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旧字体の文字の形

2008-09-10 00:06:14 | Weblog

 「学」という字は旧字体では「學」という字になっています。
 漢和辞典の説明では上の部分は図にあるように、「身ぶり手ぶりをならわせる」という意味だそうで、そのしたは屋根を表わしその中に子供がいるということで、学校を意味し、さらに学ぶという意味を持つということだそうでです。
 現在使われている新字体の「学」では、このような意味が字面に表現されていません。
 これは旧字体が良いという人がよく例に挙げる例なのですが、これだけ見ればもっともらしいのですが、現在ではこの知識はほとんど他に適用できないので役に立ちません。
 
 たとえば「撹乱」とか「撹拌」という字も、旧字体では「攪」となるのですが、この場合は「みだす」とか「かきまわす」という意味で、「学ぶ」という意味とは関係がありませんし読みもガクではありません。
 ふつうは「カクハン」とか「カクラン」と読んでいますが、漢字にうるさい人は「コウラン」「カクハン」が正しい読みだといいます。
 手偏に覚で「カク」とあとから読み慣わすようになったのでしょうが、音符の「覚」を「カク」と読むという知識が逆に作用してしまったようです。
 「撹」を「カク」読んだところで不都合はないのですが、「撹乱」いうような言葉を最初に導入したときは「コウラン」という読み方をしたということです。
 しかし「撹拌」のような言葉を使い始めたときには「コウハン」と言う読み方が定着していたかどうかは分りません。

 では「覚」は「カク」としか読まなかったかというと、実は「コウ」という読み方もあって、「覚醒」のように「さめる」という意味の場合は「コウ」という読みが漢和辞典を引くと出ています。
 「発覚」「覚悟」のように「あらわれる」とか「おぼえる」といった意味の時は「カク」という読みが当てられています。
 しかし現在では「覚醒」も「カクセイ」と呼んでいますから、すべて「カク」という読み方になっています。
 それで別に不都合はないのですから、「カクセイ」「カクラン」「カクハン」と言う読みが定着していても追認すればよいと思います。
 もちろん「覚」には「学ぶ」という意味とは直接関係がないのは明白ですが、字典では意味のつながりを何とか説明しようとするものがあります。
 それでも「覚」を「まなぶ」という意味とつなげるのはむずかしく、説明を読んでも論理がつながっていません。

 それぞれの文字の意味が違うのですから、こレらの背景に統一的な意味を感じ取ることは出来ません。
 したがっても字面が一緒でも意味も一緒というふうに考えないで、それぞれ個別に意味を覚えるしかないのです。
 「學」と同じ意味を持つ字としては「黌」という字があり、これだけ見てもややこしい字で意味が分からなくても「昌平黌」というふうに示されれば「ショウヘイコウ」と読むことはできるかもしれません。
 「黌」の上の部分は「學」と同じで、「学ぶ建物」という意味ですが、下の「黄」という部分が分りにくいものとなっています。
 まさか黄色い色をした建物という意味ではないでしょうから、あらためて字典を引けば「黄」は「ひろい」という意味で「広」の旧字体の「廣」と同じ使われ方です。
 したがって「学ぶための広い建物」ということで「ガッコウ」を意味することになります。(それでもこの場合は読みが「コウ」で学とはなぜか違います。

 「学」「覚」「撹乱」などは上の部分からは意味の共通性が見渡せないので、共通の意味をさぐろうとせずに個別に意味を覚えることになり、かえって好都合ですし、音読みも個別に覚えたほうが無難です。
 旧字体は文字の意味が字の形に埋め込まれているというのですが、この例でも見られるように同じ形が同じ意味とは限らないのです。
 「学」という字でも字源的な説明にある「身ぶり手ぶりをならう」というような意味は 「科学」や「数学」などの「学問」という場合にはなくなっています。
 言葉の意味が変化してきて元の意味から離れてきているのですから、文字の形が元の意味を反映していないほうが便利なのです。
 


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1 コメント

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Unknown ()
2020-10-03 09:26:01
日本語が変
ですが、が2回
こレら
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