知能テストなどに使われたもので、仲間はずれはどれかという形の問題があります。
たとえば「みかん」「りんご」「バナナ」「ミートボール」のうち仲間はずれはどれかというのがあります。
最近はいじめ問題などが注目されているので、仲間はずれという言い方は穏当でないかもしれませんが、子供に分類が異なるのはどれかと言ってもわからないので、仲間はずれという言い方をしたのでしょう。
答えは、「バナナ」というのでしょうが、大人なら「ミートボール」ではないかと思うかもしれません。
ほかの3つが果物で、生のまま食べられるのに、ミートボールは肉の加工食品で加熱処理をしなければ食べられないからです。
この問題は文字で出題されていると、わかりにくいのですが、絵で出題されていれば、目で見て丸い形をしていないのがバナナだけで、幼児にとって答えやすいでしょう。
目で見て判断する課題でも、図の2番目の例のような場合は考えなくてはわからないかもしれません。
答えはCでほかの例では二つの図形が左右対称の組み合わせになっているのに、Cだけが非対称になっているからだといいます。
この答えに納得する人は多いでしょうが、この場合にも人によっては別の答えが正しいと思う可能性があります。
たとえばBは直線だけでできている図形で、ほかの図形は直線と曲線でできています。
またAは左右の二つを近づけて合わせればピタリとつきますが、他はくっつけたときの接点はひとつです。
さらにDは半円と直角三角形と二種の図形の組み合わせで、ほかは一種類の図形の組み合わせです。
こうなるとドレを選んでも正解になりうるのですから、いっそのこと問題を変えて、ドレかひとつを選び、ほかの図形とどのように違うかを説明させるほうがよいかもしれません。
あるいは任意の三つを選び、共通要素を見つけよという問題としてもよいでしょう。
このような分類課題については、正解とされるものに対して異論を持つ人がいつもいて、正解をするのは知能と関係ないという意見もあります。
それでもこうした問題が作られたのは、どのような分類基準が重要かということについて、かつては暗黙の了解があったからでしょう。
たとえば、左右対称ということについては、孔雀が雄を選択するとき羽模様が左右対称であるものを選ぶとか、左右対称の顔が美人に見えるといったことが言われたりして、非常に重要視されたことがありました。
しかし人間の脳でも左右の脳は形も機能も同じではありませんし、心臓の位置も真ん中ではありません。
手や足がまったく左右同じであれば、人間は単純な動きしかできず、知能も発達しにくかったでしょうから、今ではなんでも左右対称がよいということではなくなっています。
現代のように価値観が多様化してしまうと、分類課題のような問題は答えの正しさの客観性が保証されません。
回答者は、出題者がどんな分類基準を考えているのかを推量して答えなければ正解することができないというようなことになります。
出題者の意図を推量する能力が求められるということで、その意味では知能テストとして有効だということになります。