60歳からの視覚能力

文字を読んで眼が疲れない、記憶力、平衡感覚の維持のために

分類の判断

2009-01-02 23:09:10 | 視角と判断

 知能テストなどに使われたもので、仲間はずれはどれかという形の問題があります。
 たとえば「みかん」「りんご」「バナナ」「ミートボール」のうち仲間はずれはどれかというのがあります。
 最近はいじめ問題などが注目されているので、仲間はずれという言い方は穏当でないかもしれませんが、子供に分類が異なるのはどれかと言ってもわからないので、仲間はずれという言い方をしたのでしょう。
 答えは、「バナナ」というのでしょうが、大人なら「ミートボール」ではないかと思うかもしれません。
 ほかの3つが果物で、生のまま食べられるのに、ミートボールは肉の加工食品で加熱処理をしなければ食べられないからです。
 この問題は文字で出題されていると、わかりにくいのですが、絵で出題されていれば、目で見て丸い形をしていないのがバナナだけで、幼児にとって答えやすいでしょう。
 
 目で見て判断する課題でも、図の2番目の例のような場合は考えなくてはわからないかもしれません。
 答えはCでほかの例では二つの図形が左右対称の組み合わせになっているのに、Cだけが非対称になっているからだといいます。
 この答えに納得する人は多いでしょうが、この場合にも人によっては別の答えが正しいと思う可能性があります。
 たとえばBは直線だけでできている図形で、ほかの図形は直線と曲線でできています。
 またAは左右の二つを近づけて合わせればピタリとつきますが、他はくっつけたときの接点はひとつです。
 さらにDは半円と直角三角形と二種の図形の組み合わせで、ほかは一種類の図形の組み合わせです。

 こうなるとドレを選んでも正解になりうるのですから、いっそのこと問題を変えて、ドレかひとつを選び、ほかの図形とどのように違うかを説明させるほうがよいかもしれません。
 あるいは任意の三つを選び、共通要素を見つけよという問題としてもよいでしょう。
 このような分類課題については、正解とされるものに対して異論を持つ人がいつもいて、正解をするのは知能と関係ないという意見もあります。
 それでもこうした問題が作られたのは、どのような分類基準が重要かということについて、かつては暗黙の了解があったからでしょう。

 たとえば、左右対称ということについては、孔雀が雄を選択するとき羽模様が左右対称であるものを選ぶとか、左右対称の顔が美人に見えるといったことが言われたりして、非常に重要視されたことがありました。
 しかし人間の脳でも左右の脳は形も機能も同じではありませんし、心臓の位置も真ん中ではありません。
 手や足がまったく左右同じであれば、人間は単純な動きしかできず、知能も発達しにくかったでしょうから、今ではなんでも左右対称がよいということではなくなっています。
 現代のように価値観が多様化してしまうと、分類課題のような問題は答えの正しさの客観性が保証されません。
 回答者は、出題者がどんな分類基準を考えているのかを推量して答えなければ正解することができないというようなことになります。
 出題者の意図を推量する能力が求められるということで、その意味では知能テストとして有効だということになります。


類推による説明

2008-12-30 22:26:24 | 視角と判断

 図Aでは、左側の縦線は外向きの<印にはさまれていて、右側は内向きの>印に挟まれている結果、左の縦線のほうが長く見えます。
 左側のほうが長く見える原因の説明として、左側は部屋の隅を連想させ、右側ワ建物の角を連想させるからだというのがあります。
 部屋の隅を連想させるというのは縦線の部分が引っ込んで置くにあるように見え、右側は建物の角を連想させるので、手前に突き出ているように見えるというのです。
 同じ長さであれば、引っ込んで置くに見えるものは長く見え、手前に突き出ているものは短く見えるので、左側の縦線の長さが長く見えるというわけです。

 平面図の上で同じ長さのものが、遠くにあるように見えれば長く見え、手前にあれば短く見えるというのは、B図のような例で確かめられます。
 B図では、斜めの二本の線が奥行きを感じさせるため、二つの水平の板は上のほうが遠くにあるように感じるので長く見え、したの不が近くにあるよう感じるので短く見えます。
 こうした例からすれば、A図で左側のほうが長く見えたのは、左側の縦線が奥まって感じられて長く見え、右側の縦線は手前に感じられて短く見えるのだという説明が正しいように見えます。
 ところがB図と同じ大きさの板をC図のように配置してみるとどうでしょうか。
 >と<の外向きの矢羽に挟まれた軸線が奥にあるように感じられ、<と>の内向きの矢羽に挟まれた軸線が手前にあるように感じられるとするならば、B図と同様に上の板のほうがしたの板よりも長く見えるはずです。
 
 C図で二つの板を見比べてみると、上のほうが長く見えると思いきや、そう見えないばかりか、逆に上のほうが短く見えます。
 矢羽の向きが遠近感を感じさせることで、間に挟まれた軸船の長さ違って見えるというならば、このようなことは起き得ないはずです。
 あるいはCの上の図のほうが奥にあるように感じられるけれども、何かほかの要因が働いて、奥行き感による見え方を打ち消して、見え方を逆転させてしまっているということも考えられるかもしれません。
 そうだとしてもB図とC図では見え方が逆転しているのですから、やばねが遠近感を感じさせるという説明は苦しいといわざるを得ません。
 
 A図で左側のほうが部屋の隅を連想させるので奥まって見えるとか、右側のほうが建物の角を連想させ、手前にあるように見えるというのは、形の類似からの類推です。
 実際に左の縦線が奥に見えるとか、右の縦線が手前に見えるというのではありません。
 もし、左側の縦線が奥まって見えるというのであれば、部屋の隅を連想させるとか、右側は建物の角を連想させるという必要はありません。
 理由がわからなくても、奥まって見えたり、手前にせり出しているように見えるのなら、
説明は要らないのです。
 実際は、そのような説明がなくても、左側が長く見え、右側が短く見えるのですが、部屋の隅が奥まって見えたり、建物の角が手前にせり出して見えるということから類推して、左側の縦線のほうが長く見えるとしているのです。
 つまりこの説明は、実際に確かめたものでなく、類推による説明にとどまっていたのです。

 矢羽に挟まれた軸線の長さが矢羽の向きによって違って見える原因は、遠近感によるものではなさそうだということは、D図のように片側だけを取り出して比較してみるとよくわかります。
 D図では水平な軸線は同じ長さなのですが、どうしても上の図の軸船のほうが長く見えます。
 この場合は矢羽が片側だけなので、部屋の隅を連想させたり建物の角を連想させるということはありません。
 それにもかかわらず、上の軸線のほうが下の軸線よりかなり長く感じられます。
 片側だけでかなり差があるように感じられるのですから、A図のように両側が示されればさらに長さの違いが感じられのです。
 心理学の説明は類推が多いのですが、実際に類推が当てはまるのかどうか確かめられる場合は、この場合のように確かめてみるべきなのです。


文字の読み取りと理解

2008-12-23 22:35:02 | 視角と判断

 視線を動かさずにものを見続けていると、眼筋の調整が利かなくなり、二重に見えたりぼやけて見えるようになったりします。
 文字を読む場合は、一つ一つの文字が読み取りにくくなるだけでなく、文字のまとまりを一目で読み取ることが難しくなります。
 図の二番目のブロックは文字が二重に見えている例ですが、一つ一つの文字は読みにくいとはいえ、何とか読み取れます。
 しかし、この文全体をぱっと見て意味を理解するのは困難です。
 一番上の正常に見える文ならば、文字を一つ一つ見ていかなくても、全体を一見しただけで大体意味がわかります。
 これは「台風」とか「日本列島」、「上陸」といった語が瞬間的に読み取れるので、語の読み取りが自動的にでき、注意を個々の文字に向けなくてすむからです。

 文章を読む過程は、一つ一つの文字を目で見て確認し、文字の集まりを組み立てて単語を確認し、さらに単語を組み立てて文章を理解するというふうに考えられます。
 しかし、実際にはそうしたやり方をしていては時間がかかるだけでなく、意味を理解することがとても難しくなります。
 実際に読んでいるときは、単語や文字句を瞬間的に読み取って文章の意味を理解しています。
 単語や文字句が瞬間的に理解できるのは、それらが記憶されていて、見た瞬間に照合できるからですが、文字がぼやけたり二重に見えたりしてしまうと、自動的な照合ができなくなってしまいます。
 自動的な照合ができないと、文字をひとつづつ読み取って、アタマのなかで組み合わせて単語や文字句を組み立てなければならないので、脳のエネルギーをそうしたことに使ってしまうことになります。

 文字がぼやけるとか、文字が小さすぎたりすれば、文字を読み取ることに集中しなければならなくなり、その結果文字を凝視することになり、そのことが目を疲れやすくさせ、さらに文字を読み取りにくくするという悪循環となります。
 老眼になっても離せば焦点が合うので、文字が見えるといいますが、離した場合は文字が小さく見えるようになるので、読み取りにくくなります。
 焦点が合っても細かい字を読もうとすると、読み取りにくくなり、そのため目を凝らすようになるので、文章は理解しにくくなり、目も疲れるということになります。
 最近は高齢化対応なのか、新聞も書籍もやや活字が大きくなったので、かつてに比べれば読みやすくなっています。
 そういう意味では字形が複雑な漢字が制限されたり、旧字体から新字体に変更されたことは時宜にかなっているといえます。
 漢字を多くしてそのうえ旧字体を使い、さらに振り仮名までしたのでは、高齢者だけでなく、若い人の目にも負担になってしまいます。


視力と理解力

2008-12-19 22:43:09 | 視角と判断
 図は1から9までの数字を配置していますが、2箇所だけ伏せてあります。
 伏せられている数字は何と何かを判断するのですが、左の二つの図の例では上のほうが楽に判断できます。
 左下の図では文字がぼやけてはいますが、読み取ることはできますから、どの数字がないのか判断するのに支障はないように思えます。
 しかし実際は左上の場合と比べると、判断するまでの時間が多くかかります。
 文字がぼやけているので、文字を読み取るのに時間がかかるということが理由として考えられますが、それだけではありません。
 どの数字が伏せられているかを判断しようとする場合、見えている数字を確認できれば自動的に答えがわかればよいのですが、見えている数字を参照しながら判断しようとするでしょう。
 
 たとえば1から9まで順番に数字を探していき、見当たらない数字を記憶していけば、どの数字が伏せられていたかを答えることができます。
 この場合には数字を探す過程で何度も全体の数字を見ていますから、前に見た数字の記憶が残っていれば探している数字があるかどうかすぐわかります。
 数字がハッキリ見えているほうが記憶に残るので、探す数字があったかどうかすばやく判断できます。
 数字を探している途中で見るときも、ぼやけてしか見えない数字は読み取りに時間がかかるので、合わせて時間が余分にかかるのです。
 文字を見分けるのに時間とエネルギーをとられ、さらに短期的な記憶に残りにくいので、判断がしにくいという結果になります。
 どの数字が欠けているかということを判断する判断力自体があっても、実際に判断する能力は、視力が落ちるとだいぶ落ちてしまうのです。
 
 それでは文字が読み取りやすければ読み取りやすいほど判断がしやすいかというと,必ずしもソウではありません
 右上の図は文字が大きくハッキリしているので、左上の図の場合と比べ伏せられている数字が何かを判断しやすいかといえば、逆にやや判断しにくくなっています。
 一つ一つの数字を見比べれば、左の図の場合よりも右の図の場合のほうが読み取りやすいかもしれません。
 しかし、全体としてみれば左側の図のほうが読み取りやすいのは、中心視野で一度にすべての数字を見ることができるからで、右側の図の場合は図の面積が広いので若干目を動かさざるを得ません。
 字が大きくなると、一字一字は読みやすくても、全体として捉えにくいので、半田スピードのほうは落ちてしまうのです。
 
 一方で、目を動かさないで全体を把握できるという点では、右下の図で見ると、かえって判断に時間がかかるようです。
 まして、一番下の右の図のように小さい字でしかもぼやけてしまうと、さらに読み上げに時間がかかりるようになってしまいます。
 このように簡単な数字の場合でさえも、文字が小さくさらにぼやけて見えてしまうと読み取りにくくなってしまうので、漢字の多く混じった書籍などになると読み取りにくくなります。
 さらに文字が読み取りにくいというばかりでなく、判断力にも影響が出てきますから、小さな文字で複雑な漢字を多く使った自体や字の大きさのせいで、目が疲れるだけでなく理解もしにくいものとなります。 

注意と色の錯視

2008-11-29 22:53:42 | 視角と判断

 図AとBを見比べたとき、赤の部分はAのほうは朱に見えますが、Bのほうは赤紫色に見え、色がまったく違うように感じます。
 実際は同じ色なのですが、そういわれてみてあらためて見直しても、やはり同じ色には見えません。
 ところがAの右端の赤い長方形と、Bの左端の赤い長方形を比べてみると、ほとんど同じ色に見えます。
 つぎに、Bの左端の上の赤い長方形をしばらく見てから、となりの左から二番目の赤を同時に見ると、二つの赤い長方形はほぼ同じ色に見え、赤紫でなく主に近い色に見えます。
 またつぎに、左から二つの赤い長方形を見ながら同時に三番目の赤い長方形を見ると、これも赤紫ではなく、朱に近い赤に見えます。
 
こうして赤の部分を見る範囲を右に広げていくと、赤い部分は全体として青紫ではなく、やや朱に近い赤に見えます。
 最初に見たときの赤紫色にくらべると、、鮮やかな赤に見えるのですが、これは順応によるものではありません。
 順応というのはカラー写真などを、しばらく見続けると色の鮮やかさがだんだん失われてくるように感じるものですが、これは映像の処理の過程が疲労によって弱まるためだと説明されているようです。
 赤の長方形を左から順に注視していくという過程は、注意を赤に集中していく過程で、赤に注意が集中された結果、まわりの色からの干渉が弱められた結果です。

 赤に注意を集中する方法としては、B図が赤と黄色の横縞の地の上に、青い棒が乗っていると考えて、青い棒の下にある赤の横縞を見ようとするという方法があります。
 青い棒の奥に赤い横縞があるという風に意識してみると、赤に注意が向き青の色の永久が少なくなって、紫がかって見えていた赤が、朱に近い赤に見えるようになるのです。
 このような現象は、黄色の場合についてもおきます。
 何気なく見たときはBの黄色部分は青みがかって見え、A図の鮮やかな黄色に比べるとずいぶんくすんで見えます。
ところが赤の場合と同じように、黄色部分に注意を集中して見ると、黄色の部分は鮮やかな黄色に見えるようになります。
 とくに横に三本ある黄色の真ん中の帯に注意を向けて見ると、上下の黄色い帯も目に入り、それにつれて黄色の帯全体が鮮やかな黄色に見えるようになります。

 AでもBでも小さな赤の長方形は、青と黄色に囲まれているのですが、Aでは青よりも黄色に接する面が多く、Bでは青に接する面が多くなっていて、接する面の大きい色の影響を多く受けて見え方が変化しているのです。
 接している面による影響を少なくするために、注意を集中したり、見るときの意識を変えれば、本来の色に近づいて見えるのです。
 何気なく見たときは「見える」という現象で、錯視が起こりやすいのですが、意識的に注意を集中すると本来の見え方になるときもあるのです。


注意と枠組み効果

2008-10-25 23:36:43 | 視角と判断

 横に並んだ三角の中にある小さな円は、水平線上にあり、しかも等間隔に並んでいるのですが、そのように整然と並んでいるようには見えません。
 小円を囲んでいる三角形がランダムに配置されいるために、その影響を受けて小円のほうも、位置や間隔がランダムに見えるもので、心理学で枠組み効果というふうに呼ばれているものです。
 図では枠組みの色を変えて三種類の表示をしていますが、同じ図形でも色の違いで見え方に違いがあるのがわかります。
 一番上の行は小円と枠組みの線の色を同じにしたもので、この場合がもっとも錯視効果が大きくなっています。

 小円が水平に等間隔に並んでいることを確かめようとして、小さな円に注意を向けてみても、枠となっている三角形が目に入るために、どうしてもその影響を受けてしまうのです。
 円と三角形とが同色だと、円と三角形を切り離して、円にのみ注意を向けるということが難しくなります。
 じっさい、二行目の枠組みが赤になると、円と枠組みの色が違うために、円にもっぱら注意を向けることができるようになるので、一番上の行の場合にくらべ、水平で等間隔に見えやすくなります。

 二番目の場合は枠組みの線の色が赤なので、黒い小さな円と違いがハッキリしているため、枠組みから切り離して円にのみ注意を向けやすく、その結果錯視効果が少なくなっているのです。
 ただし、この場合は枠組みの赤の色が強いインパクトを持っているので、目に強く訴えかけるため、これを無視して円にのみ注意を向けるのが困難です。
 そこで、三番目の行では色を弱くして黄土色にしています。
 こうすると円と枠組みの色が違って区別しやすいだけでなく、枠組みの色が弱いので、干渉力が弱く、円にのみ注意を向けやすくなっています。
 そのため、この場合はあまり注意を強く集中しなくても、小円は水平に等間隔に見ることができます。

 このように枠組みの色を変えれば見え方が変わるのですから、注意の向け方とか、集中の度合いによっても見え方が変わるだろうと予測することができます。
 たとえば一番上の、枠の線の色が同色の黒の場合でも、注意の向け方によって錯視の度合いは違います。
 じっさいに5個の小円に注意を集中してみると、小円は水平で等間隔に見えるようになるのですが、この場合狭い範囲に注意を集中していてはだめで、五つの小円のすべてに同時に注意を向けてみる必要があります。
 ところが五つの円のすべてに注意を向けてみようとしても、そのことを意識しすぎると、つい狭い範囲を見てしまい、すべての小円に注意を向けることができなくなり、枠組み効果にとらわれてしまいます。
 力を抜いて5個の小円全体を眺めることができるようにすれば、5個の点は水平に等間隔に見えるようになります。

 また、枠組みの三角形でなく、三角形の外側の地の部分に注意を向けると、三角形の穴が開いていて、穴の向こうの底の部分に小円があるように見え、水平に等間隔にならんでいるように見えます。
 こうしたことから、意識をしないでありのままに見ればよいのだというわけにはいかないことに気がつきます。
 錯視というと左脳で見ていることが原因のように感じますが、じっさいは小円に注意を向けたほうがよいのですから、左脳で見たほうが錯視から逃れられる場合もあるのです。

 


加齢と意識的な反応速度

2008-10-16 22:40:05 | 視角と判断

 図は反応速度を調べるためのもので、Homeのところにマウスポインタをおき、上の5個の円のいずれかが黄色く点灯したら、その円をクリックして、点灯からクリックまでの時間を計ります。
 反応速度と知能指数が関係するという実験結果もあるそうですが、具体的に同関係するのかはわかりません。
 ただし年をとってくると反応速度が遅くなるので、加齢とは関係があります。
 五個の円のどれかが点灯したとき、Homeのところでマウスをクリックするのであれば、どこに点灯されても時間は変わりませんが、点灯した円をクリックする場合は、点灯した場所を判断しなければならないので、課題が難しくなり、高齢者と若者ではさらに差がつくそうです。
 
 反応速度を量るには一回の試行ではなく、何回もやって平均をとるのですが、速く反応しようとすると、間違ったところをクリックしてしまうということも起きてきます。
 ゆっくりやれば間違えようがないのですが、速くクリックしようと意識するとプレッシャーがかかり、エラーが起こりやすくなるのです。
 ふつうは各試行の間があくのですが、円がごく短時間だけ点灯して消えて、つぎにどこかの円が点灯される前にクリックしなければならないようにすると、さらにハッキリとタイムプレッシャーがかかるので、間違いやすくなります。
 いわゆるモグラたたきのようなものですが、円が点灯して消えるまでの時間が短くなるにつれ、エラーがおきやすくなりますが、これは判断速度だけの問題ではありません。

 マウスを点灯した円のところへ動かしてクリックしようと意識したとき、その0.5秒前に大脳の準備電位というのが発生するそうですから、マウスを動かそうと意識したときは円が点灯してから少なくとも0.5秒以上たっていることになります。
 したがって円が点灯してから、脳にその信号が伝わる間での時間と、マウスを動かし始めてクリックするまでの時間を合わせれば、意識される前の0.5秒との合計は1秒近くになるはずです。
 そうすると円が点灯してから1秒以内に消えてしまうと、円が点灯している間にこれをクリックすることはできないということになります。
 実際に円の点灯位置をランダムに動かして、1秒以内に消えるようにすると、円をクリックするのが極端に難しくなります。
 
 それでは点灯してから1秒以内に消える場合は、点灯した円をクリックできないかというと必ずしもそうではありません。
 円が点灯したのを見て、その場所にマウスを移動してクリックしようと意識していては間に合わないのですから、意識しないで手が動くようになればよいのです。
 野球のボールを打つときに、球を見て意識してバットを振っていては間に合わないので、練習を繰り返して意識しないでバットが振れるようにするのと同じことです。
 テレビゲームをやっているとき脳が活動していないように見えるというのも、意識的に反応していないだけの可能性があります。
 
 この場合も、意識的にマウスを動かそうとしないでも手が動くようになれば、エラーはなくなるのでしょうが、意識的にマウスを動かそうとしている段階では、エラーが多発します。
 クリックしたときにはすでに消えて別の円が点灯されていることになり、そこに移動してクリックすると、またその円も消えてしまっているというので、パニックに陥ってエラーが多発してしまうということになります。
 年をとってくればどうしても体で覚えるのが難しくなり、反応速度が遅くなる上に、意識的な動きをしようとするので、タイムプレッシャーがかかり、エラーが起こりやすくなるのです。


視覚判断とタイムプレッシャー

2008-10-14 22:39:48 | 視角と判断

 ストループテストというのは、色インクで書かれた色名を答えるとき、インクの色が名前とちがっていると、答えが遅れたり書かれている文字を読んでしまったりする現象です。
 たとえば青い字で「赤」と書いてあるのを、「青」と答えるべきなのに、つい「赤」と文字を読んでしまったりするのです。
 これは文字を読むということが自動化されているため、文字の色と文字とが違っているとき、つい文字を読んでしまうためとされています。
 つい文字を読んでしまうという自動的な行動を抑えて、文字の色名を答えるために、意識的な力が必要なので、前頭葉がはたらくということで、この作業が前頭葉を鍛える訓練になるかのように思う人もいます。
 ほんとうに前頭葉のはたらきを高める効果があるかどうかはわかりませんが、このテストをするとき前頭葉が働くので、効果があると決め込んでいるのです。

 上の図はストループテストの逆のテストです。
 画面の上に赤または青の円が表示されたとき、青い円なら青と書かれたボタン、赤い円なら赤と書かれたボタンを押します。
 円は左または右または中央にランダムに表示されるのですが、ボタンには文字が書かれているので、文字読みが自動化され優先するならば、円がどの位置に表示されてもスムーズに正解ボタンを押すことができると予測されます。
 ところが円が表示されてからボタンを押すまでの時間を計ると、ボタンと同じ位置に表示された場合がもっとも時間が少なく、反対側に表示された場合がもっとも多くなります。
 また、つい押し間違えるというのも、色とボタンの位置が同じ場合は少なく、違う場合が多くなります。
 
 ストループテストと違って、この場合は声で答えるのではなく。ボタンを押すことによって答えるのですが、ボタンの位置が干渉して、答えを遅らせたり、間違えさせたリすtるのです。
 この場合はボタンに赤とか青という文字を書いているので、言葉と関係がありそうに見えますが、実は文字がついていなくて、単に赤のときは左、青のときは右のボタンを押すということにしていても同じ結果が得られます。
 つまり文字がなくても、ボタンと円の位置が同じか違うかという、位置関係によってもストループ効果と同じような現象がおきるのです。

 このテストは、簡単な課題ですから楽にできそうなものですが、答えを出すのにつっかかったり、間違えたりするのは、この課題が難しいからではありません。
 これは答える時間を計るので、回答する人にはタイムプレッシャーというものがかかります。
 速く答えようとするため、プレッシャーがかかり、エラーを起こしやすくなり、判断がスムースにできなくなるのです。
 したがって何回も練習して慣れれば、タイムプレッシャーがかかりにくくなり、そのことによる成績の向上もありえます。
 しかし、そのことで前頭葉の機能が高まったと期待できるどうかは分かりません。

 似たような課題で、子供にゴム球をもたせ、ランプを点灯して赤ならゴム球を握り、黄色なら握らないというテストで、前頭葉の発達を評価するというのがありました。
 このテストでは最近の子供のほうが、以前より誤答率が多く、また中国の子供より成績が悪かったということです(10年ほど前のことですが)。
 これは子供がゲームなどをするようになったので、前頭葉がはたらきが悪くなった証拠のように考えられたようですが、そんなことはなかろうと思います。
 それはこういう課題に対し、最近の子供がついタイムプレッシャーを感じやすいということなのではないかと思われます。
 ゴム球を握るテストは速く答える必要はないというものなのですが、ゲームなどをするようになって、つい速く答えようと、みずからタイムプレッシャーを書けるクセが、昔の子供より顕著になっている可能性があります。
 


視野と注意の集中

2008-08-26 23:29:50 | 視角と判断

 上の図では内側の四辺形の色は同じ濃さの灰色ですが、背景の色の濃さが違うため右に行くほど色が薄く見えます。
 背景の色との違いが際立つように見えるため、背景が明るい色であれば実際より濃く見え、背景が暗ければ実際より薄く見えるのです。
 ところで下の図は上の図と同じなのですが、横に棒が渡され四つの四辺形がつながって見えます。
 こうした状態で一番目の四辺形と二番目の四辺形を見比べるとほとんど同じ濃さの色に見えます。
 同様に二番目の四辺形と三番目の四辺形を見比べると同じ濃さに見え、三番目の四辺形と四番目の四辺形も同じ濃さに見えます。
 その結果いちばん左の四辺形といちばん右の四辺形は同じ濃さの色のように見えます。
 もともと同じ濃さの色なので同じ濃さに見えて当然なのですが、上の図ではかなり濃さが違って見えたのですから、見え方が違っているのです。

 下の図では横棒で四つの四辺形がつながっているので、全体が一つの図形に見えます。
 そのため図形を見るとき四つの四辺形をつなげた全体に注意が向かうので色の濃さも同じように見えるのです。
 上の図の場合は一つ一つの四辺形が離れているので、一つ一つを別に見るように注意が向かうので、それぞれの背景との比較で色が濃く見えたり、薄く見えたりするのです。

 ここで上の図のいちばん左の四辺形の内側にある小さな正方形に注意を向けてジッと見つめて見ましょう。
 そうするとこの正方形の色が薄くなり、正方形の外側の四辺形も色が薄くなって見えます。
 つぎにいちばん右の四辺形の中の正方形部分に、同じように注意を向けてジッと見続けると、こちらのほうはだんだん色が濃く見えるようになります。
 つまり狭い範囲に注意を向けて集中視すると、背景の影響が少なくなるので、実際の色に近づいて見えるようになるのです。
 
 上の図ではいちばん左の四辺形といちばん右の四辺形とを同時に注意を向けて見るのが難しいのですが、下の図はつながって一つの図形に見えるために、両端の四辺形を同時に注視することができます。
 そのため両端の四辺形が同じ濃さの色に見えるのですが、視野が狭いとどうしても両端の四辺形を同時に注視することが出来ません。
 注視というと、どうしても一点に注意を向けて見ようとしてしまうのですが、つながった四つの四辺形全体を眺めるようにして、注意だけを両端に向ければ両端の四辺形の色が同じように見えるようになります。
 狭い範囲を集中視するのと、視野を広げて見るのとでは、一点集中のほうがやりやすいのですが、目は速く疲れます。
 視野を広げてみるほうは慣れないとやりにくいかもしれませんが、眼は疲れにくいので、文字を読むときも視野を広げる見方が出来ることが必要です。


集中視と錯視図形

2008-08-22 23:20:27 | 視角と判断

 図はE.H.エーデルソンが考案した図形で、矢印で示されている二つの平行四辺形は同じ濃さの灰色なのですが、上と下ではかなり濃さが違って見えます。
 二つの平行四辺形の間の正方形と隣接する上下左右の四辺形を同時にコピーしたものが真ん中下の図形ですが、こうして見ると確かに上としたの四辺形は同じ濃さであることが分ります。
 この図形が左の図の中にはめ込まれると、下の平行四辺形が他の三つの四辺形より明るく見えるのはなぜかという問題です。

 まず左の図を見ると紙が折られて真ん中の部分がせり上がっているように見えます。
 そこで心理学では、この折られた紙に上から光が当たっていると、脳が判断するからだという説明をします。
 上から光があたっているので矢印で示された下の部分は陰になっていると判断するというわけです。
 同じ濃さなら陰になっている部分はもっと濃く見えるはずなので、下の四辺形は色が明るいと推定されるというのです。
 つまり視覚的には同じ濃さだけれども、陰になっていると判断するため、陰によって濃くなる分を差し引いて判断する結果、明るい色だと意識してしまうというのです。
 目は同じ濃さだと見ているのに脳は違う濃さだと判断しているということになります。

 真ん中下の図のように平面的に表示されれば同じ濃さに見えるものが、左の図のように立体的に見える環境にはめ込まれると、見え方が変るというわけですが、このように説明されると思わずそういうものかと思ってしまいます。
 ところが同じように紙を折った形で立体的に見える右の図の場合を見るとどうでしょうか。
 この場合は上から光が当たるとすれば矢印で示される二つの平行四辺形は、いずれも光が当たる面で陰になる面ではありません。
 従って先の説明で行けば同じ濃さの色なら同じ濃さに見えるはずです。
 ところが上と下の平行四辺形は同じ濃さなのに、やはり下のほうが明るく見えます。
 
 そうすると、光が当たって陰に見える部分だから、陰による濃さを割り引いた明るさを脳が感じるのだ、という説明は成り立たないことが分ります。
 真ん中下の図と上の左右の図と違う条件というのは、平面的に見えるか立体的に見えるかということではなく隣接する部分の色の違いだということになります。
 矢印の指し示す二つの平行四辺形の隣接する左右の四辺形の色の濃さを見ると、上の四辺形の左右は明るく、下の四辺形の左右は濃くなっています。
 そのため上の四辺形は濃く見え、下の四辺形は明るく見えるのです。

 ここで四つの四辺形の中央の正方形に注意を向けてジッと見ていると、隣接する上下左右の四辺形は同じ濃さに見えるようになります。
 真ん中の正方形に注意を集中すれば、真ん中の正方形との比較だけが目に入りますから同じ濃さだと感じるようになるのです。
 なにげなく見たときは他の部分との比較が目に入りますが、意識を集中できれば実態が見えてくるのです。