やはりaのほうが長く見えます。
この結果から見るとaのほうが長く見えるという原因はaとbの位置関係ではないということです。
A図でもD図でも共通しているのはaは両サイドの線に接近し、bは両サイドの線から離れているという点です。
つまりaは両サイドの線で挟まれた幅に比べてほぼ等しいのに、bは両サイドの線で挟まれた幅に比べるとかなり短いのです。
両サイドの線で挟まれた幅に意識がいくとbのほうが短く感じるというわけです。
いわゆる心理学風の解釈と結び付けなくても説明がつくのです。