60歳からの視覚能力

文字を読んで眼が疲れない、記憶力、平衡感覚の維持のために

速読とストループ効果

2009-01-06 23:13:31 | 眼と脳の働き

 左の図で文字ではなく文字の色を答えようとするとき、つい文字を読んでしまいそうになります。いわゆるストループ効果です。
 そのため文字を読むときに比べ、答えるのに時間がかかったり、間違って文字を読んでしまったりします。
 この課題を実行するとき脳の前頭葉が使われるということで、また前頭葉に問題のある人はこの問題の成績が悪いとかで、この問題を実行することが前頭葉を鍛えることになるというふうに考える人もいます。
 この問題にはポイントが二つあって、ひとつはものの名前を言うより、文字を読むほうが自動化されていて速いので、色の名前より文字の読みのほうがさきにでてくるということです。
 もうひとつは、簡単な問題でもスピードを上げて速くやろうとすると、前頭葉が活発に働くようになるということが知られています。
 
 前頭葉を使う課題はそれこそいくらでもあるので、このような課題にとくに注目する理由はわかりません。
 この課題を実行すれば前頭葉が能率的に鍛えられ、ほかのアタマを使う能力も向上するという期待があるのかもしれませんが、そういうことは確かめられていません。
 繰り返し練習すれば、間違えずに早く答えることができるようになるかもしれませんが、だからといってほかの能力も向上するとは限りません。
 どうせ前頭葉を使う作業をすうrというなら、新しい物事やことばを覚えたりするほうが有用な気がします。

 右側の図は文字の配置がランダムで、しかもいろんな角度で表示されています。
 こちらの場合は、文字の色を答えるとき、左の場合よりも戸惑いが少なく、文字を読んでしまうということもおきにくくなっています。
 文字の大きさは同じになっていますが、逆さまになったり90度回転したものがあったりして、そうした文字は読みにくいので、自動的に読んでしまうということが少ないためです。
 わざと読みにくくしてあるのだから、読みが遅れその結果文字の色を先に答え易いということなのですが、そんなことをする意味があるかと思われるでしょう。

 アメリカの速読法の訓練の例を見ると、いろんな方法で文字を読みにくくして、文字を読み取らせようとしているのがあります。
 綴りを逆さまにしたり、母音を抜いた文章や、単語の文字配列の一部を変えたりして、読みにくくしたものを読ませるのです。
 これは単語や文章のすべてを正常な状態で見なくても、単語や文章の意味を理解できることを目指しているからです。
 文章をすばやく読もうとすれば、単語や文字の細かい部分をすべて確認しなくても、部分的な情報から自動的に読み取る能力が必要となります。
 速読などをしなくても、文章を理解するためには、あるていど文字や単語を自動的に読み取る能力が必要で、そのために長い教育期間が投じられています。
 文字を自動的に読むという能力自体は、長い学習の結果得られたもので、その能力を抑えて、文字の色を答えるというような訓練をすることにどんな意義があるのか不思議ではあります。


視覚イメージと記憶イメージ

2008-12-16 23:42:51 | 眼と脳の働き

 脳の活動状況を計測し、そのデータ解析によって人間がものを見ているときの画像を再現することができるようになったといいます。
 国際電気通信基礎研究技術研究所が開発した技術では、画像を見たときの脳の視覚野の活動パターンをMRIで読み取り、コンピューターの画面上に元の画像を再現できたそうです。
 実験で使われた画像は簡単な図形やアルファベットですが、かなりもとの画像に近いもので、将来的には複雑な画像も再現できる可能性がありそうです。
 この実験でははじめに数百種類の図形やアルファベットを見たときの脳活動データをコンピューターに記憶させ、そのあと別の記号や図形を見せたところ、ほぼ完全に再現できたということです。
 
 見たことのある図形については、コンピューターで脳の活動パターンが記憶されているので再現できるのは当然でしょうが、見たことがない図形や記号でもそれに対応した脳の活動パターンを計算して再現できたのです。
 そればかりか実際に図形を見せなくても、頭に思い描いた画像を再現できたケースもあったそうで、このことから夢とか想像を再現することも将来的には可能になるかもしれないといいます。
 頭に思い描いたイメージを画像化できたということは、記憶しているイメージが画像化できるということですが、このとき見ている画像のほうはどうなったのでしょうか。
 実験のときは目を閉じるなどして何も見ないようにして、頭のなかで思い描いた画像のみに注意したのかもしれません。
 現実には何かものを見ながら別のものを頭に思い浮かべることは可能で、たとえば幾何学の補助線などは図形を見ながら思い浮かべることができます。
 このとき私たちは実際に見ている線と、頭に思い描いて付け加えた線を区別できていますが、脳の視覚野では区別できるのでしょうか。

 人間がものを見ているときは、写真のようにそのまま見ているわけではなく、経験イメージを参照して見ています。
 たとえば犬を見たとき、犬だと判断するのは犬のイメージが記憶にあって、それとの比較で犬だと判断するわけですから、このとき記憶されている犬のイメージは脳に呼び出されているはずです。
 頭に思い描いた図形や記号が、視覚野の活動パターンに反映されるのであれば、ものを見ているときに記憶から呼び出されるイメージも反映されるはずです。
 先の実験では見て記憶された画像イメージと、実験で見ている図形が同じなのですが、日常経験では記憶イメージと見ているものにはずれがあります。
 このとき脳はどちらのイメージが優先しているのかわかりません。
 人によっては目に見えているものしか見えず、記憶イメージのほうが強く、目に見えているものを見誤るということもあります。
 もしコンピューターの画像解析が進んでこれらを同時再現できれば、落ちている縄を見て蛇と錯覚しているとき、視覚野では、目に見えている縄のイメージが薄く、記憶から呼び出された蛇のイメージが濃く再現されるのかもしれません。

 


視覚と体のクセ

2008-11-22 23:35:06 | 眼と脳の働き

 利き腕があるように、利き目というものがあるといわれていますが、利き目と言うものがどういうものかはハッキリわかりません。
 どちらの目が利き目かを簡単に知る方法として、親指と人差し指で輪を作り、手を顔から離し、この輪を通して遠方のものを見た場合、両眼でみたときと片目でみたときを比べ、位置のずれが少ないほうが利き目だとするというのがあります。
 たとえば右手の指で輪を作り、これを通して遠方のものをみたとき、右目でみたときより左目でみたときのほうが、両眼でみたときより位置がずれていなければ、左目が利き目だというわけです。
 こうしてみると、たしかに片方の目で見た場合は、もう片方の目で見た場合よりも位置のずれが小さいので、なるほどこれが利き目かと思ってしまいます。

 ところが右手で輪を作るのではなく、左手で輪を作ってみるとどうでしょうか。
 右手で輪を作ったときと同じ側の目で見たほうがずれが少ないかというと、そうではなく今度は反対の目で見たほうがずれが小さく見えたりします。
 これは指で作った輪が、顔の正面にきているかどうか、顔が見るものに正対しているかどうかで、見え方が違ってしまうためです。
 人によってはクセがあって、ものを見るとき体を正対させず斜めに構えてしまう人もあり、また右手よりも左手のほうが指で作った輪を正面に持ってきやすいといった人もいます。
 つまり、この方法ではものを見るときの姿勢とか、体のクセを知ることができるということで、利き目がどちらかが分かるわけではないのです。

 たとえば、図の左側の12個の円形を見るとき、上のほうが明るい円は前に膨らんで見え、上が暗い円は凹んで見えます。
 これは光が上から来るという体験があるために、脳が上のほうが明るい円を凸型と解釈するため、凸型に見えるといわれています。
 しかしこれは図を見るとき、視線が上からやや下に向かっているためで、目の位置を下げて上目づかいにみると、下が明るい円も凸型に見えるようになります。
 図を見るとき、視線を下から上に上げてみてゆく、つまり明るいほうから暗いほうに向かって見ていけば、凹方に見えていた図形が凸型に見えるようになるのです。

 右側の12個の円は左側が明るいものと、右側が明るいものとあります。
 これらは上から光が当たっているわけではないので、凸型に見える理由はないのですが、あるものは凸型に見えたり、あるものは凹型に見えたりします。
 もしものを見るとき、左から右に見ていくクセがあれば、左側が明るい円が凸型に見え、右から左に見ていくクセがあれば右側が明るい円が凸型に見えるでしょう。
 日常生活ではとくに左から光が来るとか、右から来るとかいったことはありませんから、左が明るいほうが凸に見えるという人は、左から右へ視線を動かすクセがあるといえます。
 しかしこのことが、左目が利き目だということを示しているかどうかはわかりません。
 ただ、見るときのクセが自覚できたわけで、逆方向の見方をして、見え方が逆転するようにすれば、視線のコントロール力が強化されます。


注意の向け方と見え方

2008-06-10 22:20:34 | 眼と脳の働き

 図の円aはbの外側の円と同じ大きさで、またcの内側の円と同じ大きさですが、見かけの大きさはcの内円>a>bの外円の順です。
 bの外円とcの内円を比べて見ればかなり大きさの違いがあるように見えます。
 心理学ではこれを同化効果と呼んでいますが、同心円の内側の円は外側の円の影響で大きく見え、逆に外側の円は内側の円の影響で小さく見えるということから、内側の円と外側の円が同化しようとしていると考えたようです。
 同心円の内側の円と外側の円がお互いに引っ張り合って接近しているというイメージなのですが、なぜそうなるのか、同心円でなければ効したことは起きないのかといったことは説明されていません。

 そこでdとeのような図形を作ってみると、dとeはaと同じ大きさなのですが、見かけはe>a>dとなっています。
 eやdは同心円ではないのですが、円の外側や内側にある刺激によって円が大きく見えたり、小さく見えたりするのです。
 この場合は放射状の線になっているので、線端を結べば円形となることから同心円と同じ効果ではないかと考える人もいるかもしれません。
 しかし放射線は円形をイメージさせるよりも注意の方向付けを感じさせるというほうが自然です。
 dの場合は内側に、eの場合は外側に向けて注意を向けるため、一方は小さく見え、他方は大きく見えるのです。

 この関係をさらに単純化したのがfとgです。
 fは円の外側の上下左右に外向きの矢印が描かれ、gは内側の二内向きの矢印が描かれています。
 見かけの大きさはf>a>gとなりますから同心円でなくても、円の内側に注意を向けてみるか外側に注意を向けてみるかで、見え方が変るのだということが分ります。
 
 矢印のように注意をひきつける刺激があれば、見方が無意識のうちに変り、その結果見え方が変るということは、hとiを見比べるとよく分ります。
 hは矢印が左右外側に向けて描かれているので、円が横長に見え、iは矢印が上下外方向に描かれているので円は縦長に見えます。
 変形はわずかですが、hとiを見比べれば、同じ円なのに見え方が違うのがよく分ります。
 このような結果から考えると、注意の向け方で見え方が変るのですから、注意の向け方しだいで同じ大きさのものは同じ大きさに見えるはずだと考えることができます。
 
 実際、bの内円に注意を向けず、外円のほうに注意を集中して見れば、小さく見えていたbの外円はaと同じ大きさに見えるようになります。
 同じようにcの内円に注意を集中して見れば、大きく見えていたcの内円もaと同じ大きさに見えるようになります。
 つまり意識的に注意を集中して見れば、本来の大きさのままに見えるようになるのですから、これらを同じ大きさと見ることができるかどうかを集中力の物指しとすることができます。
 またaとcの内円に同時に注意を向けて見ると同じ大きさに見えるようになりますから、この場合は注意の分配能力の物指しとなります。
 大きさが違って見える二つの図形を同時に注意を向けてみて、同じ大きさに見えればよいのです。


視幅と見え方

2008-06-09 23:20:59 | 眼と脳の働き

 図Aの左側の図では上の長方形と下の長方形は全く同じ形なのに、上の長方形が細長く見えます。
 上の長方形の長いほうの辺が長く見えるためですが、その理由は奥行き感などでは説明できません。
 B図はA図の下の長方形を移動して上の長方形の右横に持ってきたものです。
 その結果上にあった長方形は長さが縮んだように見えます。
 A図の上の長方形の長さに比べれば、B図の左の長方形は同じものなのに短く見えるようになっています。
 そればかりかA図の下の長方形を移動したものがB図の右側の長方形なのに、B図の右側の長方形のほうが長く見えます。
 
 A図の下の長方形を移動して上の長方形の右横に置くことはどういうことかというと、縦の視幅が減少して、逆に横の視幅が増大するということです。
 その結果、縦の長さが縮小して見え、横の長さが拡大して見えるようになるのです。
 ものを見るとき、上下方向に視野を広げてみようとすれば、上下方向に像が拡大して見えるので縦長に見えますし、左右横方向に視野を広げてみると、横方向に像が拡大して横長に見えるようになります。
 A図を見る場合は、二つの図形が縦に組み合わさっているので縦長に見え、B図は横に組み合わさっているため横長に見えるのです。

 C図は四角形にくっついている直線と離れている直線が描かれています。
 離れている直線と、くっついている直線は同じ長さなのですが、くっついているほうが長く見えます。
 離れている直線を見るときは視幅が狭いのですが、くっついている直線を見るときは無意識のうちに四角形が目に入り、視幅が広がって直線の長さが長く見えます。
 くっついた直線を見るとき四角形も同時に見ることになるのですが、このとき注意をしてみれば四角形も縦の線を見るときはやや縦長に見え、横の線を見るときは横長に見えます。

 D図では同じ長さの棒が視幅を広げる要素の追加によって長さが換わって見える様子を示したものです。
 左下がなにも加わらないもとの図形ですが、左上のように灰に長方形をくっつけると(長方形でなくてもよいのですが)棒はもとの図形より長く見えます。
 ところが右上のように内側に短い棒をくっつけると、視幅が狭まってもとの棒より短く見えます。
 また、右下のように左右に長方形をつければもとの棒の長さより長く見えます。
 昨年までの新聞の活字は、一行の文字数を減らさずに活字を大きくしようとしたため、やや横長の活字だったのですが、記事が縦書であるため読む側が縦方向に視幅を拡大して読むため、活字が横長であると感じにくかったのでしょう。


目とカメラの違い

2008-06-08 22:47:34 | 眼と脳の働き

 図Aの上の二つの図形のうち、左側は円柱が倒れて前を向いているように見え、右側は上に向かって立っているように見えます。
 円が重なって描かれているため奥行きが感じられるためにそのように見えるのですが、その結果二つの図形は直角を作っているように見えます。
 その下の図は上の図を囲む長方形を書き加えたものですが、その結果上の図では感じられた奥行き感がほとんどなくなっています。
 周りを囲む長方形があるため、長方形に囲まれた部分が平面的に見え、その結果奥行きを感じなくなっています。
 長方形をひとつの平面としてみるため、焦点距離を動かさないで見ることになり、奥行き感が発生しないのです。

 つまり、上の図を見るときは気がつかないうちに視線を動かし、焦点距離を変えながら見ているということになります。
 したがって、上の図を見るときでも視線を動かさずに、焦点距離を変えないで凝視すれば奥行き感は発生しないはずです。
 事実、上の二つの図の真ん中あたりに視線を向け、視線を動かさずにじっと見続けると、二つの図形は奥行き感がなくなり同じ平面上にあるように見えます。

 B図の場合は何気なしに見れば、二本の円柱が直交しているように見えます。
 左の円柱は右上に向かって伸びているように見え、右の円柱は右後方に向かって横たわっているように見えます。
 どちらの円柱も奥行き感があるため、目に近く感じる側が細く、反対側が太く見えます。
 左の図の一番上の円と、右の図の一番下の円は距離が離れているように感じますが、図上での位置はすぐ近くです。
 ここで図に描かれている長方形に注意を向けると、左の円と右の半分隠された円とが同じ平面のすぐ近くの円に見えます。
 そうすると奥行き感がなくなり、二つの円柱は平行に見え、両端の太さは同じに見えるようになります。
 視線を動かさず、焦点距離を変えなければ見え方が変らないからです。

 C図も同じ現象で、一番上の円柱は左が手前に見え、右が奥に見えるので右側が太くなっているように見えます。
 これを左右反転したのが真ん中の図で右側が手前に見え、左側が奥に見えますから上の円柱とは交差して見えます。
 一番下の図は上の図に長方形を書き加えたものですが、この長方形に注意を向けると、長方形の平面性に注意が向けられるため、円柱の奥行き感がなくなり、平たく見えるようになります。

 普通に絵や図を見るときは、目を動かしながらいろいろな部分を見ているので、見る部分によって焦点が変化したりします。
 カメラのように焦点を固定し、レンズを動かさないで見るわけではないので、人間が見たと思っている像は、一つの網膜像ではなく、いくつかの網膜像の複合なのです。
 絵や写真を見たときの目の注視点の動きを示した図というのを見ると、絵をジッと同じ点に向けてみているのでなく、あちこちに視点を飛ばして見ていることが分ります。
 カメラがこのような動きをしながら写していれば、映像が流れてしまってまとまりがつきません。
 もしものをありのままに見ようとするなら、カメラのように目を動かさず、
焦点距離も動かさずに見るということになりますが、そうするとすべてが平板に見えてしまいかえって不便になるのです。

 


奥行き感の交替と焦点距離

2008-06-07 23:40:34 | 眼と脳の働き

 Aはネッカーの立方体と呼ばれる図形で、左下側の正方形が手前に見えたり、しばらく見ていると奥に引っ込んで右側の正方形が手前に見えたりと、見え方の交替が自然に起きます。
 見え方を固定しようとしてもどうしても自動的に見え方が交替するのですが、逆に意識的に速く見え方を交替させようとしても、思うように速くはできません。
 視線を動かすのは速くできても、焦点距離が変らないと奥行き感の変化がおきないからです。
 
 奥行き感の交替が起こるということでネッカーの立方体は知られているのですが、この現象は立方体の形だから起きるというわけではありません
 B図のように円形と楕円形が重なり合っている場合でも。円形が手前に見えたり楕円形が手前に見えたりと、奥行き感の交替が起こります。
 C図の場合は片側が正方形、もう片方の側が円形という形で、イメージしにくい立体ですが、奥行き感の交替が起きます。
 D図の場合は三角形ですが、二つの三角形が重なっていて、互いに前に見えたり奥に見えたりと、見え方の交替が起こります。
 
 つまり奥行き感の交替が起きるのは、A図のような立方体に限られたものではなく、いろんな形で起きうるのです。
 重なり合って描かれた二つの図形をつなぐ補助線によって、立体イメージができて奥行き感が強化されているのですが、どちらをも手前とみることができるので奥行きの交替が起きるのです。
 
 同じように奥行き感の交替が起きるといっても、BやCに比べればAやEのほうがスムーズに交替現象が起きます。
 Aは立方体、Eは円筒と日常よく経験する形で、BやCはあまり見ることがないので認知が遅れるのです。
 たとえば図形を0.1秒といった瞬間的に表示した場合に、AやEは経験的知識つまりイメージが記憶にあるのでそれと分り、奥行き感を感じます。
 しかしBやCではある程度見る時間がないと図形の構造を把握できませんから奥行き感を感じるまでにいたりません。

 平面図の中に奥行き感を感じるということは、奥に見えるものを見るときは奥に目の焦点を合わせているということなのですが、このとき実際の図は焦点の手前にあるので、目に映る像は大きくなります。
 このときAやEのように同じ形、同じ大きさの図があれば片方が大きく見えるのが分ります。
 BやCの場合は二つの図形が違うのであれば、奥に見えるほうが大きく見えるというようなことに気がつかないのですが、AやEのような場合であれば、奥に見えたほうが大きく見えるということが実感できます。
 同じ大きさの図形で、片方が大きく見えるということから、焦点距離が変化していることがわかるのです。

 


視線の動きと焦点の動き

2008-06-03 23:30:59 | 眼と脳の働き

 A図を見るとガラスの立方体のように見えます。
 この図を見ていると、はじめは左下の正方形が手前にあり、反対側の面が右奥にあるように見えます。
 しかししばらく見ているうちに、右側の正方形が手前にあり、左側の正方形が奥にあるように見えます。
 さらに見ていると、また先ほどのように左側が手前に見えるようになり、さらに見続けると右側が奥にというように見え方の交代が起こります。
 この見え方の交代は無意識のうちに起こるのですが、同じ見え方を保とうとしてもどうしても見え方の交代が起こります。
 
 この図が立方体に見えるというのは、奥行き感を感じるからですが、手前に見える正方形より奥に見える正方形のほうが大きく見えます。
 そのため見え方の逆転が起きると、正方形の大きさも逆転するように見えることになります。
 前に見えたものが後ろに見えるようになったり、後ろに見えたものが前に見えるようになり、大きさも代わって見えるのですから見ているh地に図形が動くように感じられます。
 
 もちろん図形そのものは動いていないのですから、動いて見えるというのは脳の錯覚だと言う考え方もありますが、目が動くからではないかと考えるのが順当です。
 目が動くというと視線が動くということと同じように思われますが、視線は動かなくても焦点距離が変るという意味で目が動く場合もあります。
 ものを見ているとき、同じところを見ていても無意識のうちに視線が動く場合がありますが、ジッと見て視線を動かさないでいるつもりでも、ふと焦点が動くときがあります。
 焦点が動くと目に映るものの大きさが変化しますが、同時に距離感も変化します。
 近距離で焦点距離を固定してものを見続けるのは、毛様体筋を緊張させ続けるので、つい毛様体筋を動かすことになり、焦点距離が変化させてしまいます。

 図Aの二つの正方形は重なり合っているように見えますが、どちらが上かということになると、どちらとも決めかねます。
 どちらが上であってもよいのですが、一方が上であれば他方が下ということになり、上のほうが手前に、下の方が奥に見えて下の方が大きく見えます。
 見ているうちに焦点距離が変って上に見えたほうが奥に見えたとき、もう一方は重なっているので手前に見えることになります。

 Bずのように左右と上下が対象の形になっていると、最初に見たときは図形の重なりが意識されないので、立体的に見えず平面的な図形に見えます。
 ところがこれはA図を45度回転したもので、正方形が45度回転した二つの菱形が重なり合っていると見ると、奥行き感が感じられるようになって立体的な図形に見えるようになります。
 そうするとA図の場合と同じように見え方の交代が起きるようになります。
 B図の中にはC図が含まれていますが、この図形を意識してB図を見るようにすると二つの菱形の重なりが意識されなくなるので、見え方の交代は起きにくくなります。
 A図でもC図を反時計回りに45度回転したものを見るようにして、正方形の重なりを意識しないようにして見れば、見え方の交代は起きにくくなります。
 


見え方と視線の動き

2008-06-02 22:42:05 | 眼と脳の働き

 図のテーブルAの天板とテ-ブルBの天板は形も大きさも同じ平行四辺形です。
 Aを時計方向に70度ほど回転させればBの形になるのですが、とても同じになるようには見えません。
 A図の辺x、yに対応するB図のx、yを比べてみるとB図ではxが長くなりyが短くなっているように見えるため、形が全く違うように見えるのです。
 このように見えるのは平行四辺形がテーブルの天板のように見えるので、奥行き感を感じ奥の方向の長さを過大に感じるためです。
 そのためAではyが長く感じるので細長いテーブルに見えるのにたいし、Bではxが長く感じられるのでズングリした形に見えるのです。

 図CはBを、DはAを180度回転して逆さまにしたものですが、こうするとCとDの形は近づいてきて、AとBのときほど違いが大きくありません。
 こうして見ると、逆さまにした絵は「右脳で見るのでありのままに見える」という説が正しいように感じられます。
 AやBはテーブルだと思って見るので奥行き感を感じ、実際に網膜に映る長さより奥行きを長く感じるというわけです。
 また図を逆さまにすれば奥行き感を感じにくくなるので、奥行きを網膜に映るより長く感じにくくなるということになります。

 AやBを見るときは左脳で見て、テーブルだと判断して奥行きを見ている以上に長く感じる、つまり図をありのままに見ないので錯覚するのだといわれるとソンナ気がします。
 しかしAやBを見たとき、テーブルの奥のほうが広がって見えることに気がつきます。
 日常経験ではテーブルの奥のほうはやや狭まって見えるはずです。
 左脳がありのままに見ないで、経験とか知識にしたがって見てしまうというならば、テーブルの奥のほうは幅が狭く見えるはずなのに逆に広がって見えています。

 奥のほうが広がって見えるというのは、網膜にそのように映るからです。
 網膜にそのように映るというのは、視線を動かしてみるからで、奥のほうを見るときと手前のほうを見るときでは焦点距離が違うので、大きさが違って見えるということです。
 二つのものを見比べようとするとき、同時に見るということはなく、視線を動かして見比べるというのが普通です。
 このとき奥にあると思うものを見るときと、手前にあると思うものを見るときでは自然に焦点距離を変えてみていますから、同じ長さのものでも違って見えるのです。
 
 このことは視線を動かさないで見ると分ります。
 たとえば、Aの天板部分の真ん中あたりに視線を向け、目を動かさないでじっと見ると形が変って見えるようになります。
 横幅と奥行きの差が少なくなり、奥のほうが広がって見えた平行四辺形は正常な平行四辺形に見えるようになります。
 視線を動かさなければ焦点距離が変化せず、同じ長さのものは同じ長さに見えるようになるのです。
 また手前の辺と奥の辺を同時に注視することでも同じ結果が得られます。
 同時に見れば焦点距離が変らないので、網膜には手前の辺も奥の辺も同じ長さに映りますから、結果として同じ長さに見えるようになり、正常な平行四辺形に見えるのです。
 このようにして見ればAとBの平行四辺形が同じ形だということが実感できるようになるのです。
 
 


遠近法と錯視

2008-06-01 21:38:00 | 眼と脳の働き

 A図の二本の横線は同じ長さなのですが、上の線のほうが下の線よりやや長く見えます。
 これはちょうど下の写真で、二本の白線が同じ長さなのに、上の白線のほうが長く見えるのと同じ原理だと考えられます。
 写真では遠くまで続く道が写っていて、道幅が遠方にあるほど狭くなって見えますが、道幅が実際に狭くなっているのだとは思いません。
 実際に遠方の道幅が狭いのではなく、遠方のものは小さく見えるということを経験で知っているからです。

 この写真のように遠近感をあたえる平面図の中で、同じ大きさの図形が二つあったとき、遠方に配置されているほうが近くにあるものよりも大きく見えます。
 どうして同じ大きさに描かれているものが、違った大きさに見えるのかという疑問がでてきますが、理由はハッキリ説明されてはいません。
 この場合、目の網膜には同じ大きさに写っているという前提で説明する方法と、網膜に違う大きさで写っているという前提で説明する方法があります。
 従来の説では網膜には同じ大きさで映っているのに、遠近法の知識があるために、図上で遠方に配置されているもののほうが大きいと感じてしまうとしています。
 つまり目には同じ大きさに映っているのに、脳が一方が大きいと判断するというわけで、錯覚であるということです。
 この説の難点は子供や高齢者のほうが錯視量が大きいので、遠近法の知識と錯視が結びつきにくいと思われる点です。

 もうひとつの、網膜に映っている大きさ自体が違うという考え方は一見するとおかしいように感じます。
 二つの図形は同時に見えるので同じ大きさならば当然同じ大きさに見えるはずだと考えるのが普通です。
 ところが実際は同じ図形の上でも、視線が動いており図形のどこを見るかで目の焦点距離が変るということが分っています。
 図の上で遠くにあると感じるところを見るときは、近くにあると感じるところを見るときより焦点距離が長くなっています。
 そのため遠くにあると感じて見る部分は、近くにあると感じて見る部分より目に映る像が大きくなるのです。
 つまり奥行き感を感じれば、焦点距離が変化するので奥にあると感じている部分は大きく見えるということになります。

 奥行き感を感じれば、奥にあると感じられる部分が大きく見えるとすれば、図がいわゆる遠近法に従っていなくても、同じ現象が起きる場合があるということになります。
 B図はA図とは違って、斜めの平行線が二本ありますが、平行線では収束点がないので、いわゆる遠近法に従った図ではありません。
 ところが斜めの線が奥行き感を感じさせるため、上のほうが下の部分より奥にあるような感じがします。
 そのため同じ長さの水平線は、奥にあると感じられる上の線のほうが長く見えます。
 そればかりか、二本の斜めの線は平行なのに上のほうが広がって見えて、平行には見えません。
 平行に見える線を描こうとするならば、平行に描くのではなく上のほうをやや狭めて描かなければならないのです。