60歳からの視覚能力

文字を読んで眼が疲れない、記憶力、平衡感覚の維持のために

二次元的な絵を描く訓練

2006-11-30 22:24:06 | 視角能力

 左上は中国の6才の子どもによる花の絵で、左下は8才の子どもによる海老の絵だそうです。
 いずれも中国の伝統的な絵画手法によるもので、必ずしもリアルなものではありませんが、子どもの絵としては驚くほど上手に描かれています。
 モリーン.コックス「子どもの絵と心の発達」で紹介されている例なのですが、これは特に優れた才能を持っているから上手だということでなく、多くの子どもが絵を上手に描く技術を身につけているのだそうです。
 欧米や日本では子どもに絵を描かせるとき、自己表現とか創造性が重要だとして技術的な巧拙を問題にしない傾向があります。
 子どもに自由に描かせれば、子どもの持っている内面的エネルギーとか芸術性が引き出されて表現されると期待しているのです。

 紙に絵を描くというのは、人類の歴史からいえばごく最近のことで、紙のような平面や、筆記具というもの自体が極めて人工的なものですから、人間に備わった自然な能力ではありません。
 人間の視覚は三次元的な現実に適応しているのに、これを平面の上に描くということ自体に無理があるのですから、自然に任せて子どもがうまく絵を描けるのは期待薄です。
 中国は社会主義だからかどうかわかりませんが、絵を学校で教えるのは子どもの個性を発現させるというような事でなく、絵を描く技法を教えているのだそうです。

 たとえばペンギンの絵を描く練習の例では、自然の中のペンギンをビデオで見せた後、右の図のような教材を与え、先生の描き方に習って、練習をさせるそうです。
 先生は紙の上に頭、尻、胴の両側にあたる4つの点の置き方と4つの点を結ぶ著癖で結ぶやり方を教え、次に頭の正しい描き方を示し、生徒はこれを模倣するのです。
 右の図では大きさの異なるペンギンの胴の部分が描かれていて、子どもはこれを土台にして描き方を練習するのです。

 ちょうど漢字を覚えるときに同じ字を何回も書いて手で覚えるように、絵の場合も同じパターンを何回も描いて手で覚えさせるのです。
 すべての授業は教師や教科書から与えられる図柄の模写で、二次元のモデルを線画を基にして描く訓練をしているとのことです。
 その結果じっさいの三次元的なものを写生しようとするときにも、二次元的な描画訓練が役に立って、創造性はともかく写実的な絵が出来上がるそうです。

 B.エドワーズのように見本を逆さまにして描けば右脳が働いて、見本どおりの絵が描けるという説がアメリカや日本では人気がありますが、それだけでうまくいくというものではありません。
 エドワーズの本にはこのほかにも絵を描く技法が紹介され、それによって数週間の訓練をした後で、生徒は描き方や物の見方が変わったといいます。
 つまり、ただ右脳に頼れば絵が描けるというということではなく、人工的な技術を身につける必要があるのです。
 紙という人工的な二次元の世界に、三次元的なイメージを表現するには、技術とか訓練が必要なのです。
 


縦長に見えている

2006-11-29 22:37:21 | 視角能力

 図Aは正方形なのですが、ややたてのほうが長く見えます。
 図Bは正方形に見えますが、実はこれは横のほうが少し長くなっています。
 図Cは明らかに縦長に見えるのですが、実はこれはBを90度回転させたもので、Bと同じ形の長方形なのです。
 図Aが正方形なのに縦長に見えるのを、正方形の錯視というのですが、正方形でなくても縦長というか、幅が狭まって見えるのです。
 普通にものを見るとき、私たちは気がつかないまま、やや縦長に見ているのです。
 これは目が横に並んで二つあり視野が横に広いため、無意識のうちに縦の方向に注意を向けるためかもしれません。

 そこでDのような図を見たとき、二本の線の作る角はどちらも45度なのですが、上の場合は45度より小さく見え、下の場合は45度より大きく見えます。
 モリーン.コックス「子どもの絵と心の発達」によれば、8歳以下の子どもに模写をさせると実際以上に角度を小さく描いたり、大きく描いたりするそうで、中には10度以上の誤差の例もあるということです。
 コックスは子どもは短い線を垂直に近づけて描いてしまうといっているのですが、それは垂直に近づいているように見えるからです。
 つまり見た図が実際より縦に伸ばされたように見える(あるいは横が縮められた)ためです。
 子どもは見えたとおりに描こうとして、それが誇張されて描かれたのです。
 正確に見えているのに、手がうまく動かないので垂直に近づいた、というのではないでしょう。

 Eは正方形なのですが45度回転させたため、少し縦長のひし形に見えます。
 子どもはこの図形の模写も苦手で、実際より縦長に描いたりします。
 これは斜めの線が描きにくいということもあるのですが、図形が縦長に見えるせいでもあります。

 それではいつでも図形が縦長に見えるかというとそうでもありません。 
 図Fは図Cと同じ図形なのですがCに比べれば横が広がって見えます。
 これは長方形の両側に小さな円があって、これに注意がひきつけられ、注意の幅が横に広がるためです。
 もし外側の小さな円に注意を向けず、長方形のうち内側に注意を向けて見れば、図形はやはり縦長の長方形に見えます。
 注意の向け方によって見え方が変わるのですから、ものの見え方というものは安定してはいないのです。
 大人でも模写が難しいのは、見え方が条件によって変わるのにそれに気づかず、同じ見え方をしていると考えているからです。
 


部分に集中すると実際の姿に見える

2006-11-28 22:18:48 | 視角能力

 ものの形を的確に判断できない脳損傷の患者が、上手な模写が出来るのは、見本の部分を永く注視するため錯視がおきにくいからのようです。
 脳に損傷のない普通の人でも同じように部分を注視すれば、錯視が起きないケースがあることは実際に確かめられます。
 A図では普通に見れば横の線は水平線でなく、傾いて見えます。
 いま、二番目の横線の中央に目標点として赤い印をつけてあります。
 この赤い印のところに目を向けて見続けていると横の線が動いてくるように見えます。
 三本の横線は始めは平行に見えなかったのに、しばらく赤い印を見ているうちに平行に見えるようになります。
 平行に見えなかった線が平行に見えるようになるのですから、横線は動くように見えるのは当然です。
 部分を注視し続けると錯視が消えるということが実感できたのです。

 これは赤い印をつけておいたからだということではありません。
 下には同じ図形がありますが、この図形の一部分に注意を向けて見続けるならば、やはり横線が動いて平行に見えるようになるのが確かめられます。
 もちろん視線を動かしてしまえば、普通に見たときと同じで、横線は斜めに見えてしまうので、しばらく視線を動かさず注視をしなければいけません。

 B図の場合は陰影によって円が手前に膨らんで球形に見える錯視図ですが、このとき円はやや横長に見えます。
 この場合も中央に注視の目標として赤い印がつけてあります。
 この赤い印に注意を向けて見続けていると、円の部分は平面にあけられた穴のように見え、ふくらみは感じられなくなります。
 このときは円が縦長に見えています。
 この場合も赤い印がつけてあるから錯視が消えるのでないことは、下の同じ円について部分を注視し続ければ、前方へのふくらみが感じられなくなることで確かめられます。
 この場合も見ているうちに視線を動かしてしまうと、やはり前方に膨らんで見えるという錯視が起きます。

 もし、錯視が発生していることに気がつかずに模写をしようとすれば、Aの場合は横線を実際に斜めに描いてしまいますし、Bの場合であれば円がやや横長あるいは真円に見えるように描いてしまいます。
 Aの場合であれば、水平線を傾けてしまえば、斜めに交差する線を描き加えたときに、見本よりさらに極端な錯視図になります。
 Bの場合であれば見本よりなお扁平に見えるようになります。
 錯視が含まれた見本を見えたとおりに模写しようとすれば、結果的に似ていない模写となる場合があるのです。
 健常者のほうが脳損傷患者より模写が下手ということは十分にありうるのです。
  


狭い範囲に集中すると錯視が減る

2006-11-27 22:49:17 | 視角能力

 図は脳損傷によって視覚能力が損なわれた患者による模写で、上が見本下が患者による描画です。
 この患者の場合はものの形を見て、それが何か良く分からないため、ものの名前を正しく言うことができないので連合型視覚失認というのだそうです。
 この図形を見ても自分が模写したのにもかかわらず、それが何を表しているのかが分からないというのです。
 この模写の様子を見ると普通の人に比べれば非常に優れた描写力で、何を描いているか分からないで描いたとはとても思えないできばえです。

 ものを見てそれがなんだか正しく答えられないといっても、失語症ではなく言語能力は普通以上だったといいますから、問題は視覚能力にあります。
 ものを見てなんだか分かっているけれども正しくいえないというのではなく、見てそれがなんだか分からないのです。
 ものを見てそれが何であるか正しく答えられないというのであれば、ものに対する視覚イメージ記憶が壊れているのか、ものの形を全体として正しく知覚出来ないからだと考えられます。

 M.J.ファーラー「視覚の認知神経科学」では、このような連合型視覚失認患者の場合、模写能力とマッチング能力があるので視知覚は正常なので、知覚と記憶内の知識をうまく結びつけるられないためだともいえるが、知覚障害の可能性もあるとしています。
 理由は患者の描画が非常に時間がかかり、描き方は「盲目的にまねた」あるいは「線から線」というようなやり方で、描かれる部分のパターンがつかめていないようだからとしています。
 普通の人間なら見本がなんだか分からなくても、円とか正方形とかいった形のパターンを使うので模写にそれほど時間がかかりません。
 患者の場合は見本を見る回数が異常に多く、少しの線を描くたびに見本を見に行くので時間がかかってしまうというのです。

 この場合、どの説が正しいかはわからないのですが、患者がものの形が分からないにもかかわらず模写がうまく出来ているのが驚きです。
 「右脳で画を描く」主義の人からすれば、右脳で描いているということになるのかもしれませんが、患者の場合は非常に狭い範囲に集中しながら描いていますからいわゆる右脳的な描画法ではありません。
 形のゆがみが少ないということは、錯視が少ないということです。
 狭い範囲に極端に集中しながら描いて、全体的にはとんでもない図形にならず、バランスの取れた模写が出来ているのですから、狭い範囲に注意を集中させると錯視がおきにくいのでしょう。


大人でも錯視して模写をする

2006-11-26 22:19:59 | 視角能力

 モリーン.コックス「子供の絵と心の発達」によると8才以下のの子供は線を模写させたとき、Aの場合はうまくいくが、Bのほうになるとうまくいかないといいます。
 Aの場合もBの場合も長いほうの線はあらかじめ描かれていて、短いほうの線を加えるだけなのですが、Bの場合は左の二つの斜めの線を実際より垂直に近づけてしまう傾向があるといいます。
 Aの右側の場合も斜めの線を描く課題なのですが、基準線となる長いほうの直線に対して直角に描けば良いのでうまくいきます。
 Bの左の線がうまくいかないというのは、角度の見極めがうまくいかないからなのですが、実はこれは子供に限ったことではありません。

 これは角度の錯視というもので、大人でもBの左側の例で、長い線と短い線とで作る角度は一番左の場合のほうが、その右の場合より小さく感じるはずです。
 一番左の場合は垂直線と斜めの線との間の角度を実際より小さく感じるので、短い線を垂直線に近づけて描いてしまうのです。
 二番目の場合は水平線と斜めの線との間の角を実際より大きく感じてしまうので、短い線を実際より垂直に近づけて描いてしますのです。
 右側の図であれば短い線は水平または垂直に描けばよいので、長い線との角度を参考にしないですむため、エラーがおきにくいのです。
 (もし角度に注目するならば、三番目の角度は実際より大きく感じ、四番目の角度は実際より小さく感じます。)
 
 この本では子供の模写がうまくいかない例としてDのような例が挙げられています。
 子供にCとDを模写させると、CよりもDのほうが不正確になるといいます。
 Cは複雑でかつ非日常的な図形なのに、よりシンプルでなじみのあるDのほうが模写をしようとすると不正確になるというのです。
 子供はDが立方体であると知らされると、すべての面を正方形に近づけて描こうとしてかえって不正確な描き方になるそうで、先入観があると実際の原画を無視した描き方になってしまうといいます。
 意味のないCの場合なら先入観がないので角度を原画に近く表現しようとするのに、Dの場合はなまじ立方体であると知らされると、立方体のイメージのほうにひきづられるというのです。

 ただ、立方体とあらかじめ知らされないで描いた場合もD図のほうが不正確だったということですから、先入観だけが不正確の原因だとするわけにはいきません。
 Dは原画に忠実に描こうとすれば奥行き感があるので、正方形に隣接する二つの平行四辺形はゆがんで見えます。
 見えたとおりに描こうとすると、ゆがんだ平行四辺形を描こうとするので、かえって不正確な模写となってしまうのです。

 そうしたことから全体を振り返って見れば、模写がうまくいかない原因は原画に錯視要因が含まれているためだということが分かります。
 錯視のことを知ないので、見本に錯視があるとか、描いた場合にも錯視が現れるということに気づかないのです。
 単に子供が未発達で、描画能力も未発達だということでもないし、先入観に頼って実際の原画を無視してしまうというようなことではないのです。
 見えたとおり、あるいはイメージしたとおりに表現しようとするのに、紙という平面の上に表現しようとするのにうまくいかないのです。
 お


模写と錯視

2006-11-25 22:49:11 | 脳の議論

 左上は立方体の写真です。
 これを模写しようとするとき,立方体であると意識すると、右のように各辺を平行にして描く人が多いでしょう。
 実際に写真の各辺をトレースすると一番右の図のようになるのですが、この場合は各辺が平行でないことが分かります。
 線遠近法の知識がある人なら、収束点を頭の中に入れて描こうとするのでしょうが、この場合はかなり収束点が遠方になってしまうので画面上におくことが出来ません。
 目に見えた感じでは各辺を描けば真ん中のようにようになりがちなのです。
 ところがトレースした線画と比べればかなり違いますから、立体感のある図を正確に模写するのはかなり難しい作業なのです。
 
 下の一番左の図では横の二本の線は左側に開いて見えます。
 この図形を模写しようとして先ず二本の横線を描けば真ん中のようになるでしょう。
 そこで交差している斜めの線を描き加えれば右のような図になります。
 ところが右の図では横線は真ん中の場合よりも左が開いて見えてしまうのですから、模写しようとした原画である左の図とはかなり違って見えます。
 実は左の図の二本の横線は平行なのですが、斜めの線が加わっているために左側が開いて見える錯視図なのです。
 左の図が錯視図であり、二本の横線が平行であると知っていれば、先に平行線を描いて後から斜めの線を描きこめばよいので、結果として原画に近い模写が出来ます。
 このような錯視現象というものは他にもたくさんありますから、見えたとおりに模写しようとしてうまくいかないということは、いくらでもあるということなのです。

 上の場合は頭の中のイメージに引きずられて描いてしまうと、原画に忠実でなくなるという例ですが、下の場合は実際の見え方に引きずられると、原画と離れてしまうという例です。
 左脳とか右脳とかいう議論でいけば、上の例は左脳の解釈が間違いのもとということになりますが、下の例では左脳の解釈を入れないから間違えるということになります。
 右脳で描けばうまくいくと思っても、そうならない場合はあるのです。
 平面に絵を描くということは、平面に描けばどのように見えるかという知識がないとなかなかうまくいくものではありません。
 天与の才能でもあれば別ですが、試行錯誤などによって経験を積んだり、あるいは絵画の描き方を習ったりしないと、イメージを平面上に的確に表現するのは難しいのです。
 


絵画的な手がかりによる奥行き感

2006-11-24 22:27:22 | 脳の議論

 図の右上の二つのテーブルの天板は同じ形の平行四辺形です。
 シェパードという心理学者の考案した錯視図ですが、二つの平行四辺形が同じ形、大きさだといわれても、とても信じられないのではないでしょうか。
 実際測って見れば分かるのですが確かに同じ大きさの平行四辺形です。
 これは遠近感による錯視だといわれていますが、いわゆる遠近法に従った図形ではありません。
 どちらの天板も手前側より奥側のほうが広がって見えるのですから、普通の遠近法と逆です。
 奥行き感があるのに、手前側と奥側が同じ長さに描かれているため、奥側が長く見えてしまうということなのです。

 左下は右上の図を180度回転させたもので、つまり右上の図を逆さまに見たものです。
 こうしてみると、二つの平行四辺形は左側のほうが細長く見えますが、右上の図の場合ほどではありません。
 右上の場合は二つの平行四辺形の形はだいぶ違って見えたのですが、左下の図ではあまり違って見えません。
 左下の場合は、それぞれの平行四辺形の四隅に注意を向けて見れば、ほぼ同じ形に見えてくるでしょう。
 それだけでなく右上の場合はゆがんで見えた平行四辺形が、左下の場合はゆがみが少なく見えます。

 同じ図であるのに右上の図と、左下の図では形が劇的に違ってしまっています。
 その理由は奥行き感の違いです。
 右上では感じられた奥行き感が、左下の場合はほとんど感じられないのです。
 右上の図でのテーブルの縁や脚は線遠近法には従わない形で、絵画的に示されています。
 このままなら少し違和感があっても、テーブルを立体的に描いたものと見るので、奥行き感が感じられます。
 ところが180度回転した形で見るとテーブルの立体図としてはかなりの違和感があり、そのため脚のついているほうが特に手前に感じられるということがなく、奥行き感があまり感じられないのです。
 その結果左下の図は平面的に見えてしまい、実際の姿である平行四辺形に見えてくるのです。
 
 つまり逆さまのほうから見た場合は、ありのままの姿に近く見えているのです。
 B.エドワーズ風にいえば右脳で見るからだということになるのでしょうが、逆さまにしたほうの図を模写すれば右上の図を模写するよりも忠実に描けるのは確かです。
 そうすると右上の図は左脳で見ているということになってしまいそうですが、本当にそうでしょうか。
 右上の図は絵画的に遠近感を表現したのですが、線遠近法に従っていないので、さかさまにした左下の図は絵画的な手がかりが力を失ってしまっているのです。
 この例では逆さまにして見ることで錯視効果がなくなり、忠実に模写しやすくなるのですが、逆さまに見れば必ず錯視効果が解消されるというものではないからです。


見えたとおりに描こうとして

2006-11-23 22:45:50 | 脳の議論

 図のA1を模写しようとして輪郭を描くとA2のようになります。
 そのあとA2に陰影をつけるとA3になるのですが、これはA1とはかなり形が違って見えます。
 奥行き感のある図形を模写しようとすると、模写したつもりでもかなり違った形になってしまうことが分かります。
 それでは原画であるA1を180度回転して逆さまの方角から見たらどうでしょうか。
 
 B1はA1を180度回転させたもので、逆さまの方向から見たものです。
 原画では左のほうが明るく見えたのですが、逆の方向から見ると明るく見えるのは右側です。
 B1を模写しようとして輪郭を描けばB2のようになるのですが、これに陰影をつけるとB3になります。
 ここでB3をB1と比べて見るとやはり形が違って見えます。
 原画を逆さまにして模写をすれば見えたとおりに描けるというわけではないのです。

 A1は実は正方形なのですが、陰影があるために左辺のほうが右辺より長く見えるのですが、見えたとおりに描こうとして輪郭を描くと、輪郭は正方形ではなくなります。
 見かけがゆがんでいるので、見かけどおりに輪郭を作ってこれに陰影をつけるとさらにゆがんで見えてしまうのです。
 B.エドワーズ「脳の右側で描け」ではゆがんで見えるのは左脳が働くせいなので、原画を逆さまにしてみれば右脳が邪魔をされず働き、ありのままに描けるというのですが、逆さまにしてもB1は正方形に見えず、ゆがんだ模写しか出来ません。

 C1は正方形に見えるのですが、陰影を取り去るとC2のようになり、実は正方形ではないのだということが分かります。
 陰影がつけられて奥行き感が与えられると、実際の輪郭と見かけの輪郭が違ってくるのですが、これは左脳で見るからそう見えるということではありません。
 従って、原画を逆さにしたらば解消されるというものではありません。

 グレゴリーという心理学者は錯視図の多くは三次元的に見えるからだとしていますが、三次元的なものを平面に描こうとすると錯視が生ずることを直観したのでしょう。
 立体的なものを平面に描くというのは難しいもので、忠実に描いたつもりでも輪郭線だけを見ると実感とは違ったりします。
 そこで三次元的実感を、紙という平面の上に表現しようとすれば、錯視現象を利用せざるを得ない場合がでてきます。
 たとえば奥行き感によって生ずる錯視を利用した絵を模写しようとするとき、原画に忠実に描いたつもりでもかけ離れた結果となってしまうのです。
 


影が上に来ると平面的に見える

2006-11-22 21:49:29 | 脳の議論

  左側の2枚の写真は真ん中の写真を90度回転させたものです。
 上の写真だけを見たのでは誰だかわからないでしょうが、下の写真ならハンフリー.ボガートかなと気がつく人もいると思います。
 同じように90度回転させたのに、反時計回りに回転させた上の写真は分かりにくいのでしょうか。
 正立している真ん中の写真を見ると光は左上方からあたっているのが分かります。
 顔の左側に光が当たり、右側が影になっていますから、反時計回りに回転させると陰になっているほうが上になります。

 左上の写真は下から光が当たっているような形で、自然な感じでなくもとの正立写真とだいぶ印象が変わって見えます。
 さらによく見るとこの写真はもとの写真に比べ立体感が欠けて平面的に見えます。
 これに対し時計回りに90度回転させた下のほうの写真はズット立体的で、もとの写真よりも立体的であるから不思議です。
 もとの写真は左上から光が当たっているとはいえ、ほぼ左から当たっているといってよい状態です。
 そのため左側を上にした時計回りに90度回転させた写真のほうが上からの光を感じさせるので、立体的に見えるのです。

 一番右の写真はもとの写真を倒立させたものですが、この写真もやや下のほうから光が当たっているので、もとの写真と印象が違うだけでなくやや立体感を失い、平面的に見えます。
 人物画などを模写するときに、原画を逆さまにしてみれば立体感がなくなり、平面的に見えるので模写しやすいという風に言われていますが、この例では左上の写真のほうが平面的に見えます。
 したがって模写をするなら、左上のように反時計回りに90度回転させたほうが平面が飲み本としては適切だということになります。

 立体的に見える原画を模写するのが難しいのは、描く画面が平面なのに、描く対象が立体的に見えているためです。
 原画が平面的に見える工夫をすれば、見えたとおり模写をすればよいので、原画に忠実な模写が出来るということになります。
 もとの画像を模写しようとしてうまくいかないのは、左脳の解釈が入るためで、逆さまにすれば印象が変わって左脳の解釈が無効となってうまくいくという説がありますが、逆さまであることが重要なのではありません。
 原画が平面的に見えるということが重要なので、光が下から当てられたように見えれば平面的になりますから、この例では左上の写真が良い見本となります。
 模写の問題に左脳とか右脳とかいう解釈を持ち込むのは、あまりに観念論的で実際的ではありません。


逆さまにすると立体感が失われるだけ

2006-11-21 22:38:42 | 脳の議論

 ベティ.エドワーズ「脳の右側で描け」では模写をするとき、原画を逆さまにするとうまく描けるとしています。
 原画を逆さまにする理由は、左脳が働くとものをありのままに見ないで、先入観で見て描いてしまうからだといいます。
 原画を逆さまにすれば、左脳はものの形が分からなくなるので、右脳が見るありのままの姿が描けるというのです。
 実際そのとうりなのかを簡単な図形で試して見たのが上の図です。

 上の円形は左側は下に影がついているので膨らんで球形に見えます。
 右側は左の円を倒立させたものですが、倒立した結果見え方が変わっています。
 倒立すると元の図形のような立体感が失われて平面的に見えることが分かります。
 見方によっては少しへこんで見えたりもするのですが、その場合でも左側の円が膨らんで見えるのと同じ程度にへこんで見えるわけではありません。
 形も左のほうがややつぶれた感じで、右のほうが真円に見えますから、左のほうの円を模写すればゆがんだ円を描くことになるでしょう。

 下のほうは両方とも正方形なのですが、左のほうは真ん中が膨らんで円筒形に見えます。
 輪郭も正方形に見えないで、下辺がやや短く見え、左右の辺はやや曲がって見えます。
 右側は左の図を逆さまにしたものなのですが、こちらのほうは左の図と比べると立体感が失われ、ほぼ正方形に見えます。
 もし左側の図を模写しようとするならば、たいていの人は正方形を描かず、ゆがんだ四辺形を描くでしょう。
 
 こうしてみると、紙に描かれた立体感のある図形の本当の輪郭は、目に見えた形とは違うのだということが分かります。
 目に見えたとおりに描こうとすると、実際の輪郭とは違った輪郭を描いてしまうことになり、模写したつもりがおかしな形になってしまうことになります。
 立体感が表現されると、元の輪郭は維持されず違った形に見えるのです。
 したがって、立体感のある図を模写するときは逆さまにしたほうが、正しい輪郭をつかめるので、その意味で模写の技法として、原画を逆さまにして見ることは有効です。

 しかしこれは右脳で見るとか左脳で見るとかいうこととは関係がありません。
 この例で立体的に見える図形は左右対称に見えますから、真ん中を見れば左視野も右視野も同じに見えます。 
 つまり右脳で見ようと左脳で見ようと同じで、上が明るく下が暗ければ立体的に見えるということに過ぎないのです。
 左脳で見るとゆがんで見えるというふうに考えてしまうのは、視覚は右脳が優位ということを極端に延長してしまったからで、このような考え方こそが左脳の論理なのです。