図A-1は遠近法で描いた部屋の隅と、角の前から見た四角い建物です。
遠近法の絵の中では同じ長さの線は奥のほうに描けば長く見え、手前のほうに描けば短く見えます。
左のほうの図では奥に見える部屋の角の線と同じ長さの線を左側に描いて見ると、角の線のほうが長く見えます。
右の方の図ではビルの角の線は手前に見えるのですが、左横に同じ長さの線を描いて見ると角の線のほうが短く見えます。
図B-1はミュラー.リヤーの錯視図で、上の図の軸線は下の図の軸線より短く見えます。
その理由をグレゴリーという心理学者は遠近感によって説明しています。
上の図の形はA-1のビルの角に見られる形で手前にあるように感じるので短く見え、下の図は部屋の角に見られる形で奥に引いたように感じるので長く見えるというのです。
図B-1の場合は絵画的な手がかりがないので、遠近法による遠近感というものは直接はないのですが、A-1のような視覚経験が積み重なって、B-1のような矢羽の形を見ると遠近感を感じるというのです。
この説明はスマートで、普通では思いつかない気の利いた説明なのですが、難点があります。
ミュラーリヤーの錯視図は矢羽の角度が狭いほうが錯視の度合いが大きいのですが、現実の三次元空間では鋭角の矢羽は不自然になります。
図A-2は少し矢羽の角度を鋭角にしたものですが、この程度角度を狭めただけでもかなり不自然な画像となります。
まして図B-1のように角度が鋭角になった場合は、現実の世界ではビルの角とか、この形を部屋の隅に見出すことはありません。
B-1のような線だけからでは遠近感がもたらされるわけではありませんから、A-1のような絵画的な類似がイメージされにくいとなると、遠近感による説明は成り立たないのです。
素直に考えれば、ミュラー、リヤーの錯視図は軸線の両端が矢羽と融合するためにおきるものです。
B-1の上の図は矢羽と軸線の両端の融合は軸線の内側で起きているので軸線は短く見えます。
それに対して下の図の場合は融合は軸線の両端の外側で融合が起きているので、軸線は長く見えるのです。
したがってB-2のように矢羽の半分を除いた図形をイメージすれば、軸線の両端がイメージされるので、融合から開放されて両方の軸線は同じ長さに見えます。
このように図形の一部分を全体から切り離して見ることが出来れば、錯視が減少あるいは消滅するのですが、子供や老人がこの錯視の度合いが大きいというのは、このようなの視覚能力が不足しているということなのです。