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浮世絵の遠近法

2008-03-04 00:04:02 | 部分と全体の見方

 図は江戸時代中期の浮世絵画家奥村政信の「芝居狂言浮絵根元」です。
 奥村政信は日本でもっとも速く遠近法を導入した画家で、近衛にも遠近法が取り入れられています。
 ところがこの絵を見るとすぐに気がつくのは、中央の本舞台にいる五人の役者はずいぶん大きく描かれていることです。
 まわりは線遠近法で描かれているのに、ここでは線遠近法は無視され、それまでの日本風の平行遠近法で描かれています。
 つまり重なりと上下関係で奥行き感が表現されているため、周囲の線遠近法の環境からは切り離され浮き出ているように見えます。

 この絵より前の奥村政信の作品では、本舞台も世年金法に従って描かれているものがありますから、この絵で本舞台の描き方を変えているのは、何らかの意図があってのことだと考えられます。
 この絵でもそうですが、芝居小屋の絵というのは観客席が大部分を占めていて、観客の様子が詳細に描かれています。
 そこで観客の様子を見ると、すべての観客が芝居のほうに注意を向けているかというと必ずしもそうでなく、舞台以外に関心を向けている観客がかなりいるようです。
 当時の観客は現代の観劇客のように行儀がよくはないのです。
 芝居のほうに目を向けている人もいれば、観客同士で話し合ったり、飲食に集中したり、ほかのほうを見たりしている人もいます。
 観客がみな芝居のほうに集中しているなら、客席のほうを詳細に描いても意味がないのですが、気楽にいろんなことをしていれば、観客を描くこと自体に面白みがあります。

 この絵の場合は、観客席が詳細に描かれている一方で、本舞台が線遠近法を無視して、従来の平行遠近法で描かれているのは、やはり役者のほうにも注意を向けたいからでしょう。
 それだけでなく、まわりが線遠近法でえがかれているのに、本舞台のところだけが平行遠近法という別の方法で描かれた結果、本舞台の部分がせり出しているように見え、インパクトが強くなっています。
 ちょうど、下の図のように真ん中の四辺形の部分は、線遠近法からすればかなり奥に位置するように見えるはずなのに、しばらく見ていると逆に手前のほうにせり出して来て見えます。
 
 下の図で真ん中の四角い部分の見え方が逆転して手前のふにせり出して見えてくるのは、この部分が平面的に描かれ、まわりの線遠近法の世界から切り離されているからです。
 まわりの線遠近法によって一番奥に見えるはずなので目が焦点距離を変えると、実際は奥にはないのでかえって大きく浮き上がって見えるのです。
 奥村政信がそのように意識して描いたかどうかは不明ですが、結果的には役者のほうに注意を向けさせて目立たせる効果をあげています。


見えない形を見る

2007-09-23 22:36:49 | 部分と全体の見方

 ヒトの2歳児とチンパンジーに図形aで三角形を覚えさせ、四角形や丸などと共に図形b,c,d,eなどを示して選択させると、2歳児もチンパンジーもb~eを三角形として選択したそうです。
 とくにeの場合はヒトの2歳児もチンパンジーも、60度ほど頭を傾けて図形を見比べて正しい反応をしたといいます。
 eはdを逆さまにしたものですが、図形を頭の中で回転させるのではなく、自分の頭のほうを傾けて見ているので、この段階ではイメージの回転はできていません。
 しかし、ともかく三角形の輪郭が示されていれば、大きさの違いや白黒の反転があっても三角形を他の図形から見分けることはできています。 
 つまり図形を形によって分類する能力はあることがわかります。

 ところがfやgのように小円でできた三角形のパターンを見せると、ヒトの二歳児は三角形として認識するのですが、チンパンジーは混乱してしまい、正解率は50%のチャンスレベルに落ちてしまったといいます。
 チンパンジーはfやgを三角形として認識しないのです。
 fやgは人間の大人が見れば三角形ではありますが、aと同じ意味では三角形ではありません。
 fやgにあるのはいくつかの小円であって、小三角形ではありません。
 aと直接比較をすればfやgにある図形は小円なので、三角形として選択することはできなくなります。
 つまりチンパンジーは木を見て森を見ていないのに、ヒトの二歳児は森のほうを見ているということになります。

 fやgには実際の三角形の輪郭はありません。
 ヒトの2歳児は「さんかく」という言葉を知らないし。三角形の定義もできているわけでもないのですから、fやgを三角形として認識できるのは不思議といえば不思議です。
 小円でできている図形を全体としてとらえる能力があるということですが、それは見えていない輪郭を見ることができるからです。
 個々の小円の形を超えて全体の配置からパターンを感じ取っているのです。
 チンパンジーはあくまでも眼に見える形を見ているのに、ヒトの二歳児は見えない形をパターンとして見ているという違いがあります。

 なぜ違いが出てくるかという点については、ヒトの二歳児は図形を見るときに指で輪郭をなぞるという行動が見られることからの推測があります。
 指で輪郭をなぞると三角形の角の部分が印象に残り、線の部分は印象が薄くなり、途中が途切れていても補ってしまいがちです。
 三本の線で囲まれるという感覚から、三点を結ぶという感覚に移行でき、そうなると線が見えなくてもパターンとして三角形を認識できるようになります。。
 眼だけでなく指を使ったりすることで、抽象化された三角形のパターンが意識されるようになると考えることができるのです。


部分的な見方と全体的な見方

2006-09-10 22:44:31 | 部分と全体の見方

 左側の図は左上の三角形と同じものが、図形のどこに埋め込まれているかを探す課題です。
 妨害となる腺があって、三角形がそのままの形では見つからないので、すぐには見つかりにくいかもしれません。
 この課題は部分に注意を集中して特定の形を見つける問題で、部分を全体から切り離す能力が必要です。
 幼児や高齢者は大体こういう問題は苦手ですが、なかにはこういう問題が得意な子供がおり、自閉症の子供にもこの種の問題の成績がよいという例があるそうです。
 部分を全体から切り離してみるというのは分析の第一歩なのですが、部分にこだわってしまって全体との関係が分からないという場合もあります。
 
 知能テストなど類似の問題があるのは、分析能力を見ようというのでしょうが、部分しか関心がないために好成績な場合もあるのです。
 子供の中には怪獣とか、自動車とか特定のものに関心が集中してやたらに詳しかったりする例がありますが、頭脳が明晰なのか、特定のものにこだわらずにいられないのか分からないので、喜ぶべきか心配すべきか微妙な問題です。

 幼児がこのての問題が苦手なのは、一般的にはまだ集中力がないからですが、高齢者の場合は集中力の問題もありますが、妨害刺激に弱いからでもあります。
 何かに注意を向けていても、周りからの雑音とか光とかの妨害刺激があると注意が簡単にそらされやすいのです。

 右の図の課題は左の場合とはうってかわって、全体をどのように見るかという問題です。
 左の場合は正解があって、図形が一致するかどうか、細かい部分を対応させて見ればよいのですが、この場合は対応させるものがありません。
 こういう問題も幼児や高齢者は苦手で、視野が狭く部分に注意を奪われてしまって適切に答えが出せないのです。
 この答えは、「ひげを生やしたコサック」というのですが、他の答えがあればそれは間違いだとは必ずしもいえません。
 答えが多くの人から「なるほど」と納得されるものであればよいのです。
 コサックの視覚イメージを持っていれば、右上の黒い部分は帽子の陰に片目が隠れ、みぎの中ほどの部分が口ひげとあごひげのように見えて、なるほどという感じがするということです。
 
 この場合は一つ一つの部分にこだわるとなんだか分からなくなるので、全体的に見ることが必要です。
 平面的に見て、部分にこだわってしまうと構造がつかみにくいのです。
 白い部分と黒い部分が陰影を表し、そのことによって立体感を感じさせるので、全体のまとまりが分かるのです。
 部分的に説明がつかずにあいまいな部分があっても、立体的に感じるとと細かな部分は捨象することが出来、そのときハッとひらめきでわかったような感じがするのです。