「どん」とか「ぽん」というような擬音語は音を聞いた感じを表現しているので、「なぜそういうのか」と考えず、直感的に理解します。
「にやり」と笑うとか、「めそめそ」泣くといった擬態語の場合は、音でなく状態とか様子を表現しているので、なぜそういう表現になるのかは分かりません。
よほど語源好きの人でも、擬態語について語源を詮索することはあまりないようです。
日本語の話者であれば、これはこういう意味と教えられたり、辞書を引いたりしなくても直感的に分かるような気がするからです。
擬態語の場合はほとんどの場合漢字を当てられることはないので、漢語ではなく和語のような感じがしますが、必ずしも大昔から使われているものばかりとは限りません。
ものの名前とか形容詞などは和語であっても、わざわざ当て字をして漢字で表現するのを好む人でも、擬態語を漢字にしようとはしないでしょう。
漢字にしようとしても適当な語が見当たらないことと、漢字を無理やり当てはめようとするとかえって意味が分からなくなるからでしょう。
擬態語は日本人なら誰でも自然に分かるような気がしてはいますが、擬態語にも方言があって、方言を異にする人にとっては、同じ日本人の擬態語であっても意味が分からないものもあります。
図の下の3行は秋田県の鹿角の擬態語方言ですが、関東や関西の人にはピンと来ないのではないかと思います。
文字にした場合は実際の発音を忠実に表していないので、実際の発音なら感覚的に分かるのかもしれませんが、かえって分からない可能性もあります。
その地方の言葉に慣れ、発音やアクセントを覚えて自然に言葉を理解できるレベルになれば、擬態語も意味の説明を受けなくても感覚的に理解できるのかもしれません。
擬態語はお互いに感情移入できるような間柄でないと語感を共有できない場合があるので、若い世代とか、特定グループで使用されているものなどで、普通の大人には分からないものもあります。
「げろげろ」とか「げしげし」とか以前にはなかった表現は初めて聞けば意味が分からず、語感で解釈しようとすれば誤解するでしょう。 日本語が乱れてきていると感じるかもしれませんが、もとは発音とかアクセントに現れるような感覚の違いがあるのです。
日本人の擬態語だから感覚的に分かると思っても、感覚が違うから分からない場合もあるのです。