上の文章では20%程度が伏字となっていますが、文章の意味を理解することは難しくはありません。
文字を読むとき、文字の形の一部分が欠けていたりゆがんでいても読めますが、文章の場合も一部分が欠けていたり間違っていても読める場合があります。
アメリカの速読の練習では母音を省いたり、間違った綴りの単語を入れた文章を読ませるものがあります。
単語をいろんな形で読ませることで、単語に対する経験を増やし、単語に対する感覚を敏感にさせようとするのです。
単語や文章を読みなれてくれば、書かれている文字や単語のすべての部分について細かいところまで確認しなくてもわかるようになります。
たとえば人の顔を見る場合、毎日見慣れている相手の顔であれば、遠目に見てもあるいはチラッと見た場合とか一部分が隠れたりしていてもそれとわかるものです。
よく知っている人の顔であれば、眼や鼻や口などを細かくチェックしなくとも、パッと見ただけでわかりますし、これは×××の顔だなどとことさら意識することもありません。
よく知っているものなら、少ない手がかりからそれとわかるようになります。
漢字を読むときでも、子どものように文字の覚えたてであれば一点一画について確かめようとしますが、大人になって読み慣れてくれば、見ただけで瞬間的にわかります。
ところが文章となると、音読の癖がついていると見ただけでは意味が頭の中に入りません。
実際に音読するか、心の中で音読するなどしないと頭に入らなかったりします。
日本語の文章では英語のように単語の分かち書きがしてないので、文節単位で眼に入れていくというふうにしないと頭に入りにくいのです。
図の下の例は文章を右から左に書いたものです。
これを右から左へ読んでいく場合は、一文字づつ読んでいこうとすると非常に読みにくいでしょう。
これは文字を読むとき視線を左から右に動かしなれているためですが、これを「米中西部を/中心に/前週末から/続いている/寒波で、/、、、」と文節ごとに読もうとすれば抵抗感が少なくなります。
つまり逆順の文章を読むことが逐次読みでなく、文節読みの練習になるのです。
伏字のある文章でも文節単位で読もうとするから理解できるのです。
最低でも文節単位に見ていくことに慣れると、いくつかの文字をかたまりとしてとらえるので、理解しやすいのです。