60歳からの視覚能力

文字を読んで眼が疲れない、記憶力、平衡感覚の維持のために

柔軟性より集中力の低下

2006-09-30 22:38:36 | 歳をとれば
 図はゴッチャルト.テストと呼ばれるものの例で、頭の柔軟性を測るものだそうです。
 図の左側の簡単な図形を右側の複雑な図形の中に見つけるというものです。
 このテストの成績を年齢別に比較すると、若い世代に比べ高齢者の成績が悪く、とくに比較的に複雑なC,Dになると70歳以上の高齢者の正解率は30歳以下の世代の半分以下になっています。
 左側の図形がそのままの形で右側の図形の中にあるのではなく、余分な線が加わった場合や、回転した形であったりするので、頭の柔軟性が要求されるテストとされているようです。
 高齢者になるほど頭が硬くなり、柔軟性にかけるから問題が難しくなるにつれ正解率が悪化するとされています。
 
 ところがAの場合は高齢者であってもほとんど正解で、成績が落ちるのは妨害刺激(余分な線)が多い問題なので、柔軟性がないということだけが原因ではないようです。
 C、Dのように細かい線があると視力が弱い場合、図形の輪郭をたどろうとしたとき見極めにくいので正解しにくいという問題があります。
 高齢になれば視力が弱くなるので、線が入り組んでくればその中に埋没した図形を見つけるのは難しくなります。
 必ずしも頭が硬くなったということが原因とは限らないのです。
 
 普通に考えれば、線が入り組んでいる中で特定の図形の輪郭を見極めるには、相当程度の注意力と集中力が必要となります。
 左側の図形と同じ形を右側の図形の中に見出すのですから、他の線の影響を排除して目的の輪郭線のみに集中しなければなりません。
 輪郭線を目でたどるときに視線をスリップさせないようにするには、集中力だけでなく持続力も必要です。
 このテストの成績は柔軟性だけに影響されるものではなく、老化するにつれ集中力や持続力が低下することを現しているように考えられます。
 
 さらにこのテストは、幼児の正解率は低く、自閉症児の中には正解するだけでなく、解答するスピードが著しく速い例があるそうです。
 子供の中には特定のものにこだわって、特別な集中力を見せる例がありますが、この場合は頭の柔軟性でなく、関心の範囲の狭さとか、柔軟性の欠如によって得られる能力です。
 
 以上の点からするとこのテストはむしろ集中力のテストではないかと思われるでしょうが、実は各問題ともに正解は一つではないので、頭が柔軟であれば正解しやすいともいえるのです。
 Aの場合は二つというのは対角線上なのでわかりますが、Bは横型と、もう一つは90度回転した縦型になっているので見落とすかもしれません。
 Dは真ん中の横線を隔て上下に一つづつなのですが、Cの場合は同じ方向のが上下に二つあるだけでなく反対方向に向いて逆さまのものが二つあるので合計四つです。

動いて見える図形

2006-09-29 22:39:28 | 視角能力

 上の図で真ん中の境界線は水平なのですが右上がりに見えます。
 上下一対の白いブロックは四つとも同じなので、間の線は水平なはずです。
 そこでこの境界線に注意を集中して左からゆっくり右へたどっていくと、この線は水平に見え、ゆがんで見えた白いブロックはきれいに整列して見えます。

 下の図を見ると白と黒のブロックはガチャガチャに積まれているように見え、横の境界線はとても水平には見えません。
 ところが実際は境界線はすべて水平です。
 そのことを確かめるには、上から何段目でも良いのですが、特定の段を選びその段のブロックがすべて水平であることがわかればよいのです。
 ためしに上から二段目を選び白いブロックに注意を集中して左から順に見ていきます。
 右までたどり着いたら、逆に左のほうに向かって順に白いブロックを見ていくと、一段目と二段目の境界線は水平に見え、二段目のブロックは水平に整列しているように見えます。
 
 二段目の白いブロックが水平に整列して見えたとき、図全体が動いて見えたはずです。
 二段目のブロックが水平に整列して見えたときは、三段目のブロックとの境界線も水平に見えるということなので、はじめと見え方が変わるからで、その変化が動きとして見えるのです。
 最初右下がりに見えていた二段目の白いブロックが水平に見えるようになるとき、近くの段が元のままの見え方ではおかしいので、それらの段の見え方も変わるということです。

 同じように特定の段を選んで、白いブロックを水平方向に順に注視していけば、斜めに見えていた並び方が水平に見えるようになり、その途中で周りのブロックが動いて見えます。
 最初の見え方と違った見え方をするときには、注視した部分だけでなく周りの部分もそれに応じて見え方が変わるように脳が働くのです。
 脳が見え方の首尾一貫性を持たせようと働くため、周囲は動いて見えざるを得ないのです。

 下から四番目の段のようにかなり斜めに見える段でもこれは水平で、順に白いブロックを注視していくと水平に見えるようになります。
 ただしかなり斜めに見えた分、この段が水平に見えるときはこの段も周りの段もかなり動きが大きく見えます。
 さらに特定の段というのでなく、この図の特定の場所をしばらく見て少し視線を動かすと周りの図形が動いて見えます。
 最初に見ていたときの見え方の体制が、他の場所に視線を動かしたときの見え方と違うため、視覚体制をどちらかにしなくてはならなくなります。
 このためどちらに見方になるにせよ図は動いて見えるのです。


見方いろいろ

2006-09-28 22:10:56 | 視角能力

 図Aでは左の円と右の内円は同じ大きさなのに、内円のほうが大きく見えます。
 右側の円のような同心円の場合、内側の円は実際より大きく見え、外側の円は実際よりも小さく見えるのですが、心理学ではこれを同化効果によると説明しています。
 内側の円は外側の円に近づいて大きく見え、外側の円は内側の円に近づいて小さく見えるということなのでしょう。
 説明としては抽象的で説得力はないのですが、外側の円が加わってその影響で内側の円が大きくなるということだけは理解できます。
 そうすると左側の円より右側の内円のほうが大きく見えるのは、右側の内円を外側の円から切り離してみる事ができないからだということになります。
 
 そうなると、もし右側の内円に注意を集中して、外側の円からの干渉を排除できれば二つの円は同じ大きさに見えるはずです。
 B図では同じ大きさの円が加わっていますが、同じ大きさの円が正三角形を形作っています。
 この三つの円が形作る正三角形を見るという意識で、B図を見ると三つの三角形は同じ大きさに見えます。
 右の内円は外側の円と一体のものと意識されるよりも、三つの円がつくる三角形と一体化するため、各円が同じ大きさに見えるのです。

 C図では二つの円に黒点が描き加えられていて、目玉のように見え、下の小さな円を見ているような感じで、思わずつられて下の小さな円のほうを見てしまいます。
 そうしてふと気がつくと、黒点の入った二つの円は同じ大きさに見えていることに気がつきます。
 下の小円に注意が集中することで外側の円の干渉がなくなり、黒点の入った二つの円が目玉としてセットとして一体化して意識されたためです。

 要するに外側の円と切り離して、別のものとしてみることが出来れば二つの円は同じ大きさに見えるようになるのです。
 ここでA図に戻って二つの円を見比べるのですが、自然に見るとやはり右側の内円のほうが大きく見えます。
 そこで右の内円に注意を集中してみると、最初は右側の円が大きく見えますが、見続けるうちに二つの円の大きさは同じに見えるようになります。
 注意を集中するといってもどうしたらよいのか分からないときは、右の内円の円周を目でなぞれば一、二周で左の円と同じ大きさに見えるようになります。

 このほかに、両眼開放視つまり焦点距離を遠点にして、画面より遠くを見るようにすると二つの円は同じ大きさに見えます。
 つまり見方を意識的に変えれば、右側の内円のほうが大きく見えるという自然な見え方とは違った見え方がするということで、その方法はいくつもあり、それだけ視覚の能動性は幅が広いことが分かります。


能動的に本来の形を見る

2006-09-27 22:29:36 | 視角能力

 図aでは横線が斜めに見えますが、実際は平行線です。
 斜めに見える原因は二本の水平線の広がって見えるほうが奥に、狭まっているほうが手前に見えるためです。
 実際にそうなのかどうか確かめてみましょう。
 
 b図は狭まっているほうを明るく、広がっているほうを暗くしたものです。
 暗いほうは奥に、明るいほうは手前に見えるのでa図の遠近感を打ち消した形になっているのですが、その結果、斜めに見えていた横線は平行に見えます。
 つまり、a図で横線が斜めになって見えたのは、奥行き感が感じられたからなのです。

 c図では間の2本の横線に重ねる形で赤い線の長方形が描かれています。
 何気なしに見るとこの長方形は左側が広く、右側が狭く見えます。
 これは斜めの線と赤い線が一体化して見えるため、斜めの線の影響で赤の横線が斜めに見えるためです。
 ところがここで赤い線に注意を集中してみると、見ているうちに長方形は左右ともに同じ幅に見えてきます。
 ということは二本の赤い横線は平行に見えているということです。
 つまり赤線だけに注意を集中してみれば、交わっている斜めの線との一体感がなくなるので、本来の平行線に見えるのです。

 c図の場合は赤い線だったので、注意を集中しやすかったのですが、黒い線ならどうかというのがd図です。
 この場合も自然に見れば、長方形は左が広く、右側が狭く見えて、横線は斜めに見えます。
 ここでc図の場合と同様に長方形の辺に注意を集中して見ているとやはり横線は平行に見えてくるのですが、慣れないとうまくいかないかもしれません。
 そういう時は長方形の辺を目でゆっくりなぞってみます。
 そうすると一周か二周するうちに、長方形は左右の幅が同じ正規の長方形に見えます。
 つまり二本の横線は平行に見えます。

 何気なしに見ているときは、見ているといっても本質が見えていなかったわけで、注意をしてみれば本来の姿が見えるということです。
 こうした結果を見てから、a図にもどって真ん中の二本線に注意を向けてみますみます。
 d図のときと同じように、二本の線に注意を向け、必要なら線を目でゆっくりなぞれば平行に見えるようになります。
 
 なにげなしに見た時には斜めに見えた線が、注意の集中によって本来の平行線に見えたというわけです。
 自然にみたとき、つまり受動的に見たときは斜めに見えた線が、能動的に注意を集中したときには本来の平行線に見えたのですから、ただ見えているという次元がすべてではないということが分かります。


人の視覚は能動性がある

2006-09-26 22:31:26 | 視角能力

 左の図はアトニーブの三角形といわれるものですが、この図形を見ていると、すべての三角形が同じ方向(たとえば右)を向いているように見えます。
 ところがしばらく見ていると、左斜め上あるいは左斜め下のほうを向いているように見えます。
 さら眺め続けるとまた別の方向を向いているように見え、さらにまた、、、、と見え方が変わっていきます。
 三角形が向きをかえるようにみえるのですが、このとき三角形は一斉に向きを替えるように見えるので、見え方が変わる多義図形の一種だとされています。

 このような見え方は図形そのものの性質から来るもので、見る人間の意志とはかかわりなく自然に起こる知覚交替現象だいうのですが、本当にそうでしょうか。
 実際に見ていると、三角形は同じ方向を向いているように見えますし、見ているうちに方向が変わるということも体験するので、説明は正しいように思えます。
 しかしこの図形は、右の二つの図形を重ね合わせたものとしてみることも出来ます。
 図aでは三角形はすべて同じ方向に向かっているように見えもしますが、周りの三つの三角形はすべて外側に向かっているようにも見えます。
 b図のほうはどうかというと、こちらのほうはすべての三角形が同じ方向に向かっているようにも見えますが、周辺の三つの三角形は真ん中に向かっているようにも見えます。

 aとbとを見てからもとの図形を見ると、確かに二つの図形が重なっているように見えますから、このとき三角形はすべて同じ方向に向かっているようには見えません。
 真ん中の三角形は中立に見え、外側に向かった三つの三角形と、内側に向かった三つの三角形が見えます。
 
 わざわざそんな見方をする必要があるのかと思うかもしれませんが、これは視覚には能動性があるということの例としてあげたものです。
 人間の視覚は、ものが自然に見えるという意味で受動的な性質があると同時に、「~のように見なす」という能動的な性質を持っているということの例です。
 石器時代の人類が最初に石をナイフとして使ったときは、たまたま鋭い角をもった石があったのでそれを使ったということなのでしょうが、その後は石を打ち欠いてより使いやすい石器を作る技術をきづいて生産性を高めています。
 打ち欠くために石を選ぶときには、単純に見るだけでなく打ち欠いた結果を予測する手がかりを見つけようとしたはずです。
 ああなるのはこれが原因だろうと考える、能動的に見る能力があったので人類は生き延びてこれたと思われるのです。


視野の広さと注意力

2006-09-25 22:48:27 | 歳をとれば

 1から49までの数字を順番に見つけていくという注意配分のテストで、17歳から72歳の女性を対象としたものだそうです。
 40歳を越えたあたりからは急速に成績が悪化していますからこのような課題については、加齢によって成績が下がる傾向にあるといえます。

 このような場合どんなやり方をするのでしょうか。 
 やみくもに数字を探したのでは目的の数字がなかなか見つからずに、時間がたってしまいます。
 オーソドックスなやり方は、一番上の行から左から右へと視線を走らせ、目的の数字が見つかったらさらにしたの行へ進み、次の数字を探すというものです。
 もし次の数字が前の行にあったという記憶があればそこにもどり、そこからさらに下のほうへその次の数字を探していきます。
 平均すれば4行ぐらいの探査で目的の数字に当たりますから、一行について二分の一秒以下の速さで視線を動かせば98秒以下で出来るはずです。
 
 注意力が足りないと、目を走らせているときに目的の数字があるのに気がつかず先へ進んでしまいます。
 そうなると一回りしても見つからないわけですから、その時点で時間のロスが生ずるだけでなく精神的に動揺しますから、もう一度見直しても見落としたりします。
 もちろん視線を左右に走らせるより縦横に走らせるほうが得意というのであればそれでも良いですし、いちどに一行でなく二行づつ見ることが出来ればそれだけ速くなります。
 
 7×7個の数字はいちどに全部見えますから、一行づつ順に探さなくても全体を見ればどの数字も見えています。
 ところが特定の数字がどこにあるか探そうとすると、見えているはずなのにどこにあるか瞬間的に探し当てることは出来ません。
 見えていてもそこに注意を向けなければ、それと認識できないのです。
 だからといって一つ一つに注意を向けて確認するといったやり方であれば、確実であっても時間がかかりすぎてしまいます。
 そこである程度のスピードで視線を動かすが、一行あるいは二行をいちどに見るということになります。
 このときに意識としてはすべての数字を認識した感じがするのですが、目的の数字があるのにもかかわらず見落とすことがあるのです。
 これは探査をしているときに注意の集中を持続できないためです。
 
 注意の集中を持続できないというのは持続力がないということなのですが、必要以上に集中しようとするため持続できないのです。
 歳をとってくると視野が狭くなり、狭い範囲に注意を集中してしまうので、視線を動かしたとき見落としが出てきて、結果的に注意の集中が途切れたことになります。
 視野を広げて、注意の範囲を広げることがが出来るようになれば、見落としが少なくなりますから結果的に作業スピードが向上するのです。
 

 


反応速度と知能指数

2006-09-24 22:27:56 | 歳をとれば

 図は二つとも反応時間を計る装置を描いたもので、丸いボタンが点灯できる仕組みになっています。
 下の部分の中央はホームポジション、ここに指を置いていて、前のボタンが点灯したらそのボタンを押し、その反応時間を計ります。
 上の場合は点灯ボタンが二つで2択式、下は5択式です。
 2択式の装置で、左だけが点灯することにした場合は、どのボタンが点灯するかあらかじめ分かっているので、素早く反応できます。
 2択式になればどちらが点灯するか分からないので、やや反応時間は遅くなり、5択式になればさらに遅くなります。

 右のグラフは年齢ごとの平均反応時間を表したもので、中年からは反応速度がハッキリと遅くなることが示されています。
 点灯する場所が決まっている場合(単純反応)は高齢者も若者と差がほとんどないのですが、2択式、5択式となると差が出てきます。
 単純反応の場合に差が出ないということは、ボタンを押すという動作スピードについては年齢による差はあまりないと考えられます。(25~45才のほうが25歳以下より反応時間が短くなっているのは、集中力によるのかもしれません。)

 2択式、5択式と選択肢が増えるにつれ反応時間が増えるのは、脳の処理時間が加わるためで、年齢が増えるにしたがって時間がかかり、脳の処理速度が低下することが分かります。
 処理速度が低下するのはボタンが点灯してからそれに気づき、そちらに注意を向けて、それからボタンを押すからです。
 気づいたときにすぐ手が動けば速く、気づいた後そちらに注意を向けると同時にあるいは注意を向けてから手を動かすといった具合にステップが増えると時間がかかるようになります。
 加齢によって視野が狭くなると、辺縁視が劣り中心視に頼ろうとするのでどうしても反応スピードが下がるのです。

 このような単純な作業の処理スピードが落ちたからといって、別に気にすることはないと思うかもしれませんが、処理スピードは案外重要なのです。
 A.ジェンセンなど知能の研究者によると、このようなテストの処理スピードと他の知能指数とは相関関係があるといいます。
 つまり、処理スピードの速い人は他の知能も高い傾向にあり、一般的に知能指数の高い人は反応時間も短い傾向だそうです。
 処理スピードが単純な反射の問題に過ぎないのであれば、それまでのことなのですが、視野の広さがスピードに大きく影響するので、推理能力など他の知能と関係してくるのでしょう。
 知能の基礎に処理スピードがあるというふうに見えるのは、両方とも視野の広さといった視覚能力が基本となっているからです。


脳の処理速度を高める

2006-09-23 22:11:16 | 歳をとれば

 図はイアン.ディアリ「知能」から、脳の処理速度のテストの例です。
 数字に対応する記号を埋めていくもので、制限時間内で出来るところまで埋めていくというものです。
 内容は単純なもので、上の表を参照して一つづつ記号を書き入れていけばよいのですが、素早く目的の記号を探して記入できるかどうかで成績が決まります。
 やり方としては、いちいち上の表を見て該当する番号に視線を向けて対応する記号を確認しても良いのですが、それではあまりスピードが上がりません。

  若者は機械的に同じやり方を続けることが出来、続けることで慣れによってスピードを上げることが出来るのですが、歳をとれば機械的に同じ作業をすることが不得意な上に、繰り返しによる慣れが生ずるころに疲労してしまいます。
 少し気の利いた人は、書き進むうちに前に出てきた番号のものは、上の表を見なくても自分の回答した欄が見えればそれを写して先に進みます。
 答えを書いているときに次の番号が見えますから、同じ番号が前に回答した中に見えればそれを移すといった具合にすれば解答時間は短くなります。
 この場合は視野が広く、辺縁視が利くということが必要になります。
 視野が狭いと、答えを書いているところしか注意が向けられないので、周りが目に入らないでいちいち上の表を見に行くので時間がよけいにかかってしまいます。
 
 もう一つの方法は解答欄で同じ番号のところをいっぺんに記入してしまう方法です。
 この例でいけば先頭の3という番号は1行目は一つ、2行目に一つ、3行目に二つありますから4つをいちどに記入して、次に二番目の2について1行目に二つ、2行目、3行目に各一つと4つを記入してしまうというふうに進めます。
 この場合も、同じ番号がどこにあるかを素早く見て取らなければ有効にならないので、視野の広さが必要となります。
 
 これらの方法は、直接処理スピードを上げることにはならないので、単にテストの成績を上げるための便法にしか過ぎないと思われるかもしれませんが、そうではありません。
 そのつど目を動かすという直列的な処理を、視野を広げて処理をまとめたり、短縮化を図るものです。
 ただしあまりウマイ手を見つけようとあれこれ迷うと、解答できないうちに時間切れとなってしまいます。
 視野が広ければ解答欄を見てすぐに思いつくはずで、思いつかない場合は躊躇せず単純な方法で解答していかねばなりません。
 その場合でも上の表の対応する記号を見ようとするとき、視野が狭いと対応番号を探すために視線を動かさなければならず、余分な時間がかかってしまいます。
 いずれにせよ視野を広げることが処理速度を高めることにつながるのです。

 


脳の処理スピードの低下

2006-09-22 22:26:15 | 歳をとれば

 歳をとれば老化によって身体能力は低下します。
 視力、聴力の低下や筋力の衰えはある程度の年齢になれば必然的に実感しますが、町を歩けば若年者と高齢者の差が、歩く速度の違いとしてハッキリと観察できます。
 スピードの違いというのは身体活動だけのものではありません。
 脳の処理速度も中年以降は急速に低下しているというデータがあります。
 図はD.C.パーク「認知のエイジング」からのもので、アメリカのデータですが、脳の処理スピードは20代から一貫して低下し、50代からさらに急速に落ちています。
 これは数字や文字の異同判断といった単純なテストなので、実生活の具体的な問題処理能力を反映するものではありませんが、知的作業の基礎的作業の処理スピードは加齢によって低下するということです。

 歳をとると時間や日にちのたつのが速く感じるという現象がありますが、原因は主として身体と脳のスピードの低下にあったようです。
 同じ距離を歩いても若いときと比べ時間がかかってしまうので、主観的には時間が速く経過したと感じます。
 車や電車の利用で歩く時間については補償できても、脳のほうはなかなかそうはいきません。
 仕事をしてもどうも若いころのようにはかが行かないと感じるのはスピードが低下しているためです。
 何をするにもスピードが落ちていれば、自分では気がつかなくても、いつの間にか時間がたってしまったということになるのです。
 歳をとって時間が短く感じるのは、生活が単純になるからだという説がありますが、脳のスピードが保たれていれば非常に退屈するはずです。
 退屈を感じないで時間が速くたつと感じたら、脳の働きが遅くなっているなと思ったほうが間違いがないと思います。

 右の図は知能検査での語彙課題での成績で、加齢によって少しづつ成績が上がり、80代になってわずかに低下しています。
 知識の量は加齢によって増加するのですが、忘れていく量は案外少ないのです。
 それでは加齢によって低下するのは単純な課題に対する処理速度だけかというと、そうではなく推理能力なども同じように低下しています。
 基礎的な課題の処理速度が低下してくると、いくつもの要素を積み上げる推理課題も成績が悪化してしまうようです。
 
 脳の処理速度の低下というのは個人差はありますが、誰でも避けられないものです。
 心理学での調査は平均を出して全体の傾向を示していますが、個人差とか訓練による差といったものは示されません。
 実生活では個人差の原因は何か、生まれつきなのか、訓練や努力あるいは環境などで、どのくらい差が出るかということが関心事になります。
 
 


聴力より間の把握

2006-09-21 22:24:48 | 歳をとれば

 音声テープを速く再生した場合、文の再生率は落ちるのですが、ところどころ単語と単語の間をあけて、区切りを普通のスピードと同じにするよう修復すると、成績が上がります。
  図はD.C.パーク「認知のエイジング」からのものですが、この場合は普通の音声スピードは165wpmとして、これを早口の300wpmに変換したときの再生率を現したものです。(165wpmというのは1分間に165語、300wpmは1分間に300語なので再生時間を55%に圧縮しています)
 
 単純に時間圧縮した場合に比べると、単語の間にアキを入れたほうが再生率の低下が少なくなっているのですが、適当にアキを入れるより、文の区切り(カンマとかピリオド)のところで間をおく統語修復のほうが成績が良くなっています。
 さらに単語と単語の間の区切りがすべて自然の長さで、文の区切りの部分も十分であればさらに再生の成績は上がるという結果だそうです。
 このことは単語の発生スピードが高くなっていても、単純な聴覚の問題よりも会話や読み上げのパターンが把握できれば内容の理解がしやすいということを示しています。
 歳をとれば聴力は衰えるのですが、単純に聴力の低下に比例して理解力が落ちるということではないようです。

 早口音声が高齢者にとって理解しにくいならば、ゆっくり話せば効果があるだろうと予測されますが、単語部分をゆっくり話すより、単語の切れ目をハッキリさせ、文の区切りに間を取るほうが有効だということです。
 幼児で言葉が遅れているとか、外国語の習い始めは単語自体をゆっくりした発音で聞いて覚えなければいけませんが、いったん言葉を覚えた高齢者には極端な早口でない限り知っている単語は聞き取れるようです。
 したがって、知らない言葉が多かったり、会話のパターンが特異であったりすると理解率は当然下がるので、高齢者が若者同士の早口会話が聞き取れなかったとしても不思議はないのです。
 
 単語の区切りや文の区切りがはっきりとらえられれば、速いスピードの音声が理解できるということは、訓練をすれば理解力は向上するということです。
 聴力の低下によって単語が聞き取れないために速いスピードの音声が理解できないというのであれば、補聴器を使うより手の打ちようがないのですが、訓練によって改善されるということなのです。
 速いスピードの音声を聞く努力をして訓練して慣れてくれば、普通の速度での単語や文の切れ目は余裕を持って把握できるようになるので聴きやすく理解しやすくなるはずです。