60歳からの視覚能力

文字を読んで眼が疲れない、記憶力、平衡感覚の維持のために

ハーマングリッドと注意の幅

2008-12-02 23:42:24 | 注意と視野

 図Aはハーマングリッドと呼ばれるもので、白い格子の交差部分に灰色の円がちらちらと見えたり消えたりします。
 見えたり消えたりするのは、視線を向けると消えるためで、普通に見ているときは目が無意識のうちに動いていて、灰色の円が見え視線を向けたところが消えるのです。
 交差する部分をひとつずつ順に注視していけば、注視した交点は白く見えることが確認できるのですが、このことを利用すれば、確実に決まった場所に視線を向けていく練習に使うこともできます。
 また交点をひとつだけ注視するのではなく、隣り合った二つの交点を同時に注意を向けて見ると、二つの交点は白く見えるようになります。
 さらに三つの並んだ交点を同時に注視できれば、三つとも交点が白く見えますから、注意の幅を広げる練習にもなります。

 白い格子の交差部分をじっと注視すれば、灰色の円が消えて白く見えるということはよく知られているのですが、交差部分ではなく黒い正方形の部分を注視することによっても交差部分は白く見えるようになります。
 たとえば左上の4つの正方形を同時に見ると、真ん中に挟まれている交差部分は白く見え、さらにその下の二つの正方形を含めた6つの正方形を見れば、間の二つの交差部分は白く見えるといった具合です。
 ただしこの場合、目の力を抜いてみることが大事で、目の力を抜いたほうが広い範囲に注意を向けることができ、目も疲れません。
 目に力を入れてしまうと、文字などを注視した場合よりも目が疲れてしまうので、注意が必要です。

 ハーマングリッドはふつう白と黒で構成されていますが、この正方形の黒の部分が赤なれば、交差部分の灰色はどうなるかというと、薄い赤になります。
 つまり白い部分が単に白く見えなくなるということではなく、正方形の部分の色に影響されるということです。
 しかしそれでは明暗という要素は関係がないかというと、そういうことでもありません。
 B図は青地にオレンジの正方形が配置されていますが、青の格子の交差する部分に薄いオレンジの色があるようにはなかなか見えません。
 青とオレンジは対照的な色なのですが、明暗の差がないので交差する部分に薄いおれんぎいろが薄いオレンジ色があるようには見えません。
 それでも青い格子の交差する部分に、薄いオレンジが見えているかどうか確かめようとすると、注視すれば、見えていたとしても見えなくなるのですから、確かめにくくなっています。

 


注意の幅

2008-11-20 23:23:27 | 注意と視野

 左側の図を見ると、白と黒の縞模様の棒が5本、縦に並んでいますが、垂直でなく斜めに見えます。
 右側の図は、左の図の灰色の部分を白くしたもので、黒い部分だけが見えるようになっています。
 右側の図を見ると、黒い棒は縦に垂直に並んでいるのに、やや斜めに並んでいるように見えます。
 この黒い棒は曲がって見えますが、二つの長方形を少しずらしてくっつけたものです。
 縦の列は同じ形の図形が垂直線上に並んでいるので、垂直に見えるはずなのですが、長方形をずらしてつないでいるため、斜めに見えます。
 しかしこの場合は、一番上の棒と一番下の棒を同時に見ると、4つの棒は垂直線上に並んでいることが楽に実感できます。
 たとえば一番左の列の、上と下の棒を同時に見ると、一列目は垂直に見えます。
 同じように二列目の上と下の棒を見れば、二列目は垂直に見えるといった具合です。

 一番上の棒と一番下の棒に同時に注意を向けてみるのは、距離が離れているので、視幅が狭いと難しいかもしれません。
 この場合上と下の棒を同時に見ようとして、目を見開いてみようとしがちですが、目をことさら見開かなくても、意識を同時に一番上としたの棒に向けてみれば、4本の棒は垂直に並んで見えます。
 また上下の棒を見るのでなく、真ん中にある四つの点二注意を向けてみていると、黒棒はどの列も垂直に見えるようになります。

 右側の図は構成が単純なので、錯視の度合いがやや弱いのですが、、左側の図形になると錯視の度合いがより強く、垂直に見えるにはより強い視線のコントロール力が必要です。
 たとえば一番左の列の、一番上と下の黒い棒を同時に注視しようとしても、視線がスリップしてしまいがちで、二つの黒い棒にのみ注意を向けるのが困難です。
 そのためほかの列の要素が目に入ってしまい、垂直に見えず斜めに見えてしまったりします。
 そこで、上から順に4本の黒棒をしっかり見つめていきます。
 そのあと一番上の黒棒と下の黒棒を同時に注視すれば、全体は垂直に見えるようになります。
 同じように二番目の列、三番目の列について見ていくと、それぞれの列は垂直に見えるようになります。
 選択的注意によって錯視が消えるのです。
 
 こんなことをしてなんになるかというと、上下の視幅を広げることができ、人目で注視できる文字数が多くなります。
 そうすると、認識視野が広げられ、楽に読み取れる文字数が多くなるので、文章を読み取るときのストレスが少なくなります。
 この場合も中央の4つの点に視線を向けて見ていると、灰色の部分が前面に出てきて見え、緋色の枠が黒と白の縞模様の上にかぶさっているよう見えます。
 このとき、灰色の縦の帯が上下同じ幅で垂直に見えますが、それは間接的に黒と白の縞の棒がすべて垂直に見えていることになります。


注視する能力

2008-11-18 23:19:07 | 注意と視野

 A図は正方形なのですが、全体に右上のほうに引っ張られた感じで、ゆがんで見えます。
 正方形だといわれても、見た目では納得できませんから、定規などをあてがってみると境界線がすべて水平あるいは垂直ですから、正方形であることがわかります。
 この図形はチェッカー盤のような市松模様のなかに、黒い正方形のなかには小さな白い正方形が、白い正方形のなかには小さな黒い正方形が二つずつ配置されています。
 チェッカー盤のような市松模様は、A図のようにゆがんでは見えず、正方形に見えるのですから、A図がゆがんで見えるのは、中に配置された小さな正方形が原因だと考えられます。

 ところが、A図の黒い部分を黄色に塗り替えると、B図になるのですが、こちらのほうはゆがみが少なくなり、ほぼ正方形に見えます。
 そうすると、中に小さな正方形が配置されればゆがんで見えるということではないとも考えられます。
 小さな正方形が配置されなければ、ゆがんで見えないけれども、色が黄色のように薄い色ならば、小さな正方形が配置されていてもゆがんで見えないのです。
 ようするに、ゆがんで見えるのは一つの原因によるのではなく、複合的な原因によるのです。
 
 ところで、A図は右上にゆがめられて見えるというだけでなく、視線を向けると動いて見えます。
 何気なく見ていると、図形が動くのでそれにつられて視線も動いてしまいます。
 実際は、図形が動くわけではないので、視線が動いてしまうために図形が動いているように見えるのかもしれません。
 ということであれば、視線を動かさなければ図形は動いて見えるということはないということになります。
 そこでA図を直接見るのではなく、B図のほうを眺めてみます。
 A図のほうに視線を向けなければ、A図は動いて見えるということはありません。
 
 B図を見ているときは、A図は周辺視野にあるのですが、周辺視野にあるものは細かくは見えないのですが、動きは見えます。
 もしA図が実際に動くのであれば、図柄はハッキリ見えなくても、動きは感知されるはずです。
 ところが、周辺視野にあるA図が動いては見えないのですから、A図に視線を向けたときに動いて見えるのは、見ているときに視線が動いてしまうということです。

 そこでA図の一番上の行の三つの黒い正方形をひとつずつ順番に注視していき、最後に三つの黒い正方形を同時に注視するようにします。
 そうすると図形はとまって見えるだけでなく、三つの正方形は水平に見えるようになります。
 同じように二行目についても、ゆっくり順番に注視していき、最後に三つの黒い正方形を同時に注視すると、三つの正方形は水平に見え、図形は静止して見えます・
 視線をコントロールできないと、図形が動いてしまい、三つの正方形は右上がりに見えてしまいます。
 これは横方向だけでなく、縦方向にもでき視線コントロール力が向上すれば、正方形のたての並びが垂直に見えるようになります。
 


注意を向けてみる範囲2

2008-11-15 22:47:17 | 注意と視野

 図Bは図Aの外側の4つの円の外側部分を除いたもので、図Cのほうは逆に内側部分を除いたものです。
 中心の円はAよりBのほうが大きく見え、CもBより小さく見え、Aと同じに見えます。
 これは心理学者の盛永四郎が示したもので、中心円の大きさの見え方を決めるのは、中心円に近い図形要素ではなく、中心円から離れた部分であると説明しています。
 AとCは大きな円の外側部分があるという点が共通で、その結果中心円がBの場合よりも小さく見えるので、中心円を小さく見せる原因が外側だとする説明は説得力があります。

 通常はA図の下にある小さな円に囲まれた円を示し、大きな円に囲まれた中心円のほうが小さく見えるのは、囲んでいる円との対比効果によるという説明がされています。
 盛永説は、対比効果を否定しているのですが、なぜ中心円から離れた部分の影響を受けているかは説明してはいません。
 また、中心円に近接する図形が影響力があるのかどうかもわかりません。

 実は、A図やC図を見るときと、B図を見るときとでは見ている範囲(注視の範囲)の広さが違います。
 写真機の原理と同じで、狭い範囲を見ようとするときは、目が少しズームアップするので、B図の中心円のほうが大きく見えるのです。
 したがって、B図の場合は近接する部分は円形ではなく、単に円弧に過ぎないのですが注視の範囲を狭めているので、中心円をやや大きく見せる効果があるのです。
 A図の左下の図のように小さな円が近接していれば、こちらのほうが大きく見えるのは対比効果によるのだという説明がもっともらしく聞こえます。
 ところがB図のように円形でなくても、中心円が大きく見えるのですから、対比効果でないということは明らかです。
 もし対比効果だというのなら。B図の場合は近接している図形要素は、大きな円の内側部分ですから、中心円はやはり小さく見えるはずです。
 
 注視する範囲が狭められたほうが、やや大きく見えるということは、下の文字列を見てもわかります。
 この場合中ほどの「ERTY」という部分を四角で囲んでいるのですが、囲まれた字のほうは、囲まれていない部分よりもやや大きく見えます。
 四角で囲んでいるから目立つというだけではなく、目が四角で囲まれた場合に注意を絞り込もうとするため、狭い部分に注意が絞られて、文字自体もやや大きく見えるのです。
 文字列全体を見るときよりも、四角で囲まれた部分を見ようとすると、四角で囲まれた部分はレンズを通してみたように、浮き上がってやや大きく見えさえするのです。

 


注意を向けてみる範囲

2008-11-13 22:34:43 | 注意と視野

 a図で小さな円に囲まれている円は、b図の大きな円に囲まれている円と同じ大きさなのですが、a図の円のほうが大きく見えます。
 心理学では、a図の円のほうが大きく見えるのは対比効果によるという風に説明されているようです。
 a図では小さい円に囲まれているからそれとの比較で大きく見え、b図では大きな円に囲まれているのでそれとの比較で小さく見えるということのようです。
 そう説明されるとなんとなく納得した気分になりますが、釈然としない感じもします。
 なぜかといえば、二つの円を囲んでいる円の大きさは、a図とb図とでは大きな開きがあるのですが、中心の円の大きさはそれほど違っているようには見えません。
 対比効果というからには、もっと違いがあってもよさそうな感じがするからです。

 ところで、a図の円を見るときは、とうぜん円に注意を向けてみているのですが、このときは注意を向けてみる範囲が狭くなっています。
 そこで単に円に注意を向けて見るのではなく、円を囲んでいる四角い枠に注意を向けて見るとどうでしょうか。
 まわりの四角い枠あるいは四隅の小さな四角に注意を向けて見ると。真ん中の円は先ほどより小さく見えます。
 そこで再び真ん中の円にもっぱら注意を向けて見ると。元のようにやや大きく見えます。
 つまり同じ円を見るにしても、注意の範囲を狭くしてみるときと、範囲を広げてみたときとでは大きさが違って見えるのです。
 ちょうど写真を撮るとき、狭い範囲をとろうとするときはズームアップするようなもので、見る範囲が異なれば同じものが違った大きさに見えるのです。

 b図のほうは取り囲んでいる円が大きいため、図全体が大きくなっていますから、ちょうどa図の四角形を意識的に見た場合と同じで、注意を向けてみる範囲が自然に広げられています。
 そのため真ん中の円はa図をまわりの四角形にも注意を向けてみた場合と同じくらいの大きさに見えます。
 つまりa図の円の法が大きく見えたのは、囲んでいる円が小さいということよりも、狭い範囲に注意を向けて見ていたからだという風に考えられます。
 ですから逆に、b図の真ん中の円に注意を絞り込んで見ていると、b図全体を見ていたときよりも大きく見えてきます。

 ラマチャンドランという心理学者は、a図とb図の中心の円を指でつまもうとすると、指の構えはaの場合もbの場合も同じ大きさだということを確かめて、目では違った大きさに見えても手指のほうは錯覚しないで、両方同じ大きさということを感知しているとしています。
 しかし上の実験でわかるとおり、同じ円形でも注意を向ける範囲で大きさが違って見えるのですから、目が錯覚しているとは言えないのです。
 円をつまもうとして指を構えるときは、a図の場合もb図の場合も中心の円に注意を向けているので、そのときはa図の場合もb図の場合も同じ大きさに見え、とうぜん指の構えも同じになるのです。

 またa図とb図の中心の円を別々に見るのでなく、両方の目で同時に見るのではなく、同時に見ても、両方の円が同じ大きさであることは実感できます。
 二つの中心円を同時に見るという場合は、注意を向けてみる範囲は同じですから、同じ大きさに見えるのは当然です。
 対比効果という説明は、説明の言葉自体が説得力を持ったために普及してしまったものなのです。


周辺視野で見る

2007-10-01 23:06:00 | 注意と視野

 上の絵はレンブラントの「夜警」という絵です。
 この絵は夜の光景であると思われていたこともありましたが、実際は昼の絵です。
 まん中部分が明るくはっきり見え、周辺部分が暗くぼんやりしていることから夜の光景と思われていたのですが、うえから光が降りてきていて、昼の光景なのです。
 昼なのに周辺部分がぼんやりと描かれているのは、眼でものを見たとき、まん中部分ははっきり見えるが周辺部分はぼやけて見えるということを表現しているためだとされています。
 私たちが普通に眼を開けてものを見ているときには、まん中の部分だけがはっきり見えるという意識はなく、周辺部分もはっきり見えているように感じています。
 これはものを見ているとき、一点を凝視するのではなく絶えず頭や目を動かしているためで、視線を向けた先はいつもはっきり見えているからです。

 下の最初の文字列を見ると、すべての文字がはっきり見えるように感じますが、これは無意識のうちに視線を動かして全体を見ているためです。
 ためしに行の先頭部分に視線を固定してみると、途中からどんな文字が表示されているのか分らなくなります。
 周辺部分が暗く見えるわけではないのですが、ぼんやりして文字の見分けがつかなくなるので光が足りないように見えるのです。
 実際は眼の視細胞が中心部分に集中し、周辺部分にはまばらにしかないので、光の刺激を受ける量が少ないのでぼんやりとしか見えないのです。

 文字列の真ん中の部分(SとAの間)に視点を固定して、じっと見つめると中心の五文字ははっきりと見えますが、中心から離れた部分はぼやけて見えます。
 極端に言えば二行目のように左右の両端が薄く、光の刺激量が足りないように見えます。
 目の中心から離れた部分は、視細胞まばらなので光の刺激量が足りないのと同じような見え方になるのです。
 焦点がまん中に合わせられているので、左右両端は焦点から外れてもいるので読み取りにくくなっているのです。
 
 三行目は見るときの焦点をまん中部分に合わせるのではなく、左右両端部分に焦点が合うようにしてみた場合の見え方を示したものです。
 まん中部分は焦点が合っていないので、ぼやけて見えるのですが視細胞が集中しているので読み取ることができ、周辺部分は視細胞がまばらでも焦点があっているのではっきり見えます。
 焦点を合わせ、中心部分で見ればはっきり見えて一番読み取りやすいのですが、そうすると読み取り範囲が狭くなりすぎます。
 そこで周辺視野でも文字を読み取れるようにするのですが、そのためには周辺視野に注意を向け、焦点を中心部分からはずしていわゆる反り眼(ソフトフォーカス)で見る必要があります。


抽象的に考えるほうが良いとき

2007-04-24 23:07:29 | 注意と視野

 「3×5の升目にはいくつの四角形が含まれているか」という問題を考えるとき、たいていの人はAのような図を描いて考えると思います。
 Bのように縦長の図を描いても良いのですが、横長に描くほうが自然に感じられます。
 全体をとらえるのには横長に見るほうが自然で、縦長に見るほうがとらえにくいのです。
 同じように5×3×3の直方体を描く場合でも、D図のようには描かずE図のように横長に描くのが自然です。

 ところで、実際にこの問題の答えを出そうとするにはどのように考えるでしょうか。
 たいていの人は一番小さな升目をまずかぞえ、次に小さな升目が二つ合わさったもの、次に三つ合わさったものと順にかぞえていって合計を出そうとします。
 答えは90個ですから、かぞえ方をきちんと組織立ててやらないと、かぞえ間違いが起きてしまいます。
 たとえば2個合わさったものは、縦1×横2のものと、縦2×横1のものがありますが、
4個合わさったものは縦1×横4の場合と、縦2×横2の場合です。
 また5個合わさったものは縦1×横5だけですが、6個合わさったものは、縦2×横3の場合と、縦3×横2の場合があります。

 こうしたかぞえ方は、そのつど具体的にかぞえていくので、升目が増えるとたくさんの計算をしなければならないので、能率が悪く見落としも出てきます。
 たとえば10×15などとなってくればとても大変です。
 年をとると具体的な考え方に執着しがちで、抽象的な考え方が苦手になるといいますが、具体的な考え方だけではうまくいかない場合もあるのです。

 この問題の場合、四角形は二本の縦線と二本の横線で囲まれたものですから、日本の縦線を選ぶ選び方を数え、それに対して二本の横線の選び方を数え、この二つをかければよいのです。
 A図では縦線は6本、横線は4本です。
 縦線の最初の一本の選び方は6通りで、それぞれに対してもう一本の選び方は5通りですから、全部で6×5で30通りですが、同じ線が1本目にも、2本目にも選ばれているので実際の選び方は30÷2で15通りとなります。
 同じように計算すると横の2本の線の選び方は4×3÷2で6通りです。
 そこで四角形の数は15×6で90個となります。

 これを応用すればE図に含まれている直方体の数は15×6×6で540個となりますが、これを具体的な方法で数え上げるというのはとてもできたものではありません。
 数が多いというだけでなく、立体図では見えないところができてしまうので、具体的に眼で見て数え上げるということができなくなるからです。


縦書きのほうが眼が疲れない場合

2007-04-23 23:54:31 | 注意と視野

 図は視野と感度の関係(右目の場合)をあらわしたものです。
 上の図の円は目の中心からの角度を表し、黄色い部分が見える部分詰つまり視野をあらわしています。
 黄色い部分を囲む線は地形図の等高線にたとえていえば、等感線とも言うべきものです。
 ともかく見えると言う範囲で言えば、眼の鼻よりは60度、耳よりは100度、上下はそれぞれ60度と70度です。
 左の目はこれと左右対称ですから、両目の中心線を重ねれば、左の耳側が100度ですから、左右の視野は200度、上下は135度ということになります。
 
 ところが右目の鼻寄りの視野と左目の耳寄りの視野が重なり合うのは60度の範囲で、左目の鼻寄りの視野と右目の耳寄りの視野が重なり合うのはやはり60度の範囲です。
 したがって左右の眼の視野が重なり合うのは120度の範囲ですから、両岸の視野が重なり合う範囲は左右に120度、上下に135度ということになりますから、ある程度見えるという意味では上下でも左右でも同程度の範囲だといえそうです。
 眼が二つ横に並んでいるのだから、当然左右のほうが視野が広いはずだと思うかもしれませんが、二つの眼の視野が重なり合う範囲は上下のほうがやや広いのです。

 ところが、黄色い部分の内側にある等感線を見ると上下は35度ですが、耳寄りは50度ですからある程度よく見える範囲というのは、左右のほうが上下より広いということがわかります。
 実感としても左右の視野のほうが、上下の視野よりも広いのは、ぼんやりとでもともかく見える範囲というだけでなく、ある程度はっきり見える範囲をとっても、左右のほうが上下より広いからです。
 
 日本語は今でも縦書きのほうが主流ですが、世界的には圧倒的に横書きが主流です。
 文字は順を追って線状に並べて記されていますから、普通に見れば横書きのほうが一度に多くの文字が見えます。
 したがって横書き文字のほうが眼をあまり動かさないでも読むことができるということになります。
 それでは横書きのほうが眼が疲れないかというと、必ずしもそうではありません。
 人によっては横書きのほうが眼が疲れ、横書きが増えたせいで日本人の眼が悪くなったなどという人もいます。
 
 どちらのほうが眼が疲れるというようなことは、一概には言えないのですが、横書きの法が視線を動かさなくてすむため、固視に近い状態で読み続けがちです。
 縦書きの場合は一度にある程度の文字数を見ようとすれば、焦点距離を遠めにするか眼をすばやく動かさなくてはなりません。
 そのため凝視をしないですむので、かえって眼が疲れにくいのです。
 


立体視、平行法、そり眼

2007-04-22 22:57:15 | 注意と視野

 立体視の方法には2種類あり、ひとつは交差法(クロス法)で、眼を寄眼にして見る方法です。
 右の目で左の図を見て、左の目で右の図を見ることになるのですが、二つの図が合わさって見え、真ん中の四角形が手前に飛び出して見えます。
 この場合は焦点が画面よりも眼に近くなるので、合成されて見える図は小さく見え、またくっきりと見えます。

 もうひとつの方法は、平行法(パラレル法)というもので、左の図を左の目で見て、右の図は右目で見る方法です。
 この場合は、合わさった図の真ん中の四角形は遠くに後退して見えます。
 焦点が画面のの向こう側(裏側)になるので、合成されて見える図は交差法のときとは反対に大きく見えます。

 交差法のほうは寄り眼にすればよいので、たいていの人がすぐできるようになります。
 寄り目がしにくい場合、画面と顔の真ん中の距離で左右の図の中間に指を立て、その指を見つめると寄り目になりますから、指を下ろせばそこに左右が合わさった図が見えます。
 焦点を画面と眼の間に持ってくればいいのですから、指を立ててその指に焦点を合わせればよいのです。
 交差法は比較的に楽にできるのですが、目を寄せているので、じきに眼が疲れるので、長く見続けることはできません。

 平行法のほうが眼が疲れないのですが、なかなかうまくできない人が多いようです。
 平行法は焦点が画面の向こう側になるので、交差法のように指を焦点にするということはできません。
 画面の向こう側を見るような気持ちで見ればよい、というようにも言われたりしますが、それでは要領がつかめないでしょう。
 
 普通に見ると左の目にも右の目にも二つの図が見えるので、左眼で左の図を見て、右目で右の図を見るつもりでも、両方見えてしまうのでうまくいかないのです。
 そこで眼と画面の間に真ん中に画面に垂直に、ボール紙などを持ってきて左の目では左の図しか見えないように、右の目では右の図しか見えないようにして二つの図を見ます。
 そうすると二つの図が融合して真ん中の四角は奥に後退して見えます。
 このときボール紙を見てしまうと焦点が手前に来てしまうので、画面のほうを見なければいけません。
 
 もうひとつの方法は、そり眼(寄り眼の反対です)にしてみる方法です。
 そり眼というのは遠くを見るときの見方で、遠くを見てそのまま目線を二つの図の間に持ってくると二つの図が融合して見えるようになります。
 あるいは図の黒い4つの丸を同時にしばらく見て、真ん中に視線を移すと二つの図が融合して見えます。
 また4隅の白丸を同時に見て、それから二つの図の間に視線を移しても二つの図が融合して見えます。
 いずれも焦点を画面の向こう側に持っていくことで立体視を可能にしています。


伏目で見続けないようにする

2007-04-22 00:07:15 | 注意と視野

 左の図はシュルツテーブルといって、周辺視野の認識能力を高めるために使われるものです。
 真ん中の赤い点に視線を向けたまま、眼を動かさずに、注意だけを移動させて、数字を1から25まで順にたどるものです。
 どの文字もはっきり見えているような感じがするので、簡単にたどっていけそうに思いますが、実際にやってみると、なかなかスムーズにはいかないものです。
 
 たとえば左下の18の場合、注視している赤い点から一番離れているうえに、2桁の数字なので複雑度が高いのでわかりにくくなっています。
 それでも周りにほかの数字がなければ、より楽に読み取れます。
 文字が込み合っていると、一つ一つの文字を読み取るのが難しくなるのです。
 また、たとえば右上の5に注意を向けると、真ん中の17に注意を向けているときに比べ、6は発見しにくくなります。
 1から順に数字をたどるのではなく、上の行から順に1、25、13、、と順に注意を向けて読み取るだけならまだ楽なのですが、数字の順に追うとなると筋を探すの手間取るのです。

 真ん中に視線を向けたまま数字に注意を向けて読み取るのは、周辺へ注意を向けて、周辺部の読み取り能力を高めるのですが、焦点距離を近点に合わせたままなので眼が直に疲れてしまいます。
 焦点距離を遠めにすれば、眼筋の緊張が緩むので眼は疲れにくくなります。
 そこで右の字のように四隅の赤い点をを同時に見ようとすると、瞳孔が開くので左の図を見たときと比べ、図が大きく明るく見えます。
 
 図が大きく明るく見えるので、一つ一つのすうじが左の場合よりはっきり見えるような感じがするのですが、1から順に25まで数字をたどろうとすると、やはり簡単にはいきません。
 数字が込み合っているので探すのに手間取るためですが、それでも左の場合より全体が見えている感じがするので、次の数字を見つけやすくなっています。
 
 一点を注視している場合は、自然と伏目になっている場合が多いのですが、伏目になっていれば眼が疲れないような気がします。
 ところが伏目のまま注視を続けていると、近点に焦点が調節されたままなので、特に老眼の場合は、眼が疲れます。
 眼筋が硬直して調節力がなくなり、遠くを見るとぼやけて見えてしまいます。
 眼を開いて広い範囲を見ながら、注意を向けていくほうが眼は疲れにくいのです。